『襲撃(is_clooapse)』-3-
ああ酔ってると、瑛己は思った。
ガガガガガガ
目の前を飛んでいた飛空艇が、痙攣するように微動した。
それに眉をしかめるより先に、瑛己は慌て、操縦桿を右へ切った。
その途端、飛空艇は凄まじい爆音を放ち、夜空に花開いた。
周りを飛んでいた幾つかの機体も、その花に巻き込まれ、包まれた。
瑛己の頬を、生暖かい風が撫ぜた。そして、ムッとするような火と油の匂いが鼻をついた。
バックミラーで確認する気にもならない。
―――密集して飛ぶのは、それでなくても危険な事だ。
確かにそれは、離陸したばかりの『湊』の鳥を……正体もわからぬ敵を前に、そして視界の悪いこの真っ暗な空に飛び出したたくさんの鳥が、羽根を寄せる事は、人として愚かというにはあまりに酷な事なのかもしれない。
だが銃撃は、その真ん中に降りそそいだ。
それでバラバラになった鳥は、その時点で、恐らく心も乱れ飛んだ。
瑛己はそれを、一団の後列から見ている。
(黒い鳥)
黒い空から押し寄せたのは、それと同じ色をした翼。
もう一つの、空の色をした鳥達。
白河は言っていた。電気的な信号や配列は、自分達の乗るこの『翼竜』と同じだと。
そしてその、翼の線や機体の造形も。
そして、唯一の目印となる―――そのエルロンに入った白線も。
ダダダダダダ
そんな音は、聞こえなかったかもしれない。それくらい、空は雑多としている。
だが、瑛己の機体の真横を、風が、吹き抜けていく。
そしてどこかで爆音が上がる。
夜空を、閃光が染める。
「……」
瑛己はチラと周りを見渡した。そして速度を上げると、密集から抜けるように高度を上げた。
―――もしも本当に、敵が、上島……『日嵩』だったとしたら。
グンと抜けた瑛己の後ろに、追っ手がついた。
バックミラーに、サーチライトを浴びた黒い機体が映った。
ドドドドド
操縦桿を、右へと押し倒す。
耳の上を、銃弾が、切り裂くように飛んでいく。
瑛己は『湊』とは逆の方向に進路を取った。
あそこにいてはいけない。
たしかに、離れればそれだけ、視界は悪い。だが瑛己にとって、他のリスクに比べれば大した事ないような気がした。
(あそこでは、撃てない)
そんな事思って、瑛己は苦笑した。
自分は変わった。瑛己は深く瞬きをした。
ダダダダダダ
左へと切り、即座、グイと前に押し倒す。
「随分と、」
下降する瑛己を追って、黒い機体も機首を下へと向ける。
だがその時、瑛己はもう、右からひねり込んでいる。
そして黒い機体の、背中を見ていた。
果たして彼は、それに気づいたのだろうか? 視界から消えた瑛己が。
撃つ、その瞬間に。
ドドド
2、3発。それで充分だった。簡単に撃って、フワリと旋回する。
バスン、バスンと、エンジンが火を吹いた。そして、ゆっくりと落ちていく機体から、乗り手が飛び出したのが見えた。
(慣れてしまった)
瑛己は苦笑した。
だがそれも仕方がない事かもしれない。
『湊』へきてから2ケ月……わずかそれだけの間に、一体どれだけの空をくぐり抜けてきたのだろうか。
そしてどれだけの飛空艇乗り達と、翼を交えてきたのか……。
その時、瑛己の脳裏に、一人の笑顔が浮かんだ。
彼女は今頃、どうしているのだろうか?
この空を、この空のどこかで、その真っ白な翼を羽ばたかせて。
瑛己は苦笑した。そして目を閉じた。
きっとこの空で、つながっている。
「さて……」
瑛己は基地を振り返った。
夢中で空へ飛び出した。だが別に、自棄でも見栄でも、虚勢でもない。
(磐木隊長……)
新が言っていた。イの一番で飛び出したと。
あの体で……、気丈な男である。だが、立っているのがやっとだという事は、瑛己にもよくわかっていた。
新ではないが、瑛己も磐木に、どれだけ殴られたかわからない。
見つけて、一発殴る。そんなつもりがあったわけではなかったが。
(放っておけない)
だが、この空で磐木を見つけるのは、容易な事ではない。
まして、自分が空にいる事が新にでもバレたら。ひょっとして撃たれるかもしれない。
大きく息を吐いた。
それでも、
『なぜあんな事をした。聖ッ!』
『聖! なぜ勝手に飛んだ!! なぜ黙って飛び出したりした!!』
『聖、しっかりしろッッ!』
『馬鹿者』
『どこまでも―――聖隊長に、そっくりだな』
『―――聖、逃げろ』
「隊長……」
◇ ◇ ◇
ドドドドドド
連射しながら、磐木は眉間にしわを寄せた。
爆炎を上げる機体の真横をすり抜け、体勢を立て直そうとする暇もなく、次の銃火が降りそそぐ。
それが、カツンと一発だけ胴体をかすめた。塗料が少しだけピッと飛んだ。
それは、磐木がうまく避けたからというのではない。
「浅い」
それは、渡ってきた空の違いとでも言うべきだろうか。
例えば相手が、磐木の機体をどれだけ傷つけたのか、そんな事に気を取られた一瞬の間に、磐木はもう彼の後ろを飛んでいる。
そして、撃っている。
「……」
磐木はムッと口を結んだ。そして、溜め息を吐きながら思った。
今翼を交えているのは、空賊の類ではない。
飛び方が違う。
空賊、そして渡り鳥の飛び方は、もっと、自由で奔放だ。
風を切り裂く。グンと、伸びるような飛行をする。
言い換えればそれは、正しく訓練されていない飛び方でもある。
それがゆえに、先が読めない。
思わぬ所で、予想できない飛行をする―――それが磐木の知る専らの、彼らの飛び方だ。
だから、訓練上の成績がどれほど優秀であっても、それが一概に空戦に長けるとは限らないのである。
空戦で渡っていけるかどうかは、もっと別の、何かが必要となってくるのだ。
それが勘であり、そして経験なのかもしれない。
磐木は少し目を細めた。
少なくとも今夜、自分が撃った者の中に、そういう者はいなかった。
教科書通りの飛び方だなと思った。
これは、空賊ではない。
飛び慣れはしているが、空戦慣れはしていなかった。
「……」
磐木の脳裏に、一人の男の笑顔が浮かんだ。
(上島さん……)
その眉間にしわが寄った。
学校を卒業して、初めて配属された『湊』空軍基地。第301飛空隊……。
隊長・聖 晴高。口数は少ないが、いつも凛としていて。どれだけ情に厚いか知っている。そんな彼を支えるように、いつも笑い話や馬鹿な話をして、隊を盛り立てていた副長・原田 兵庫。
磐木にとって、晴高と兵庫は憧れであり、目標であった。
眩しかった。
そして、その2人をいつも静かな視線で……どこか、淋しげに見つめていたのが。当時、第304飛空隊、隊長・白河 元康。
そしてそんな白河にいつも苛々しながら厳しい視線を送っていたのが、副長・上島 昌兵だった。
―――なぜ?
なぜそれほどまでに、上島は白河を憎むのだろうか?
(あの日も……)
『すまん。すぐに行く』
困ったように言う白河と。
その後ろで、何とも言いがたい目で晴高を見た上島。
あの時の顔が、磐木は忘れられない。
『心配するな』
そう言って白河の肩を叩いた晴高は。数時間後〝空の果て〟へと飲み込まれた。
「…………」
その後間もなく、白河は『蒼光』へ配属され、階級を上げた。
そして上島もまた、第2首都『浪漫』に仕官として移った。
それを、磐木は病院で聞いた。
あの時生きて戻れたのは、磐木と兵庫。
そして兵庫は、空軍を去った。
「……」
磐木は眉間にしわを寄せた。
何かがおかしい。
(なぜ)
上島はあの時―――笑っていたのだろうか?
あの笑顔は一体、何だったんだろうか?
そして。
白河と上島の間に、あの後、何があったのだろうか?
なぜなら。後で聞いた話では。
あの後、上島は事故に遭い。
そして白河の右腕はあの日以来、ニ度と、動かなくなってしまったのだから。
ドドドドド
反射的に、磐木は操縦桿を倒した。
その動きに、胸が激しく痛む。だが、磐木は表情一つ変えずにバックミラーを覗いた。
夜空に、何かが蠢いていた。
この空は、どうなっているのだろうか。
どれだけ墜としたかわからない。だが未だ、空は混沌としている。
基地は大丈夫だろうか?
(聖達は)
ダダダ、カツンカツンカツンッ!
「―――ッ」
チッと舌を打ち、磐木はペダルを踏み込んだ。
(できる)
海面スレスレで体制を立て直し、右に抜ける。その背中を追うように放たれた銃弾が、海に軌跡を描いていく。
痛みが、意識の邪魔をする。
ひねりこみながら、相手の後ろを取ろうとするが、相手は巧にそれをかわしていく。
普段の磐木なら、焦れたりはしない。
だが、痛みが彼の冷静さを少しずつ裂いていった。
そんな自分に気付いているから、磐木は唇を噛んで耐えようとした。
左に抜け、操縦桿を押し倒す。そこで、
(撃て)
相手の腹を、初めて見た。
射撃ボタンに指を押し込んだ。
その瞬間、基地から飛び出したサーチライトが、サッとその黒い機体を照らし出した。
操縦席を。
そして、その乗り手を。
「―――ッッッ!?」
ドドドドドドド
磐木は慌てて操縦桿を引き寄せた。機体はそれに、グワンと揺れながら向きを変えた。
放たれた弾は、結局相手に当たる事なく、奇妙な曲線を描いて明後日の空へ飛んでいった。
「上島さん……ッッ!?」
幻だったのかもしれない。
だが、サーチライトに浮かび上がったその乗り手は、上島 昌兵、その人だった。
あの時と同じ、〝空の果て(あの日)〟と同じ。
勝ち誇ったような、あの笑顔で。
◇ ◇ ◇
《サササ……磐木ィ……》
無線の声に、瑛己はビクリと眉を寄せた。
入れっぱなしのそこからは、ずっと、様々な声が流れ続けていた。
撃墜したという喜びの声もあれば、助けを求める声、断末魔の声もある。
この空に飛びかっているのは、飛空艇じゃない。人の意思だ。
目に見えないそんなものが、今にも絡み付いてきそうで。たまらなくなり、瑛己は無線の電源を切ってしまおうとした。
そんな時だった。
《……わき? ……ククク》
張り付くような声だった。
雑音だらけの無線の中で、それだけが、妙にリアルに聞こえてくる。
その声に、瑛己は聞き覚えがあった。
(上島総監……!?)
《……まさか、あんたは》
答えたのは、紛れもない。
「―――隊長!」
瑛己は辺りを見回した。
《どうした? 磐木? 怯えているのか?》
どこだ?
瑛己は必死に、銃弾の中を翔ける。
《まさか……、どうして、あんたが》
やけに鮮明に。
耳の後ろを汗が伝っていく。
《どうしてだ? 何であんたは》
ドドドドド
追っ手か? だが構っていられない。
《あんたはもう、飛べないはずだ》
執拗に迫るそれをかわし、瑛己は飛空艇が雑把に飛びかう空を突き抜けた。
ダダダダダ
避けた弾が当たって、味方か敵かわからない、何かが激しく火を吹いた。
《なぜだ? あんたはッ、》
《俺は、生まれ変わったんだよ》
《何を》
《あの日》
隊長―――ッッッ!! 瑛己は空に向かって叫んだ。
《白河さんに胸を撃たれたあの日》
《―――》
《俺は、神になったんだよ》
「……」
白河は、目を閉じた。
窓の向こうでは、激しい爆音と、閃光が空を染めている。
ダンッという音がして、部屋がガタガタと揺れた。天井からパラパラと砂の欠片が落ちてくる。
戦場は空だけではない。基地もまた、爆撃を受けて燃え始めている。
『あんたがそんなふうに命を捨ててて、誰が、あんたのために命を懸けるっていうんだッ!!』
「……」
その時、けたたましい音と共に総監室の扉が開いた。
白河は、虚ろにそちらを振り返った。そして、
「こんな所で何してやがるッ!! 大馬鹿野郎!!!」
「原田……!」
「さっさと来い!! 死にたいのか!!?」
「しかし……」
「馬鹿野郎!!」
そう叫ぶと、兵庫は白河のえりを締め上げた。
「こんな所で、テメェに死なれるわけにはいかねぇんだよ!!!」
「……」
「これで貸し借りなしだッ!! さっさとしろッッ!! 俺だってまだ、傷が痛ェんだよ!!!」
「原田……」
白河はゆっくりと頷いた。
そして、「すまない」と呟いた。
それに兵庫はフンと鼻で笑い、
「馬鹿野郎」と小突いた。
けれどそれは、まったく痛くなかった。
だから、泣けそうになった。