『襲撃(is_clooapse)』-2-
―――あの時死ねたらよかったと。
未だに白河は、悔やみ続けている。
非常警報のベルが、けたたましく鳴り響いている。
駆ける者、喚く者、怒り、哀しみ、そして狂喜。
基地は混沌と化していた。
「ヒドイ有様だ」
昴が舌打ちをした。その横で、瑛己は人ごみの中に見知った顔を見つけ叫んだ。
「新さん!」
「おう!」
駆け出そうとしていた新の背中に追いつくと、瑛己は周りを一瞥して訊いた。
「これは一体……?」
「詳しい事はわかんねーけど」爛と瞳を輝かせ、新は言った。「すげぇ数の飛空艇が、こっちに向かって飛んでるって」
「飛空艇……?」
「もう間もなく『湊』の領空に入る。さっき第二種警報が出た。怪我人以外の手の空いている者はすべて、臨戦体勢に」
「俺達は?」
その問いに、新は眉間にしわを寄せた。「327は待機だと」
「なのになぁ……だのになぁ……、あの人、イの一番に走って行きやがった……勘弁してほしいっつーの」
「あの人?」
「磐木隊長」
「……!」
「足と脇腹持ってかれてるっつーのに、何考えてんだあの人は……! 普段、人の事を『軽はずみだ』とか、『もっと行動を慎め』だとか言うわりに、自分はどうなんだよ? さすがの新さんも、ちょっぴり腹が立っちゃうなぁ、今回ばっかりは」
「新さん」
「怪我人は、すっこんでろっての」
いつも飄々《ひょうひょう》としているこの男のこんな顔を、瑛己は初めて見た。
「お前は飛と秀一を連れて、地下のシェルターに行け。―――言っとくが」
刃物のような目だった。
冷たい炎、そんなものが、彼の瞳に宿っていた。
「空にきたら、ただじゃおかないからな?」
「……」
「早く行け。そこのお嬢も一緒に連れてけ! 女子供にウロウロされると気が散って仕方がねぇんだよ! 急げ!!」
そう言って駆け出した新の背中に。瑛己は何も言えなかった。
「何だあの猿顔!!」
新の背中を蹴飛ばそうとする昴の腕を引っ掴み、瑛己は大きく溜め息を吐いた。
「さっき、借りがどうのって言ってたよな?」
「あ?」
「医務室に行って、飛と秀一を頼む。地下シェルターに連れてってくれ」
「何?」
「それで貸し借りなしにしよう」
一瞬キョトンとした昴だったが、次の瞬間、声を立てて笑った。
「あのさぁ、それ、逆のがいいと思わない? あたしが戦場へ行く、あんたは地下へ行く」
「……」
「行くつもりなんだろ? だけどあんた、そんな傷だらけで、どうするってんだよ?」
瑛己は脳裏に、自分の体を描いた。左腕、そして胸の火傷……どれもこれも悲鳴を上げている。
「……誰も、空に行くとは言っていない」
「言ってるさ、その目が」
「……。ともかく、俺は一度、総監の所へ行ってくるから。お前は先に、飛達を」
「いいよ。あたしが出る。お前も知ってんだろ? あたしは結構夜目が利くから。夜中だろうが関係ないし」
「……昴」
「飛空艇貸せよ。あたしが出るから、あんたはとっとと地下に―――」
そう言った昴の肩を、瑛己はグイと掴んだ。
「なっ……」
そしてその双眸を、じっと見つめた。
昴は目を見開いた。そして瑛己の腕を振り解こうともがいたが、瑛己は離さなかった。
じっと。
まっすぐなその瞳で。
瑛己は昴を見つめた。
昴も。それに、魅入られたように……目が離せなかった。
「……」
「男の面子だ」
―――女を戦場に送るような事。
「わかってくれ」
できるわけがない。
「……」
瑛己はスッと手を離した。が、昴は動かなかった。
「飛と秀一を頼む」
「……」
それだけ言って、瑛己は走り出した。
その背中を、昴は。見えなくなるまで見つめ続けていた。
◇ ◇ ◇
総監室。
そこにいるとは思わなかった。だが瑛己はその扉を叩いた。
本塔は静まり返っている。ここにくるまでにも、段々と人の数が少なくなっているのは感じていた。
格納庫で待機する者、そして地下へ避難した者。
もう、どちらかなのだろう……瑛己は総監室の扉を開けた。
誰もいないと思っていた。だけど。
「……総監」
白河 元康。彼はそこに立っていた。
「聖君」
窓辺に立ち、振り返るその顔は。場違いなほど静かな色を称えていた。
「何をしている。君は早く地下へ行かないと」
ようやく、白河の目に戸惑いが浮かんだ。
それを見て、瑛己はここへ何をしにきたのかわかった。
「総監は、ここで何を」
「……」
白河は視線を外した。そして、「今、出撃命令を出したよ」
言うが早いか、今までとは違うサイレンが基地に木霊した。
高く、低く、遠く、遙かまで。
翼を広げろ。風と共に。グンと低く飛び出せと。
その音は飛空艇乗りの心に向けて、そう叫んでいるように聞こえた。
そして、サーチライトが飛びかう中を、無数の蒼い鳥が、空に向かって飛び出した。
窓から飛び込むその光に、白河の横顔が、ふっと陰った。
「総監は、」
「私はここにいる」
「……」
「多くの若い者が空で、命のやりとりをしている時に、指揮官が地下で震えていたなんて、間抜けな話だと思わないか?」
「……相手は?」
白河は首を横に振った。「呼びかけに、答える者はいない」
「だが飛空艇が走行時に奏でる特殊な電気信号と、端末上に浮かび上がった配列を見る所……それは恐らく」
「……」
「この朔の空に、晴天に忘れられた、空の蒼さを映した翼」
「『翼竜』……? まさか、『日嵩』……!?」
ガラスの向こうに『日嵩』総監・上島の笑顔を見たような気がした。
「総監」
直にここも戦場になる。瑛己は急かした。だが、
「聖君……いいんだ」
私は裁かれなければならない。
「私は、あの日、君の父さんを」
―――見殺しにしたのだから。
ッッッダァァァァンンンンン!!!
ドドドドドド!!!
「!?」
瑛己は空を振り仰いだ。そこに、閃光を見た。
「始まったか」
淡々と白河は言った。瑛己はその背中に叫んだ。「総監ッ!!」
「早く、地下に!!」
「……」
「総監ッッ!!」
「行かないと行っているだろうッ!!」
白河のこんな怒声を。
瑛己はギリと歯噛みをした。そして、
「あんたがそんなふうに命を捨ててて、誰が、あんたのために命を懸けるっていうんだッ!!」
「―――」
ダンッと、瑛己は扉を殴るように部屋を飛び出した。
「聖―――!!!」
待て。
白河は手を伸ばした。
待ってくれ。
その背中は、いつかの映像と。
まるで。
「晴、高……ッ!」
◇ ◇ ◇
からっぽの格納庫に、ポツンとそれは、待っていた。
操縦席に引っ掛けてあるゴーグルを掴み、手早く額に引っ掛ける。
「……行くぞ」
腹の傷が痛む。
左の腕に添えてあった物を、雑把に取って宙へと投げる。
カランと軽い音が、セメンの上に鳴り響いた。
それと同時にエンジンを掛ける。
ゆっくりと動き出す。
頬を撫ぜた風に、ゾクリとする。
背中を、言いようのない感触が走る。
こういうのを、嫌な予感というのだろうか?
―――関係ない。瑛己はそう思って苦笑した。
今更。当に自分は、運命の女神によって。
微笑まれている。
◇ ◇ ◇
「……ッ!」
医務室に着いた昴は。
「あ……、君、丁度いい所に!! 彼を運ぶのを手伝ってくれ!!」
訝しげに辺りを見回した。
医務の佐脇が、秀一の周りで看護の女性とオタオタしている。
「……あのうるさい奴は……?」
「うるさい……? 須賀君の事か?」
「スガ……」
「彼なら、警報が鳴った途端飛び出して行ったけど……?」
「―――」
畜生。
「あいつッッ……!!」
どいつもこいつも、男って奴は。
馬鹿で阿呆で、カッコつけで。見栄っ張りで、ガキで、どうしようもなく。
「頼む、君、手伝ってくれないか!!」
「……」
愚かで。愛しくて。
―――どうして。
昴は無言で、佐脇に手を貸した。「すまない、ありがとう!」佐脇は嬉しそうに顔をほころばせたが。
「……面子を、守ってやるだけだよ」
死んだらただじゃおかないから。
心の奥でそう呟き、昴は、唇を噛みしめた。
飛びかう光が、少し、煩わしい。
だがそれが、朔の夜には唯一の命を結ぶ綱だと。瑛己はわかっていた。
「……まずいな」
しかし、視界はかなり悪い。
敵の数も不明だが、同じように、仲間もどれだけこの空に上がったのか。
(誤射だけは避けなければ)
ジリと額に汗が浮かんだ。だが果たして、どれだけかわす事ができるのか。
自分にその可能性があるのならば、他の者とて同じ事。
ザッと見ただけでも……仲間とも敵ともつかない、空を飛ぶ者は、かなりの数だ。
これだけの数が途端、戦闘を始めたら。
(どこから、何が飛んでくるかわからない)
自分の放った弾も、どこへ行くかわからない。誰の、何に当たるかの保障がない以上。
(下手に撃つ事はできない)
《南の方角に、ピー》
《ガガガ……黒い何かザザザザ》
飛びかう電波に、無線もひどい。瑛己は電源を切ってしまおうかと思ったが、結局やめた。
代わりに、歌を口ずさんだ。
父が好きだった、〝約束の場所〟。
母に教えてもらい、瑛己が弾ける、たった一つの曲。
操縦桿を握るその指が、不意に、鍵盤を叩くかのように振られる。
「……、………」
瑛己は風になぶられる髪を、適当に掻き上げた。.