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 『襲撃(is_clooapse)』-1-

「大丈夫か? 白河君」

 その言葉に白河は、微かに目を見開きそして、「何がですか?」と言った。

「顔色が悪い」

「最近、寝不足が続いていますので」

「まぁ……無理ないかもしれんな」

 そう言って男はドカリとソファに腰掛けた。

 それを見届け、白河もそこに腰を落とした。

高藤たかとうさんはお元気そうで」

「いやぁ、まぁ、色々あるがな」

 『音羽おとわ』第8海軍基地 総監・高藤 慶喜(takatou_keiki)は満面に苦笑を浮べた。

「さすがに君にはかなわんよ」

 大柄な体格に負けずと声の大きいこの男を、白河は、存外好いていた。

「で、橋爪君は何と?」

 歳は白河より一回り近く上である。だがこの豪胆な男は、『蒼国』の中でも一目置かれた重鎮的存在であった。

「磐木達の第一報が届いた時、丁度私は総司令と共にいたのですが……ただ一言『有無』と」

「感動も、何もなかったと?」

「は」

「らしいと言えばらしいか」

 高藤は豪快に笑った。

「どの道、君も磐木達も命拾いといった所か。橋爪君は一体どうするつもりだったんだ? ……それこそ聞くまでもないが。君の目の下のそれは、どうせまた橋爪君に殴られたんだろう」

「……」白河は何とも言えず苦笑した。

「白河君は、橋爪君が上にいる限り、生傷が絶えそうにないな」

「……私がもっと、総司令の意に沿えるような人間であればよかったのですが」

「ははは」

 高藤はテーブルの端に置いてあった灰皿を引き寄せると、上着のポケットから煙草を取り出した。「そんな人間は、世界広しと言えども、中々いやしないさ」

「……」

「それに、結局の所で橋爪君は、君を手放したりはしない」

「……え」

 高藤は手早くマッチで火を点けると、ふぅ……と吹かした。

「殴られるほど、好かれているんじゃぁないのか?」

「……それだけはありえないと思います」

「そうかな。俺からすればよっぽど、上島君の方が橋爪君の眼中にはないと思うがね」

「……」

「そして上島君はそれに気付いている」

「……」

「上島君が君を、そして『湊』を憎む理由は、そんな所にもあるのかもな」

「……」

 馬鹿な事だ。そう言って、高藤は灰皿の端で煙草を叩いた。

「あの時翼を失ったのは、白河君も同じだというのに」

「……高藤さん、それは」

「誰にも言わんさ」

「……」

「だが……君はそれでいいのか? 特に原田に……憎まれ続ける事に、それでいいのか?」

 白河は目を伏せた。そして高藤の太い指に挟まれた煙草を見た。

 白河は煙草を吸わない。その理由は別に、体のためとかいうのではない。

 ただ、弱いから。

 自分の脆さを白河はよく知っているから。

「いいんです」

 それに頼れば、逃げられなくなる自分を知っている。

 だから。白河はこれ以上、自分で自分の首に鎖を巻きたくなかった。

 ―――それでも時折、恋しくなる事がある。頭の片隅を、奇妙な誘惑が駆ける事がある。

 それは決して、煙草を吸いたいとかいうのではなく。

 ただ、弱い自分を隠してしまいたくて。

「もう、慣れました」

「……そうか」

 心の内にある哀しみを、それが消し去ってくれるというのならば。

 それがたとえ、ほんの一瞬だとしても。

「まぁ……どちらにしても、今回の事は幸いだった」

「ご心配をお掛けしまして」

「いやそれは。君たちには色々と恩があるからな。入用いりようの時はいつでも力を貸すつもりでいる。俺で役に立てればだがな」

「ありがとうございます」

 白河は心から頭を下げた。そんな彼を見て高藤は、ほのかに笑みを浮かべ、そしてゆっくりと頬を正した。

「だが……気をつけろ、白河君。上島君の事は、俺より君の方がよほどよく知っていると思うが」

「……は」

「もしも今回の一件が、本当に上島君の意図で動いていたというのならば……すぐにでも、何か仕掛けてくる可能性はある」

「それは」

 白河は頷いた。「私も、懸念している所です」

「橋爪君には?」

「まだ何も」

「そうだな。決定的な裏が取れるまで、やめておいた方がいいだろう」

「高藤さん」

「俺も内々に調べてみる。ともかく、充分に注意する事だ、白河君」

「―――は」




   14


 バラードが、流れている。

 大分客の減った『海雲亭』は、穏やかな空気に包まれていた。

 その歌は、母が好きだった映画ので流れていたものだと、瑛己えいきは思った。

 台所で口ずさんでいたその背中が、脳裏に蘇る。

 そしてその姿が、秀一に重なった。

 それを振り払うように、瑛己は麦酒を飲み干した。

 海月さんがいたら……と瑛己は思った。だが、彼女は昨日から急用で留守にしているらしかった。

 どんな時も、どんな事も笑い飛ばしてくれるような彼女がいたら。姉のように慕う彼女がもしここにいたら……今の自分を見て、何と言うだろうか?

 カウンターの隅に座り、ボンヤリと一人、飲み続ける彼を。

 ふと浮かんだ海月の顔に、瑛己は苦笑した。

 けれど、今は、一人でよかったのかもしれない。

 何も考えられない頭に、音楽だけが通り過ぎていってくれればそれで。

 その方が。きっと。

「……」

 瑛己はバイトの青年に追加を頼んだ。

「すぐにお持ちします」

 別に、すぐでなくてもよかった。

 ……一つの曲が終わろうとしている……最後の歌詞が消えて行く―――そのピアノの余韻を掻き消すように。

 ガタリと、瑛己の隣の椅子を誰かが引いた。

「カシス」

 ジュークボックスが、新しい曲を奏でようとしている。

「いい店じゃん。空軍のお膝元にあるわりには」

「……」

 瑛己はチラリとそちらを見た。

「……まだ帰ってなかったのか」

 本上 スバル

 彼女は「フン」と唇の端を釣り上げると、テーブルに頬杖をついた。


  ◇ ◇ ◇


「あのうるさい奴はどうした?」

 たかきの事か……瑛己は苦笑し、「医務室に」と告げた。

 食堂で別れた飛がどこへ行ったのか、本当は知らない。だがきっと秀一の所にいるのだろうと瑛己は思った。

 それがわかっているから、瑛己はここにきた。そっとしておいてやりたかったし、自分も一人になりたかった。

「そう」

 そう言ってグラスに口付ける横顔を見ても、瑛己は不思議と何も思わなかった。

 秀一を撃ったのは、彼女だ。

 だがなぜだろう……恨む気持ちも憎しみも、湧いてこなかった。

 ただ、その横顔が。哀しいと思った。

 伏せた目に落ちた影が。なぜだか瑛己には、泣いているように見えた。

ライは?」

「兄者は、さっき飛んだ。調べたい事があるってさ」

「……」

「兄者が無凱むがいの脇にいたって話。驚いただろ」

「……」

 瑛己はそれに無言で返した。

 けれど昴はそれに気を悪くした様子になかった。ふっと明後日を見ると、「あたしと兄者は」と呟いた。

「まぁ、世間で言うとこの、孤児院で育ってさ」

「……」

「あたしが物心ついた時、兄者はもうそこにいなかった。シスターとかは、兄者は偉い学者さんになるためによその国に行ったんだって言いまくってたし。あたしもそれを信じてた。定期的に手紙もくれるしさ、いつかそのうち、迎えにきてくれるかなって」

「……」

「兄者がきてくれたのは……あたしが8つか9つくらいの時だった。それで、本当の事を知ったんだけど」

「……【天賦】にいたって?」

「【天賦】が【天賦】になる前の話だよ」

「……」

「兄者は〝空の果て〟から帰ってきた。そしてあたしの所に帰ってきてくれた。兄者は決して、その時何があったか語らない。ただ……あんたの親父に助けられたって事以外」

「……」

「あたしは、あんただけには、助けられたくなかった」

「……」

 音楽が。

 瑛己は目を閉じた。

「……悪かったな」

「借りは」

 どうやって返して欲しい? 昴の言葉に、瑛己は片眉を上げた。

「そんなの、いらない」

 そして首を横に振った。

「そうはいかない」

「……」

「さっさと返さないと、こっちは、おちおち眠れない」

「……」

 勝手に眠れ……と瑛己は嫌そうな顔をした。不眠症の相手までしていられない。

「そのうち、な」

 溜め息を吐いた。そして、そろそろ基地に戻ろうかと思った刹那。

 ウィーン、ウィーン、ウィーン

「―――!?」

 外から届いたその音に、瑛己はハッと顔を上げた。

 それは、その場にいた誰もが同じだった。キョロキョロと辺りを見回すと、何事かと外へ飛び出した。

「何だ……? こんな夜中に……」

 訝しげに言う昴に、瑛己は。

「第三種非常警戒警報……」

「なに?」

「……」

 瑛己は立ち上がると、店の奥から出てきた店主に「すぐにここを離れた方がいい」と言った。

「聖、」

「昴、お前も行け」

「何……? どういう、」

「ともかく、俺はすぐに基地に戻る」

「待て。どういう事か説明しろ」

 グイと服の端を掴む昴を、瑛己は困ったように見つめ、

「敵襲だ」

「―――ッ!?」

 そう言って、瑛己は足を引きずり駆け出した。

 店の扉を、添え木した腕で殴るように開けようとしたその刹那、代わりに、昴がそれを蹴飛ばした。

「あたしも行く」

「―――」

「どうやら、早速借りが返せそうだ」

 瑛己は苦笑しようとして、それを掻き消すように首を横に振った。

「急ぐよ」


  ◇ ◇ ◇


「今夜は、朔か……」

 月のない夜空を眺め、そして白河は嘆息を吐いた。

「こちら、『湊』空軍基地、応答願います!」

 本塔最上階の、情報管理室にて。

 通信士達の必死の声を横目に、白河は、高藤が去った後でよかったと心から思った。

「総監、依然、何の連絡もなし。応答ありません!」

「総数は?」

「レーダーによる確認……およそ、100は下らない模様」

「総監!」

「……ふぅ」

 もう一度息を吐き、白河は振り返って呟いた。

「第二種警戒態勢発令。第315飛空隊から随時、離陸できるように待機。通信士は応答確認まで、電波を続けてくれ」

 ―――きたか。

 白河はもう一度息を吐いた。

 そして、夜空を見据えた。

 その目には、別の光景が過ぎっていた。

 あの日……聖 晴高達を見送り、そして。

 その後起ったあの―――彼の人生を変えた、あの時の、あの光景が。



2012.5.2 誤字改正

2012.5.12.一部修正

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