表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/101

 『捕虜(prisoner)』-4-

 それは、偶然だった。

 一人、『白雀はくじゃく』という町をボンヤリと歩いていると。

 瑛己の耳に、微かに、リン……という鈴のような音が届いた。

 鮮明な音ではない。サビに濁った、聞こえるか聞こえないか、そんな程度の音だった。

 だが、瑛己にはそれが聞こえた。そして音を振り返った。

 そこに、一枚の扉があった。

 建物……そう呼べるような物では、もう、なかった。外から見ただけでも、そのほとんどは消えていた。

 瑛己はジャリと靴を鳴らし、その扉へと向かった。

 こんなふうになっても、扉はしっかりと、なかを守るように閉じられている。

 そのノブに、鈴は引っかかっていた。

「……」

 リン……

 風に、鈴が鳴いた。その音は、先ほどより強く聞こえたような気がした。

 瑛己はそっと、ノブに手をやった。

 回らないと思った。

 だけど、回るとも思った。

 ノブは始めこそギギと嫌な摩擦を上げたが、ある一定を過ぎると、奇妙なほどすんなりと瑛己の手の中で滑った。

「……」

 扉を開ける事に、少し躊躇ためらった。

 それなのになぜそれを開けたのだろうか?

 音もなく、扉は開いていく。

 天井は意味をなしていない。密封された空間ではない。なのに、中からふんわりと香ったその空気は何なんだろうか。

 その空気を、瑛己は知っているような気がする。どこかで感じた事があるような気がする……だが、わからない。

 足を踏み入れれば、そこには。ただの空間があるだけである。

 ここが民家だったのか、何かの店だったのか、それとも……? 何も、わからない。

 本棚の一つも、食器棚の一つも、テーブルの一つも、残っていない。

 あったのはただ、椅子。

 壁際に唯一、形を留めていたその上に。

 なぜか。写真立てが置かれていた。

 瓦礫の中にあって。その一角だけが、奇妙な違和感に包まれている。

 瑛己は一歩、踏み出した。

 誰かの意思が、ここにある。でなければあり得ない光景。

 瑛己はその写真を、そっと手に取った。

 ――扉が守っていたものは。

「……!」

 なぜ? そう思った。

 心臓が、大きな音を立てて跳ね上がる。

 それは、こんな所で見るはずのない写真。

 ――飛空艇。

 こんな所で見るはずのない、人。

 ――それを背にして、飛行服に身を包んだ2人の男が立っている。

 どうして、こんな所に。

 ――聖 晴高。

 なぜ? 何で父さんが。

 ――そして、もう一人は。

「……」

 ――微かに微笑む、その顔は。

 瑛己はその人を知っている。

 いや、知っていた。父が消えてしまう、その前までは。

 家にもよく遊びにきていた。

 冷たいとか、怖いとか、仏頂面だとか、そういう印象よりも。

 瑛己はその人を、こう思っていた。

 手の大きなおじさんだと。

 いつも、瑛己の頭を撫ぜてくれた。

 あまり言葉を交わした記憶はない。だけど……。

 瑛己はその人が、嫌いではなかった。

 世間で流れるどんな噂よりも。

 瑛己はその人が、時折見せたはにかみ笑いを……信じていた。

 ずっと。

 いつかの、あの日まで。

 ――橋爪 誠。

 あの人の事を。




 信じていた。




「聖君!」

 声に、瑛己はハッと顔を上げた。

 ライだ。慌てて、咄嗟に瑛己は写真立てをズボンのポケットに突っ込んだ。

 そしてそこから飛び出すと、丁度、来と出くわした。

「……、こんな所にいたのか」

 来の表情に、安堵が生まれる。

 瑛己は大きく息を吸い、それから「皆は?」と聞いた。

「無事だ。先に飛空艇に向かった」

「そうか……」

 瑛己の顔に笑みが浮かんだ。だがそれを掻き消すように、来が少し声を荒げた。

「急ごう。早くここを離れた方がいい」

「……?」

「どうも、嫌な予感がする」

 それはどういう……? 瑛己が口を開きかけた途端。

 一発の銃声が、空に舞い上がった。




 鳥が、静寂を突き破るように空へと翔けて行く。




「――スバル!?」

 来はハッと振り返った。

 そこに。

「あに、じゃ」

 昴が立っていた。

 両手を後ろできつくねじ上げられ。

「ふはははは」

 その男。

 【天賦てんぷ】の無凱むがいと共に。


  ◇ ◇ ◇


「誰が動くのかと、楽しみであった」

 ザザザと建物の陰から、黒い人垣が現れた。

 一瞬にして囲まれる。その様子を、瑛己は眉をしかめて見ていた。

 無数の銃口が、こちらを向いて光っている。

「だがまさかお前が出張るとは……この我にも予想ができなかった」

 来が、瑛己を無凱から隠すように、スッと立ち位置を変えた。

「久方ぶりだな、ライ」

「……」

 瑛己は、表情の見えない来の後ろを見た。

 背中に流れる長い髪が、風に揺れなかった。

「俺の事を、まだ覚えておいででしたか」

 その声には、苦笑ともつかない笑みが含まれていた。

「忘れようにも、忘れまいて」

 あにじゃ……昴の口元が揺れる。

「妹を、放してもらえませんか?」

 来の首筋を、汗が伝って流れた。

「これが、お前が我を裏切り、かつ、守り抜こうとするものか?」

「……」

 静寂が痛い。

「であるとしたら、あなたはどうなさいますか?」

「3つの首が姿を変えようとも、それは等しく同じ事だと思わぬか?」

「……」

「ましてその3つが、どのような果てを辿ろうとも。奴にも、さして興味のわく事ではなかろう」

「無凱。俺達を殺すか?」

 その言葉に、瑛己は初めて、目の前にいるのがその男だと気がついた。

 【天賦】総統・無凱。

 瑛己は来の陰から彼を見やった。

 巨大な男だと思った。

 風になびくのは、深紅と漆黒のマント。そこから突き出すのは、鍛えられ隆起を帯びた黒い二つの肩、そして双腕。身にまとうのは、黒光りする鎧のような物。

 その面差しは。腕と同様日焼けした肌……そして、左目を覆う、銀の眼帯。

(これが……)

 来の問いに、無凱は答えなかった。代わり、大きくその口元を歪めた。

「お前はいつから、生きる事を望むようになった?」

「……」

「変わったな、ライ」

「……」

「我の知るお前は―――死こそ唯一の神とうたった男。もっと暗く、強い眼をした男だった」

「……」

「あの頃のお前……我の右腕として、【天賦】に黒き翼を広げし頃のお前、何がそれほどお前を変えたのだ?」

 来の肩が、少し揺れた。

 瑛己も昴も、来を見ていた。

 だが、次に聞いた来の声は。とても涼しく、穏やかだった。

「それが知りたければ、あなたも、〝空の果て〟に飲み込まれてみればいい」

「……」

「〝空の果て〟に飲み込まれ、地獄のうみを彷徨い、そして、二度と生きては帰れないと思ったこの空の下に、もう一度降り立つ事ができた時……あなたも、嫌でも変わる」

「……」

「俺には、守りたいものがある」

「……」

「時間は不変だと信じていた。あの頃俺はすべてを後回しにして、ただ自分の思うがままだけに走っていた……一番大事なものを放り出して、絶対というあやふやな神に託し、見向きもしなかった」

「……」

「俺はもう、後悔をしたくない」

 簡単に死を語りながら、本当は、死ぬ事がどういう事かも知らなかった。考えてもいなかった。

 それを思い知らされたあの時。

 来は、心に決めた。

「いつかもう一度迎える最期の瞬間に。俺は笑顔でありたい」

「……」

 兄者……昴の声が、微かに聞こえた。

 聖君、と、瑛己にだけ聞こえる声で来が言った。

「俺が突破口を開く。君は逃げろ」

「……あんたは」

 来はそれに答えなかった。

 笑顔でありたい。その瞬間に、来は自ら進もうとしている。

 見えないとはわかっている。だが、瑛己は首を横に振った。

「来、」

「合図したら」

 やめろ。やめてくれ。

 ――命の借りを返せるのは。

 そんなものいらない。

 そんな事は、勝手に、空にでもわめいてくれ。

「ライ」

 無凱が、ゆっくりと口を開いた。

「ならば我が、お前に、お前の望みを与えてやろう」




 その時だった。

 空が、高く、鳴ったのは。




 耳に飛び込んだのは、軽い、エンジン音。

 空を翔ける、飛空艇の唸り声。

 何? 瑛己は天を仰いだ。その刹那。

 ドドドドドド

 天から、光が、ほとばしった。

 瑛己達の横を、薙ぐように降り注いだそれは。

 銃撃の、雨。

 鮮血と悲鳴。

 だがそれ以上に。瑛己の目に映ったのは、その飛空艇の艇影シルエット

 それは、セピアに。

「クッ、撃てッッ!!!」

 無凱の怒声を合図に、銃撃が、空に向かって放たれる。

 その瞬間を、来は見逃さなかった。

 風のように走ると、胸元から銃を抜き。

「ぬっ!?」

 無凱の手が、少しだけ緩む。それに昴は、「ンァアアアア!!」と声を上げ、肩で無凱に体当たりをした。

 ダンダンダン!!

 銃声が舞う。

 体勢の悪い昴の体当たりでは、無凱はビクともしない。だが、気をそらすのには充分だった。

 来の撃った弾の一つが、一瞬がら空きになった無凱の腕を突き抜けた。

 血が吹き出す。だが、無凱の顔に、動揺の色はない。

 ――遠退いていたプロペラ音が、再び、グンッと耳に押し寄せる。

「くぁぁァアアァ―――ッッ!」

 昴の悲鳴が響いた。

 無凱によってその細い腕が、あり得ない方向に捻じ曲げられていく。

「ふははははは!!!」

 血を流しながら、もう一つの腕で、ライの体を簡単に弾き飛ばす。

 瑛己は空を見た。そしてその飛空艇から何かが落ち、風にはためいた。

 瑛己はそれが何かを理解して。

 次の瞬間、走り出した。

「ムッ!?」

 瑛己を認めた無凱の腕が、襲い掛かる。それを間髪、地面を転がって避け。

 瑛己は手を伸ばした。

 そこにあったのは、昴の。

 黒塗りの銃。

 ――エンジン音が増していく。

 拳銃なんか、使った事はない。

 だが、瑛己はそれを握り締め、真っ向、無凱に突きつけた。

 銃口を。そして。

 その双眸を。

 そのかおに、無凱は。

「――ッッ!!?」

 その顔を無凱は知っている。その目を、無凱は。

 かつて、その空で。

 ――エンジン音が、

 昴の手が、スルリと抜けた。

 刹那、瑛己は銃を捨てると、倒れ込もうとする昴を抱え、無凱に背を向け走り出した。

「来ッッッ!!!!」

 起き上がろうとしていた来を、無理矢理引っ掴み、

 ドドドドド!!!

 空から振る、弾丸の雨。

 そしてそこから垂らされた、縄の梯子はしごを。

 来が、その意図をくみ、瑛己の腕を取った。

 そして瑛己と来は、同時に手を伸ばす。

「――ッッ!!!」

 ザンッッ

 一瞬の出来事。

 無凱の目の前から、瑛己達3人は、セピアの飛空艇と共に、明後日の空へと飛び去った。




「……ふはは」

 飛ぶ鳥は、もうあんな遠くを飛んでいる。

 消えて行くその残像を見送りながら、無凱は一人、笑った。

 彼の周りには、血の海がある。

 自身、腕から血を滴らせながらも。

「聖 晴高ァァ……!」

 その名を、呼んだ。

 かつてその空で翼をまみえ、そして、果てへと消えて行った蒼い鳥。

 それと、たった今銃口を向けた少年は。

「そうか……そういう事か……」

 無凱の脳裏に、『獅子の海』が蘇る。

 あの時、空(ku_u)が現れる間際、真っ向勝負を挑んできたあの飛び方。あの時胸に浮かんだ、奇妙な感覚は。

 聖 晴高。

 12年前のあの時と同じ、あの翼。

「くはははは……そうか、そうか……」

 無凱は両手を拳を握り締めた。

 また空が、面白くなる。

 無凱の胸を、鼓動が激しく、打ち続けた。


  ◇ ◇ ◇


 来の合図に、瑛己は陸地に降り立った。

 ドサリと、不恰好に尻から落ちた。だが、傷が大して痛まなかったので、瑛己にとってはそれでよかった。

 昴を抱いて、来が梯子から手を離した。

「……ッ」

 手を抑え、起き上がるのに苦労している昴を、瑛己は助け起した。

「……」

 昴はそんな瑛己を、不思議そうに見つめていた。

「……りがと」

 しかし次の瞬間、昴は瑛己の手を払い、来の元に向かっていた。

 そして。

 ズザザザザ

 草の中をなめらかに、それが、空から降りてきた。

 セピアの飛空艇。

 その真ん中には。

「……山岡」

 操縦席に乗ったままのその男の名を、来が小さく口で唱えた。

「礼はいらん」

 黒いサングラスをしたその男は、ニヤリと笑い、胸から煙草を1本取り出した。

「他の連中も、無事に戻れるようにこっちで手配しておいた」

「……」

「古い知り合いがまた1人、俺に許可なく死のうとしてやがるんで、頭にきただけだ」

「山岡……」

「これで、お前への貸し借りはなしだな」

「……悪い」

 煙草を口の端にくわえると、火を点ける。

 銀色のジッポーで。

 その表面にあるのは、飛空艇の胴体に描かれた物と同じ。

 キスマーク。

 瑛己はその男を、じっと見ていた。

 男はその視線に気付いたか、ようやく、瑛己を見た。そして、

「聖 瑛己君」

 ゆっくりと、サングラスを半分だけ外し、

「相変わらず、運命の女神は、君を愛しているのかい?」

 ハハハと軽く笑った、その顔は。

「お前っ……!!」

「んじゃ、そろそろ行くかなー。またそのうち、」

 空で――。

 そういうと、男は再び空へと飛び上がった。

 ――俺はただ、真実が知りたいだけだよ。かつて瑛己にそう言ったその男は。

「山岡 篤……」

 瑛己は、山岡の姿を目で追った。そして、その背中から伸びた飛行機雲を。

 ずっと、ずっと、眺め続けていた。




 海の彼方から朝日が。世界に、夜明けを告げていた。




※不定期に誤字修正を行います。

2012.7.15.―仕様変更。

2012.5.12.ルビ修正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ