『傭兵(subaru)』-1-
夕の朱に染まる雲の切れ間から、一台の飛空艇が、不意に姿を現した。
逆光を浴びて黒くも見えるその機体は、すべらかに空を横切ると、徐々に高度を落としていく。
その底が海をかすめ、ザッと白い飛沫をあげた。
それは操縦席に座るその男のサングラスまで飛んだが、男は気にした様子もなく、口の端を釣り上げた。
海を滑った飛空艇は、やがて、小さな桟橋に動きを止めた。
男は慣れた様子で操縦席から降りると、軽く肩を回した。
そして胸元から煙草を取り出し、空を仰いだ。
その頬を、夕焼けとは違う光が当たった。
男は光の先を振り返り、気に入りのジッポーをピンと鳴らした。
そこに描かれたのは、銀色のキスマーク。
そして光の先、小高い丘から海に向かって光を放つのは、一軒の酒場。
―――『Lorelei』
男は一度自分の飛空艇を眺めると、満足そうに微笑んだ。
今は海に浮かぶセピアの飛空艇。その機体に刻まれた、女神の刻印を思って。
男はゆっくりと、歩き出した。
店から漏れる静かな音楽が、海に流れ出している。
断崖の軽い階段を上がる。そして店に入ると、中は穏やかな空気に包まれていた。
見た目よりずっと広い店内に、人の数は少なくはない。
少し離れた舞台の上で、歌姫が、花を咲かせている。
その美しい歌声は、男の姿を見とめた何人かの性質の悪そうな者の足も止めてしまう。
後で礼をしなきゃな。男はニヤリと笑い、そしてザッと店内に目を走らせた。
やがて、ふっと男は目を止めると、煙草を吹かし、ゆったりとした足取りでカウンターの一番奥へと向かった。
そこに、一人の男が座っていた。
歳は20後半ぐらいだろうか。細身の、色白の青年であった。薄い色の髪を後ろで一つに束ね、それが長く、背中に流れている。
男はその横へ腰掛けると、バーテンを呼びつけただ一言、「マティーニ」と告げた。
その声に青年はふっと顔を上げ、「……山岡か」ポツリと呟き、小さく息を吐いた。
「しばらく顔を見なかったな……また、竜狩りか?」
バーテンが静かにグラスを置いた。それを取り、山岡 篤は、クックと笑った。
「違うね」
「じゃあ、女か」
「当たらずとも遠からず、かな」
男はゆっくりと山岡を振り向いた。
光の加減で碧にも見える、薄い色の瞳に苦笑をにじませ。男は、山岡のサングラスに隠された双眸を覗き込むようにして言った。
「風の噂でお前が、〝白い竜〟を墜り損ねたと聞いたが?」
山岡はそれには答えず、ただ小さく微笑んだ。そしてグルリと椅子を回し、歌姫を見た。
男は歌姫には目もくれず、山岡の横顔を見、そして自身のグラスを見つめた。
「〝絶対の翼〟、空(ku_u)、か……」
歌姫の美しい歌声が、優しく、だが強く、店内に響き渡っている。
「撃墜した者は、空の歴史に名が残る―――よく言ったものだ」
「お前、空(ku_u)と戦った事あるのか?」
「……なくもない」
「ほぉ? 初耳だな」
「人に聞かせるような話じゃないさ」
カランと、男のグラスの氷が音を立てた。
「ただ、風が吹きぬけた……俺はそれに呆然と立ちすくみ、気がつくと、広大な海の上で果てない空を見上げていた。それだけの事だ」
「詩人だな」山岡は小さく笑い、足を組んだ。
「お前のトコの、お嬢さまもか?」
すると、男は「まさか」と笑った。「あいつはまだ〝彼〟に会った事はない……焦がれてはいるがな」
「……俺は、少し生き方を間違えているのかしれん」
「……」
その時、喝采が起きた。
歌い終えた姫君が、恭しく礼をする。それにまた、ひときわ大きな拍手が起きた。
山岡も惜しみなく手を叩いた。だが、男はグラスを眺めたままだった。
そして、惜しまれながら袖へと消えていく歌姫を目で追いかけ、山岡は深く瞬きをした。
「来。正しい生き方って、どんなだ?」
「……」
「俺はお前ほど頭がよくないから。生き方に、正しいとか間違ってるとか考えた事もねぇよ」
「……」
「俺にとって大事なのは、俺の空を翔ける事ができるかどうか、それだけだ」
「……お前は。羨ましいな」
「そうか? 俺は、来、お前の空も結構好きだがな」
「……」
店内に、ざわつきが戻り始めた。
山岡はそんな様子を静かに見つめ、そして、来と呼んだ男を見もせず言った。「空(ku_u)を仕留めようとした時、」
「後一歩で、邪魔してくれた奴がいる」
男はふっと山岡の横顔に目を向けた。
「聖という奴だ」
「―――」
途端、男の動きがピタリと止まった。
「ヒジリ……」
「聖 瑛己。聖 晴高の息子だ」
「……」
「ひよっ子のクセに、野暮に翔ける。どこぞの誰かにそっくりだな」
「……」
「ひょっとしたら、お前のトコのお嬢、近いうちに会う事になるかもしれんよ?」
クスクスと笑うと、山岡は立ち上がった。
「さて、と。そろそろ行くかな」
「山岡」
凛とその名を呼び、男は山岡をじっと見た。
「お前にとって、空は、何だ?」
その問いに、山岡は一瞬目を見開いたが。
独特な笑みを浮べ、「〝I can fly to the end of the world〟」
「果てへと導く、悠久の墓標、かな」
そのままヒラリと背を向けた。
後ろ手に手を振る山岡の背中を、男は複雑な表情で見ていた。
「……聖 晴高……」
かすれるように呟いたその名前と共に彼の脳裏を掠めたのは、一枚の、空だった。
11
凛然と並ぶ本の棚を前にする時、ふっと胸に、言いようのない感覚を覚える事がある。
早く早く、すべての本に触れたい、手にしてみたい、目を通したい……そんな、焦燥感にも似た感覚と。
だが、触れる事躊躇われる、何かしらの……圧迫感。
一糸乱れず並ぶ本棚という闇の中に、まるで、得体の知れぬ魔物でもいるかのような。触れた途端に、自分の中で決定的な何かが変わってしまいそうな……そんな、妙な、恐怖に似た感覚。
薄暗い書店の片隅で、本棚を見上げている聖 瑛己も、今心にそんな不思議な葛藤を抱えていた。
だが瑛己はそんな内心とは裏腹に、顔はいつもの通り無表情のままだった。一冊一冊を淡々と、静かに眺めていく。その様子は、本に興味があるようにも見えるし、ただの暇つぶしのようにも見えた。
その、流れるように動いていた目が、ふっと止まった。
そのまま、瑛己はしばらく動かなかった。しばらくしてようやく一つ瞬きをすると、短く息を吸い込んだ。
そして、すっと手を伸ばそうとした。
「瑛己さん、何かいい本、見つかりました?」
その時不意に、本棚の影から場違いな程明るい声がした。
ヒョイと顔を出したのは、童顔に人なつっこい笑顔を浮べた、相楽 秀一だった。
「ああ……そっちは?」
思わず手を引っ込めた瑛己は、少し驚いた様子で秀一を見た。
「うん! 『名探偵ライラック』シリーズの最新刊! 発売と同時に飛ぶように売れて、これ、最後の1冊なんだって! 僕、ちょっと感激で」
「そうか。あいつは?」
すると、秀一は困ったように苦笑を浮べ、「あっちの棚で、『飛空新聞』にかじりついてますよ」
「空軍や空賊など、空に関する事を専門に扱った新聞なんですが……特に空賊、渡り鳥の事が細かく書かれていて。床に胡坐掻いてブツブツ言いながら、必死に読んでますよ」
瑛己は小さく苦笑を浮べた。秀一はそれを見て、大きく溜め息を吐いた。
「瑛己さん……けどね、僕、飛があの新聞を読んでいる時の……背中を。見る度に思うんです。あいつ、いつか空軍辞めて、渡り鳥にでもなるんじゃないかって」
瑛己は一層苦々しく笑った。
「確かに、飛は空軍よりも、空賊や渡り鳥の方が似合ってそうだな」
すると秀一は頭を抱えた。「よしてくださいよ」
「それでなくてもあいつ、最初は『渡り鳥になるんや!!』って言い張って、じじ様とばば様と毎日大喧嘩していたんですから……。間に挟まれた僕なんか、2人に『飛を説得してくれ。聞かんようだったら、崖から突き落としてくれても構わん』とせがまれ、飛からは『ジジィとババァを説得してくれ。無理なら、海に突き落としても構わん』と。本当に、困っちゃいましたよ」
「……」
「結局、お互いが取っ組み合いを始めて、最終的に『空軍で我慢しろ』という事で落ち着いたんですが。僕としては、ヒヤヒヤですよ……。一緒に空軍に入る時、くれぐれもよろしく頼むと頭を下げられてますし。かといって、『渡り鳥になるんや!!』と叫ぶ飛を止められる自信もありませんし」
「……」
「だから、瑛己さん、お願いが」
「……俺にも、暴れ出した飛を抑える気力はない」
その時、どこかから「ドアホ!! 【天賦】の無凱に挑戦状やとー!? 【昴】ごときが、100年早いわッッ!! その前に俺が相手したから首洗って待っとけ!!」という、荒れた声が聞こえてきた。
「……」
「……」
瑛己は嫌そうに目を閉じ、溜め息を吐いた。そして秀一も一層、頭を抱え込んだ。
◇ ◇ ◇
空(ku_u)撃墜命令―――。あの作戦から『湊』空軍基地に戻り、1週間ほどが経った。
基地に戻るとその足で、327飛空隊の7人は総監・白河の元へと向かった。
本塔の2階にある彼の部屋へ行く間、誰も、口を利こうとしなかった。
沈痛な彼らの表情とは正反対に、出迎えた白河は、本当に安堵した表情を見せた。
1人1人、順番に見ていくその瞳の端に、瑛己は光る物を見たような気がした。
磐木は低い声音でゆっくりと、基地を出てから『輝向湾』に至るまで、そしてその空で何があったのかを話していった。
白河も、327飛空隊の面々も、黙ってそれを聞いていた。
だが、たった1つ。磐木でさえも伏せた事があった。
「『輝向湾』の上空で、我々は予定どおり空(ku_u)に遭遇致しました。そして、総監の意に添うようにと死力を尽しましたが……空(ku_u)の腕は、我々の想像を遥かに越えていました。我々は、空(ku_u)の撃墜に失敗しました」
「……」
「破損は、須賀飛行兵の飛空艇がエルロンに少々、聖飛行兵の飛空艇が空中で爆破。空(ku_u)は、聖を撃墜するとそのまま、混乱する我々の間を縫い、逃走。気がついた時にはもう、我らの手の届かぬ場所へと消えておりました」
「……そうか」
瑛己はチラと磐木を見た。その目には、複雑な色が浮かんでいた。
「聖君、怪我は」
瑛己はハッとして、白河を見た。
「……いえ。大丈夫です」
「そうか……何よりだ」
そう言った白河の顔に、瑛己の心臓がドキリと跳ねた。
この人は、本当に心配して、安堵してくれている……そんな、父親のような目だったから。
瑛己は頭を垂れた。そして「申し訳ありません」と呟いた。
「いや、いい。いいんだ」
白河はゆっくりと瞬きをした。
「今回の件は……後は、私が何とかする。君たちはもう、心配する必要はない」
「総監」
思わず身を乗り出した磐木に、白河はやんわりと微笑みかけ、
「二度とこんな形で君たちを、空に上げたりはしない」
窓から差し込む光に劣らない、白河の双眸が、強い光を放った。
そして327飛空隊は、しばらくの休暇を与えられる事となった。
それ以来1週間、召集も、総監からの呼び出しもかからない。
「総監が今朝一番で、『蒼光』に向かったらしい」
それは、基地に戻った翌日。食堂で会った小暮から聞いた話だった。
「事が事だ。失敗しました、それで終わる問題じゃない。『黒』との政治的な問題も絡んでいるからな。軍本部の―――橋爪総司令に直々、会いに行ったんだろう」
「橋爪総司令……」
瑛己はふっと、視線を伏せた。
「要するに総監、総司令にケンカ売りに行ったんだろう? 大丈夫かよ? 生きて帰ってこれるのかしらん?」
そばで聞いていた新が、まったく人事のように「きゃぁっv」と不気味な裏声でおどけてみせた。
「橋爪総司令って、元、空軍上がりだって? 当時は〝鬼神〟って呼ばれてたって聞いたけど」
「ああ。その頃から、そして今も、舞台が空から陸に変わっただけで、あの人のやり口は何一つ変わらないさ」
小暮は無表情で眼鏡を持ち上げると、足を組替えた。
「逆らう者は、容赦なく斬り捨てる人だ。あの人に楯ついて、現在重い役職を担っている者はいない。……まぁ、役職だけならまだいいが。下手をすれば、その生命さえ剥奪される」
「こわっ。マジで大丈夫かよ、総監は」
ボディーガードがいるんじゃないか? 磐木隊長がいい。あの人の鉄拳の破壊力は、俺らが実証済みだ。それを言うなら、副長も行くべきじゃないか? あの人は、拳銃の名手だという話だぞ? ……そんな2人のやりとりを、瑛己はどこか遠い世界の事のように聞いていた。
(橋爪総司令、か……)
その人を、瑛己は知らないわけではなかった。
◇ ◇ ◇
「あーあー……俺ら、いつになったら飛べるんやろうなぁ」
空に向かって大きく欠伸をしながら、飛が気だるそうに言った。
「飛は、そればっかだね」
苦笑しながら、秀一は買ったばかりの推理小説を抱きしめた。
「あんだけ熱心に読んでおいて、結局買わなかったの? 『飛行新聞』」
「あん? いらね。もう全部読んじまったし」
「あ、そう」
大きく溜め息を吐き、秀一はふっと立ち止まり、後ろを歩く瑛己に並んだ。
「瑛己さんは、何の本を買ったの?」
「……」
その右腕に抱えた紙の包みを、秀一は目を輝かせて覗き込んだ。
それに瑛己は苦笑して、「別に」と言った。
「値段、結構してましたよね? えー、何の本??」
「大した物じゃない」
途端、「あ!!」と飛が振り返った。そしてニヤニヤ笑うと、
「わかった!! お前、さてはエッチ本―――!!」
「……」
瑛己は飛を、ギロリと睨んだ。
「隅に置けんなぁ、お前も!! はっはっは!!」
睨んだ。
睨んだ。
徹底的に、
睨んで。
睨んで。
そして、睨んだ。
「……じょ、冗談やろ? おま、そんな顔せんでもええやろ!?」
「えー?? 何?? 僕、今よく聞こえなかった。飛―、今何て言ったの??」
「……」
「秀……。お子ちゃまには関係ないこっちゃ。昼メシどないする? その辺で食べてくか??」
「えー!!? 何それ!!? 瑛己さん、ねぇ、何て言ったの?? ねぇ!」
「また、『海雲亭』?」
「瑛己さん、無視しないでよぉー!!」
「ん? 瑛己君は、海月さんに会いたいんかにゃー??」
「……」
「だから、睨むなって……」
「もぉ!!! 飛も瑛己さんもッッ!! 僕を無視しないでって!! じゃないと!! 2人がこっそり店中のエッチ本を買いあさってたって、町中に言いふらすよッッッ!!!!!」
「―――なッ!!??」
「しゅ、秀!!?? お、俺らがいつ、エッチ本を買いあさった!!?? それも店中のか!!??」
「いいの!! 僕が今そう決めたの!! 皆さん聞いてください!! さっき、ここにいる須賀 飛と聖 瑛己さんが―――」
「だ―――!!! 往来の真ん中で!! 人のフルネームでッ!!」
「……」
「瑛己ッ、俺を睨んでないで、秀一を何とかしろ!! 俺は、エッチ本を買いあされるほど金持ちじゃないッッ!!! 無実だっ!!」
「……俺だって、買ったのは、この1冊だ」
そう言って、瑛己は心底の溜め息を吐くと、抱えていた紙袋をカサカサと開けた。
そして瑛己が取り出て見せたのは、
「『〝空の果て〟についての研究書』……?」
「……何やこの、教科書みたいなド・分厚い本は……」
わかったか、と言わんばかりに瑛己は眉間にしわを寄せ、マジマジと眺める飛の手からひったくった。
「瑛己さん……」
秀一は、何となくたまらなくなり、頭を下げた。「すいません」
「……何が」
「僕、瑛己さんが何買ったか知らなかったから……その、変な事言っちゃって」
「……別に」
言いながら、瑛己は歩き出した。
そして、知っているんだなと思った。
父である、聖 晴高の事。そして彼が最後、どこを飛んだのか―――。
(知ってたんだな……)
秀一も、きっと、飛も。
知っていて、何も聞かないでくれた。
知っていて、何も変わらず接してくれた。
後ろからトボトボと着いてくる2人の気配に、ふっと、瑛己は苦笑を浮べた。
「……ありがと」
ボソっと、呟いた。
それに秀一は、ハッと顔を上げた。
「昼メシ、どこ寄る?」
「俺、この近くでいいメシ屋知ってるけど? どないする?」
「あ……ひょっとして、『るり亭』? あそこの定食、美味しいんだよね!!」
「そうそう!! 瑛己、行った事ないやろ。ただし、海月さんみたいな別品はおらへんで? あそこにいるんは、化石になりそうなばーちゃんだけや」
「……飛、そんな事言ったら、ヨシ婆ちゃんの隕石が落ちるよ……?」
「わかった。それでいこう」
瑛己は苦笑した。
そして、空を見上げた。
眩い光が、目に飛び込んできた。
その日の夕方、白河が『蒼光』から戻ったという情報が基地を駆け抜けた。
1週間。その間、ずっと向こうにいたとは思わなかった瑛己は、話を聞いて驚いた。
「噂やけど」
基地の食堂の脇で缶珈琲を飲みながら、飛は、珍しく少し声を落としてこう言った。
「顔にな、殴られたようなアザがあったっちゅー話」
「……」
瑛己は眉間にしわを寄せた。そして、窓の向こうに見える本塔を振り返った。
「多分、明日、召集かかるで」
「……だろうな」
飛はグイと珈琲を飲み干すと、網状になったごみ箱にヒョイと放った。
缶は見事な曲線を描き、甲高い音を立ててそこに吸い込まれていった。
果たして、次の日。飛の予想は的中し、327飛空隊は、久し振りに総監の名で召集される。
◇ ◇ ◇
―――その夜。
滑走路を望む本塔、総監室に、ジンがいた。
扉の脇に突っ立ったまま動かないジンを見ながら、白河は軽く息を吐き、そして自身のソファに深く腰掛けた。
「掛けてくれ」そう言っても、ジンが動かない事はわかっていた。だが、苦笑を浮べながら白河はそう言った。案の定、ジンは動かなかった。
「話とは何でしょうか?」
「うむ」
白河は低く唸り、そして右の頬をつっと撫ぜた。
「話はつけてきた。詳しい事は明日、『七ツ』全員を集めて話すつもりでいるが……いやはや、骨が折れたよ。幸い、ここはこれだけですんだがな。私もいつまで、ここで、この職に就いていられるのか」
「……」
「磐木より先に、君をここに呼んだのは、ワケがある」
白河は机に肘をついて顔の前で組み、そこに額を当てた。
「君たちは、どうやら、随分厄介なものに関ってしまったらしい」
「……『黒』ですか」
「ああ。総司令に話はつけたが、正直、この先どうなるかの確証はない。先方が今回の事にえらくくご執心でな。このまま簡単に終わるとは思えない」
「……」
「特に……あの男は。必ずまた何かを仕掛けてくるぞ」
「あの男?」
白河はふっと顔を上げ、ジンを見た。その目には疲れというより戸惑いの色が濃く出ていた。
「風迫君。―――埠頭という名に、覚えはあるか?」
「―――」
「『黒国』黄泉騎士団所属・第1特別飛空隊隊長、だそうだ」
「……」
「その顔は……覚えがないわけではなさそうだな」
「……」
ジンは無表情のまま、白河を見た。
「先日きた、『黒』の使者というのは?」
「ああ。察しの通りだ。若いのに随分と弁のたつ、頭の切れそうな男だと思ったよ」
「……」
「先に総司令にまで手を回していたのが、彼なのかそれとも別の誰かなのか、私にはわからない。だがな、風迫君」
「……」
「彼は君を、知っている様子だった」
「……」
「くれぐれも気をつけたまえ―――過去に喰われてしまわないように」
◇ ◇ ◇
また一つ、夜が明けようとしている。