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 『命令(obligation)』-5-

 飛は操縦桿を握り締め、目の前の、ただ一点を見つめていた。

 ガンサイトに映る、照準の中央。

 そこに、白い機体が重なる瞬間を。

「……クソッ」

 ゴーグルの向こうの瞳が、厳しげに細められる。

 今、目の前に対峙する―――空(ku_u)。

 ずっと戦ってみたかった。飛だけじゃない、この空を翔ける飛空艇乗りなら誰しも、一度は夢に見る事なのではないだろうか。

 〝絶対の翼〟。そんなふうに言われる白い鳥と。

 こんなふうに、羽を交える瞬間を。

(こんな、)

 だが。

 さっきからずっと、飛の心にはたった1つの言葉が巡っている。

(これは、アカン)

 歯を食い縛り、飛びかう仲間の銃撃を浴びないように操縦桿を強く押し倒しながら。

 空を見上げ、飛は思った。

 ああ死ぬ、と。

 今日ここで、この空この海が。

 最後の空になる。

 ―――空(ku_u)の動きには、まったく、無駄がなかった。

 最初こそ、楽観的に考える事もできた。7人と1人……。こっちも、伊達だてではない。危険な場数を幾つも踏んでいる。自分自身の腕は元より、仲間の腕を信じている。

 自分達が本気で向かえば。『湊』第23空軍基地、第327飛空隊・『七ツ』。この空でも、少しは名が通った自分達が。

 簡単に……そう簡単に、散るわけがないと。この空を渡す事になるわけがないと……そう思っていた。

 信じていた。

 確かに〝彼〟の腕は知っている。飛は【海蛇】の群と対等に渡り合う〝彼〟の姿も見ている。

 『獅子の海』。その時動けなかったのも事実だし、腕が震えて止まらなかったのも事実だ。

 だが。

 飛は舌を打った。

「チクショッ」

 これほどまでに?

 こんなにも?

 自分達と〝彼〟の差は、歴然としているというのか?

 絶え間なく繰り返される波状の攻撃。

 それぞれがそれぞれ、無造作に入り乱れ、もはや練習で練り込んだ限界を越えている。

 誰が、どの位置から撃つのか。

 誰が、どの位置へと飛んでいくのか。

 それは、自分達ですらわからない。仲間の銃弾にぶっ飛ばされても不思議ではない状況だというのに。

 それなのに、空(ku_u)はそれを巧みに潜り抜け。

 仲間も、自分ですらも、予測できない動きを。

(読んでいる)

 かすりもしない。

 こんなの、敵うわけがない。

 こんなの……もう、どうしろというのだろう?

 飛は叫びながら上昇、そして、空(ku_u)を目掛けて撃ち込んだ。

 もう、王手された将棋盤の上でもがいているみたいだと、飛は思った―――もう、勝負は決定づいているのに……。

「ゥオォォォオォォ!!!」

 放たれた弾は、虚空を切っていく。

 弾を避けた空(ku_u)が、他の攻撃を避けながら空を、滑るように斜めに下り。

「あ」

 その動きが。

 飛は右に機体を倒しながら、小さく声をもらした。

 自分を狙ってる。

 そして、

(撃たれる)

 ここまでまったく動かなかった銃口が。

 ほんの少しだけ浮かんだ、楽観と希望の芽をむしり取るように。

 キラリと怪しく光った。

 ダダダダダダ!!

「―――ァカンッッ!!」

 銃撃音に、夢から覚めたように飛は操縦桿を前に倒した。だが、遅かった。

 ガンガンガン!!

 腹を何発かがかすり、エルロンの一部が粉と砕けた。

 飛は後ろを振り返り、そして舵を必死に抑えた。

「―――ッチッ!!」

 バックミラーに空(ku_u)がいた。

(撃つ)

 今度はもう、避けきれない。

 そう思うか否かの刹那。その銃口が再び、銀の光を灯そうとした時。

 ザンッッ

 飛と空(ku_u)との間を、何かが、物凄いスピードで切り抜けた。

 それは、青い翼。

「瑛己……ッ」

 飛は舵をいっぱいに押し倒しながら、横目にその姿を追いかけた。

 そしてその時無線から、雑音に混じって、淡々とした彼の声が流れてきた。




《―――退いてくれ》




 瑛己は瞼を伏せて、低く、呟いた。

《聖》

 間もなく返ってきた声は、一瞬、誰だかわからなかった。

 だが瑛己は瞬きを一度だけすると、空(ku_u)の翼を振り返った。

《どういう事だ》

 磐木隊長だとやっとわかるくらい。その声はかすれていた。

 瑛己は雑把ざっぱに青い機体を見渡し、無線を見もせず言った。

退いてください」

《聖!》

《お前、何を言って》

「……」

 空(ku_u)は頭上高く上り、旋回しながらこちらを眺めているようにも見えた。

 聴いているのかもしれないと思った。

 周波数さえ見つかれば、ジャックは可能だ。

 だとしたら。瑛己は空(ku_u)を仰ぎ見ながら、静かに口を開いた。

「俺に……飛ばせてください」

《聖、》

「……話がしたいんです」

 この空で。

 その翼で。

 羽を交えて。

 銃撃の声で。

《聖、自分が何を言っているのかわかっているのか?》

「……」

《お前一人で、何ができる》

「……」

《一人で空(ku_u)を、倒せると思っているのか?》

「いいえ」

《我々に課せられた任務は何だ》

「……」

《我々に与えられた命令は、何だ》

「……」

《聖ッ!!》

「……その命令には、従えません」

 息を呑む音は、沈黙で伝わる。

《聖、お前……それがどういう意味か、わかって》

「―――謹慎でも、懲罰でも」

 瑛己は瞼を強く見開いた。

「好きにしてください。ですが、」

 俺は、その命令に。

《聖ッ》

「従えません」

 何かが激しく、叩きつけられるような音がした。




 それは、瑛己自身、よくわからない感情だった。

 空(ku_u)。

 彼女は撃たないんじゃない―――待っている。

 それに気づいたのは、飛への銃撃だった。

 恐らく飛も気付いている。あの攻撃が、わざと外されたものだという事に。

 空(ku_u)があのタイミング、あの状態で。向かう的の心臓を、射抜けないわけがない。

 なのに飛はいまだ、平気な顔で飛行を続けている。

 なぜ? だったらなぜ、空(ku_u)はそんな事をしたというのか。

(……見抜かれている)

 自分達の飛行はもちろんの事。

 この空にある、迷いを。

 7つの動きが前提にある作戦だ。そこから1つでも輪を抜けたらどうなるのか。その穴は、相手にとっての格好の逃げ道になる。

 わかっていて、瑛己は輪から外れた。

 それは、同じ事だと思ったからだ。

「隊長は」

 雲が少しずつ、薄くなり始めていた。

「何を撃っていますか」

 それは命令だ。……けれども。

 327飛空隊が本気で向かえば。……けれども。

 白河の背中が蘇る。自分達は『蒼』と『黒』の国際的なものを背負って飛んでいる。……だがしかし。

 この命令に納得できない。誰も口にしなかったその言葉は。

 ちゃんと、空に語られていた。

 彼らはただ我武者羅に、白い機体を撃っていた。それ以外の何もかも忘れたように、忘れようとするかのように、銃弾を連呼し続けたその先にあったのは。

《……》

 抱えきれない、闇。

 抑えきれない、衝動。

 そして。

 感情を殺した―――自分自身。

 蚊帳の外から眺めた時。瑛己は思った。

 もう戦闘は終わっている。

 327飛空隊は、無限の空に向かって問い掛けている。

 ―――自らの、最期の瞬間を。

 そしてこの命令が、間違っている事に気付いていると。

 だから。

 銃弾は、空(ku_u)を避けて通る。

 そして。

 空(ku_u)はそれに気付いている。

 すべてに気付き、理解して。そして、撃たなかったのではなく。恐らく。

「……2人にしてください」

 瑛己はまっすぐに前を見据えて言った。

《どうするつもりだ》

 磐木がポツリと呟いた。

「どうもしません」

 ふっと。

 彼自身それがなぜだか。後になってもわからなかったが。

「ただ飛びたい。それだけです」

 笑みがこぼれた。




 それ以上誰も、何も言わなかった。

 1人、2人と、翼を陸に下ろしていく中で。

 瑛己の機体は、1人、空へと舞い上がった。

 秀一は、その時の光景を後で瑛己にこう言って聞かせた。

 天使のようだったと。

 瑛己はそれに、静かに苦笑を浮べた。


  ◇ ◇ ◇


 ―――始まりは、空。

 瑛己は射撃ボタンを押し込んだ。

 ダダダダダダ

 ―――仰ぎ見た、白い翼。

 空(ku_u)はそれをヒラリとかわし、下降から一転、左へとひねり上がった。

 後ろを取られるわけにはいかない。瑛己は歯を食い縛り必死に逃げる。

 ―――それに自分は助けられ。

 一瞬気を許した瞬間、正面に、空(ku_u)の姿が踊り出る。

 ドドドドド

 ―――見惚れていた。

 避ける事ができたのは、奇跡だったかもしれない。

 運命の女神が助けてくれたのか……? そう思って苦笑した。それくらいのハンディがなければ。

 ―――どれだけの感謝と。

 雲が薄らいでいる。

 少しずつ、空が明るくなり始めている。

 ―――敬意と。

 操縦桿を手前に引き倒すと、目の前いっぱいに白い空が広がった。

 そして、次の瞬間。

 ―――そしてあの時からずっと。離れない……顔。

 その瞳に、雲間から、光が、飛び込んできた。

「あ」

 ―――どうして、君は。

 それはとても、眩しくて。

 それはとても、輝いていて。

 ―――この空を。そんなふうに。まるで自由に。

 目が熱い。

 胸が焼けるようだ。

 ―――飛べるのかと。

 涙が、こぼれた。

 ダダダダダ

 ―――俺は、君に。

 機体が揺れる。

 火花が散った。

 ―――俺は、……。




 ドンと、小さな音が鳴った。

 脱出の準備はしない。

 心は奇妙なほど静かだ。

(これもまた)

 瑛己は小さく笑みを浮べた。

(……父さん)

 俺の道は間違っているかな。

 こんな時父さんは、何て言うのだろうか?

 笑うのだろうか? 怒るのだろうか? 泣くのだろうか?

 脳裏に浮かぶ写真の中の父は、いつも穏やかに微笑んでいる。

 まるでそれは、すべてを認めて、理解して。

 優しく、守り、慈しむかのように。

(……父さん)

 瑛己は目を閉じた。そして初めてこう思った。

 会いたいと。

 父さんに会いたいと。

 父さんと母さんと。

 3人でこの空を眺めて。3人で、笑ったり、悩んだり、そんな毎日を。

 過してみたかった。

 父さんに。

「……」

 会いたかった。

 ゴーグルを脱ぎ捨てた。

 もう声を上げて泣いていいか? そう思った。

 もう思いっきり笑っていいか? そう思った。

 もう、俺は……。

 ―――その時だった。

 無線が音を立てた。そしてその向こうから、震えるような声が一つ、瑛己の耳へ届いた。




 生きて、と。




 ドクン

 瑛己は強く瞼を閉じた。涙が滲み出した。

 そして気付くと、操縦席を蹴飛ばしていた。無我夢中に、機体から飛び出した。

 風が、涙を吹き飛ばしていく。

 爆音は、遠い空の事のように聞こえた。



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