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 『命令(obligation)』-2-

 「第327飛空隊、【空(ku_u)】撃墜を任ずる」




 その瞬間、そこにいた全員が。動く事を忘れたかのように立ちすくんだ。

 耳に痛いほどの静寂が、室内を突き刺した。

 10秒、20秒……壁の時計の秒針が、刻々と時間を刻んでいく。

 そして1人、2人。徐々に瞬きを取り戻した彼らは。

 たった1人の人物を、ゆっくりと振り返った。

瑛己えいき……」

 誰かが、その名を口にした。

 ―――振り返った、聖 瑛己の顔には。

 何の表情も、なかった。

 感情のすべてが消えてしまったかのような、まっさらなその顔に。

 誰もがまた言葉を失い。口を閉ざした。




 そこにいる者は皆、彼と空(ku_u)との事を知っていた。

 それはもちろん、その言葉を発した総監・白河とて同じ事だった。

 始まりはここ、『湊』空軍基地への異動の途中。【海蛇】と呼ばれる空賊3機に囲まれ、絶体絶命の状況に立たされた時。その危機を救ってくれたのが、空(ku_u)と呼ばれる、白い翼を持つ飛空艇だった。

 ―――この空に並ぶ者はいないと言われ。撃墜した者は、空の歴史に名が残るとまで言われる飛空艇乗り。

 【天賦てんぷ】の無凱むがい、『湊』での初めての任務、その時も。瑛己の危機を救ったのは空(ku_u)だった。

 ―――絶対の、白い翼。

 その鳥が危険にさらされている。それを聞いた瑛己が、無我夢中で空へ飛び出した事も知っている。

 そして、【竜狩り士】の銃弾から〝彼〟を守った事も。そのために、彼の機体は撃墜され、木っ端微塵になった事も。謹慎処分を受けた事も……。

 そこにいたすべての者が。

 瑛己と空(ku_u)との、不思議なえにしを。

 そして瑛己が〝彼〟に持っているだろう、特別の感情も。……知っているからこそ。

「……何でですか?」

 空(ku_u)を倒す、それが夢だ。初めて瑛己に会った日そう言ったたかきまでもが。白河にそう問わずにはいられなかった。

「何で俺らが……空(ku_u)とらなあかんのですか?」

 飛は苦しそうに顔を歪め、白河を見もせず言った。

 お前、空戦マニアじゃなかったのかよ? お前、空(ku_u)と戦いたいんじゃなかったのかよ? どうしたよ? どういう心境の変化だよ? 何、らしくない事言ってるよ?

 ―――誰も飛に、そう言わなかった。

 一番瑛己のそばにいた男。一番多く、共に、空を飛んだ男。

 あの飛が。その飛が。そんな言葉をいた事。むしろそれは、その場にいたすべての者の心を揺さぶった。

「……僕もお聞きしたいです」

 飛の隣にいた秀一も口を開いた。その声は震えていた。

「どうしてそんな、突然……? 何で……」

 秀一もまた、瑛己がこの基地へきた時からよく知っている。飛が思うのと同じくらい、瑛己の気持ちを知っていた。

「昨日きた『黒』の使者と。何か関係あるのですか?」

 2人とは一転、落ち着いた口調で小暮が言った。

「国際上の取引カードに、俺達と空(ku_u)を担ぎ出されたとしたら」

「……むなクソ悪いなぁ、そりゃ」

 苦笑混じりに笑ったのは、新だった。

「俺達に、空(ku_u)を墜とせなんて」

 ジンは何も言わなかった。腕を組んだまま、ジッと目を閉じていた。

 磐木は白河を見ていた。その目は……彼にしては珍しく、複雑な色を灯していた。

 ―――『獅子の海』から、そして無凱から。無事にこの基地に戻る事ができたのは。

「……白河総監」

 彼とて、ちゃんとした理由を聞かなければ納得がいかない。

 隊長であり、そしてこの中で一番、義に厚い男であるからこそ……。

 全員の目が、白河を向いた。

 そして白河は。

「―――」

 次の瞬間すべての者が。驚愕に目を見開いた。

 白河がその場に膝をつき、頭を垂れたのである。

「総監ッ」

「すまない」

 白河は頭を垂れたまま、そう呟いた。

「すまない」

「総監、顔をッ、どうか」

「すまない」

「やめてください……! 総監ッ!」

「―――すまない」

 白河の声は、悲鳴のようだった。

 誰もが、それ以上の言葉を無くした。

 すまない。土下座してそう呟き続ける彼の姿に。彼らはあまりにも多くの事を知らされてしまったからかもしれない。

 『ゼロ』の海でった、『黒』との事。

 そして現れた、『黒』からの使者。

 そこで白河は何を聞いたのだろう? 何を知ったのだろう?

 どちらにしてもそれは、小暮の言葉の的のどれだけかを射ているという事。

 そして、白河は。瑛己の気持ちも、『獅子の海』での事も。すべてを知って、理解して。……それであるにも関らず。

 どうする事もできなかったのだと。

 恐らく、この場にいる誰よりも、苦しんで。もがいて。涙して。

 この言葉を紡がなければならなかった彼は。

「すまない」

 瑛己は視線を落した。そして、ゆっくりと目を閉じた。

 風に、初夏のにおいが混じっていた。

 瑛己はそれにを吐いた。そして小さくかぶりを振った。


  ◇ ◇ ◇


「……なんつーか」

 飛はポツリと呟いて、グイと麦酒ビールを飲んだ。

 その夜。飛と秀一は2人『海雲亭』の隅に陣取り、静かに麦酒を飲んでいた。

 普段は滅多に麦酒など飲まない秀一も、この日は珍しく口をつけていた。

「すいません、もう一杯お願いします」

 バイトにそう言う秀一の姿に、飛は苦笑して「適当にしとけよ」

「飛は? おかわりは?」

「阿呆。お前のピッチに合わせてたら、こっちの身がもたんわ」

 この顔で、実は秀一は飛よりも酒に慣れている。

 普段飲まないのは嫌いだからではなく―――単に、酒の強さで周りの人間を閉口させたくないからだった。

 だがそんな彼でも、こうして自棄になったように飲む事がしばしばある。

 運ばれてきた4杯目を、平気な顔して飲む秀一の横顔を眺めながら、飛はチビリと一口だけ飲んだ。

「……なんつーか」

 何度目になるかわからない、飛はそう呟いた。

 そしてそれに続けるように、秀一はコトンとグラスを置いて言った。

「飛ぶしかないのかな」

 飛は頬杖をつき、明後日を眺めた。

「せやな……」

 あの後会議は、よくわからないうちにお開きとなった。

「瑛己さん……どうしたんだろう」

 会議が終わると瑛己は、無言のまま一人、部屋を出て行った。

 飛と秀一が慌てて追いかけたが、その背中が「一人にしてくれ」と言っているようで、結局声をかける事ができなかった。

「あいつに限って、妙な真似はせんとは思うが」

 そう言ってみたものの、飛は、空(ku_u)の危機を聞いて飛び出した瑛己を知っている。

 飛は頭の後ろで腕を組み、大きく息を吐いた。

「あいつは……案外、激情家やからな」

 普段、多くを語らない、自分の心にどれだけの事を飲み込んで、言葉にしない青年。

 だからこそ、その胸にどれだけのものを秘めているのか。

 瑛己がここにきてから、まだ1ケ月と少し。

 だがこの間、色々な事が起りすぎるくらい起きた。

 そして2人は。それを瑛己と共に見てきた。たくさんの生死の危機を、彼と共に潜り抜けてきた。

「……どうにかならないのかな」

 秀一の言葉に、飛はただ一言、

「磐木隊長は、瑛己を外さんやろうな」

「……」

「あの人は、そーゆー人や」

 一時の感情のみで、作戦から外すような人間ではない。

 秀一は俯いた。それは彼自身、よく知っている事だった。

(それが果たして、いい事なのか悪い事なのか)

 秀一にはわからなかった。

 ただ酷だと思った。

「どうしてあんな命令が……。空(ku_u)を倒せなんて、僕らに……」

 その問いに、飛は眉をしかめた。

「奴らにとってそれだけ鬱陶しいっちゅー事やな。空(ku_u)っちゅー、絶対の存在も」

 ―――そして、俺らも。

「へぇ?」

 最後の言葉を口にしようとした時、突然、隣のテーブルから声が上がった。

「君達、空(ku_u)の撃墜命令をもらったのかい?」

 その声に、秀一はキョトンとそちらを振り向き、そして飛は。小さく目を見開き、怪訝な顔でその男を向いた。

 隣のテーブル、そこに、一人の男が座っていた。

 黒いカッターに、真っ赤のネクタイを揺らして。胸のポケットからはサングラスが覗いている。テーブルの上には煙草の包みが無造作に置かれ、その1本を咥えると、男はニヒルに笑みを浮べた。

「あんた」

 この男に、飛は覚えがあった。

「須賀 飛君と……そっちは、相楽 秀一君かな?? フリーライターの田中だ。改めて、どーぞよろしく」

「あ……どうも、はじめまして」

 キョトンとしたまま、秀一は田中に頭を下げた。だが飛は不審げに田中を見ただけで、何も言わなかった。

 田中はニコニコと微笑むと、椅子を滑らせ、2人のテーブルに近づいた。

「さっきから、ちょこっと話は聞かせてもらったよ。何? 君ら、空(ku_u)の撃墜を命じられたのか? それで瑛己君は? 俺と彼はマブダチなんだ。詳しい話を聞かせてよ」

 瑛己がここにいたら、またたくく間に嫌悪の表情を浮べた事だろう。

 だがその代わりに、飛は眉間にしわを寄せ、ズイと立ち上がった。

「行くぞ、秀」

「え、飛……?」

 戸惑う秀一を無視して、飛は一歩踏み出した。

 それに田中は腹を立てるどころか―――笑い出した。

 飛は田中睨みつけた。

「何がおかしい」

「ククッ……いや、失礼っ」

 言葉とは別になおも笑い続ける田中に。飛の顔は一層険しくなった。

「いやぁ……君の態度。あまりにも思った通りの事をしてくれるもんだからね、ついつい」

「どういう意味や」

 クククッ……田中はニコリと微笑み、煙草を灰皿に押し付けた。

「瑛己君の行方が知れないんだろう? 俺なら、心当たりがない事もないぜ?」

「え」

 その言葉に、秀一が腰を浮かせた。

「それはっ」

「よせ」

 だが即座に止めたのは、飛だった。

「あいつは、ほかっておいても帰ってくる。こんな奴に―――無理して訊く必要はない」

「飛」

「はっはっは!!」

 飛の言葉にまた、田中が笑い出した。

「俺、相当嫌われてるみたいだなぁ」

 飛は拳を握り締めた。ぶん殴りたい衝動を必死に抑え、ギリと歯を食い縛った。

 ―――それは、飛の脳裏に焼き付いている。

 この男と初めて会った日。瑛己を探してここへきて、その名を呼んで振り返った彼の顔が。決して自分の心をさらす事がない青年が、自分の感情の多くを飲み込んで言葉にしないあの瑛己が。

 あれほどの、安堵の表情を見せた、あの瑛己があんな顔を見せた……そこに。この、田中という男はいた。

 そして何かを問うよりも早く、瑛己は背を向け店を出て行った。

「俺はあんたを信用できん」

 飛はハッキリとそう言った。

 聖 瑛己に、あんな顔をさせた男。

 飛は嫌悪の表情を浮べ、秀一を目で促した。

「ふふふっ、まさか君も人並みに、ライターなんていう人のアラ探しをして生きるような人種は好きになれないとでも?」

「自分でライターなんて名乗る、こましゃくれた奴は嫌いやっちゅーだけや」

 秀一は飛を止めようとした。だがその横顔があまりに険しくて。秀一ですら、口を挟む事ができなかった。

 こんな時、海月さんがいてくれたら……店内を見回す。だが彼女が出かけている事は、さっきバイトの少年に訊いたばかりだ。

「君は、空戦マニアと名乗っているそうじゃないかい?」

 田中が唇の端を釣り上げてそう言った。

「それがどうした」

「いや? ―――そして、この空に数多く存在する空賊・渡り鳥の中で、君が最も敵対心を抱き、倒したいと思っている飛空艇乗りは、【竜狩り士】・山岡 篤だと聞いたけど」

「それがどうしたッ」

 しかし田中は、笑みを浮べるだけでそれ以上何も言わなかった。

 それに痺れを切らしたのは飛だった。

「行くぞ」秀一に向かって吐き捨てるように言うと、ダンと床を踏み鳴らして、田中の横をすり抜けようとした。

「飛」

 秀一が慌てて、その背中を追いかけようとした刹那。

 それより早く、田中の腕が飛の肩を掴んでいた。

「何やッ……」

 田中はニッコリと微笑んだ。その手を荒っぽく振り払おうとした途端、その口元が小さく動いた。

「―――」

 次の瞬間放るように投げ出された飛の顔は、驚愕で固まっていた。

 それを見て、田中は一層微笑んだ。

「飛……?」

 飛の足を動かしたのは、秀一の声だった。

 足早に去る飛を、今度は田中も止めようとしなかった。

 カランコロン

 扉の鈴の音が、甲高い音を立てて鳴り響いた。

 田中は椅子に座りなおすと、バイトの少年を呼び止めて「マティーニね」と言った。

 彼は煙草を取り出すと、銀のジッポーで火を点けた。

 その顔に浮かんだ笑みは、しばらく彼の顔から離れなかった。




「飛……ちょ、待ってよ、飛っ!」

 だが、彼は止まらなかった。

 前方に広がる闇の一点を睨みつけ、草土を蹴るようにして歩き続けた。

 そしてその脳裏には、田中と名乗ったあの男の目が焼きついていた。

 肩を掴まれ振り返ったその瞬間。飛の背中に過ぎったのは―――悪寒。

 そしてその口元が最後に、音なく発した言葉は。

「飛ーっ」

 ―――倒してみろよ




 その頃瑛己は、星空を眺め、大きく息を吐いていた。



2012.5.10.文中にあった意味不明「を消去

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