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 『零地区(area_zero)』-3-

 太陽が、空の頂上ちょうじょうにたどり着こうとしている。

 季節は春。

 冬の寒さを思えば、陽射しはとても暖かい。海から吹き込む風も、春のにおいが混ざっている。

 小暮は前髪を掻きあげ、東の空に目を向けた。

(一日、か)

 そしてやがて、目の前にあるボロボロになった飛空艇に視線を戻した。

 大きく溜め息を吐き、そこら辺に投げ捨ててあったドライバーを拾い上げた時。

「小っ暮ちゃーん」

 場違いなほど能天気な声が響いた。

 振り返るとそこに、新がいた。

 眩しそうな笑顔を浮べた彼は、「珈琲、飲むだろ」と、缶を持つ手を軽く掲げた。

「ああ。サンキュ」

 ポッと新の手を離れ弧を描いて飛んでくる缶を、慣れた手つきで受け取る。

 タブをキュッと開け、一口。ブラックを選んでくれた事が、少し嬉しい。

「しかしお前、よくこんな物持って飛んでたな」

 傍で同じく珈琲缶を傾ける新に、呆れとも苦笑ともつかない顔で小暮が訊いた。

 新はニィっと笑うと、「だって」

「いつ何時、何が起こるともわからないし」

 実際、新の飛空艇には携帯食料と水・飲物が馬鹿のように積み込まれていた。

 おかげで3人、今の所飢え死にだけは間逃れている。

(だが、時間の問題だな)

 心の奥で嘆息を吐き、「磐木隊長は?」と珈琲片手に木陰に座った。

 その横に新もドッと胡坐あぐらをかき、「向こうで寝てる。珈琲と麦酒ビールどっちがいいっスか? って聞いたら、いらんって言うから。一応、麦酒を置いてきた」

「寝てるって……隊長は、考え事をする時はいつもああなんだよ」

 朝方、最後に見た磐木は、向こうの岩辺で座禅を組んでいた。

 一睡もしてない様子だった。それを思うと、小暮の胸が少し曇る。

「んで、こっちは? 直りそう?」

 小暮の向こうにある飛空艇を覗き、新は珈琲に口付けた。

「無理だな」

 小暮は淡々と返事をした。

「これだけ壊れていたら、修復は不可能だ。せめて無線くらいは戻らないかといじってみているが」

「そうか」

 新は右手で缶を遊ぶと、軽い口調で言った。

「まっ、よろしく頼ま。俺、そっち系はからっきしだし。俺にできる事と言ったら、この無人島に記念の絵でも描いて残すくらいだよ」

「……新、それはやめろ……」

 苦々しく笑うと、小暮は珈琲を飲み干した。

 しばらく、カラになった缶を片手に、ぼんやりと2人、空を見ていた。

「なぁ」

 海の音に、小暮が一つ深呼吸した時。新がポツリと口を開いた。

「結局……何が起こったんだ? あの時」

 新は片目を細めて隣の男を見た。

 何が起こったか。問われても、小暮にも「わからん」と答えるしか術がない。

「ただ言えるのは……飛空艇が突然操縦不能になったという事だ。3機同時に、それも〝零〟に入った途端な」

《―――隊長ッ!》

《何だこれっ!? 舵が利かねッ!?》

 彼らは必死に迂回を試みた。だが、安定を失った飛空艇は落下の一途を辿り。

 そしてこの島に。3人、不時着を余儀なくされてしまったのである。

 大した怪我もなく、おかに立てたのは喜ぶべき事だ。

 だが……小暮の胸には、昨日からずっと晴れない物がある。

 あの時、確かに舵はなかった。計器はユラユラと意味不明にふらつく、操縦桿はいう事をきかない。機体は、こちらのどんな操作も受け付けず、何かに引かれるように地上を目指した。

 しかし、エンジンは生きていた《・・・・・・・・・・》。

「……」

 小暮は眉をしかめた。

 磐木、新の機体を見ても、それは明らかだった。彼らの飛空艇3機共、エンジンは動いていたのである。

 なのに、墜ちた。

 機体は突然、飛ぶ事を忘れたように。翼を無くした鳥のように、ただ、空を遠ざかって行った。

 そしてもう1つ。

「あの編隊は……一体」

 ポツリと言った新の言葉に、小暮の眉がビクンと跳ねる。

 舵を失ったその途端。西の空から飛空艇が現れた。

 灰色のそれは、1つや2つの話ではなかった。

 艇団。

 黒い塊となってこちらに向かってくるその一団に、3人は嫌な予感を覚え、急ぎ背をひるがえしたのである。

「小暮……あの時レーダーに、あったか?」

 小暮は軽く首を横に振った。「いや」

「だがあの時点でもう、機体は正常ではなかった。……一概には言えない」

 そう言いながら、小暮の背中には寒気が走る。

 ―――レーダーに映らない、艇団せんだん

 一体……? 何がどうなっているというのだろうか。

 突然の操縦不能。

 謎の灰色のふね

 無人島への不時着。そして。

「奴ら……俺達を探していたよな」

「ああ、―――恐らく、今も」

 まるで、海域に入った者を逃しはしないと言うかのように。

 その空には絶えず、何かを探すように灰色の飛空艇が通り過ぎていく。

 そのため彼らは飛空艇を木々の中に隠し、身を潜めているのである。

(この状況では、例え艇が生きていても)

 とても逃げ切れないと、小暮は思った。そして、

(見つかれば、命はない)

 直感だ。

 秀一のような能力はない。だが、小暮は自分の勘を信じていた。

「どちらにせよ、この状況では動くに動けない」

 打開の手は―――基地に残した連中だが。

「ジンさん、助けにきてくれっかなぁ」

「副長か……。助けにきてくれる以前に、心配しているかどうかも謎だな。それに、たとえ万が一副長が出るとして、一人でこれるわけがない」

「……」

 新は苦笑した。「あらら」

「ジンさん、見張りどころか、おもり係になっちゃったか」

たかきが、総監を殴ってなければいいが」

「ハハハ。あるな、それ。『なんで俺を呼ばへんかったんやー!!』とかって。荒れてるだろうなぁ」

 飛が総監に食って掛かる様を思い浮かべ、新が大笑いしていた。

 その横で、小暮は神妙に瞼を伏せた。

(4人できたとしても、果たしてそれで、足りるのだろうか?)

 あの連中が、今回の一件で黙っているはずがない。必ず誰かが、助けに行くと言い出すに違いない。

 それを思って、小暮は心の中でポツリと呟いた。

(むしろ、来ない方が……)

 空を仰いだ。

 その空は青く晴れ渡っていた。

 それが小暮は、不気味だと思った。


  ◇ ◇ ◇


《じきに、〝ゼロ〟に差し掛かります》

 秀一の声が、無線の向こうから流れた。

 瑛己えいきは周りを見渡し、小さく息を飲み込んだ。

(ここが、〝零地区〟か……)

 瑛己は太陽を見上げた。

 〝零地区〟と一言で言っても、広い。

 だが……瑛己にとってその名は、父の最期へとつながる。

(父さん)

 父はここで、あの空に消えた。

 〝空の果て〟……空が割れた、その向こうの世界へと。

 それが今、ここにある。

 空を見渡しても、どこにも、切れ目などない。

 どこか遠い世界の、絵空事のようにも思える。

 だが、現実にそれはそこに存在したのだ。

 その空に、果ては生まれ。

(父さんはそこに)

 そして今自分は、そこへ向かおうとしている。

 自分は何を目指しているのだろう、と瑛己は思った。

 空軍に入った理由。なぜ自分は空に生きる事を選んだのだろうか……? 父と同じ道を、歩こうと思ったのだろうか……。

 父の背中。

 瑛己は父・聖 晴高を、よく覚えていなかった。

 遊んでもらった記憶もない。顔すらも、写真のものしか浮かんでこない。

 むしろ、幼少の記憶に登場する顔は兵庫の方が多い。兵庫おじさんに遊んでもらった記憶は、いくらでもあるというのに。

(俺は、父さんを憎んでいるのかもしれない)

 ふっと、瑛己はそう思った。

 自分に何一つ残さず、勝手に空にかえった父。

 自分はそんな父が……憎いのかもしれない。

 父親がいないという引け目を感じた事はなかった。母がいたから。兵庫がいたから。

 けれど―――。

「面白い背景、か」

 田中の言葉を思い出し、瑛己は小さく笑った。

 誰がそんなものを、望むか。

 その時瑛己の脳裏に、一人の少女の顔が浮かんだ。

(あの少女は)

 一体、なぜ飛んでいるのだろうか……。

 この空に、並ぶ者はないと言われ。

 その翼には、一級の価値があると称えられ。

 墜とした者は、歴史に残るとまで言われる。

 尊敬と敬意。

 そして、憎悪と敵対心。

 常にその背を追いかけられ、そして狙われる、白い鳥。

(なぜ)

 なぜあの子は飛んでいるのだろう?

 何のために、何を目指して。

(彼女は)

 何を背負って。飛ばなければならないというのだろう?

 ―――忘れてください。

 時島と名乗ったあの女性。彼女は一体、何者なのか。

 ―――見たんじゃないのか?

 空(ku_u)の正体を探る、田中という男。

(そして、自分は)

 どんな空を、飛ぼうとしているのだろう? そして、どこへ行こうとしているのか。

(その行く空の果てで)

 自分達は、何を見つけるというのだろうか?

「父さん……」

 そして父はその果てに、一体何を見たのだろうか……?

《聖、ボーっとするな。遅いぞ》

「っ、はい」

 瑛己はハッと目を見開いて、やがて、小さく首を2つ振った。

 ―――考えても答えが出ない事は考えない。

 母の口癖だった。




《静かやなぁ》

 飛はボソリと呟いた。

 ジンも油断なく空を見渡しながら、同じ事を思っていた。

(静か過ぎる)

 秀一が見たという映像の話を、ジンも基地を出る前に聞いた。

 それに関して、彼は特に何も言わなかった。だが、戯言ざれごとと一蹴したわけでもなかった。

 実際に秀一の〝予言〟が当たるのを、彼も何度か目にしている。

 むしろ簡単に、くだらないと言えた方がどれほど楽だろうかと思った。

(俺も焼きが回った)

 ジンはクッと低く笑った。そして、己の腕を見た。

 脳裏を駆け巡る様々な残像。それに小さく舌を打ち、無線のボタンに手をかけた。

「注意して見ろ。痕跡があるかもしれん。見落とすな」

 海を見る。

 飛も秀一も、波間を縫うように見つめた。

 瑛己は編隊の一番後ろを飛び、同じように海に注意を向けたが。

「……?」

 一瞬、前にある速度計がフラリと大きく左右に振れた。

 それが、合図だった。

 突然機体が、ガクンと大きく上下したのである。

「?」

 瑛己は手元のレバーとギアを見、もう一度計器を見つめた。

 アクセルを踏み込む。一杯まで踏み込む。

 だが。

(おかしい)

 速度が上がらない。

 メーターを見る。すると、それがガクガクと揺れ始めた。

 ガクンッ、もう一度、機体が揺れた。今度は、下に向かってバウンドするかの動きだった。

《副長! な、何や……変です!》

 無線で連絡しようとした矢先、飛の声が響いた。

《エンジン不調?? おかしい、計器がッ》

《僕もです……ッ、うあっ》

《落ち着け、クソッ一体どうなって》

 必死に操縦桿と格闘している最中、瑛己は耳の端に奇妙な音を聞いた。

 そして。

「―――ッ!! 飛ッ!! 上だッ!!」

 その瞬間、瑛己は腰を浮かせて飛の飛空艇に向かって怒鳴った。

 ドドドドドドド

 それが届いたかは知れない。だが突然の砲撃に、4人の飛空艇はバッと散らばるようにそれを避けた。

 瑛己も利きの悪い操縦桿を一杯に横倒しにした。いまいち鈍い感触と、予想以上に生まれる落下感に、瑛己は歯を食い縛った。

 一体誰が? 相手を見ようにも、銃撃は止まない。バックミラーに黒い影を捉え、瑛己は必死に逃げた。

「クソッ」

 走れッ……! そう念じてアクセルを、踏み抜くように一杯まで入れる。すると、一度ドッと機体が振られ、かすかに速度が戻ってくる。

 焦げ臭いにおいが鼻をついた。

 増した速度でどうにか抜け、切り替えしながら相手を確認する。

 そこには、灰色の機体が飛んでいた。

 ザッと見……5。大きさは『翼竜』とそう変わらない。だが翼の角度が特異だ。『翼竜』よりも、少し後ろに向かって伸びている。

 だがその機体、どこにも、何のマークも記されていない。

 『翼竜』などの『蒼国』の機体には必ず国旗である〝蒼翼の鷲〟の証が尾翼に描かれているように、【海蛇】にも黄土の機体の一角に蛇の紋様が描かれていた。【天賦】総統・無凱の機体には、伝説の獅子・グリフィンが激しく翼を翻していたし、竜狩り士・山岡 篤の機体のキスマークは、まだ記憶に新しい。

 だがこの機体にはそう言った、〝特徴〟を現すものが何もない。

 ただ灰色に塗り詰められた機体。それが、何の前触れもなく自分達を狙っている。

(一体……?)

 瑛己は眉をしかめた。

 その間にも、相手の攻撃は止まない。

 今の機体の状況からしても、ゆっくりしている暇はなさそうだ。

 瑛己は操縦桿を握る手に力を込めた。

(随分と、無茶苦茶なリハビリだ)

 途端、前に押し倒した。

 一杯まで切れないのは、やはり今の機体に信用できないからだ。

 そこから右へひねる。機体が操作についてこれるか心配したが、思ったより反応はよかった。

 刹那、一機の後ろをかすめる。間髪入れず、瑛己は射撃した。

 その結果を見る事なく、すぐに左へ。火の粉が目の端に通り過ぎ、消えて行く。

 どこかで爆音が聞こえる。と目の前を、蒼い機体が横切った。

(皆、無事に)

 出かけ際、白河に言った言葉を思い出した。そして瑛己は苦笑した。

 とんでもない約束をしてしまったものだ。

 この空に―――人の一生に、必ずなんて言葉、ありはしないのに。

「……」

 だが……瑛己はふっと思った。

 必ず。

 そんな言葉も吐けなくなった時、それはもう、終わりの時かもしれない。

「……必ず」

 彼は改め、その言葉を口にした。

 それで自分に、勇気を持たせるように。

 それで自分を、強くするために。


  ◇ ◇ ◇


 ザッ。

 乾いた砂利の音に、小暮は背後を振り返った。

「隊長」

 そこに、327飛空隊隊長・磐木 徹志が物言わず立っていた。

「聞こえます。エンジン音と……爆音」

「うむ」

「副長達でしょうか」

 磐木は空を見上げながら、低い声音で呟いた。「だろうな」

「このエンジン音には、聞き覚えがある」

 小暮は眉間にしわを寄せた。無事だといいが……。

 その時不意に、彼の耳に妙なノイズが聞こえてきた。

 新も気付いたらしい。顔を見合わせる。

 そして次の瞬間、小暮はハッと目を見開いた。

「まさか」

 叫ぶように言うと、つい先ほどまで向かっていた飛空艇に飛びついた。

《―――》

 無線から、音が吹き出していた。

 慌ててボリュームを調節する。磐木と新も驚いて、操縦席を覗き込んだ。

「……待て、何か聞こえる」

 磐木が、ハッと手で2人を制した。

《―――》

 一見、ただの雑音にしか聴こえなかったものが。耳をすませると……その音の中に別の何かが混じっている事に気付いた。

 しばらくそれを、注意深く聞いていた小暮だったが。ふっと、顔を上げて磐木を見た。

「これは―――ッ」

「暗号だな」

 表情一つ変えず、磐木は断言した。「それも、この配列は」

「……?」新が、よくわからないといった顔で2人を交互に見た。

 だが磐木と小暮は険しい顔つきで無線を睨んでいた。



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2012.5.10.誤字修正

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