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 『瞼の奥に浮かぶもの(a_girl & a_gun)』

 空なんか、気にした事なかった。

 太陽だとか、雲だとか、その色だとか。

 ―――広さだとか。

 空の大きさなんか、気に止めた事もなかった。

 流れる雲も、その青も。それは、あまりにも当たり前の事で。

 当たり前すぎて……ひょっとしたら、僕はその日まで、空を見た事がなかったのかもしれない。

 だから、覚えてる。

 その日の空が、あまりにも澄んでいて。

 雲一つない、まっさらな蒼空で。

 それは、どこまでも高く。高く高く続いていて。

 無限に。世界のすべてを包み込むように。彼方へと導くように。

 僕は初めて、空が美しいと思った。

 そして、その日。

 父は、その空へとかえった……。




 僕はそれを聞いた時、どう思ったんだろう……?

 あの日の空は、これほど鮮明に覚えているのに。

 父が逝ったと知ったその日、その時の事は。よく覚えていない……。


  ◇ ◇ ◇


 次の日の朝。

 目を覚ますと、瑛己えいきは、医務室の寝台の上に横たわっていた。




  5


「なぜ、基地を勝手に飛び出した……!」

 磐木いわきは、今にも掴みかからんばかりの勢いで、瑛己に向かって怒鳴った。

 それに瑛己は逃げ出したい心境を抑え、寝台に腰掛けたまま磐木を見つめた。

「まぁまぁ、磐木。瑛己も怪我してるんだし」

 と、横で兵庫が磐木の腕を掴んでなかったら。実際、もうぶっ飛ばされていたかもしれない。

 瑛己の怪我は奇跡的にも、全身の軽い打撲、右足の捻挫だけですんだ。

 そして彼の横の寝台でたかきが胡坐を掻いているが、彼の怪我は、基地に戻った時磐木にボコボコにされてできたものだった。

「聖! なぜ勝手に飛んだ!! なぜ黙って飛び出したりした!!」

「磐木、それは、俺が……」

「原田副長は黙っていてください! 聖ッ!!」

 原田副長……その言葉に、兵庫は苦笑した。彼がそう呼ばれたのはもう何年も前、空軍にいた頃の事だ。

 磐木が初めて空軍に入ったのは、14年前、兵庫が副隊長を務めていたその隊だった。その時の印象が強く、いまだ、磐木は兵庫の事を『原田副長』と呼ぶ。

 瑛己は2人のやりとりを、不思議な面持ちで見ていた。

「聖ッッ!!」

 危機迫る形相で言われ、瑛己はハッと我に返った。そして、「……すいませんでした」と言った。

「謝罪の言葉など、聞き飽きた」

 理由を説明しろ。なぜ無断で飛んだ? それがどういう事かくらい、お前ならわかっているはずだろう?

 磐木の瞳に、瑛己はそっと目をそらした。

(理由?)

 そんなもの……瑛己は心の奥で、わからないと呟いた。

 空(ku_u)が、【海蛇】20機に囲まれていると聞いたから?

 そこに、【竜狩り士】まで出てきそうだったから?

 空(ku_u)には何度も助けられているから?

 ―――どれも、違う……どれも……本当じゃない。

「わかりません」

 結局、その言葉を選んだ。

 そして瑛己は瞼を伏せたままこう続けた。「飛びたかったから、飛んだだけです」

 途端、磐木は兵庫の腕を振り払い、瑛己をぶん殴った。

「磐木ッ!!」

 寝台に叩きつけられた瑛己は、痛む体を起こしゆっくりと磐木を見た。

 磐木は、燃えるような瞳で彼を見ていた。

「―――」

 斬るような沈黙が落ちた。

 兵庫も飛も物音一つ立てられない……少しでも動けば、途端、斬り裂かれそうな。漂う空気が、刃を含んでいるかのようで。

 磐木の目を見て飛は思った。目で殺すとは、こういう事かもしれない。

 それほどに、恐ろしい目だった。

 だがそれを受ける瑛己の目は、あまりにも静かだった。

 兵庫はその双眸に、一人の人物を思い出さないわけにはいかなかった。

 いっそ怒鳴りあってくれた方がどれほど楽か。

「しばらく謹慎を命じる」

 ―――頭を冷やせ。

 永遠とも思えるような沈黙の後、磐木はそう呟くと、蹴破るように医務室を出て行った。

 その様子に、兵庫は瑛己をチラリと見て小さく頷いた。そしてその背中を追った。

 残された瑛己は瞼を閉じると、大きく深呼吸した。


  ◇ ◇ ◇


「しかし……お前も、ようやるわ」

 磐木が出て行って、空気が緩み始めた時。隣の寝台に座る飛がポツリと呟いた。

「飛びたかったから飛んだ、か……まぁ、俺かて人事やないけど。あの場でそれを、普通言うか?」

「……」

 だったら他に何と言えばよかったんだ……瑛己は飛を見もせず、虚空を睨んだ。

「まぁ、お前らしいっちゃ、お前らしいがな」

 カカカカ。小さく笑う飛に、瑛己は呟いた。「あの時」

「俺は、どうなった?」

 飛は笑うのを止め、瑛己の横顔を眺めた。

「覚えてないんか?」

「……あまり」

「そーか」

 飛は枕元に放ってあったマルボロを取ると、1本出して、火を点けずに咥えた。

「磐木隊長が殴っても無理ないわ……俺かて、この手がまともやったら、お前を殴る」

 ……磐木隊長に蹴られた時、捻挫したんだよな、その手……? 思ったが、瑛己は結局何も言わなかった。

「山岡が雲の上から現れた……えらい勢いで空を切って降りてきた。その先に、空(ku_u)がおった」

「……」

「俺は、入ったと思った。避けきれんと思った。そこへ、どっかの阿呆が間を割った」

「……」

「空(ku_u)は無事やった。その阿呆が全部、弾を浴びたからな。せやけど代わり、阿呆の機体は炎上や。見てて、とっても心臓にいい光景やったわ」

 おかげで寿命が3年縮まった。そう言った飛に、3年、世界平和につながったのかも……と瑛己は思った。

「間一髪、阿呆は脱出したみたいやな。けどもそれを見た山岡は心中穏やかじゃなかったみたいや。あいつ、まともに阿呆を狙い始めた。俺も慌てて向かおうとしたが、【蛇】が絡んできて動けぇへん。どないしようかと焦った時や」

「……」

「空(ku_u)が、山岡を撃った」

「……」

「それでも山岡は執拗に追いすがる。けども俺かて、それ以上は許さへん。それに丁度うまい事、兵庫のおっちゃんが現れた。山岡は形勢不利と見てトンズラしおった。あーあ、阿呆なんか放っといて、追いかければよかったわ」

「……」

「結局その後、無人島の海岸端にお前が倒れてるのを見つけた。そういうわけや」

「……」

 瑛己は窓から空を見上げた。

(結局また、助けられたのか……)

 兵庫の声に揺り起こされて見た時、辺りにはもう何もなかった。

 それからすぐにまた気を失ってしまったが。

 瑛己はドカリと枕に倒れた。そして目を閉じた。

 するとそこに、浮かび上がるものがあった。

 それに驚き、瑛己は目を開けた。

「……」

「まったく……お前が寝てる間に、俺がどんな目にうたかわかっとんのか? 磐木隊長にボコボコにされるわ、小暮さんにコンコンと説教されるわ、ジンさんと新さんには笑われるわ、」

「―――僕に、泣きつかれるわ?」

 その時、向こうの窓からヒョイと飛び出す顔があった。

 相楽さがら 秀一だった。

 秀一は裏口から医務室に入ると、早速、頬を膨らませた。

「瑛己さん、ご無事で何よりです……だけど、僕は怒ってるんですから」

「……」

 瑛己は秀一の様相に小さくギョッとし、それから吹き出した。

「何が面白いんですか!? 僕は真剣に怒ってるんです!!」

「悪い悪い」

 パタパタと手を振りながら、瑛己は笑いをこらえるように顔を背けた。

 こんな事を言ったら秀一はますます怒り出すに違いないが―――怒ってる姿が、なんだか子供じみてて、妙にかわいらしくて。

「しゅぅー、なーにまた駄々こねとん。お前に黙って飛んだのは悪かったと思うが……ええやないか、何とか2人、無事に帰ってこれたんやから」

 すると秀一はキッと飛を振り返り、猛然と掴みかかった。「そういう問題じゃない!!」

「飛も瑛己さんもッッ……!! 自分で勝手に危険に飛び込んで……ッッ!! 残された僕がどんな想いで待ってたかッッ……!! どんなに心配したかッッ……!!」

「しゅぅいちー」

 飛は苦笑して、トントンと秀一の肩を叩いた。「泣き虫」

「ガキの頃から変わらんなぁ、お前は。安心しろって、そう簡単に、俺はくたばらへんから。な、瑛己」

「世の中のためにはならないがな……」

「何やて? 今何か言うたか?」

「―――決めた」

「?」「?」

 言うと、秀一は決意に燃えた瞳で2人を見た。

「ジンさんが言っていたんです。当分、誰かあの2人を見張っていないといけないんじゃないかって。2人共謹慎と言ったって、絶対大人しくしているわけがない、医務の佐脇先生は出張中だし、―――僕が2人を、見張ります」

「……」「……」

 飛が、煙草をポロリと落としながら戸惑った様子で言った。

「み、見張るって……何や、囚人じゃあるまいし」

「囚人です。という事で、今後、無断で医務室を出る事を徹底的に禁じます!」

「て、徹底的……?」

「俺、便所行きたいんやけども……」

「却下です」

「―――ブッ! ちょい待て!! 冗談やろ!?」

「本気です。却下です」

「待て、秀!!」

「……」

 これはとんでもない事になったな……。瑛己は苦笑した。

 結局、「連れションなんて、趣味わるっ」と言いながら、連行されるように飛と秀一、医務室を出て行った。

 もちろんその時、「瑛己さん、逃げちゃだめですよ」と念を押す事を忘れなかった……瑛己は苦笑して、パタパタと手を振った。




 一人になって。

 瑛己はふぅー……と大きく深呼吸した。

「……」

 考える事はたくさんあった。思う事もたくさんあった。

 飛は言わなかった。彼は知らない。

 あの時……あの後。何が起こったのか。

 そして瑛己が何を見たのか……。

「……」

 瑛己は目を閉じた。

 日の光に透ける瞼のそのずっと奥に。途端、浮かび上がってくる残像がある。

(消えない)

 あの時目にしたすべての映像が。

 そして、あの少女の面差しが……。

 名うての飛空艇乗り、空(ku_u)。

 この空で、その飛行技術は誰に勝るとも劣らない。目にした者は皆、魅入られてしまうと言われ、憧れを抱く者は少なくない。

 そして逆に。その翼を落とした者は空の歴史に残る……そう言われるほどの、飛空艇乗り。

 それが……なぜ? 瑛己は思った。なぜあんな……。

 ―――その時、キィと扉のきしむ音が聞こえた。

 飛と秀一が帰ってきたのだろうか? そう思ってゆっくりと瞳を開けると、そこに、まったく見知らぬ人物が立っていた。

 質のいい黒のパンツスーツに、黒塗りのヒール。スラリと伸びた背筋。首にキラリと光る物がある。そして―――後ろですっきりとまとめられた焦げ茶の髪。輝くような、赤のルージュ。

「聖 瑛己、飛空兵?」

「……」

 鈴のような美しい声だった。

 瑛己は微かに、眉間にしわを寄せた。

 彼女は瑛己のそんな様子に、薄く微笑んだ。

 そして一歩前へ出ると、音を立てずに後ろ手で扉を閉め。

 瑛己に向かって、銃口を向けた。


  ◇ ◇ ◇


「怪我」

 彼女は瑛己に銃を向けたまま、場違いなほど優しく微笑んだ。

「大した事なかったそうですね……安心しました」

 瑛己はそれをじっと見据え、小さな声で呟いた。

「……頭はまだ痛みます」

「ごめんなさい。加減したつもりだったのだけれども」

 何気に吹っ掛けたその言葉に、思ったより簡単に答えは返ってきた。

「……何の用ですか」

 すると女は笑みを絶やさず、ゆっくりと銃を上から下になめるように動かした。

「用件は1つ。あの時見たすべての事を忘れていただきたい。それだけです」

 女はまばたきをしたが、瑛己は視線一つ動かさなかった。

「ご理解ください。さもなくば、私はこの場であなたを消さなければならない」

「……」

 瑛己はふっと小さく息をこぼした。「それは」

「空(ku_u)の乗り手の事ですか?」

「判断はお任せ致します」

「……」

「私はただあなたから、諾の返事をお聞きしたいだけ」

 女の銃口が、陽光にキラリと輝いた。

 瑛己は女の瞳をじっと見た。

 女も、その目をじっと受けた。

「……」

「……」

 その時不意に、外が騒がしくなった。

 飛達が帰ってきた。それに、女の笑みが少し崩れた。

 瑛己は一瞬、飛びかかろうかと思った。銃を奪い、制し、通報すべきかと思った。

 だが……瑛己はそれをしなかった。

 その代わり、一言、

「あなたは何者ですか?」と尋ねた。

「……」

 女は答えなかった。その問いの主が本当は誰か、誰の事を訊いているのか、わかったからだ。

「忘れろと言われて、簡単に忘れられるほど」

 瑛己はゆっくりと、緩やかに瞬きをした。「僕は、器用じゃありません」

「撃てと、おっしゃっているのですか?」

「……別に。事実を言っただけです」

 ふっ。女は微笑んだ。それは決して、美しい作り笑いではなかった。「可笑しな人ですね」

「ならば、永久に、その心に封じていただく事を願います」

「……撃たないんですか?」

「撃ちたくなくなりました」

 女はヒラリと背を翻すと、裏口の扉に向かって歩き出した。

 瑛己はそれをぼんやりと見ていたが。

「伝言を、お願いできませんか?」

 女はクルリと振り返った。

「……ありがとう、と」

 女は目を細めると、「承知致しました」と言った。そして、

「私は、時島(tokisima)と申します。―――お見知りおきを」

 微笑みを残して、去って行った。




「さっすが! 瑛己さんは、どっかの誰かみたいに逃げようとしない! 聞いてくださいよ、飛なんか、トイレの窓から逃げようとしたんですよ!!」

「逃げるとは人聞き悪い! 俺はただ、煙草を買いに行きたかっただけや!! お前、『却下です。禁煙してください』とか言ったやないか!!」

「いい機会じゃないか! 煙草なんて体によくないよ。この機会に、せめて本数減らすくらいしなよ! ……あれ? 裏口のドアが開いてる。僕、さっき、閉め忘れたかな?」

 秀一が戸を閉めるのを、瑛己はじっと見ていた。

 だがその目には別のものが映っていた。




 瑛己はそっと胸を抑えた。

 彼の額の汗が、頬を伝って流れる。

 しばらくの間、胸の鼓動は激しく、鳴り止まなかった。

 そっと目を閉じると、また、あの少女の顔が浮かんだ。

 そして、あの日の空が高く高く広がった。



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