『竜狩り士(Dragon_killer)』-3-
ドドドドドド
後ろからの銃撃を寸前でかわし、飛はそのままクルクルと錐揉み気味に降下して避けた。
一瞬、どっちが空でどっちが海だかわからないような感覚に捕われるが、すぐに我を取り戻し、すばやく左右を確認する。
【海蛇】2機に追われながらも。飛は、辺りに気を配る事を忘れなかった。
その理由の最大は、やはり、兵庫が言った言葉。
セピアの飛空艇―――【竜狩り士】、山岡 篤の存在。
瑛己と同じように飛も、ここに山岡の姿がない事にすぐ気付いた。
見間違いだったのかとガックリしたが……。
空を見渡し、飛は、他を確認もせずに操縦桿を手前に引いた。すると今まで彼がいた所を、銃弾が矢となって飛んで行った。
飛は、絡みつく【蛇】など眼中にないかのように、空を見る。
「……変やな」
ポツリと呟くと、飛は操縦桿を右に切った。
山岡 篤の姿はどこにも見当たらない。レーダーを見ても赤い点が光るだけで、もちろん、光るキスマークなど存在しない。
だが、飛は何度も何度も空を見回した。
妙だ……飛はそう思った。どうもさっきから……胸騒ぎがする。
もう一度、意味がないとわかっていても、レーダーを確認する。
そして、勘だけで【海蛇】の攻撃を避けると、また、グルリと空を見る。
(この空には、意思がある)
漠然と、飛は空に何かを感じた。
何かが……息を潜めているような感覚がする。
なぜや? 飛は自分自身に問い掛けた。これほど空は、雑把に燃えとるっちゅーのに……。
なぜか、空は、静かだと思った。
その静けさが、飛の心に疑問を投げる。
「おかしい」
俺と瑛己、【蛇】、空(ku_u)以外の他の意思が、この空にはある。
飛はついに無線のスイッチを押そうとした。
空戦中は、味方の気を殺いだり、敵にジャックされる事を避けるため、極力の無線は控えるようにと言われてきたが。
瑛己に言わなければならないと、飛は思った。
瑛己は、何だかんだ言ってもまだ空戦経験は少ない。技量は認める。だが……。彼には経験によって得る〝勘〟というものが、まだあまりない。
そして、飛の中の〝勘〟は、注意しろと告げている。
「瑛己ッ」
飛は叫ぶようにして言った。
返事がない。飛は苛々と、もう一回名前を呼んだ。
《―――何だ》
すると、ノイズが混じっててもわかる、不機嫌そうな声が返ってきた。
「瑛己、変や。嫌な予感がする、気を」
そこまで言って。飛はハッと口をつぐんだ。
《飛?》
訝しげに、瑛己が問う。
だが飛は一点を見つめ―――目を見開いた。
そこへ、【蛇】の銃撃が唸る。
一瞬の判断遅れから、飛の機体に弾が入る。
ガツンガツンという衝撃に、飛は舌打ちをする暇もなく、上に逃げようとするが、舵が思うように動かない。
(しもた)
何とか機体を大きく左に振って、最悪だけは避ける。
《ザザ……ッ、……かきッ……》
「電波、わるっ」
まずいな……無線の無茶苦茶なノイズ音は、電波だけの問題ではない事くらい、飛にもわかった。
「瑛己ッッ!!」
聴こえてくれ、届いてくれ。
「気をつけろッッ、山岡は―――ッッ!!!」
再びの【蛇】の執拗な攻撃に、飛は大きく舌を打った。
「じゃかぁしぃわッッ!!! だーっとけッッ!!!!!」
それに返事したのは、無線だった。
ザ―――――――。
プッツリと、その音しかしなくなった無線に、飛は唖然とした。
「お前が黙ってどないする……!」
チクショ……! 飛は苦渋に顔を歪めると、空を見上げた。
「飛……、飛」
何度問い掛けても飛は返事をしない。無線の向こうから聴こえるのは、ザーっという耳障りな音だけ。
空を仰ぎ、飛を確認する。煙が出ている。
(撃たれている)
舵がおかしいのが、遠目にもわかる……しかし鬱陶しく絡みつく【蛇】に食われまいと、懸命に飛んでいる。
もちろん、瑛己とて、傍観している余裕などない。
つい先ほど、どうにか手負いの1機は撃墜したものの、もう1機残っている。
後ろをとられまいと走り、ひねりながら、相手の背中を狙う。
【蛇】の姿を目で追いながら、だが、瑛己はふと先ほどの飛の言葉を思い出す。
突然点いた、無線のランプ。聞こえてきた、飛の声。
―――嫌な予感がする。
そしてその後、何か言ったような気がするが……瑛己には、雑音でよく聞き取れなかった。
嫌な予感。瑛己は、ここに飛び込んだ時自分も同じ事を感じたのを思い出した。
「……」
瑛己は空を見渡した。
向こうでは、空(ku_u)が飛んでいる……周りを囲む飛空艇は、もう残りわずかだ。
この空に【蛇】は、兵庫が見た時からすれば3分の1以下になっている。
それは飛も見ているはずだ。それなのに、彼は嫌な予感がすると言った……。
瑛己の胸にも再び、何か妙な感覚が湧き始めた。
「……」
瑛己はもう一度、飛を見上げた。
その時、不意に飛が妙な動きをした。
彼の後ろには、2機の飛空艇……それを懸命にかわし、逃げ、追いながら。
飛が撃った―――だがそれは、その2機とはまったく違う方向。
空に向けて。
―――彼の上を行く、雲、目掛けて。
瑛己は、眉をひそめた。
残る一機の背中を追いながら、だが瑛己の目に、さっきの飛の姿がチラついた。
(なぜ?)
確かに飛は無茶な飛行をする。それは実際よく知っている。
だがあの〝空戦マニア〟が、目的もなく撃つだろうか? 何もない虚空目掛け撃つような事を―――。
瑛己は空を仰いだ。
蒼空、そして雲。ポカリと浮かんだそれが、向こうにある。
瑛己は目を凝らした。
その時、その雲間から太陽が顔を出した。
キラリとこぼれた光に、瑛己は目を細めた。
だが。その光が一瞬、さらに輝きを増した。
まるで、何かに反射するかのように……そう思って、瑛己はハッと目を開いた。
「まさか」
レーダーに、赤のランプは点在している。
だが、その数までは数えなかった。
1つ、その数が、食い違っている事など。そして残るその1つは、ずっとそこに。
その雲の中にあったとは―――。
瑛己は腰を浮かせた。
雲の切れ間からこぼれた太陽と、その端に。確かに彼は、翼を見た。
そしてそれは、間違いなく。
セピア色だった。
「……そろそろかな」
男は口の端を釣り上げると、サングラスを掛けなおした。
その瞬間また1つ、レーダーの赤い点滅が消えた。
男は、操縦桿をグイと押し倒した。
途端、急降下を始める機体に、男はニヤリと笑った。そしてさらに一歩エンジンを踏み込むと、スロットルを跳ね上げた。
「―――!!」
瑛己と飛、二人は共に、雲間から飛び出すセピア色の機体を目にした。
飛は目を見開いた―――まるで、風のように猛然と落下する機体。それ自体が弾丸のように、空を縦に切り裂くその切っ先にあるのは、
「―――空(ku_u)!!!」
真白き翼を持つ、一羽の鳥。
飛は、息を飲んだ。
―――避けられない。
このタイミングは……!! 飛は言葉を失い、ただそれを見つめた。
もらった―――ッ! 山岡の声が聞こえたような気がした。
だが、山岡の銃口が輝いた、次の瞬間。飛は、信じられない光景を目にする。
銃弾が飛ぶ、空(ku_u)目掛けて、一路、まっすぐに。
入った……そう思ったその瞬間。
弾丸と、空(ku_u)の間に、風が吹いた。
それは、青い風。
まるで、空(ku_u)を庇うように……事実。守るように。
その背をさらした、そこに、銃弾は降りそそいだ。
ガンガンガンガン!!!
『竜』の翼に。
その身をさらした青い機体が。
―――聖 瑛己の機体は。小さく爆破すると共に、炎を上げて。
安定を失った機体は、まっすぐ海へと、空を斜めに墜ちて行った。
「瑛己ッッ……!!!!!」
飛は、声の限り、叫んだ。
◇ ◇ ◇
その時の事、そしてその後の事を。後に瑛己は何度も聞かれるが、はっきりと覚えていなかった。
ただ、すべてが夢中の事だった。
山岡が、走っていた。
目指す先に、空(ku_u)がいた。
避けられない。そんな事を思う間もなく、瑛己はスロットルを全開にして翔け出していた。
庇うとか。守るとか。借りがあるとか、何度も助けられたからとか。
そんな事、考えもせず。浮かびもせず。
ただまっすぐに、空(ku_u)を目指した。
次の瞬間、目の前が真っ白になるような感覚を覚えた。
激しく揺すぶられる機体に、瑛己は歯を食い縛り。操縦桿を動かしてもいないのに急速に生まれた落下感に、彼は目を閉じた。
ああ、墜ちる。
思ったのは、それだけだった。
それから。気付いた時には、瑛己の体は勝手に操縦席から飛び出していた。
パラシュートを背負って。
見果てぬ空へと。
カッターシャツが風にあおられ、髪が吹き飛ばされる。
パラシュートが開き、グワンと体が引っ張られ。
次に目を開けた時。
目の前に、セピアの飛空艇が迫っていた。
撃つのか? 瑛己はじっと【竜狩り士】を見た。
途端、別の所から銃弾が、山岡目掛けて降った。
輝くほどに白く、痛いほどに白く、泣きたくなるくらい白い、飛空艇。
瑛己はもう一度目を閉じた。
その瞬間、空(ku_u)に狙われながらもセピアの飛空艇が放った弾が、パラシュートをかすめ切り裂いた。
目を閉じた、その身に。色々な感覚が通り過ぎていった。
風、
落下感、
気分が悪い。
風、
吹き抜ける、
飛んでる……?
翼。
白。
心地のいい、
風。
背中に、
翼が、
はえたみたいに……。
……気付いたのは、波の音。
緩く柔らかな海の声。
瑛己はゆっくりと目を開けた。
ここは、天国だろうか?
苦笑した。
(それも悪くない)
目の前には、真っ青の空が広がっている。
雲一つない蒼空の青。
瑛己はふっと、歌を口ずさんだ。
気に入りの曲。
父が好きだったという、そのメロディを。
(父さん……)
空があまりに青くて、眩しくて。その瞳をそっと閉じようとした時。
瑛己は初めて、そのにおいに気付いた。
天国には不似合いな、何かが燃える……焦げ臭いにおい。
彼は目を開けると、ゆっくりと体を起した。
海岸に広がる砂が、サラリと瑛己の体を流れた。
そして瑛己は言葉を失った。
そこに、白い飛空艇が横たわっていた。
だがその姿はどう見ても、まともな着陸をした体ではない。
片翼にパラシュートを巻きつけ、もう片方はゴキリと地面に垂直に折れている。砕けたプロペラ、ひしゃげた頭部。胴体からは、黒い煙がこぼれるように立ち上がり、尾翼は不自然に宙に浮いている。。
パイロットは……? 瑛己はハッと顔を歪め、駆け出した。
体の節々が痛む。だが構わず、瑛己は機体にしがみついた。
そして、操縦席を覗き込む。
「―――!」
飛行服に身を包んだ乗り手が1人、そこに掛けていた。
「おい! 大丈夫かッ―――!」
声を掛けるが、反応はない。項垂れた首がグラリと揺れる。気を失っているようだ。
このままにしてはいけない。機体がいつ爆破するとも限らない―――瑛己は痛む体で、パイロットを操縦席から引き出そうと試みた。
「クッ……」
幸い、大きな怪我はないようだ……思ったより小柄な体を抱え機体から離れると、瑛己は一息吐いた。
そして改め、その乗り手を見た。
「……」
(これが、あの、空(ku_u)の乗り手……)
心臓が、ドキリと跳ねる。
自分の手に、別の意識でも生まれたかのように。その手は、無意識に〝彼〟のゴーグルへと伸びていた。
胸の鼓動が鳴り止まない。
ゆっくりとゴーグルを外す……。
そして、日の下にさらされたその顔を見て、瑛己は言葉を失った。
「……まさか……!」
その時、意識を取り戻すように、その瞼が深く揺れ動いた。
瑛己は魅入られたかのようにじっと、その顔を見た。
そしてその瞳が開かれようとした……だが次の瞬間。
頭に走った強烈な痛みと共に、彼の意識は暗転した。
◇ ◇ ◇
数分後。
瑛己は、彼を追って駆けつけた兵庫によって助けられた。
だがそこに、白い機体はなかった。
そしてもちろん、空(ku_u)と呼ばれる飛空艇乗りも。跡形もなく、消え失せていた。
だが、瑛己の心に焼きついたものは、決して、消える事なかった。
白い飛空艇、そして。
―――それに乗った、少女の姿は。