15 後宮解散
テレジアが王宮を去った後、後宮はとんでもないことになっていた。
「何故ここだけに雷が鳴り続けるのよ!!」
ありえない程の甲高い荒げた声でセレーネは叫んだ。
テレジアを『女神の眷属の番』でなくなるよう仕向けたあの日から、セレーネは自分の未来が明るいものになると疑わなかった。
夜会夜以降から毎日クロードはセレーネの下へ通うようになり、優しく振舞う姿を見せるようになった。
やっとテレジアではなく自分が見てもらえるようになった嬉しさの反面、急な変化にセレーネは素直にクロードを信じることはできなかった。
これまで四年の間、こちらに見向きもしなかったクロードが突然セレーネに鞍替えするのは、どうしても自分の中の女の勘が怪しいと訴えかけてくる。
(――信じられないなら信じられる状況にすればいいのよ)
三日も経たぬうちにセレーネは動いた。
今クロードがこちらに目を剥けている間に、テレジアの心を完膚なきまでに折ってしまえばよい。―――そう考えたのだ。
どんなにクロードを信じていようとも、彼がセレーネに甘い言葉を囁く姿を直接見てしまえばそれが事実となる。
万が一クロードが何かを企てていたとしても、『逢瀬の現場』を見ればテレジアはクロードの事を永遠に信用することはできないだろう。
テレジアから茶会参加の了承の返事を貰い、セレーネは自分の勝利を確信して嬉しくてたまらなかった。やっと四年以上も耐えた『側妃候補』などという中途半端な立ち位置から解放され、堂々と正妃となることができるのだと。
実際クロードとセレーネの逢瀬を見たテレジアはクロードに失望し、『女神の眷属の番紋』まで喪失させた。それだけでなく、その日のうちに国王に嘆願し、廃妃を賜ったのだ。
クロードがすぐに廃妃撤回を国王へ嘆願し、保留という形に収まってしまったが、肝心のテレジアの心はもうクロードにはない。たとえクロードが拒もうと、テレジアが王宮へ戻ってくることはあり得ないはず。
「~~~~~私の輝かしい未来はここからだったのよ!!―――・・それなのになんでこんなことになっているのよ!!」
テレジアは今の現状が女神の怒りだなどと信じる気持ちにはどうしてもなれない。
本気で正妃になる為に幼少期から厳しい王妃教育にも耐えてきた。
クロードに振り向いてもらえなくとも、父であるバルトン公爵の言葉を信じて自尊心を高めるために必死で食いつくように生きてきた。
それなのに、それ自体が間違いだったなど・・罪だなど認められるわけがない。
テレジアから『女神の眷属の番紋』が消えてから、王宮の空だけがどんよりと厚い雲が覆うようになった。晴れることはなく、蝋燭の灯を一日中灯していなければ宮殿の中を歩くことも困難な程暗い。
これまで後宮で暮らしてきて、一度たりともここまで暗い日が続くことはなかった。
暗雲が立ち込めるようになった翌日には花はしおれ、空気はどんより重く息苦しさを感じた。
侍女や使用人たちまで不穏な雰囲気に踊らされ、『これは女神様の祟りでは?』などと意味の分からないことを言い震え上がる者まで出始めた。
それも仕方ない。
その暗雲は、王宮の上空にしか覆っていなかったからだ。
王都や地方は天気が良く、遠くから眺めるとわかりやすく王宮にだけ暗雲がずっと漂っているのだ。
使用人や侍女たちは徐々に恐怖に支配され、劇的な変化が起こったのがテレジアが王宮を去った翌日だった。
朝から後宮の上空にだけ雷が轟き続けたのだ。
ずっと怯えていた使用人たちの多くは、あっという間に後宮から逃げ出した。
他の宮殿への移動願を懇願するものまで現れる始末。セレーネ以外の側妃たちも、『側妃辞退』を表明して生家へと戻ってしまった。――しかし、セレーネだけは絶対に生家に一時的にであろうと避難するつもりはなかった。
折角手に入れた正妃への道が開かれたというのに、たかが異常気象で怯えてその機会を無駄にするなど考えられなかったのだ。
最初は耐え忍んでいたセレーネの侍女や護衛達すらも、鳴りやまない雷の轟きで徐々に精神を病んでいく。
国王はこの異常気象を『女神の怒り』と判断した。占星術師や教会の司祭たちもそれは同じ考えだった。
明らかな天変地異はそれ以外考えられなかったのだ。
国王は一時後宮を解散する件を議会で提議したが、バルトン公爵やその勢力の大臣たちは結論を出すには早すぎると反論した。
クロードは国王へ『テレジアの廃妃撤回』の嘆願を訴えてから、殆ど王宮には戻ってきていない。連日のようにセイボルグ伯爵邸へ謝罪で通っているからだ。
だからこそ一度後宮は解散すべきと考えた。しかし、天変地異が側妃候補が原因と断言できるだけの証拠もない。
頭を悩ませた国王であったが、その悩みは長くは続くことはなかった。
時間が経つにつれ、なぜか暗雲はバルトン公爵邸の上空にも現れた。
更に、雷が轟くだけでなく、邸のところどころに雷が落ち始め、バルトン公爵家は混乱を極める。
セレーネの暮らしていた後宮も同じように、テレジアが王宮から去って七日過ぎるころには一日に何度も後宮にだけ雷が落ちるようになったのだ。
流石に毎日毎日雷の轟きで眠ることもできなくなったバルトン公爵とセレーネは、精神的に限界を迎えていた。
侯爵も同じくたった数日で、頬はこけて顔色も悪く四十代とは思えない老け込みかたをしていた。
限界を迎えたセレーネはわずかに残った侍女たちの前でも隠すことなく、ベッドの上で掛け布に包まりながらまるで女神に言い聞かせるかのように宣う。
自分の罪を告白し始めたのだ。
「――もういい加減にしてっ!!私は国の為にあの女を追い出したのよ!!殿下にはあんな女より私の方が相応しかったの!!
たとえ女神が選んだ番だろうと、あんな不治の病にも負けかけていた女は国母にはふさわしくないのよ!!お父様と私が直々に神様の代わりに手を下したんだから、こんな天変地異はもうやめてちょうだい!!おかしくなりそうなのよっ!!」
とんでもないことを告げるセレーネの告白は残っていた侍女や使用人が聞き、それはすぐに国王の耳に届いた。
国王はすぐに大勢の大臣たちを招集し後宮へ向かう。行く手を阻もうとバルトン公爵は動こうとしても、国王の勢いを削ぐことはできない。
議会員を引き連れて訪れた後宮は尋常ではない有様だった。
後宮の庭園は雷の落ちた続け見るも無残な荒地のようになっていた。宮殿も至る所に雷の落ちたような跡が幾つもできており、以前の煌びやかな後宮の面影は一切ない。
訪れた者たちは息をのみ、慎重に後宮の中へと足を踏み入れた。しかし、セレーネの部屋を訪れた国王たちが見たのは、精神を病みベッドの上でうわ言の様に「私は悪くない・・私は悪くない・・」と、呟く変わり果てたセレーネの姿であった。
バルトン公爵は慌てて娘の下へ駆け付けるが、すでに父親の判断もつかないらしくセレーネの反応はない。
結局セレーネ本人は、テレジアが後宮から去って二週間経たずに精神を病み側妃候補は辞退せざるおえなくなった。
バルトン公爵はセレーネの姿にがっくりと肩を落とし、『女神の眷属の番』であった当時の正妃テレジアを監禁したり、セレーネの企みで騙したことをその場で自白した。
バルトン公爵の邸は、立て続けに起こった落雷により邸は半壊してしまった。頼みのセレーネまで精神を壊してしまったことで、もう希望がもてなくなってしまったのだろう。
王国滅亡の危機を招いたとして、バルトン公爵はその場で国王から直々に判決が下された。
爵位剥奪の上国外追放となったのである。
セレーネは精神を病んでしまった為、平民となり修道院へ送られることとなった。
テレジアが去って二週間たらずで後宮が解散し、国の筆頭公爵家であるバルトン家門が解体されるなど、誰も予想しえなかった。
そして、轟き続けた雷は断罪後ぴたりと収まったのである。
***
テレジアがセイボルグ伯爵邸へ戻ってから二カ月以上が過ぎ、テレジアの心は少しずつ少しずつ前向きさを取り戻しつつある。
テレジアがセイボルグ伯爵邸へ戻ってから毎日クロードが邸に謝罪に訪れた。しかし、伯爵が頑なにテレジアと会うことを許さなかった為、彼と間違っても会うことなどなく生活が出来ている。
ただ、うっかり外に出て鉢合わせするのは困るので、ほぼ毎日邸宅の中で過ごす毎日ではある。
伯爵が娘の憂いを祓うため、週に何度も様々な商人を呼んだ。
おかげで綺麗なものや珍しい物に触れる機会は邸の中にても多く、テレジアの心は少しだけ『楽しい』という感覚も味わえるようになってきた。
マックスもテレジアがセイボルグ伯爵邸に戻ってから、週に何度もテレジアに会うために訪問していた。2人きりで会うことはなく、テレジアの妹やセイボルグ夫人も同席でのお茶会だ。
幼い頃から唯一テレジアと長い時間を過ごしてきたマックスは、テレジアの心の傷を受け止めるだけの信頼を得ていた。
今日もマックスはテレジアとセイボルグ伯爵夫人と三人で温室でお茶会を楽しむ。
「――あの・・クロード殿下は最近も我が家へいらっしゃっていましたか?」
こっそりと母であるセイボルグ伯爵夫人にばれない様にマックスに耳打ちする。
コクリと頷くマックスであったが、その表情はどうも冴えない。
――何かあったのかしら?
セイボルグ伯爵家では、クロードの話は禁止の扱いになっていた。
クロードの名前を聞くたびにテレジアが反応してしまい涙したからだ。
家族は心配し、テレジアの前では一切クロードや王家の事は話さないことにした。しかし、流石に全くクロードの話を聞かない日々が続くと、テレジアも心配でたまらなくなってしまう。
それが彼を愛するが故なのか、会うことを拒否し続けた罪悪感からなのかテレジアにはわからない。
しかし、一国の王太子が連日伯爵家に謝罪に訪れるなど普通はあり得ないことだということは理解している。一週間続けて謝罪訪問されたのを聞いた際には、罪悪感を感じ名前を聞くたびに涙してしまった。
クロードの話が出なくなり一カ月過ぎて心も落ち着いてきたテレジアは、クロードが毎日欠かさず伯爵邸に訪問してくれていたことを知ってしまった。
それは、テレジアが幼馴染としてクロードが元気にやっているのか気になり、マックスにこっそりと聞いたことで発覚した事実だった。
マックスは『言わない』という選択もできただろう。
それでもマックスはテレジアに真実を教えた。悩みつつもテレジアが知りたいことに対して嘘をつくべきではないと思ったからこそだった。
テレジアは罪悪感を感じたが、一カ月以上続く謝罪訪問を知って罪悪感とはまた異なる感情が心の中に生まれたような気がした。
――なぜそこまでしてくれるのかしら・・
聞けばセレーネ・バルトンは、後宮にはもういないらしい。ほかの側妃候補たちも側妃候補を辞退し、後宮は一カ月以上も前に解散したそうだ。
折角テレジアが身を引いたというのに、何故そのようなことになったのか理解できなかった。
なぜクロードが毎日謝罪に訪問してくれているのかも理解できなかった。
真面目だったクロードが王太子の職務を放棄して邸に訪問することも理解できなかった。
いつからか裏切られた悲しみよりも、『なんで?』という疑問感情のほうが強くなっていた。
最近ではマックスにこうしてこっそりとクロードの事を聞いているのだ。――しかし、今日はマックスの様子がおかしい。
「マックス様?・・・・殿下は何かあったのですか?」
どうしても気になって、セイボルグ伯爵夫人の前であるにも拘らずクロードの事をマックスに問うてしまう。
「・・・・知らない方が・・良いこともあるのではないでしょうか・・」
マックスの言葉に言いようのない不安が込み上げる。
いつもならそのような返事はしたりしない。明らかに隠したいことがあるようにしか思えない。
「マックス様、私は事実が知りたいですわ。教えて下さいませんか?」
マックスはセイボルグ伯爵夫人へちらりと視線を投げると夫人が頷いたのを確認して深く溜息を吐き出した。
「―――二日前、殿下は意識不明で倒れ、・・・・今は自室で療養しておられます」
「―――なんですって!?」
がしゃんっと音をたて、掴んでいたティーカップは温室の固い石畳の床に落ちた。
美しい陶器のティーカップは割れて破片が飛び散る。しかしそんなことには目もくれず、テレジアは顔面蒼白で驚愕の眼差しをマックスへ向けたのだった。




