三人目の女、斬る
「あたし、これからはいぴーのこと、殺さなきゃいけないんだ。聞いてるでしょ、刺客の話。あたしはその三人目」
「え?」
「ひとけのないところに連れ出してくれてありがと。おかげでこっそり殺せるね」
肺助が動く前に、夜風和留はふわりと離れ、再び手すりに体重を預けた。
背後に勇壮たる山々の緑、そして青空。その中に、夜風和留は、ぱっと手を上げる。
瞬間、どこからともなく真黒で大きなボストンバックがその手の中に投げ入れられた。
「な、なにが……え、っていうか、だれ?」
投げ入れられたのは間違いないが、それにしても凄まじい遠投であった。肺助をしても、『もう一人』の位置を察することができない。
「なるべく、幸せな気持ちで殺してあげたいなーって。呪術師は何人も殺してきたけど、おっさんとかばばあばっかで、そういうのはもう楽しいことはしてきただろうし未練もないかなーってさくっと殺したけど、はいぴーは違うじゃん。だから、できることはしてあげたかったんだ」
そういいながら、夜風和留はボストンバックを開き、中から一メートルと少しぐらいの長さの、白い布に覆われた何かを勢いよく取り出した。ついで、一緒に入っていた教科書やノートがばらばらと地面に落ちた。
しかしそれらを気にも留めず、和留は紅潮した頬を誤魔化すように顔を何度か振りながら、その白い塊を解き放つ。
――合儀肺助にもわかる。それは、日本刀であった。否、ただの日本刀ではない。これは、大業物といって十分すぎる逸品である。
まるで穴のように見える見事な黒蝋塗りの鞘。闇より深く沈んで見える黒に、雲文の蒔絵が浮かぶ。銀象嵌で装飾の繊細な鯉口に続き、輪宝文を透かした鍔。そして柄といえば、黒鮫皮。紫紺の絹糸で柄巻としている。
「鬼退治も妖怪の調伏も、呪術師なんていらないっしょ。頼光四天王然り、その昔から化け物退治はこれでいい」
肺助はなぜか、反射的に悲鳴を上げたくなった――夜風和留が刀を抜く。植物の蕾が乱れ伸びるように見えるとして丁子乱れと呼ばれる刃文がじゅるり、と光る。
「厄も呪いも神霊も、極めた剣と人に勝るものなし。〈斬り祓い屋〉夜風和留。合儀肺助に恨みはなかれども、頼みに依って、そのお命頂戴いたす」
歴史的に見ても『そういうもの』を退けるにあたり、最古にあたるのは刃であろう。神社には刀が奉納され、厄除け然り方角へ刃をふるうことも珍しくはない。
――とはいえ、彼女はその窮みにあると肺助はすぐに理解した。
刃を向けられただけで、肺助が信じ、実行してきたあらゆる儀式が断ち切られていく思いがする。
夜風和留は刀を全て抜き放ち、その切っ先を対手へ向ける。そのまま、三メートルほどの距離を開けて、合儀肺助をしかと見据えながらゆっくりと腰を落とし、黒くて美しい鞘をそっと、音もたてずにしっとりと、地面に置く。
肺助は唾を飲んだ。刃を向けているとはいえ、最大の隙と言っていい瞬間だったが、どうにも彼女の気迫に押され、何もできなかった。
そのうち、和留は両手で柄を持ち、それを下段に、否、無造作に刃を右下に流し、膝の前に置く。
――無構え。剣を持つにしても、あまりもゆったりとした構えであった。
しかして一瞬。彼女は剣を振り上げることなく、くるりと背側に切っ先をまわし、肩口に遣ると、その勢いのまましゅん、と肺助を斬った。その動作は流れに等しく、振り上げて振り下ろす、という二つの動作を捨てた『一』の動き。
とはいえ、それだけで、あはれ、合儀肺助はその命を散らしたのである、とはさすがにならなかった。
(動ける)
と、夜風和留は思った。刃が己の身をかすめる寸前、ほんのわずかな動きで避け切ったのだ。和留自身、間違いなく合儀肺助を斬れた、と確信するほどに。
ばらがん、と、刃を代りに受けて切り崩れるベンチをよそに、すでに夜風和留は次の一刀に入っていた。振り下ろした形から連なる動きで剣を左肩口に遣り、突き出すように振り下ろす。和留から見て右に逃げ延びた肺助を、剣心一如となった彼女が追う。
呪術師は、こういったときなんとか呪文を唱えたり印を結んだり、呪符をもって抵抗するが、どの選択肢にしたって『時間』がいる。そして、それがたった一秒ほどであろうと、与える夜風和留ではない。
(とった!)
彼女の剣術は相手を斬る、という動作の外にある。斬るためにまず存在する『構え』を廃し、その動きをすべて『斬る』に転換している。振り上げるもまた斬、振り下ろすも当然斬、向き直るも斬、見据える動きにすら斬を纏う。斬り続ける剣、それが夜風和留の剣術である。
たかが呪術師如きに後れを取ることなどありえない。
「刃を禁じる」
だが、合儀肺助は夜風和留の刃を零点三秒手のひらで受けた。この地においてですら、肺助の禁歌は夜風和留を前に一秒として効果は持たなかった。だが、それで充分であった。
問題は、夜風和留が合儀肺助に一言喋る余裕を生んでしまったこと。その原因は、彼の手の中にあった。
――夜風和留の生徒手帳。
おそらく、鞄から剣を取り出したときに落ちたもの。それを肺助は避けるついでに拾っていたのだ。それを彼は和留に突き出し、剣を受けようとしたのだ。夜風和留はそれを切れなかった。故に呪いを口にさせる隙が生まれてしまったのだ。
(あり得ない、あたしが生徒手帳を切るのに躊躇いがなければ間違いなく指も手首もその頭までなで斬っていたのに!)
本来なら、相当な博打となる動きであった。だが、それを合儀肺助は難なくやって見せた。
そして、当の肺助はすでに、素早く刃から手を離し、返すように和留の手首を掴んでいた。肺助も当然母より体術は習っている。対剣の心得はある。そして、夜風和留もまた、徒手の相手に組み付かれた際の対処法を知っている。その結果、二人は剣を軸に組み合ったまま、有利な位置を探って、その場をぐるりぐるりと回り合った。
「なんで! この……!」
夜風和留の顔が歪む。現代に生きる妖怪変化を十六、呪いや生霊なら百数、そして何十人という呪術師を斬ってきたが、組み付かれたのは久しぶりであった。夜風和留は剣術に身を捧げ、その力は同年代の少女達をはるかに凌駕し、男にだって負けることはない。だが、そんな彼女が、体術と筋力で拮抗、否、振り回されようとしている!
――この、訳の分からない禁歌なる呪術を生業としている呪術師に!
同時、和留は何とか肘を入れて隙間を作り、合儀肺助の口を塞ぐために手を伸ばした。しゃべらせてはならない、呪いを告げさせてはならない。だが、それが一瞬遅かった。
(刃を禁じる、呼吸を禁じる、手を禁じる、どれであろうと今の自分にとっては一秒未満でも命取りになる!)
しかして、夜風和留の動揺に対する返事は、彼女の予想を超えていた。
「夜風和留の、隠し事を禁ず」
「え、なに、それ……」
和留は思わず目を見開いた。
そのとき、肺助の足が和留の踝を刈り取るように動き、続いて彼が体を反転させれば、彼女の体は躍るように崩されて、地面に押し倒され――る前に、肺助は腕をひいて、すれすれにとどめる。ただし、その時彼女の手首はあまりにもあらぬ方向にねじられたおかげで痛みを生じ、堪らず和留は剣を手放した。
大業物は、ど、と地味な音を立てて地面を転げた。
「夜風さんのお母さんには悪いですが、別に何か問題があったって、抱き着きあうぐらいじゃ何も解決しません」
「は、はあっ?」
和留は吼えるように言う。肺助の手に吊り下げられるような姿勢、彼女は肺助の歪んだ顔を見上げることしかできない。
「正直、夜風さんみたいな人は苦手でしたが、話してみたら……その、そんなに悪い人じゃないって思いました。だから、おれは、夜風さんが何かから逃げているなら、助けたいです」
「あんた、あたしの何を知って……」
「さっき触ったとき、わかりました。ただの鍛え方をしている人じゃないって。それに、髪の色だって、おれなんかじゃ想像もつかない修行や怖い思いをしたから真っ白になったのを、染めたんですよね。その化粧だって、異常な環境でそこまで修行したからなった日焼けを誤魔化すためじゃないかって、近づいたらわかります」
「え……嘘……いや、何を言って……」
しかし、そういいつつも、早まる鼓動と、熱を帯びる頬だけは現実だった。
「修行の時間だけならだれにも負けないつもりでいましたが、多分夜風さんには勝てません。だからこそ、知りたいんです」
肺助の視線は、夜風和留の身体情報を通じ、はるか遠く、彼女の生い立ちや思いすら見据えているようだった。
(なんであたしが急にこんなに動揺しなくちゃなんねえの……?)
そうなると、急に裸にされた気がして、和留は無言で顔をそむけた。
「でも、夜風さんは、生徒手帳を斬れないぐらいには優しい人で、リオちゃんのことも見捨てられないし、悪い人じゃ、ないですよね」
「……」
「だから、隠し事しないで教えてください。何が夜風さんを追い詰めて、おれを殺すに至ったのか、隠さずに」
「そ、そんなこと……」
「それから、死んであげるわけにはいかない。おれはもう一度、夜風さんみたいに、母さんや、いろんな人と喋らないといけないから」




