借りとか貸しとかなしにして
(急に、一体どうしたんだ?)
肺助は無意識のうちに鼻を擦りながらそんなことを考えた。一方の黒ギャル=夜風和留は、今にも泣きそうな声になっている。
(情緒不安定か?)
肺助は困惑した。しかし、そんな肺助の気持ちなど知る由もなく、黒ギャルは鼻をすすりながら次のように言った。
「リオちゃん、駅前で一人で泣いててさ。すぐに迷子だってわかって、流石に見てらんなくて、助けてあげたくて……」
それに変な田舎の因習村みたいな場所で悪いおっさんに連れていかれたらと思うと任せらんないし……と失敬なことまでぼそぼそと付け加える。
(もしかして横溝正史を解するのか、この黒ギャルは)
彼女の見た目のとのギャップに、思わず肺助は驚いた。
「いや、仕方ないというか、しょうがないというか……それにリオちゃんはお母さんに会えたし、いいじゃないですか」
黒ギャルをフォローする謂れもないのだが、随分と縮んで見えた彼女の姿故、肺助は反射的にフォローを入れる。
(いや、この黒ギャルはテレビ番組のような理解不能な行動などほとんどせず、真摯にリオちゃんの母親探しをしていたし、あの奇矯な発言も場を和ませるためだとしたら、怖がるなんて失礼だ)
「でも、全然この辺あたし詳しくないし、周りの大人はみんなみてるだけだしさ。どうしたらいいか困ってたら、はいぴー来てくれて、ほんとに助かった……嬉しかった」
急に泣き崩れるようにその場に膝をつかれては、肺助もまた屈まざるを得ない。
「まあ、もう終わったことなので……」なんと慰めたらいいのやら。肩や背に手でもやったらいいのかもしれないが、どうしたものかと肺助の手は中を浮く。
「怖かった……リオちゃん助けられなかったらって……」
迷子一人に何を言っているのだろうか、と肺助は内心思ったが口にしないことにした。
「それから、急に、嫌だったよね、あたしなんかと、ああいうさ……」
あたかも付き合っている(付き合っていない)ように振舞わせてしまったことについての謝罪だろう。
「いや、別に……なんか最近そういうこと増えたし……」
急に結婚したり、家の中に幼馴染が住み着いたり……そもそも、そういうことから慌てて逃げてきたのだ。それを思い出すと、肺助は自然と顔を歪ませていた。
「あ、やっぱはいぴーってモテるわけ?」
「違います。それじゃあ、借りとか貸しとかどうでもいいので」
肺助はいよいよ慌てて背を向けた。主に、自分の中の今まで固辞してきた価値観が揺らぎ、崩されそうになったからだった。
(このままでは、この黒ギャルさん、というか夜風さんになんかこう、なーんかこう! 良からぬことを考えてしまう気がする!)
肺助は脳裏に一度、夜風和留が屈んで見上げてきたあの姿を思い出した。ぱっちりとした、睫毛に強調されたきらきらとした瞳。伸びきった制服の赤いリボンの視線誘導に任せて自然と覗き込んでしまった、案外ある胸の谷間。それからちらりと見えた黒いブラジャー。
(しまった、忘れろ!)
肺助は首を振った。対して、和留はぽつりと言った。
「でも、なんか辛そう……はいぴーの心が」
「え?」
肺助を見上げる彼女にはしかし、浅薄な同情などではなく、深い思慮が見て取れた。
「あのさ、はいぴー。じゃあ、借りも貸しもなしにしてさ、ここにもう一人迷子がいたら……どうする?」
肺助は、目の前の黒ギャルを凝視せざるを得ない。彼女は今、リオちゃんと一緒だった時の快活さを潜め、もじもじと両手を胸の前でからませて、伏目がちに肺助の様子をちらちらと見ている。
(最近はなんかこういうとき、掴み掛ってくるタイプばっかりだったからなんか、こう……)
不思議と、肺助は自身の心臓の音が高まっていくのを感じた。
「あたし今、いろいろと事情があって、家に帰れないっていうか、帰りたくなくてさ……この辺のこと、いろいろと教えてくんない? ……くれませんか?」
明るい声の奥に、わずかな震えがあった。黒ギャル=夜風和留は静かに唾を飲み、見るからに緊張しながら、肺助にそう訴えた。




