その女の名前はリオ。多分もう出て来ないけど
「こんな朝っぱらからやってるお店なんて商店街にもないし、あるとするなら駅の中の売店か、その辺のコンビニだけど」
「そのお菓子は地元の製菓メーカーがつくってるやつだから、ここに来る前に買ったとは思えない」
「一か所、大きめのコンビニにはそういう商品を扱っているのがあるから、そこに行く」
「へー、詳しいじゃん、すごいね、おにーちゃん!」
黒ギャルは手を繋いだ少女へ笑いかける。迷子らしい少女と黒ギャルは、すっかり仲良くなったようである。一方、合儀肺助はというと、顔を真っ赤にして少女の隣を歩いていた。
「それで、あの、おねーさん……なんでおれも手を繋がなくてはならないのでしょうか」
少女の左手を肺助が、右手を黒ギャルが取って歩くという、謎の三人行列。
「別にいーじゃん。そっちのほうが楽しいよね、リオちゃん」
「うんっ!」
(落ち着けこれはエリア51の宇宙人とメンインブラックスタイルだと考えるんだ)
肺助は目を閉じて深呼吸し、自身の混乱を静めようと必死だった。
少女を真ん中に手を繋ぐ三人組。傍から見れば仲良し家族にしか見えない。否、多分実際にそう見えているのだろう。夫婦はないにせよ、仲の良い三人兄弟には見えるはずだ。すれ違う人々が微笑ましそうな目を向けてくる。
「仲のいい兄妹ね」
「なかなか奇抜な見た目のお姉ちゃんだけど、笑顔なんかは結構かわいいじゃない」
「妹ちゃんも楽しそうだし、微笑ましいわね」
「お兄ちゃんの方は緊張しているのかしら? 逆にかわいい」
(やめてくれ、誤解を生むな!)
「コンビニに行く先に交番もあるので、駄目だったら素直に交番に行きます」
肺助は何とか落ち着きを払って言う。
「そっか、ケイサツかー!」
忘れていた、と言わんばかりに黒ギャルが言う。肺助は内心溜息をついた。
「普通は、真っ先にそっちでしょ」
「ごめんごめん、でも、泣いているリオちゃん見てたら、あたしが何とかしてあげたくなっちゃって」
「だとしても、警察が一番頼れると思いますよ」
「もー、おにーちゃんはかたいなー。でも、なんかそういうの新鮮かも」
急に熱い視線が頬に刺さった気がして、肺助は思わず顔を逸らした。
「なに、照れてんの? かわいい!」
そんな肺助の反応に黒ギャルが笑う。その横で、リオがきらきらした目で二人を見ている。
「ねぇねぇ、二人って付き合ってるの?」
「急に何の話を!」肺助は飛び上がり、慌てて否定する。
「違う! 全然違う!」
「えー、どうかなー、リオちゃんにはどう見えるわけ?」にやにやと笑いながら黒ギャル。
対して、一瞬だけリオちゃんはきょとんとした表情であったが、急に口元を引き締めた。
「あ、そうか。これは……そういうことか」
そんな黒ギャルと肺助の様態を見て、リオちゃんは目を伏せて深く頷く。
「こういうシチュエーションは、両思いだけど言い出せない、付き合う前の男女二人の心の距離が急接近するときのイベントにありがちな奴か。すなわち、今リオが求められているのは、幼さを装った二人のためのムフフハプニングイベントのきっかけづくり……」
「あの、リオちゃんはおいくつですか」
「五歳!」
「絶対嘘だろ」
「リオちゃんはすごいねー。結構当たってるわ!」
「どこの何が?」
「ほんと? やったー! じゃあリオ、頑張るね!」
肺助を置いて、黒ギャルとリオちゃんはきゃっきゃと騒ぎ立てる。
「でもさ、ほんとに、あたしのこと怖がらないで話してくれたし、見た目は地味だけど、おにーさんは結構ありかなー」
急に顔を引き締めて肺助のことを黒ギャルは上目遣いで伺った。肺助は慌てて視線を前に戻した。
「さっきのおっさんどももそうだけどさー、あたしの見た目だけで電車の中でも距離取ったりするやつ結構いるし。おにーさん的にはあたしってどう? 需要ある?」
「本当にマジでやめてください」
肺助はなるべく平静を装いつつ、深く息を吸って言い放った。
「おにーちゃん、顔まっかー!」
ところが、そんな態度もリオちゃんの一言につき崩される。途端黒ギャルが吹き出した。
「リオちゃん、センスあるわー。おねーさんも最初からそう思ってたんだよね!」
気が合うー、なんて言い出す。
「違う! 勘弁してくれ……」
完全にからかわれている。だが、不思議と怒りは湧かなかった――少なくとも、もはや理解を超えたあの家の空気よりも、ずっと居心地はよい、そんな気がした。
だから、今度は肺助をそっちのけで盛り上がる二人を、ついつい優しく見つめてしまう。
「で、リオちゃんはカレシいんの?」
「え、リオは……」
「え! いるの! すご! あたしいたことすらないのに!」
そんな会話も早々に、やがて三人はコンビニに到着した。すると、肺助の目にも異常がわかった。一人、三十代ほどの女性が店の前で右往左往している。だが、誰よりも先にそれに気づいたのは、リオちゃんであった。
「ママ!」
そう声を上げて、肺助と黒ギャルの手を引いて走り出す。リオちゃんの母親らしい彼女は、突然走り寄ってくる三人に目を丸くした。
「リオ! どこ行ってたの! 久しぶりにおばあちゃんち行くから、離れちゃだめって言ったでしょ!」
「ごめんなさい……でも、このおねーちゃんとおにーちゃんが助けてくれたの!」
母親は黒ギャルを見るなり一瞬目を丸くした。だが、リオの手を握るその姿に、すぐに頭を下げた。
「本当にありがとうございました……」
「全然いーっすよ。泣いてたら放っとけないじゃん」
黒ギャルは少し照れくさそうに笑った。そして、肺助も黒ギャルも手を離す。母親はもう一度深く頭を下げ、リオちゃんを抱きしめる。
小さな騒動が、やっと終わった。
自然と肺助も黒ギャルも顔を見合わせて微笑み合っていた。
「よかったね、リオちゃん。ママ見つかって」
「うん! ありがと、おねーちゃん! ……あと、おにーちゃんも!」
そしてリオは、にやりと悪戯っぽく笑った。
「ママ! 二人は付き合ってるんだって!」
「あら、そうなんですか? すみません、デートの最中でしたか?」
急にリオちゃんの母親がにやにやと笑みを浮かべるが、すぐにはっとして顔を伏せた。
「今日は平日、学校が始まっているはずの時間に二人でうろつくなんて、学校さぼって朝からそんな……若い、若いな……これが青春か! ああ、破廉恥! 田舎破廉恥!」
そうえいば駅の裏側にはラブホテルが……などと言い始めるのだから肺助は動揺した。
「違います!」肺助は手を振り回して否定した。
「あーあ、否定されちゃいましたー。ママさん、こっち、恥ずかしがってるだけだと思うんですけど、彼とここからどうすればいいっすか?」
「振り向くな、押して押して押し通れ」
「パワープレイ過ぎるだろ」
「ガチ、勉強させていただきました」
二人のやりとりに、リオはキャッキャと笑い、そのまま母親に連れられて帰っていった。
その背中を見送りながら、肺助は小さく息を吐く。心からの安堵であった。
「でさ、おにーさん、名前は?」
「合儀、肺助です」事件が解決したことからか、肺助はあまりにも自然にそう答えていた。
「へえ、変な名前。じゃあはいぴーね!」
「はい、ぴー?」
妙なあだ名をつけられ、肺助は呆然とした。
「あたしは、夜風和留。ごめん、変なことに巻き込んで」
そして、急に殊勝にも黒ギャル=夜風和留はきちんと頭を下げて謝り始めたので、肺助は困惑した。その深さたるや九十度近く。
一瞬、彼女の使う濃い香水かシャンプーかはたまたコンディショナーなのかなんなのか、肺助には一切理解できぬ、花や砂糖を彷彿とさせる香りが鼻腔に広がる。
「ちょっと、お願いしたいことがあるんだけど」
黒ギャル――夜風和留は、いつになく真剣な目をしていた。
「……あたし、はいぴーに助けてもらった借り、返したいんだ」
それが普通のお願いじゃないと、肺助はすぐに悟った。




