ナイスナイススイングスイング正隆正隆
「待ちたまえ!」
阿賀谷戸命香がスマートフォンを操作しだす段になって、初めて正隆は動揺を示した。
「あいつを二人にして、それでなにがどうなるっていうんですか」
肺助も同じく、額に汗を浮かべて命香を見る。だが、二人の焦りは別の軸にあるのは言うまでもない。
「ナイススイング正隆が二人いると、ゴルフ場を建設した際に神が二柱生まれるか、或いは儀式自体が失敗する。そうでしょう」
命香は正隆に言い放つ。
「別の土地ならまだしも、一つの土地に同じ神を二柱も降ろすことなど難しいし、前例が少ないことは呪術においてリスクが高い! おそらく失敗するだろうね」正隆は歯噛みした。
「一か所で複数の神様をお祀りすることも少なくないですが、別の神ならまだしも、全く同じ神を二つも祀るなどは流石に困難でしょう。それに、あなたの性格上、二人も自分がいたらしょうもない争いを始めるでしょうし」
「それになにより、わたしが面白くない!」
正隆は声を張った。命香はついつい微笑した。
「だから、交渉です。これからわたしは二人目のあなたを呼ぶ。儀式のためにもあなたはノツルさんの呪いを解くしかない。そして、それを確認したらわたしはスマホを破壊します。これで解決ですね」
命香はなんてことない、といった表情で言い切った。だが、肺助だけが眉間にしわを寄せている。
「待ってください。じゃあ先輩が今度は呪われたままじゃないですか」肺助は思わず噛み付いた。
しかし一方の命香は、相変わらず落ち着いて答える。
「そうです。だから、わたしはナイススイング正隆へ、阿賀谷戸命香が依り代になるよう、呪うことを許容します。だからどうか、ノツルさんの呪いを解いてください。完全オリジナルの真言をベースにした呪いは、わたしのどんな知り合いを頼っても解けないでしょうから」
そこまで言って、命香は大きく深呼吸した。彼女は肺助ではなく、正隆をまっすぐと見つめ、言い放つ。
「これが、わたしの交渉です」
一方、ナイススイング正隆は顎に手を当てて思案していた。その隙に、肺助は大声で言う。
「なんで先輩が犠牲にならなくちゃいけないんだ。それは違う!」
肺助は命香の正面に回り込んだ。到底、納得できる『交渉』ではない。だが、命香はつんとした表情のまま。
「きっとこの先、わたしはこの山をゴルフ場に変えたくて仕方がなくなったり、毎朝毎朝、ゴルフしようぜ! とか騒ぐ、ナイススイング正隆の怨霊をよく見ることになるでしょう」
「嫌すぎる……」
「ですが、仕方のないことです。呪術師をやっていれば、面倒な呪いと共存することなど、よくあることでしょう」
「そんな……」肺助の顔に、露骨な動揺が走る。
「それに、そもそもわたしは『よそ者』でしょう。あなたのいう、守る対象には含まれていないじゃないですか。だから、気にしないでください」
その言葉に、肺助は一瞬詰まった。命香はふ、とその様子を鼻で笑い、ずい、と肺助を押し退け前に出た。
「さあ、どうしますか。あなた個人のデジタルデータをもとに作った式神です。事故防止のためにも、呪符代わりのスマホは二台もないはず。もう、提案に乗るしかないでしょう」
「あったら、ノツル君からスマホを奪う努力もしていないからね」
そういって、正隆は改めて眉を顰めて、ついに答えを出す。
「わかった。ノツル君の呪いを解こう。そしてこのわたしは消滅する。ただし、勿論、君がもう一人のわたしを呼ぶのが条件だ」
「交渉成立ですね」命香は毅然と言い、スマホをいよいよ耳に当てた。
「待って……」肺助はいよいよ涙を浮かべて言う。懇願に近い。だが、その言葉すら、遮られた。
「ちょっと待ったああああ!」
その時、明朗な少女の声が山野に響いたからである。
はっとして振り返った二人と一つのスマホ式神は、その様子に目を丸くした。
熊の形をしたスマホ式神〈ハヤト〉であった。〈ハヤト〉は真っ直ぐ命香へ向かい突進する。その雄々しき様態に、命香は思わず腰を抜かし、それを肺助は突き飛ばして錫杖を向けた。だが、〈ハヤト〉はそれと衝突することなく立ち上がり、その口を大きく開け、火花の混じった灰を含む煙を大いに吐きつけた。
「なんだこれ!」肺助は思わず顔を覆い下がった。命香も同じだった。二人が慌ててこの煙幕から逃げ去ったとき、命香はすぐに異常に気付いた。
「スマホがない!」
「ありがとう、〈ハヤト〉」
焦る命香と対照的に、明るい声が木立を揺らす。二人から二十メートルほど離れた先に、瀬路原ノツルは、その手にスマホを一つ収めていた。そして、ぱん、と手を打った。
「〈ハヤト〉はお仕事ご苦労!」
主人=瀬路原ノツルの言葉に従い、スマホ式神〈ハヤト〉はあっさりと消滅する。
「……おえ、同時に二つも出すと、本当に死にそうになるね」
瀬路原ノツルはえずいた。すでに顔は蒼白、大粒の汗をびっしょりとかいている。だが、それでも何とか姿勢を維持し、受け取ったスマホを傍の木に押し付け、固定する。
「でも、これで全部終わり。肺助と先輩はスマホを奪ってくれてありがとう。場所を教えて正解だったね。それじゃあ、正隆さん、なんか色々あったけど、お疲れさまでした」
そう笑いかけながら、ノツルは小さな鞄から金槌を取り出すと、それをまっすぐ振り上げた。
「それから、これからも呪いとしてよろしく。お手柔らかに」そう言って、振り下ろす。
「瀬路原さん!」命香が悲鳴に似た声を上げたのと、ほとんど同時。
「――瀬路原ノツルの『破壊行為』を禁じる」
その呪いがノツルの動きを止めた。
「肺助?」ノツルがはっとして肺助を見た。
肺助は既に走り出しており、命香やナイススイング正隆を追い抜いて、ノツルに迫っていた。ノツルは反射的に、スマホを奪われまいと背を向けようとした。
「ノツルの、おれから『逃げる』ことを禁じる」
途端、ノツルの動きが止まった。
「それをこっちに! 助けるから!」 肺助は汗をぬぐいながら手を伸ばす。ノツルに向けて。
「――はい」
不思議であった。もう、この呪い合いのすべては、自分が被れば全部丸く収まるはずなのに。そう覚悟してきたはずなのに、ノツルはスマホを、合儀肺助に手渡していた。
(あーあ、やっぱり、わたしは駄目だな)
とノツロは思った。
一方、肺助はそれを受け取ると、使い方のさっぱりわからないそれを適当にタップし、なんとか通話アプリを起動した。
「はい、こちら合儀肺助と言います。えっと、ナイススイング正隆さんのお電話でお間違いないでしょうか。はい、はい、それでは一人、よろしくお願いいたします」
まるでピザでも注文するかのような気軽さであった。
「ちょっと! それじゃあ肺助さんが!」
「頼む頼む頼む男に呼ばれるのは面白くない……!」
他方、一人の呪術師と一人のスマホ式神は大いに焦りだす。だが。
「うーん、だけどさ、呼ばれてしまったからにはでるしかないよね。使役されるのが式神だから。死んだ後、誰に呼び出されるかもわからないし、気軽にできるよう設定したのも、『君』だろう? 二人のわたしが呼ばれることも仕様通りのはずだ」
そんな彼らの目の前に、もう一つのナイススイング正隆が立っていた。まるで、肺助を庇うような立ち居であった。
「もう、滅茶苦茶……」命香と正隆は呆然として呟いた。




