みんなの山
「……だからさ、肺助の山は、肺助だけのものじゃないと思うな」
「え?」肺助はノツルの顔を凝視した。今俯いている彼女の顔は影になっていて、表情はわからない。
「大変だったら、ちゃんとわたしにも言ってよ」
しかし、見えない彼女の表情の上に、涙が滲んでいるのを肺助は見た。
「瀬路原……」
「肺助が、わたしに相談してくれなかったのは、わたしが戦えないから?」
「そういうわけじゃ……」そもそも、他所の呪術師がやってきたのは昨日今日の話でもある。だが、たとえそれが一週間前だろうが、一年前だろうが……と肺助は思考を巡らせていた。それを察したのか、ノツルは言葉を震わせながら次のように言う。
「肺助、わたしも戦えるんだよ」
ついにノツルは両手で肺助の手を握り、真っすぐ彼の瞳を見る。
「だから、これからは一緒にわたし達の思い出、守ろうよ」
「それは……」しかして、肺助の頭に躊躇が浮かぶ。
(あの熊みたいな式神は確かに強そうだけど……ノツルをこういうことに巻き込んでいいのか?)
肺助は唇を噛んだ。
「もう、肺助は、いつもこういう時の判断が鈍いなあ」
露骨に表れた躊躇い。それに対し突然、ノツルは溜息のような声を吐いた。
「ま、どうせ、肺助はわたしを頼らざるを得なくなるだろうけどね!」
そして、肺助の返事を待たずして、急に手を離して瀬路原ノツルは立ち上がった。
「ねえねえ、なんかお腹空いたし、ご飯食べて帰ろ!」彼女は夕日の方を向く。表情はわからない。ただ、所在無げに半開きになった手を揺らす。
対して、いきなりのことに肺助はやや気が動転していたが、一呼吸して冷静さを取り戻す。
「っていうか、最初はそういう話じゃなかったっけ。あ、そういえばあの結界に閉じ込められてたとか、そういうのはどうなってんだよ」
肺助はいろんなことを思い出しつつ、立ち上がる。
「それは……わたしもこう見えて、凄腕の呪術師だからね。あんな結界ぐらい、どうってことないし! じゃあ、行こう!」
ノツルは元気にそういって、目を袖で一擦り。外跳ねの強いショートカットの髪を揺らして肺助の手を引いた。ところが、その場でずるり、と足を滑らせてバランスを崩す。
「あ」
「おい!」
しかし、地面に背中がつく前に、肺助は素早くノツルを抱きとめた。二人の視線が交差する。両腕の中のノツルは、さっきまでの自信に満ちた様態に反して、随分と華奢だと肺助は思う。制服の下、幾重の布の下に、健康的な皮膚と薄い脂肪、筋肉そして、食い込んだ自身の指先に熱を感じる。陸上で鍛えているとはいえ、あまりにも柔らかく、案外あっさりと、その熱の奥まで壊せてしまいそうだと肺助は思った。
「……あー……」
気付けば日は沈みかけており、夕陽となって二人の頬を赤く焼いた。
「えーっと……」
目を合わせたり、気まずそうに反らしたり。ノツルですら、胸の前でもじもじと両手を宙に揉んだ。
「あのさ、肺助……」
しかし、意を決したようにノツルは唾を飲み、ゆっくりと手を、肺助へ伸ばす。その震える指先が、彼の首に触れた。
「わたし、ずっと肺助に……」
しかし、彼女が何かを言いかける前に、肺助の背中に何かが乗り上げた。
「え、狐?」
思わずノツルは目を見開き、肺助の肩に乗るそれを指した。肺助も驚いて身を反らす。すると、肺助の背から落ちた一匹の黒い狐が、今度はノツルの脇を通ってそのまま、こん、と一鳴きして夕闇に消えていく。
「なんだったんだ?」「なに、今の……」
と、肺助もノツルは動揺を隠さず、狐の消えたほうを見つめる。
「さて」
そして、急に後ろから掛った少女の声に二人は驚き実を震わせた。
「瀬路原ノツルさん。あなたの呪術について、いくつか質問があります」
その声の主は、ほかならぬ阿賀谷戸命香。静かに、しかしどこか怒りを湛えた表情であった。
「ちょうどわたしもお腹が空いているので、ご一緒していいですか?」
不気味なほどに落ち着いて、阿賀谷戸命香はそう迫った。
――十分後!
駅前のファミリーレストラン『ナンデモヤ』にて。夕方、そこへ合儀肺助、阿賀谷戸命香、瀬路原ノツルが揃って入店する。ごくごく普通の高校生グループの集団の入店にも思えたがしかし、妙な緊張感が伴っていたことを、店員たちはひそかに感じ取っていた。
(あのテーブルには近づきたくないな……)




