全力純情少年少女
母の職業が『拝み屋』であり、それで家族の生活費を稼いでいると合儀肺助が気付いたのは、中学二年生の時だった。
『じゃあ母さん、いつもうちに来てお茶を飲んで帰ってるお友達って……』
『そうよ。あれはお友達じゃなくてお客様。相談料は一回五十万円』
『暴利だ! ただお喋りして呪文を唱えるだけなのに!』
『別に。わたしはそれで、肺助さんの食費も学費も税金も全部払っています』
そういわれると、肺助はもう何も返せなくなった。ただ、それからというものの、肺助は自分の家族のことを誰かに喋ることがなくなった。当然、その職業も。
(霊感商法、詐欺、オカルト……拝み屋だの、呪術が職業で、金を稼いでいるだなんて、周りに知られたらどうなることか!)
だが、それが原因で母親のことや職業、および自分が幼いころから習ってきた『呪術』が嫌いになったわけでもなかった。問題なのは、母が親切な町の相談役からがめつい守銭奴になってしまったこと。
つまり、彼自身、呪術自体は嫌いではない。それは習慣であり、生活でもある。怖がる人を助ければ喜ばれるし、誰かの人生を救えるかもしれない。
ただし、表に立ちたくはない。目立たず、波風立てず、静かに生活できればそれでいい。それだけだった。
――二年後。於、罪斗罰高等学校。
「お前の家族、呪術師なんだろ?」
そういった経緯もあって、高校に上がってから『そんな風に』声を掛けられることがあるなどとは夢にも思わなかった。
よって今、合儀肺助は学校の廊下の隅で身を縮めることしかできない。湿気た黴の臭いが心地悪い。
「え、えっと、それは……」
せめて、声をかけてきたのが仲の良い友人だったらよかったのだが、相手は同じ学校の生徒とはいえ、喋ったこともない男子生徒だった。しかも、合儀肺助をわざわざ教室まで呼びに行き、廊下に連れ出して、この暗くて埃っぽい隅にまで追い込んでくるのだから恐ろしい。
さらに問題なのは、肺助の身長は百七十一センチメートル(春の健康診断より)だが、相手はそれを優に見下ろす位置に頭があること。間違いなく百九十センチメートルを超えている。加えてそれに、野球部やかくや、という筋肉が肩にも胸にもついているのだから、倍以上の体格差があるように錯覚してしまう。
ちなみに、彼の正体は、柔道部員であった。短く刈り込まれた髪型、すでに潰れた耳。直立二足歩行するライオンのような生徒だった。
「答えろ。呪術師なんだろ? 聞いたぞ」
そう言って、このライオン男は、あまつさえ言語すら自在に操って、肺助の肩に手を置いた。彼の爪が肩を貫いたような気がして、肺助は震えあがった。
「そ、そうです……一応、家族は呪術をしています」
同じ制服、学ラン。同じ、学年章。本校、罪斗罰高等学校を示す校章の縁取りは緑。つまり、歳も同じだということだが、肺助は敬語で応じた。
「だったら早くそういえばいい。それで! できるのか? お前も『呪術』が!」
小鼻を膨らませてライオン少年は問う。対して、肺助は冷や汗をすう、と流していた。
本心では、できないと言いたかった。だが、それを相手の威圧感が許さない。故に、次のように肺助は答えた。
「……呪術は、できなくもない……あ! えっと、できます!」
最初は歯切れの悪い返答だったが、盗み見た相手の様子に、肺助は素早く方向転換をした。そんな彼の態度に、ライオン人間は何度も頷いて、自身の見込みに間違いがないことを噛み締める。
「ほう。やっぱりな! おれの思った通りだ!」
相手の頬が満足げに緩む。対して、肺助は息苦しさを覚え胸を押さえた。
「……それで、何の用事ですか?」
これがずっと続けば、肺助は緊張で死んでしまうだろう。
(テストの点数を上げてくれ、とかだったら難しいし、用事を聞いた後はしっかり断ろう)
ところが、そんな肺助の考えを知ってか知らずか、相手のライオン男は今までの勢いを失し、発言を随分長く躊躇う。視線を泳がせ、指先をもじもじとさせて口籠る。肺助は眉を顰めた。
「それは……」
やがて相手は声を潜め、急に肺助を潰すように、ぐっと顔を近づけてきた。加えて、肺助の肩に乗せられた、ライオン男の丸くて太い指、爪に力が籠められる。肩がぎりぎりと痛む。相手の汗臭さが鼻を突く。
(しまった、殺される! 質問を間違えたんだ!)
肺助は目を瞑り、全身を強張らせた。一方のライオン人間はといえば、ついにぞっとするような低い声で、肺助の耳元へ要求を囁いた。
「二年生の、阿賀谷戸命香先輩という、長く艶やかな黒髪は朝露に濡れたが如く、肌の白さは新雪に似て、伸びた背は芍薬を、瞳の大きく深きは夜空より広く遠く、何より胸や腰の豊かさはカンブリア大爆発を思わせる女性に、おれは明日、愛の告白をする。それが絶対に成功する『おまじない』をおれに掛けてくれ」
「え? ……え?」
聞き間違いか? 依頼内容を耳にした肺助は、思わず興味からその目を開いた。そうして彼は眼前に、顔を真っ赤にして小さく震える、一人の純情な少年を見た。
(なんか思ってたのと違う依頼が来たな)
「できないか……? おれは本気なんだ!」
「えっと……駄目です。そういうのって、良くないと思います」
そして、肺助が大男の大声に対し、導き出した答えはこれだった。首も振った。でも、目は伏せる。恐ろしかったからだ。
(どう出る……また怒鳴るか?)
肺助は恐怖からスラックスの布地をきつく握って震えを抑えた。
「……そうか。なら仕方ない。つまらないことを頼んだな」
途端、元・ライオン男→現・純情少年は俯いて、ず、ず、と鼻をすすり、合儀肺助へ背を向けた。
まるで、雨の日に出会った一匹の子猫のようだ。
(だめだ、家に連れて帰ってはいけない、庇ってはいけないタイプの相手だ!)
そう考えながら、く、と口の中で言葉を噛む。伏せた視界の端に映るライオン少年の背中は今、子猫よりも小さく縮み、道端の濡れたハムスターのようである。
(やめておけ、今まで知り合ってすらいなかったじゃないか。可哀想、だなんて思ったら負けだ!)
肺助は必至で全てを見なかったことにしようと目を閉じ、天を仰いだ。何も考えるな、そう何度も念じる。
「だッ……」肺助は上を向きながら音を出す。
「……だー、けー、どー!」
ついに、とにかく相手から目を逸らし続けた肺助の口からそんな言葉が勝手に漏れ出す。肺助は自身の言葉に、内心動揺を隠せない。そんなこと言うつもりはなかったのに。
「……『だけど』なんなんだ?」
純情少年の目に、涙とは別の輝きが過る。もう駄目だった。この小さな少年を、合儀肺助は見捨てることができなかった。
「……お手伝いなら、できると思います」
ついに、肺助はそんなことを言っていた。言ってしまっていた。
「本当か!」相手は満面の笑みを浮かべ、しかして膝をつき、縋るように言う。
肺助はしぶしぶ頷いた。
「ありがとう!」
肺助の胸の裡には当然、後悔の念などもあったのだが、まあいいだろうと思い直した。少なくとも、お礼を言われるなら、と。
――だが、もしも、このとき。
「……へえ、なんか面白いことになってるじゃん」
などと呟く、黒い髪の美しく、胸も腰も張った少女の声が聞こえていたのなら、別のことを合儀肺助は考えたに違いない。
――そう、このときはまだ、誰も知る由もなかったのだ。
この『軽い告白のおまじない』こそが、平凡な片田舎の呪術師を巻き込む、呪い呪われ恋焦がれ、恨みつらみにラブコメに、悩み悩んで血で血を洗う、一大抗争の始まりの切欠になろうとは。




