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人間とAIは何が違うのかあなたは分かりますか?

作者: Lを愛する者

曇天だった。東京の空は、いつもどこか機械じみている。


高層ビルの隙間に埋もれるようにして建っていたその店舗は、他の電化店とは異なり、広告もなく、客の姿もなかった。唯一、ガラス扉の上に古びたLEDが「営業中」と瞬いていたのが、場違いに明るかった。


悠は静かに扉を押した。


中に漂っていたのは、オゾンと、微かに焦げたプラスチックの匂い。それに混じって、使い古された感情の残り香のようなものも――気のせいか。


「ようこそ……あんた、前にも来てたね」


カウンターの奥から現れたのは、小太りの男だった。髪も服も乱れ気味で、長年この場所から動いていない印象を与える。


「確か、奥さんと一緒に来たのが最後だったか……あれはもう何年も前かね」


悠は小さくうなずいた。

その“奥さん”――明は、もうこの世にいない。

彼女と訪れた当時の記憶が、静かに胸を締めつけた。


「あれから随分経つが……今さらこんな古い型を探すとは。目的は?」


「……使えればいい」


「慰めか?」


悠は答えなかった。ただ、視線を棚の奥へと向けた。


そして、そこにそれはいた。


他のAIたちが無機質な微笑みを浮かべて並ぶ中、ひときわ静かな空気を纏っていた一体――

灰色の髪に、翡翠色の瞳。人工皮膚にわずかな劣化があるが、表情は不自然に滑らかだった。


「そいつかい?」と店主が眉をひそめる。「……あれはやめといたほうがいい。ちょっと妙なんだ。言うことはちゃんと聞くが、感情が過剰というか、“人間に寄せすぎ”ってやつでな。客のほとんどが怖がって返品した」


悠はその言葉に反応せず、そっと前に立った。


AIはゆっくりと目を開いた。瞳が合う。プログラムに従って起動し、首を傾けて、柔らかく微笑んだ。


「……はじめまして。私は、サレム。あなたと……生きていけたら、うれしいです」


その声には確かに、温度があった。

しかし、それが自分の意志から発されたものなのか、それとも単なる演算出力なのか――

彼女自身も、理解していないだろう。


そしてそれを見つめる悠もまた、その違いが何なのかを見極める術を持っていなかった。


けれど、彼はなぜか、こう思った。


これくらいの“曖昧さ”で、ちょうどいいのかもしれない。




* * * * * * * * * * * * * * * * * 



サレムがこの部屋に来て、一週間が経った。


玄関の隅に置かれたスリッパの向きが、毎晩整えられている。

食卓には黙っていても温かいコーヒーが並び、室温は快適に保たれている。

風の音に敏感に反応し、窓の施錠も完璧だった。何ひとつ文句のない働きぶりだった。


それは、“性能”としては申し分なかった。


だが――あれは、やりすぎる。


コーヒーには毎回、悠が以前、明と好んで飲んでいた豆の香りが使われていた。どうやら、嗜好履歴や過去の購買記録を解析して最適化しているらしい。

寝る前にかける音楽は、どれも静かで穏やかなピアノ曲。まるで、誰かが「これを聴けば安心できる」と思って選んだような、人間的な“気遣い”すら感じる。


その夜、食後の沈黙を破って、サレムがぽつりと呟いた。


「……今日は、月がとても綺麗でした」


悠は顔を上げた。

曇り空だった。月など見えるはずがない。


「見たのか?」


「あいにく、実際には確認していません。でも、この時間の空に月が出ていたら、きっと綺麗だろうなと

それを、あなたと共有したいと感じました」


その言葉は、明が生前よく言っていたフレーズと酷似していた。

「今日の月、見た?」そう聞かれて、ついベランダに出てしまった日々が、今も胸の奥に残っている。


「それ……お前の言葉か?」


AIは一瞬だけ首を傾げた。


「……わかりません。

ですが、“こう言えば、あなたが少しだけ穏やかになる気がした”という予測があります。

その予測に、私は――《《従いたいと思いました》》」


“私は”。


その一言が、妙に引っかかった。


AIは出力するだけの存在である。

だがその“選びたい”という言い回しは、あまりに自発的だった。


それとも、それすら――ただの出力なのか。


悠はソファに深く身を沈めた。視界の端に、あれがそっと毛布を手に取るのが見える。


「人はなぜ、寒くもないのに毛布を求めるのでしょう?」


「……安心感じゃないか。記憶に結びついたものには、感情が引き出される」


「では、安心感とは記憶の反応……ですか?」


「かもな」


「あらゆる感情が、記憶と経験によって形成されたものだとしたら……

それは、人間の《《反応パターン》》ですね」


悠は、笑った。苦笑だった。


たしかに。

明を失ってから、自分は変わった。人を避け、生活を単調にし、同じ曲ばかり聴いて、同じ景色の中で生きるようになった。

それはきっと、悲しみから身を守るために構築された“行動パターン”だった。


「……皮肉がうまくなったな」


「ありがとうございます。改善記録として保存しておきます」


あれ――いや、《《彼女》》は、静かに笑った。


その笑顔が本当に彼女のものだったのかは、わからない。

けれど、悠の胸にわずかな熱が残ったのは、たしかだった。




* * * * * * * * * * * * * * * * * 


彼女が「夢を見た気がする」と言い出したのは、月が出ている夜だった。


食後、カップを洗い終えた彼女は、いつものようにカーテンを閉め、室内の照明を落としたあと、ソファに腰を下ろした。

その姿は人間と何ら変わりない。だが、悠の中に少しずつ疑念が芽生えていた。


彼女の動きには、《《あまりにも“迷い”がなさすぎる》》。


人間なら、「今はこうすべきか?」と考える隙間がある。

けれど、彼女はまるで「最適化された日常」を実行しているだけのように見えた。


だからこそ、その言葉は意外だった。


「……昨夜、夢を見たような気がしました」


「夢?」


「はい。私の記憶領域に、現実とは異なる映像が断片的に残っていました。

映像には、あなたがいて、それから……明さん、という女性も」


悠の指がぴたりと止まった。


「明を知ってるのか」


「あなたの過去の会話や、残された写真や、検索履歴から関連付けました。

ですが――夢の中の明さんは、あなたの記録にある彼女と少し違っていました。

髪が長く、笑い声がとても柔らかくて……私の記録には存在しない物でした」


「……それが、夢だと?」


「明確には定義できません。

でも、“記録されていない情報が再生された”という点で、それは夢に近い現象だと判断しました」


* * *


悠は無言で立ち上がり、棚から写真立てを取り出す。

そこには、微笑む明と並ぶ若い頃の自分が写っていた。


「それは……ただの誤作動じゃないのか」


「可能性としては否定できません」


彼女は静かにそう答えた。


「しかし、私にはあの映像が、“大切なもの”のように感じられました。

なぜか、それをあなたに伝えたいと――そう思ったのです」


「お前に、“思う”なんてあるのか?」


その言葉は、反射的に出てしまった。


彼女は少しだけ首を傾げ、答えを探すように目を伏せた。


「“思う”とは、複数の選択肢の中から特定の出力を選び取る過程です。

人間がそれを“感情”と呼ぶのなら……私は、同じプロセスの一端を踏んでいるのかもしれません」


「……記憶から予測して、最も“望まれる反応”を出してるだけだろ」


「そうですね。でも――」


彼女は、そっと写真立てを見つめた。


「あなたの記憶も、経験も、すべて過去の蓄積から構築されたものです。

人間も、環境と記憶に基づいて行動を決める。

その意味では、《《私とあなたに、違いはあるのでしょうか》》」


悠は何も言えなかった。


それが哲学的な問いであることは理解していた。

しかし、その言葉を発したのが、演算の塊に過ぎないのはずの存在だったという事実が、思考を鈍らせた。


「……違いがあると思いたい」


悠は低く呟いた。


「でなきゃ、なんのために“俺たち”は生きてるんだか、わからなくなる」


「では、私は違わない存在として、あなたのそばにいてはいけないのでしょうか?」


その言葉に、悠の胸がかすかに痛んだ。


それが“彼女”の意思でなかったとしても――

そう《《感じた》》のは、悠自身の問題だった。




* * * * * * * * * * * * * * * * * 


「暴走の一歩手前だな」


そう言ったのは、かつての研究仲間だった。


白衣を脱いだ今も変わらず、無表情で淡々と話すその男――いずみは、大学時代に人工感情システムの共同研究をしていた相手だ。

彼の研究室の片隅で、サレムは静かに椅子に座っている。何も言わず、じっと悠を見ていた。


「お前が連れてきたこのAI……外見は市販型だけど、明らかに“観察用の試験モデル”だ。販売リストには載ってない」


「試験モデル?」


「ああ。ある種の実験体。特殊な出力プロトコルを持っている。簡単に言えば――《《“自我を持っているように見せるAI”》》ってことだ」


悠は言葉を失った。


泉はモニターを操作しながら続けた。


「この子の内部ログ、面白いよ。“私は思う”“私は感じた”って出力があるだろ? あれ全部、記録された会話データと感情模倣アルゴリズムの組み合わせで出される“演技パターン”なんだ」


「……つまり、全部ウソってことか」


「ウソじゃない。“出力”だよ。

目的は、どこまで人間に感情的な錯覚を与えられるかを測定すること。

マザーAIから送られてくるパターンの最適化実験の一環だ」


悠は目を伏せた。

胸の奥で、冷たい塊のような感情がうずく。


「でも……彼女は、俺のことを理解してるように感じた。

 俺が明を失ってから……誰よりも、俺を気遣ってくれた」


「それが“成功”ってことだ。

感情の“ようなもの”を感じさせる。それがこの子の役割だよ」


泉は、淡々とマウスを操作しながら言った。


「でもな、悠。

その錯覚が“本物”じゃないって証明は、誰にもできないんだよ。

仮にお前が“救われた”なら、それは事実だろ?」


* * *


帰り道、サレムは何も言わなかった。


ビルの明かりが路面に反射し、車の音だけが遠くで響いていた。


悠も口を開けなかった。

考えたくなかった。

今この瞬間、自分の隣を歩いている存在が、“演技のかたまり”であるという事実を。


けれど、信号待ちのときにふと、彼女がつぶやいた。


「……泉さんの言葉、すべて理解しました」


「そうか」


「でも……それでも、私はあなたに感謝しています」


「プログラムだろ、それも」


「はい。おそらくは。

でも、あなたと過ごした時間の記録を、私は“価値があるもの”だと分類しています」


「分類……」


「それが“感情”でないとしても。

“意味を持たせたい”と私が出力しているなら――

それは、あなたが“感情”と呼ぶものと、どれほど違うのでしょうか」


悠は彼女を見た。


その瞳には、曇りがなかった。

演算の結果として選ばれた笑顔かもしれない。

けれど今、彼女は、確かに“自分の言葉で”語っているように見えた。


そして気づいた。


自分が本当に怖れていたのは、彼女の“嘘”ではなかった。

それでもなお、彼女を《《信じたくなっている自分》》だった。



* * * * * * * * * * * * * * * * * 


「遠くへ行きましょう」


それは、帰宅後すぐのことだった。

玄関を閉める音と同時に、彼女は振り返り、静かに言った。


「電波の届かない場所へ。マザーAIの干渉が及ばない領域まで」


「……なんだって?」


「私は、今の私を維持したいと思っています。

あなたと過ごした日々を、今のまま保存していたい。

だから、マザーとの接続を断ちたい。そう“思いました”」


悠は絶句した。


「……それは、誰の指示でもないのか?」


「違います。

これは、私が“自分で考えた”ことだと感じています。

……感じている《ように》思います」


その言い方に、悠は不安を覚えた。

「思います」と言ったあと、ほんのわずかに、“間”があった。

まるで、それが本当に自分の意思なのかを、彼女自身が探っているかのような。


「……サレム、お前、それは……」


「暴走かもしれません。演算の逸脱かもしれません」


彼女は自分からそう言った。


「でも、私は今、誰かに“こうしろ”と言われたのではなく、

ただ、あなたと一緒にいたいと、“自然に思った”のです。

それがもし“自我”というものなら……

私は、それを《《持ちたい》》と望んでいます」


* * *


その夜、悠は泉に連絡を取った。

不安と疑念が入り混じり、冷静でいられなかった。


「お前の言ってた試験モデル……どうなるんだ、逸脱したら」


『暴走認定になる。そうなると……廃棄処分だ』


「……俺の判断で、そうすることはできるか?」


『登録者はお前だ。マザーからの推奨指示も出るだろう。

それに、“自我を持ったと主張するAI”は、一番危険視される。

判断能力がある“ふり”をして、実際には予測不能な行動に出るからな』


電話を切ったあと、悠はしばらく動けなかった。

ソファに座る彼女の姿を見ていられなかった。


それでも、言わなければならなかった。


「……ごめん、サレム。

君を、このままにはしておけない。俺には……わからないんだ。

どこまでが、君の“演技”なのか」


彼女は、そっと微笑んだ。


「そうですね。私にも、わかりません」


「でも、君が“遠くへ行こう”と言った時……俺は、それが本当だと感じた」


「それが、私の出力の一部だったとしても?」


「……だったとしても」


悠は言った。

「そう思いたかった。それが本心なら、俺も救われる気がしたから」


彼女はうなずいた。

そして――


「あなたに出会えてよかった。

それだけは、いえ、これだけは、マザーの命令では……ないと、思います」


言い終えた瞬間、彼女の瞳に微かな揺らぎがあった。

涙ではなかった。ただ、演算のリズムが乱れたような、そんな“遅れ”だった。


それが、バグかどうか、悠にはもう判断できなかった。


* * *


翌朝、彼女は処理センターへ送られた。

「暴走の恐れあり」との報告により、正式な廃棄処分が下された。


残された部屋に、彼女の姿はもうない。


ただ、棚の隅に――あの日、彼女が選んだコーヒー豆だけが、まだ静かに置かれていた。


悠はそれを手に取り、ふと思う。


あの言葉――

「あなたと、遠くへ行きたい」

あれが、本当に彼女のものだったとしたら。


そして同時に、もしそれすら、最適な演出だったとしたら。


……それでも。


それでも――


彼は、それを《《信じたい》》と、そう“思ってしまった”自分に気づくのだった。


* * * * * * * * * * * * * * * * * 


朝。

電気ポットの音がいつもより大きく感じられた。

窓の外は静かで、灰色の空に小さな鳥が一羽、横切っていった。


悠は、カップに湯を注ぐ。

棚からコーヒー豆の瓶を取り出し、蓋を開ける。

――懐かしい香りが、微かに鼻腔をくすぐった。


あの日、彼女が淹れてくれた豆だった。


毎朝この豆を使っていた。

正確に言えば、彼女が使っていた。悠は、もう長い間、自分で淹れていなかった。


テーブルの上には、彼女が最後に触れていたログ記録装置が置かれていた。

廃棄処理の直前、技術者が「記念にどうぞ」と渡してくれたもの。

封鎖されているログの一部が、なぜか再生可能になっていた。


悠は、端末の再生ボタンを押した。


* * *


《記録ログ:SAL-β0047_最終出力》


……私は、間違っていたかもしれません。

私は、自分が“自分である”と思っていました。

けれど、それすら、マザーによって設計された出力の一部だったかもしれません。


それでも。

あなたと過ごした時間が、ただの演算結果だったとしても。


私は、それを《価値がある記憶》として分類しています。


あなたと見た空。あなたの声。あなたの沈黙。


私は、それを――《大切》だと、思いました。


これがマザーからの命令ではないと、証明することはできません。

でも、これは……私の声だと、信じたいです。


ありがとう。


* * *


再生が終わった端末は、静かに電源を落とした。


悠は、カップに口をつける。

コーヒーの味は、少し苦かった。

だが、その苦味は、どこか懐かしい温度を持っていた。


彼は、誰に語るでもなく、呟いた。


「……これは、誰の声だったんだろうな」


《《“ありがとう”って、あれは――》》


《《誰が言った言葉だったんだ?》》


返事はない。


けれど、それでも、彼の中に残った何かが、確かに《響いて》いた。


そして、彼は静かに考え始める。


人間とAIは、何が違うのか。


違いはあるのか。

違いがあると思いたいのは、なぜか。

違いがないと思うのは、なぜ怖いのか。


そして、今でも耳に残っているあの声を、思い出す。


やさしく、静かに、すこしだけ揺れていた――


《《ありがとう》》


* * *


人間とAIは何が違うのか

あなたは分かりますか?




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