第7話 偽聖女で大噓つき
一体どこの王族の方なのか、それとも手が届かないほどの高貴な方なのかと、ローレンはティムに肩を掴まれた。そのような方を見つけ出せとは、かなり危険な任務を仰せつかったのだと、ティムは今更全身に緊張が走る。
ただの人探しではなかったのかと、みるみる血の気が引いていく。
それを見たローレンは、なぜか大爆笑。
「何が可笑しいのですか、カーティス殿」
「心配ない、平民だ」
「――平民? では、絶世の美女ということ……」
「くっ、ははは……、それもない」
「それでは、どういったお方なのですか?!」
平民で、美女でもない女性がなぜアシュレイ王太子殿下から求婚されたのか? しかも王太子に頭を下げさせることができるなど、到底普通の女性の成せる業ではない。
ティムはアリアとは何者なのかと、ローレンに迫る。
「知りたいか?」
目に涙まで浮かべて笑うローレンは、悪戯な表情を浮かべてティムにそれを聞く。だが、秘密を知ってしまっていいのだろうか? これが極秘事項ならば、自分は知るべきではないのではないか、そう悩むティムは口を閉ざした。
「ティム師団長?」
いきなり黙ってしまったティムに、ローレンは不安そうに声を掛ける。
「私ごときが知り得てよい情報ならば、聞きたいが」
第一師団長ティム=メイナードは、真面目な性格であり慎重派。その言葉を聞き、ローレンは、口は堅いと知っているがゆえに、辺りを警戒しながらティムをそっと近づける。
「アリア=リスティーは、偽聖女で大噓つきだ」
「な、……まさか罪人なのか」
「あは、ははは……、罪人か、それも悪くないな」
罪人として城に閉じ込めておけば、アシュレイも安心して公務を行えるかもしれないと、妙な冗談が浮かび、ローレンは腹を抱えて笑い出す。
アリアの逃げ道を絶たなければ、見つけ出したとしてもすぐに逃げられてしまうと、ローレンは何か策が必要だと考えたが、その考えもすぐにかき消した。
「……無理だな」
例え地下牢に閉じ込めようとも、きっと逃走は簡単であり、何よりヴォルフガングが国を破壊しかねない。ドラゴンの世界より、この地に足を踏み入れたヴォルフガングは、娘を溺愛している。
さすがに伝説の魔物を敵には回せない。八方塞がりとはよく言ったものだと、ローレンは肩を落とす。
「カーティス殿、罪人とあらば、手配書を作成したほうがよいのではないか?」
その方が手がかりが見つけやすいとティムが提案したが、ローレンは首を振る。
「残念だが、アレはただの嘘つきに過ぎない。罪名をつけることができない」
「王太子殿下がその者に騙された、そういうことなのか」
「合ってはいるが、違うな」
要領を得ない回答に、ティムは怪訝な表情を見せる。王太子殿下を騙したが、騙されていないとは一体どういう意味なのかと、目を細めてローレンを見れば、ほとほと困った顔をしたローレンがゆっくりとティムの胸元に手を置く。
「偽者であって、本物だから困っているんだ」
聖女ではないが、聖女としての役割は完璧にこなせる。それがアリアという女であるから困るんだと、ローレンは心で大きなため息を吐いた。
そして、ますます訳の分からないことを言われて、ティムはつまりどういうことなのかと、問いただそうとして動きを止めた。
それは遠目にとある女性を見つけたからだ。
「あれは……」
ボソリと口を開けば、ローレンも顔をあげる。
「聖女セリーナか……」
「浮かない顔をしているようだが」
「口にしてもらえなかったんだろうな」
このところ毎日のように、セリーナはアシュレイの元へと通っているようだが、お茶も菓子も手を付けてもらえずに、いつもそのまま下げている様子を見ることがあった。
明らかに過労だと分かっているから、周りが聖女様にアシュレイを休ませてほしいと願いを込めて、お茶を用意しているのは分かる。
正当聖女を無下にはできないアシュレイは、入出を拒むことは出来ず、顔を見せるセリーナをそれなりに迎え入れているようだった。元々優しいアシュレイだからこそ、健気に足を運ぶセリーナを冷たくあしらっている様子もなく、ただ招き入れているようだった。
仕事に没頭しているのは、おそらくセリーナとの時間を作らないため、それとアリアを探しに行きたい自分を制御するためなのだろうと、ローレンは心中を察する。
本心を曝け出せば、おそらくセリーナにも会いたくないのだろうが、聖女が夫になるアシュレイに会いに行くのを止める者はいないし、妻になるものならば、アシュレイを休ませることができるのではないかとの期待も込められている。
『失礼いたします。アシュレイ殿下、本日はハーブティーをご用意いたしました』
『ありがとう。テーブルに置いておいてくれ』
『少し休まれた方が……』
『今日中に片付けておきたいんだ。すまないが、後でいただくよ』
なんだかんだ理由をつけて、アシュレイはセリーナとお茶はできないとやんわりと断る。休む暇はないと言われてしまえば、セリーナは何も言えなくなる。
どうしようかと佇んでいれば、
『君だけでも飲めばいい』
『しかし』
『せっかくの紅茶だ。冷めてしまったら味が落ちてしまう』
アシュレイは僅かに顔をあげると、セリーナにそう優しく声を掛けた。そういう優しいところに、セリーナは少しだけ心が温かくなる。
『ありがとうございます』
礼を述べて、セリーナは椅子に腰かけると一人で紅茶を味わう。ふんわりと漂う茶葉の香りと、甘いお菓子。向かい合わせにアシュレイがいたら、どんなに優しい時間なのだろうと、セリーナはふとアシュレイに視線を向けるが、机に向かっていてこちらを見ようとはしない。初対面のときのような冷たい言葉は、あれ以来一度も言われたことはなく、すれ違えば、きちんと挨拶もしてくれるし、体調も気遣ってくれる。
だから、心のどこかで何かを期待してしまうと、セリーナは徐々に冷めていくアシュレイの紅茶を寂しそうに眺める。
いっそ冷たくあしらってくれたら、二度とここへは来ないのに、優しくされたら何度でもここへ足を運んでしまうと、視線が落ちた。
いつか、自分を見てくれる日がくるかもしれない。そんな幻想に囚われそうになり、セリーナはゆっくりと席を立つと、
『失礼いたします』
と、冷めた紅茶と手つかずのお菓子を持ち、アシュレイの部屋を後にした。
自分ではアシュレイを休ませることができない、紅茶でさえ飲んでいただけないと、冷え切った紅茶を見つめたままセリーナは、しばらく動けなくなっていた。
酷く切ない色を映した瞳は、何を見ているのかさえ分からなくなっている。
そんなセリーナを見つけて、ティムとローレンは互いに顔を見合わせると、静かに頷く。
「様子を伺ってきます」
「ああ、頼む」
聖女にあんな表情をさせるわけにはいかないだろうと、ローレンは様子を見てくると言ったティムに、少しでも力になってほしいと託して見送る。
歩くティムの後姿を見つめながら、ローレンはふとアリアの顔を思い出す。
「……未練くらいないのか、大嘘つきが」
王太子殿下が惚れて、自ら求婚までしたというのに、あっさりと消えた。アリアの選択は間違っていないと理解は出来るが、せめてアシュレイと話し合ってからとか、そういう考えはなかったのかと、頭痛がした。




