第45話「王太子の冗談は、心臓に悪い」
(ああ、それで勘違いした女性が言い寄ってくるのね、きっと)
アシュレイ様は人気があると耳にしたこともあるし、たぶんこういう行為が勘違いさせる原因なんだわ。とても優しい人なのね。
でも私はちゃんと身分も役目も弁えてる、『冷静になるのよアリア』と、高鳴った気持ちを必死に落ち着かせる。
「何でもありませんから、降ろしていただけませんか」
「このまま部屋まで運ぼう」
「アシュレイ様っ」
一刻も早く床に降ろしてほしいのに、アシュレイはなぜかそれを断ってくるから、つい声が大きくなる。
「君の嘘にはもう騙されない」
「……嘘ではありません」
散々騙しておいてなんだけど、アシュレイは、本当は体調が悪いのだろうと耳元で囁き、「頼ってくれて構わない」とさえ言ってくれる。
(ほんともう、どこまで優しいのっ)
というか、どこも悪くないから降ろしてほしい。イケメンの免疫がない私には、全部が毒で、顔が赤くなったまま戻らない。
「これは嘘ではありません」
「信用できない」
「信じてください、自分で戻れますから」
「部屋まで送り届けるだけだ、弱っている君を襲ったりはしない」
とんでもない発言まで飛び出し、本当に眩暈が起こり、湯気まで立ちそう。
「何をっ……」
「ははは、くるくると変わる表情は可愛いな」
カァァァ――ッ、完全にオーバーヒート。
綺麗な顔でそんなカッコよく笑わないで。笑顔が眩しすぎるわ。この国の王太子殿下はたらしなの?! こんなの誰でも恋に落ちてしまいそうよ。
「……」
「大丈夫か? 辛いなら俺にしがみついけばいい」
おまけに抱きついていいだなんて。
「至って元気ですから、ご心配なく」
「抱きついてくれていいんだが」
「抱きつきません!」
「このままでは少々運びにくいんだがな」
「でしたら、降ろせばよいかと」
「このまま送りたいと言っただろう」
「聞こえません」
「拗ねた顔もまた可愛いな」
「拗ねてません!」
廊下で言い争っていたら、メイドたちが微笑ましい視線を向けていることに気が付く。
『アシュレイ王太子殿下が、笑っていらっしゃるわ』
『王妃様が病にかかってから、あんなに自然な笑顔みたことないわよね』
『素敵な婚約者様が来てくれて良かったわ』
拗れている内容など分からないメイドたちは、アシュレイの弾んだ声色にうっとりと微笑む。旗から見れば、お姫様抱っこされている私と戯れていると見えるらしい。
「お姫様、お部屋までお連れいたします」
揶揄うようにアシュレイはそう言うと、ゆっくりと歩き出し、私はこれ以上注目されないように大人しくアシュレイの首に顔を埋めてボソリと囁く。
「そういう冗談は、嫌いです」
と。
すると、アシュレイが何かを口にしたが、それは私の耳では聞き取ることができなかった。
「どうすれば、俺を好きになるんだ」
本日はお日柄もよく、お庭でのお茶が美味しい。
昨日はいろいろあったけど、ヴォルフガングと私の髪から同一成分が検出され、親子であることが証明されてしまったし、それにより私の魔法能力についても解決したし、ヴォルフガングが言った通り、一晩経ったらクレアの病気が嘘みたいに完治していて、驚くほど元気になり現役で聖女を続けてくださると話してくれたし、私の秘密もちゃんと隠してくれると約束してくれた。
それに、王妃様の病が完治したことにより、ヴォルフガングが虚偽を述べていないことが証明され、後は正体の確認だけとなり、それも今夜行われることが決まっている。
つまり、夜になれば問題は一応解決するはず。
しかし、私には平穏を取り戻せないことが一つだけある。
「ほう、なかなか美味い菓子であるな」
正面に座ったヴォルフガングは、お菓子をパクパクと食べながらご機嫌だ。
不安要素の一つは、この人だ。突如現れた父親は、しばらくねぐらに帰るつもりはないと言う。気が済むまで人間界に居座ると。
「近々お城を出ようと思うの」
お茶を一口啜って、私は思い切ってそう切り出した。
王妃様が元気になったのだから、アシュレイだって急いで結婚しなくてもいいわけで、聖女様がいらっしゃれば、私の出る幕はないわけで、平和になったアラステア国に心配事はなくなった。つまり、私が城に居る必要はなく、念願の隠居生活を始める絶好の機会がやってきたのだ。
もちろん内緒だけど結界強化は引き続き行うつもり。だって、魔物なんか一匹たりとも国に入れるつもりはないから。
「アシュと結婚するのではないのか?」
「アレは役よ。そもそも契約しただけなの」
お金と土地を与えてくれるなら、婚約者の役を引き受けると言っただけ。もちろんアシュレイだって聖女様がいらっしゃるのなら、お好きな方とご結婚できるでしょう。
最近ヴァレンス様より、聖女と結婚するのが兄さまの役目でしたと、お聞きしたばかりだし。なぜか私が聖女だと勘違いされていたみたいだけど。
「王子様と結婚したら、幸せになれるのではないのか?」
書物や世間一般ではそう言われていると、ヴォルフガングは不思議そうに見てくる。娘の幸せは願えば、それが一番いいと思ったから、ライアール国に聖女を密告したのだがと、口を滑らせたが、そもそも初対面の人をいきなり好きにはならないでしょうという、私の意見。
王子様と言うのは、確かに女の子の憧れではあるけど、ランデリック王子に惹かれる部分なんて、どこにもなかったなぁ~って、ふと思い出す。
「そうね、普通の人ならそうかもしれないけど、私は一人暮らしのほうが幸せだわ」
「ふむ、娘をちゃんと嫁に出すように言われているのだがな」
「誰に言われたの?」
「もちろん、マリアだ」
それは本当の母の名前。きっと娘の幸せを願ってくれていたんだと思うけど、残念ながら現時点で結婚したい人はいない。一人でも十分幸せになれそうな気までする。
でもいつか愛する人が出来たのなら、ヴォルフガングを結婚式に呼んであげようと決意したのに、ズイッと身を乗り出したヴォルフガングは、嫌なことを勧めてくる。
「アシュは良い男だぞ」
瞳を輝かせて、アシュレイを私に推してくる。
確かに皆が羨むほどいい男だけど、相手は王太子殿下、身分が違いすぎるし、自分が王妃になりたいとは全然思わない。
例え聖女の血を引いているとはいえ、純の聖女ではなく、祈りを捧げても結界を作れないのが事実。偽物聖女で間違いはない。血は受け継いでいても、真の聖女にはなれないということ。
「私は聖女ではなく、魔術師なの」
「いや、魔術師であり聖女だ」
「偽者よ、アシュレイ王太子様に失礼だわ」




