第38話「アラステア国の祈り」
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「ここが祈りの間ですよ」
穏やかな声に促されて扉を開けば、天窓から光が射しこむ柔らかな空間が広がっていた。
床に描かれた魔法陣は、おそらく全土に祈りが届くように彫られている。
「なんて温かいの」
ライアール国にあった祈りの間は透明な空間だった。それが、アラステア国は光に満ちた柔らかな光の空間。
「どうぞ」
部屋に入ってと促されても、私の足はそれを拒む。
この部屋は聖女しか立ち入りを許されていない場所。私は聖女ではないのだから、入ってはいけないとサイレンが鳴り響く。神聖な場所に足を踏み入れることはしてはいけないのだと、ちゃんと分かっている。
朝を迎え、身支度を整えた私は王様に婚約者として紹介され、そのまま病に倒れている王妃様の部屋へと通された。
誰が見ても弱っているのは明白であったが、ゆっくりと身体を起こしてくれたクレアは、とても優しい表情で私を迎え入れてくれた。
アシュレイが婚約者だと紹介すれば、心からそれを喜んでくださった。
「アシュレイに、こんなに可愛らしい婚約者がいたなんて、知らなかったわ」
ふふっと笑みを零して、嬉しいと言葉にしてくれた。
「突然の紹介になってしまい、申し訳ありませんでした」
「いいのよ、紹介してくれて嬉しいわ。それで式はいつになさるの?」
元気なうちに二人の結婚式が見たいと口にするクレアに、私の心は握り締められるような痛みを感じる。
だって、これは演技。結婚式など開くはずもないのだから、クレアを騙している罪悪感が全身を蝕む。
「それはまだ決めていない。アリアが城に慣れるまで待ってくれないか?」
やんわりと式を遠ざけたアシュレイだったが、クレアに結婚式にはちゃんと呼ぶからと安心させる。
それを聞きクレアは「楽しみにしているわ」と喜んでくれたが、とても長く持つとは思えなかった。やせ細った身体に、青白い顔、色のない唇がそれを物語っていた。
そんな状態のクレアは、なぜかベッドからゆっくりと出ると、私の目の前に立ちやんわりと手を掴んできた。
「アリアさん、少し付き合ってくれないかしら?」
「私?」
「ええ、あなたに見せたいものがあるの」
二人だけで行きたい場所があると言い出す。
「母上、それは……」
「大丈夫よ。今日は気分がいいの」
クレアは、どうしてもアリアを連れていきたいところがあるのだと、微笑む。アシュレイはここにいてと言い残し、手を引かれたけど、さすがに振りほどくことは出来ないし、ついてきてはダメとお願いされたアシュレイも、不安そうに見ていたが、「頼む」と声を絞り出すから、益々行くしかなくなって。
ゆっくりと歩き出すクレアに手を引かれるままに、連れてこられたのは、祈りの間だった。
「アリアさん?」
入り口で立ち止まってしまった私に、クレアが不思議そうに首を傾げるけど、資格のないものが入っていい部屋じゃないのだから、戸惑うのは当然。
「申し訳ありませんが、入室することはできません」
「あらどうして?」
「私は聖女ではありませんので」
きちんとした理由を述べれば、クレアはくすくすと笑い出した。何が可笑しいのかと顔を顰めれば、背後に回られて背中を押される。
「あ、あの、困ります」
強引に部屋に入れようとするクレアに困って、私は足を踏ん張る。アシュレイの強引なところはきっと母親譲りなんだわと、妙な納得をしながら抵抗していたら、クレアが突然「うっ」と胸を抑えた。
「大丈夫ですか?!」
無理をしたから体が、と、焦ってクレアを気遣ったら、ポンッと体を押されて、そのまま祈りの間に足を踏み入れてしまった。
「ごめんなさい。こうでもしないとアリアさん入ってくれないから」
(だ、騙された……)
まんまとクレアに騙された私は、入ってしまったからには仕方がないと諦める。罰とか当たらないわよね、なんて冷や汗を掻きながら。
「心臓に悪いので、おやめください」
本当に発作が起きたのかと心臓が止まりそうになったと言えば、クレアは「ありがとう」と、心配してくれたことに感謝された。
「それで、私をここに案内した意図はなんでしょうか?」
「祈りを捧げてくれないかしら?」
聖女ではないと説明したばかりなのに、クレアは嬉しそうにそれをお願いしてきた。もちろん私が祈りを捧げたところで何も起きないのは明白。
しかも偽聖女で、隣国から国外追放まで受けている身。やはりアシュレイの妻となる人は、聖女でなければ認めないということなのかもしれないし、もしかしたら、可能性にかけているのかもしれないと、期待を裏切るようなことはしたくなくて、私はきちんと説明する。
「残念ながら、私が祈ったところで何も起こりませんよ」
「実行してみなければ、分からないこともあるでしょう」
「期待はしないでくださいね」
初めから聖女ではないとはっきりと伝え、何も起こらなくてもガッカリしないでほしいと先に言っておく。幼い頃に見た落胆した両親をもう見たくないのだと、心が泣く。
魔法陣の中心に両膝を着くように言われ、私はクレアの指示通りの動きをする。両手を胸のあたりで組んで、祈るような恰好を取らされると、背後にクレアが立ち、私の両肩に手を置く。
『聖なる祈りよ、愛する我が国を守りし、結界を付与せよ』
これがクレアの祈りの詠唱。
『……アライア』(結界魔法)
私も釣られるように心で結界魔法の詠唱を唱えれば、祈りの間に信じられないほどの光が満ちた。
「どうなっているの?」
「どういうこと?」
目を開いていられないほどの光に、私もクレアも腕や手で光を遮るので精一杯。
魔法詠唱は言葉(音)にしていない、なら発動するはずはないのに、私たちは何が起こっているのか分からないまま光に包まれた。
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アラステア国より溢れた光は、ヴォルフガングにだけ見えた。だから窓辺に駆け、それを確かめるために、窓を開け放つ。
「この光……、アラステア国か」
光の発生源が隣国だと分かり、そこに会いたい人がいると分かったヴォルフガングは、今すぐにでも飛び立とうとしたのだが、このままでは腹の虫が収まらず、ランデリックを振り返り、レイリーンをチラリ睨む。
「冥途の土産だ。その女からは黒が見える」
「黒?」
「お前たちが一体誰を追放したのか、いずれ分かる」
聖女を失ったライアール国は、近いうちに滅ぶと知り、ヴォルフガングは手遅れだと知りながらもそう口にした。後悔してももう遅いと。
「本物の聖女はレイリーンだ。偽物を追放したまで」
レイリーンをそっと抱き寄せたランデリックは、偽情報に踊らされているのはヴォルフガングの方だと、高を括る。
そして、睨まれるレイリーンもランデリックに強く抱きつく。
「正当聖女は私です」




