第37話「ドラゴンの怒り」
自信たっぷりに言い放った言葉に、ヴォルフガングは怒りよりも呆れて口が開けなくなった。結界が消失しつつある現状を分かっていないのか、と、憐みの感情さえ沸き起こる。
国の現状を何も分かっていない愚か者だと。
「結界の綻びが拡大しているのを、把握していないのか」
「それは、聖女レイリーンが、全魔力を使い果たしてしまい、現在その回復を待っているからだ」
あと数日もすれば、レイリーンが結界を修復し、強固なものへとしてくれるのだと、得意げに話す。
この危機的状況も数日で収まると、ランデリックは安易に考えていた。なんてお気楽主義者なのだと、ヴォルフガングはため息が出るのを必死で押さえ込む。
この国は、現在どれほどの危機に晒されているのか、全く理解していないと、眉間に皺が寄り、頭を抱えたくもなる。なぜこんなにも無能な国になってしまったのだろうかと、ヴォルフガングは自分の知るライアール国が、まるで別の国にでもなってしまったかのように感じた。
地上に近い結界はかろうじてその効力を保ってはいるが、頭上はすでに穴が開いている。しかも、現存している結界の魔力割合は、前聖女が残した効力が3割、アリアが7割(魔力が切れかけているため)、レイリーンという女の魔力は精々城のまわりにある薄氷みたいなものだけ。そして、前聖女とアリアの魔力は、もうすぐ効力を失うことになる。よって、正当聖女ならば10割の負担を担えなければならない。つまり、現状で結界が張られていないこと自体がおかしい。アリアならば、二倍近い強度の結界を張れるはずなのに、その結界も効力を失おうとしている。
「聖女が数日も魔力切れとは、随分面白い話をするではないか」
正当聖女の結界ならば、数日祈りを捧げずとも穴が開くなど、ありえないと知っているから、ヴォルフガングは冗談も大概にしろと、逆に鼻で笑い返す。
そうすれば、顔を赤くして、少し興奮気味でレイリーンが大きく手を広げた。
「わたくしは全魔力を使って、街中の人たちとお城の皆さんを全員救ったのよ。魔力が枯渇してしまったのは、仕方ないのよ」
「そうだ、レイリーンは偉大だった。街中、いや城内の者たちを含む、負傷者を全て治したのだ」
「ランデリック様」
「命を懸けて国を救ってくれたのだぞ」
レイリーンをそっと抱き寄せたランデリックは、難癖をつけてきたよそ者を睨みつけ、レイリーンがいなければ、今頃死者が多数出ていたとさえ言い切る。
それを聞き、ヴォルフガングは思い違いも甚だしいと、ランデリックを睨む。
「その場にアリアは居たか?」
ヴォルフガングは、そんな芸当が出来るのは一人しかいないと、そう尋ねる。
「居るわけないだろう」
ランデリックの返答に、ヴォルフガングは街全域を治癒したのは、アリアで間違いないと確信して、レイリーンを凝視する。その場にアリアがいたとすれば、誰もが気づいたはず、だが、ランデリックからは不在だったと聞かされ、おそらく誰もいない場所で魔法を使用したのだろうと推測された。
理由までは分からないが。
街を救ったなどと勘違いも甚だしいと、鋭く睨んでやるが、ランデリックはそれを完全に信じ込んでおり、その姿を見る限り、おそらく国中の者が聖女レイリーンを讃えているのは目に見えて理解できた。だからこそ、あの忌々しい張り紙が出回っていたのだろうと。
しかし、目の前にいる女からは聖なる力など感じず、何か禍々しい魔力が溢れていた。それに、大した魔力量もないと知る。
「なんともおめでたい国だな」
馬鹿々々しい妄想に、うっかり皮肉が出てしまった。
「わが国を侮辱するつもりかっ」
「では聞こう。貴殿は真にその女が聖女だと信じているのか?」
「ああ、もちろんだ。アリアは、国の危機に一番に逃げ出したのだぞ」
胸を張って、聖女はレイリーンで間違いないと断言したランデリックから、信じられない言葉が飛び出し、ヴォルフガングは思わず口を閉じてしまう。
魔物が入り込み、国が混乱していたとき、一番に国を捨てて一人だけ助かろうと逃げたなどと言われれば、さすがにヴォルフガングでさえ、怪訝な表情になる。
(逃げた……だと? 何があった?)
アリアほどの実力者ならば、逃げるなどあり得ないと、ヴォルフガングは頭を悩ませる。攻撃魔法も治癒魔法も右に出るものなどおらず、地上にいる魔物(ドラゴンを除く)に勝ち目などない。ならば何か理由があったはずだ。そう、アリアを追い詰めるようなことがあったのではないかと、再度ランデリックを睨む。
「アリアに何かしたのか……」
下衆な事をしていれば、容赦なくここで攻撃を仕掛けるとでも言いたげに、ヴォルフガングが凄みを効かせれば、若干怯んだランデリックが腹の立つことを言いだした。
「アリアが聖女などと、誰かに虚偽を吹き込まれ、迷惑を被ったのは我が国だ。加害者はアリアの方だ」
ただの平民を貴族扱いとし、第一王子の婚約者などとしていたことが腹立たしいと、ランデリックは多大な迷惑をかけられたとさえ言う。
アリアを悪者扱いされ、ヴォルフガングの髪に再び炎が宿った。
「随分と悪く言ってくれる」
「本当のことだろう」
「国が守られていたのは、誰のおかげと思っておるのだっ」
「当然レイリーンのおかげだ」
轟轟と燃え盛る髪が逆立つ。
「まだ言うか」
「あんな日常魔法も使えないような女を、聖女だと推薦した愚か者は誰だ。一体どんな馬鹿がそんな情報を城に持ち込んだんだ」
おかげでとんだ迷惑と金を使ったと、ランデリックは国外へ追放できて、心底良かったと笑みさえ浮かべた。ろくでもない女だったと。
それを聞き、ヴォルフガングは怒り心頭。正当聖女を馬鹿にされ、追放したことで国が滅ぶことも理解しておらず、ろくでもないのはお前の方だと、溶岩のように瞳の色が濃くなる。
「このまま放っておいても滅びの道を歩むが、今すぐ滅亡を与えてくれるわ」
腹の底から湧き上がる怒りは収まらず、全身を業火の炎に包み、ドラゴンの姿へと戻り、城ごと踏み潰して、ライアール国をぶっ潰してやろうと考え、本来の姿を見せようと変身の魔力を解くべく口を開き、詠唱しようとしたその時、
「これ、は……っ」
遠くの空に感じた懐かしい感覚に、ヴォルフガングは、纏っていた炎を消し、人の姿のまま急ぎ窓へと駆けた。




