第33話「伝説の魔物、旅立つ」
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「まいった……、人間界の習わしを調べていたら、うっかり遅刻するところだ」
暗雲立ち込める頂の薄暗い巣穴の中で、人間界の本を数十冊も広げて、読み入っていた紅きドラゴン(竜)は、長く鋭い爪で軽く鬣を掻きながら、ようやく重い腰を起こす。
朝も夜もないような世界、ここは人間界と時間経過が異なるがゆえに、ドラゴンは、辺りを見回しながら、
「して、いかほど経過しただろうか?」
と、焦りが出る。魔物最強と謳われるドラゴンとはいえ、時間を巻き戻すことなどできない。よって、紅きドラゴンは慌てて重たい体を起こし、散らばった本をそのままに立ち上がる。
「これはいかん! 結婚式に間に合うだろうか?」
紅きドラゴンは、慌てて巣穴から外へと駆けだし、空を仰ぐと、急ぎ言葉ではない何かを声にした。
すると、眩い光が降り注ぎ、紅き竜はドラゴンの姿から人間の姿へと変化する。
燃えるような紅い髪に、溶岩のような深い真紅の瞳。
纏うオーラは人とはかけ離れていたが、余程のものでない限り、それに気づくことはないだろうと、ドラゴンは人間の姿に満足する。
「ふむ、コレなら問題あるまい」
結婚式での服装を本から得て見繕った衣装は、とても綺麗で高価な雰囲気を持っていた。それに髪もきちんと整え、靴もそれに揃えるように着飾る。
それはまるでどこかの国の王様のようでもあったが、爪を短く切ることは、少々躊躇われ、ドラゴンは「爪は我が武器でもある」と、少し長いままだが問題ないだろうと、そのままとした。
「身なりはこれでよいだろう」
清潔感を意識して見繕った正装を目視し、人として違和感がないかしっかりと確認すると、
「結婚式で、恥をかかせるわけにはいかぬからな」
そう声に出し、紅きドラゴンは再びドラゴンの姿へと変化すると、巨大な翼を左右に広げ、大きく羽ばたくと高い空へと舞い上がっていった。
一方、アリアを国外追放してから結界に亀裂が見られるとの報告が増え始め、小さな魔物が入り込んでくるようになった『ライアール国』では、小さな混乱が生じていた。
「聖女は何をしておる?!」
国王は聖女が在中しているのに、結界が不完全であることに苛立ちを隠せなくなってきていた。このままではいずれ結界が破壊されてしまうのではないかと危惧して。
「レイリーンも精一杯頑張っております」
「祈りが足りぬのだ」
「はい! もっと強く祈るようにと僕からも言います」
「ランデリックよ、結界がなくなるようなことになれば、どのような惨状が持っているか、よく考えよ」
魔術師たちが欠けた結界を補えるのも、長くは続かない。もしもライアール国の結界が崩壊すれば、魔物たちが押し寄せ、国は滅ぶだろう。
ランデリックは、国王に深く頭を下げて謁見の間を後にした。
「おかしい……、聖女レイリーンは我が国にいる。結界が脆くなっているなど、ありえない出来事だ」
どの国にも聖女たる人物が結界をはり、国を守っている。聖女のいない国は滅んだと聞いたこともある。しかし、聖女もまた人であり、死が訪れないわけではなく、ライアールの聖女は王妃の母上であったのだが、高齢となり1年ほど前に亡くなってしまった。聖女の死後、1年ほどは結界が持続すると言われており、その期間に新しい聖女が生み出されるか、見つかるのが通常の成り立ちであった。
それで連れてこられたのが、聖女だと言われたアリア=リスティーだった。
報告では高魔力の確認ができたとのことだったが、彼女は魔法の類をその後使用していない。そのうえ、自主的に祈りの間に向かうこともなかったと。
『不慣れな魔法が暴走すると困りますので、魔法は使用しないように心がけております』
「聖女の称号を授けたときに、アリアはそう口にしたか……」
近くて遠いような記憶を掘り起こしたランデリックは、あの時は田舎者だったアリアは、魔法に慣れていないのだろうと、さほど気にもしなかったが、今頃になってなぜか引っかかった。
聖女の使用する癒やしの魔法が暴走するのか? と。
それに、それだけじゃない。
『何をしている?』
祈りの時間中に中庭でアリアの姿を見つけ、急いで駆けつければ、泥だらけになって花の手入れをしていた。
『このところ雨がなく、枯れかけていたのでお水を……』
『水?』
『ええ、あそこの井戸からお水を』
そういってアリアは、桶2つに視線を落とす。
草花の水やりなど、魔法を使えばよいのに、アリアはわざわざ水を汲んできていた。ランデリックはこの時、日常魔法程度が使えないのか? と眉を寄せた記憶が蘇る。
聖女様ともなれば、日常魔法などは簡単に扱えるはずで、火を起こしたり、花瓶に水を注いだり、木の枝に引っ掛かった帽子などを取るための風くらいは起こせるはず。その程度の魔法が暴走したところで、被害などたかが知れていると、ランデリックの顔に影ができる。
『水やりなど水魔法で済む話だろう』
声を低くして、アリアにそう言えば、アリアは申し訳なさそうに肩をすくめる。
『申し訳ありません。……魔法は不得意で』
『聖女が日常魔法もろくに使えないのか』
『も、申し訳ありません』
何度も頭を下げ謝罪するアリアに苛立ちを覚えたのは、今でもはっきりと覚えていた。これが俺の妻となる女なのかと、地味で、日常魔法も使えず、祈りもまともにできない。本当に田舎娘で、世間知らずだと、自分が嫌になるほどアリアに興味など微塵も抱かず、むしろ見ただけで苛立ちが隠せなくなりそうだった。
『いいから、とっとと祈りに戻れッ』
つい口調が強くなったが、国を守る重要な役目を放り出すなど、聖女たるもの絶対に怠ってはいけないことであり、ライアール国のためにランデリックは、眉間に皺を作って怒りを露にする。が、アリアからの返答に今度は目が点になった。
『……終わりました』
確かにアリアはそう回答した。
通常祈りは、1日2回。午前と午後でそれぞれ30分間行われるのがしきたりだ。ランデリックは腰にあった懐中時計を手にして時間を確認すれば、10分程度しか経過していないことが判明する。なぜすぐに分かる嘘をついたのかと、ランデリックが冷たい視線を送れば、アリアはさらに縮こまって「少し早く祈りを行ってしまいまして」と、時間厳守を守らなかったと白状した。
つまり、予定時刻より早くから祈りを捧げたため、今ここにいるのだと説明された。
なんて非常識な聖女なんだと、ランデリックの腸は煮えくり返りそうになる。代々続いてきた神聖な祈りの時間を勝手に変更するなど、ありえないと。
『これは国の決まり事だ! 勝手に変更するなど許されない!』
怒りは口を飛び出し、当然アリアを怒鳴った。
『も、申し訳ありません』
『先代の聖女たちは、みな献身的に公務を成した。それが今回はなんて野蛮な聖女なんだ』




