第28話「星が綺麗なので……」
城に到着したのは夜。
さすがに今から謁見するには遅く、王様と王妃様への挨拶は持ち越しとなってしまった。
つまり……
「冗談じゃないわ! またあの身支度をしろというの」
せっかく綺麗に身支度を整えたというのに、一度脱いで、また明日の朝、着替えて欲しいと言われた。
客間に通された私は、汚さないようにドレスを脱ぎ、アクセサリーを外し、化粧を必死に落としながら一人で文句を言い放っている。令嬢ではない私に侍女などいるはずもなく、アシュレイがメイドをつけると言ってくれたけど、「少し疲れてしまって、少し一人になりたい」と、お断りさせていただいた。
偽の婚約者なのだから、そそくさとここを立ち去れるように、城の人たちとあまり関わらず、顔を覚えてもらう前に逃げるつもりだから。
「化粧を落としたら、ほんと、誰だか分からないわ」
素の自分に戻って、私はほっとしたけど、大きなベッド、素敵な窓枠、ふわふわの絨毯、光が反射するほど磨かれた家具たち、見たこともない部屋の内装に落ち着かないのは変わらない。
アシュレイは視察に行った村の様子を報告書にまとめると、ローレンは職務に戻ると、自身の部隊へと戻って行った。
「はぁ~、どれだけ緊張したと思ってるのよ」
国王陛下に、王太子殿下の婚約者として紹介される私の身にもなって! ただの平民がおいそれと謁見できる相手ではなく、しかも偽物とは言え、婚約者を名乗る大役。緊張のピークはとっくに超えていた。
それなのに、「申し訳ないが、謁見は明日になる」なんて言われて『分かりました』なんて、素直に言えるわけもなく。
私はただ茫然と立ち尽くしたのが、数十分前。
それから客間に通されて、明日、メイドを向かわせるとか言われて、現状に至る。確かにあの身支度は一人ではできないからだ。
城内に足を踏み入れたら、アシュレイは完全に王太子様であり、反論なんか許される雰囲気ではなかったし、周りに人がいすぎなのよ。
王太子を取り囲むようにぞろぞろと集まってきた人たちに囲まれて、私が文句なんか言えるはずない。
「やっぱり引き受けるんじゃなかったわ」
お金も土地も欲しいけど、たとえ役とは言え王様に会うなんて言わなければ良かったと、今更後悔。
婚約者だと言うのは、王様の前で発言するから、今は黙っていて欲しいと頼まれたおかげで、私は客人としてもてなされている。つまり、まだ偽婚約者になっていないわけで。
だから逃げるなら今しかない。
軽装なのは仕方ないとして、廊下はダメ。城内に詳しくないから、出口を見つけるまでに誰かに会う可能性が高い。
(窓ね)
脱出するならそこしかないと、そっと窓辺に近寄った私は、窓枠に足をかけてカチャカチャと鍵を外す。
「……、何をしているんだ」
開いた! って喜んだ瞬間、背後から声がして私は恐る恐る振り向いて、完全に固まった。
だって、そこには腕を組んで深いため息をつくアシュレイが立っていたから。怒っているというよりは、呆れているように見える。
「そ、外の空気を吸いたくて……」
「窓枠に足をかけてか?」
窓から飛び降りて、怪我は魔法で治そうとしたから、思いっきり窓に片足を乗せていた。いざとなったら風魔法で落下衝撃を和らげられるかもしれないとも考えたけど。
不自然極まりない恰好だけど、私は作り笑いを作ってみせる。
「外の景色を見ようと思って……」
「こんな夜更けにか?」
「月が綺麗で」
「月なんか出ていたか?」
闇、闇、闇がどこまでも広がっていた。つまり月がない夜。
「あ、は……、星が綺麗なのよ」
月明かりがないからよく見えるわ、って無理やり話題を変えたけど、アシュレイがこっちに向かって歩いてくる。
「念のため、外にはローレンの部隊を待機させてある」
(それってつまり、私が逃げることは想定内ってこと?)
こうなることを想定していたアシュレイから、さらに釘を刺される。
「ちなみに、俺とローレンは魔力無効のアイテムを装備している」
「……ぅ」
国家の重要アイテムを借用させてもらっているため、睡眠効果の魔法は効かないと先手まで打たれる。
そのアイテムが私の魔法に敵うかどうかは分からないけど、魔法がかかってしまった場合、私の魔法は国宝を超えるということなのよね。ははは、と内心で乾いた笑い声が響いた。
(それこそ、兵器だと追われる身になりそう……、ね)
最強兵器だと、国に囚われる可能性は大いにあるわけで、下手に魔法を使用しない方が身のためだと、私は大人しくアシュレイに従うことにし、窓枠から足を降ろした。
「土地と金は約束すると言ったはずだが」
「は、はい」
「ではなぜ逃げる?」
欲しいものは与えると約束しているのに、逃げる必要がどこにあるのかと、アシュレイが迫る。報酬と引き換えに、婚約者の役を引き受けてくれただろうと。
「……怖くなって」
正直にこの状況が怖くなったと話せば、アシュレイは驚いたように目を開く。
「怖い?」
「ええ、こんな私が王太子様の婚約者役を演じるなんて、恐れ多いと」
「数多くの令嬢を見てきたが、気分を害さなかったのはアリアが初めてだ」
嫌悪感を抱くことも少なくなったのが本音。
『こちらのブローチは、王太子殿下の瞳の色に合わせましたのよ』
『うふ、もっと寄り添ってくださいませ』(胸に腕を当てる)
『王太子殿下のために、ドレスを新調しましたの、いかがかしら?』
あなたに相応しいのは私だと、皆がアピールしてくるその光景に恐怖すら抱いた。外見や地位に憧れて引き寄せられた人たちなんだろうと、どことなく冷めた気持ちがずっとあった。
それに引き換え、アリアは自分に意見するだけでなく、申し出を平気で断るし、言い寄ってくるような素振りなど微塵もない。雑に扱われることが新鮮すぎて、どこか追いつけていない。その上、そういうところが可愛いとさえ感じてしまっている。
アシュレイはそこまで考えて、はっとする。
好きになる努力をするとは言ったが、すでにアリアに心を囚われてしまったのではないだろうかと、視線を上げれば、軽蔑するようなまなざしを向けられていた。
「……なぜそのような顔をしている」
あまりにも酷い視線を受け、アシュレイは少し躊躇しながらも素直に聞く。王太子に向ける視線では絶対になかったからだ。




