第一章:法曹の道を歩む理由
VRMMORPG「ジャスティシア・オンライン(Justicia Online)」は、発売前から大きな話題を呼んでいた。このゲームは、広大なファンタジー世界を舞台に、プレイヤーが各々の職業を選択し、モンスターやダンジョンを攻略し、ギルドや国家単位での戦争に参加することもできる超大作だった。最大の特徴は、選べる職業が圧倒的な数にのぼることで、騎士、魔法使い、盗賊、商人はもちろん、鍛冶師や料理人、芸術家まで、ありとあらゆる職業が存在すると謳われていた。その中には、ごく一部の変わり種も混じっているという噂はあったが、ほとんどのプレイヤーは攻撃力や成長効率の良さから、戦闘職に集中することは明らかだと事前に言われていた。
俺――神崎瑛斗は、発売日の深夜零時、そのVRデバイスを頭に装着し、期待と不安を胸にキャラクタークリエイト画面へと没入した。リアルでは司法試験を終えて結果待ちの身。幼い頃から法律の世界に憧れ、努力を重ねてようやく弁護士になろうという矢先だった。結果が出るまでの長い1ヶ月、どうせなら思いきりゲームを楽しもうと、この新作VRMMOを予約していたわけだ。
キャラメイク画面では、髪型や顔立ち、体型などの外見要素を細かく調整できたが、俺はそこそこに済ませることにした。現実世界に近い黒髪短髪で、整った顔立ちに、平均的な体躯。ファンタジー世界なら金髪やエルフ耳なども人気だろうが、俺はあえて地味な人間男性で通す。あまり目立たないほうが後々便利だと思ったからだ。
そして、問題の職業選択画面へ。そこには膨大なアイコンと説明文が並び、戦士や魔法使いなど王道職業が上段に、下へスクロールするたびに生産職やサポート職、果ては吟遊詩人や外交官などレア職業が続く。そして、一番下の方で奇妙な職業名を見つけた。
「弁護士(Lawyer)」――
俺は一瞬、自分の目を疑った。ファンタジー世界で弁護士? 職業説明を読むと、「紛争解決の専門家。契約書を作成し、法的な拘束力で相手を従わせるスキルを持つ。裁判所機能のある都市で真価を発揮」などとある。このゲーム世界には「法」が存在するらしく、盗みや詐欺を行ったプレイヤーやNPCを裁くことができる、とあった。戦闘能力は低いかもしれないが、「法による拘束」ってどんな効果があるんだろう? 興味が沸いた。リアルで弁護士になろうとしている俺にとって、この職業は運命的なものを感じた。
多くのプレイヤーは、強力な攻撃職を選んで最初からガンガン狩りをするに違いない。だが、俺はこの「弁護士」というレアで誰も選ばなそうな職業を選んでみることにした。上位ランカーになる気はなかった。ただこのゲーム世界で、法の力がどれほど通用するのか、実験してみたかったのだ。
職業を選択すると、初期装備の黒いスーツ風ローブと簡易な革カバン、そして「初級契約書」数枚がインベントリに入っていた。武器らしきものはない。せいぜいペンと小さな手帳程度。HPやMPは他職とさほど変わらないが、攻撃力はほぼ皆無。代わりに「Legal Mind」というステータスがあり、契約書や法的スキル発動時に影響するらしい。他には「Evidence(証拠)」、「Witness(証人)」など、他職にはない不思議なパラメータも。
ゲーム開始地点は中央都市「アルベルタ」。ここは裁判所と弁護士ギルドがあるらしい。俺はチュートリアルクエストを受けるため、街中を歩き始めた。
通りは賑わっている。発売直後だけあって、プレイヤーもNPCもごった返していた。大剣を持った戦士風プレイヤーや、初級杖を持つ魔法使い、短剣とマントで忍び歩く盗賊など、皆それぞれの職業に身を包み、早速クエスト看板の前に殺到している。俺は人混みを避け、裁判所らしき重厚な建物へ足を運んだ。
扉を開くと、中には大理石の床と木製の長椅子が並び、奥に法服をまとったNPC裁判官が座っている。その脇には「弁護士協会」の看板を掲げた部屋があり、中に入るとやせ細った初老の男NPCが立っていた。彼の名は「レグルス弁護士会長」と表示されている。
「君が新米弁護士かね? ここでは依頼人の紛争案件を受け、契約書を作成し、調停し、時に裁判で勝利することで報酬を得ることができる」
彼は事務的な口調で説明する。チュートリアルによれば、弁護士はまず初級訴訟スキル「示談交渉(Negotiation)」を習得し、他プレイヤーやNPCが起こす軽微な事件の解決を目指すらしい。敵を倒すのではなく、法的拘束力で相手を従わせる――これは他の戦闘職業が経験しない世界だ。
最初のクエストは、町角でケンカを始めたNPC商人二人を調停し、和解させることだ。スーツ姿のまま現場へ向かうと、二人の商人NPCは値下げ競合をめぐって殴り合い寸前だった。これを「示談交渉」スキルで「紛争書」にまとめ、双方がサインすると、法的効力が発動し、ゲームシステムが強制的に契約条項を履行させる。つまり、強制的に片方が一定額を譲歩し、もう片方は価格を抑え、以後妨害しないといった「条文」が適用される。結果、二人は強制的に和解した。
報酬として少額のゴールドと、経験値が入る。法律職は相手を「倒す」のではなく、「納得させる」ことで経験値を得るらしい。そして今、俺はこれが普通のプレイヤーにとって驚くべき強みになるのでは、という仮説を抱いた。
戦闘不要、血を見ずに紛争を解決できる。その結果として成長できる。このゲームには大規模なPvP要素もあると聞く。もしプレイヤー同士が戦う前に、俺が法的強制力のある契約書を提示したらどうなるだろう。攻撃行為そのものが「違法」になるような法を整備できれば、戦闘職たちを無力化できるかもしれない。
あくまで仮説だが、試してみる価値はある。
こうして俺は、「弁護士」という異色の職業で、この世界を合法的に制圧するための第一歩を踏み出したのだった。