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8.雨の庭園

 静かな夜の庭園。時には、アウグストはもっと早い時刻に帰宅をしていることもあるため、毎日会えるわけではない。が、アメリアは、毎日庭園に足を運んだ。何故なら、彼女の目的はアウグストに会うことではないからだ。


 毎日、目が覚めると、バルツァー侯爵家に自分がいるのが夢ではないのだとほっとする。しかし、その次に「本当に自分がここにいていいのだろうか」と、恐れを抱く。自分は何の役にも立たないのに、と思えば胸の奥が痛む。


 ここでは、誰もかれも自分に優しい。着替えを手伝ってくれて、食事を勧めてくれて、それから何をすることにも制限をかけないし、どこに行くのも自由だ。その自由が、彼女には少しだけ息苦しい。


 彼女はもう邸宅を掃除することもなければ、洗濯をすることもない。それらは、ヒルシュ子爵家でも最後の1か月は手放したものだ。当時はその分一日マナーやら何やらを勉強しなければいけなかったが、ここではそれも強制されない。


 それでも、彼女は「何かをしなければ」と、バルツァー侯爵邸にある図書室からいくつか貴族のマナーなどについての書物を持って来た。しかし、正直なところアメリアはそこまで文字を読むことが得意ではない。勿論、書けるし読める。だが、長い時間読んでいるとどっと疲れる。


 また、貴族のたしなみとして刺繍はどうかと勧められたが、彼女は裁縫こそ出来ても、刺繍は出来ない。今は時間があるため刺繍を習っているが、これもまた集中をすればすぐに疲れてしまう。


「アメリア様は体力がだいぶ足りないようですね」


 と、バルツァー侯爵家かかりつけの医者に言われた。確かに、ヒルシュ子爵家にいた頃も、掃除や洗濯をすれば疲れてしまって、そこから昼に2刻ほど眠っていた。話を聞けば、食事が足りないことが主な原因なのだと言う。また、以前は掃除や洗濯をしていたが、今は何もしていない。少し歩いた方が良いとも言われた。


 だが、昼間どこかにいこうとすると、誰かが必ずついて来る。それが、アメリアには少し苦痛だった。それに、どこに行こうかと考えても、特に案が浮かばない。昼にも庭園に足を運んで庭師の仕事をじっと見ていたが、日差しが強くてそこでまた一気に疲れてしまった。


(これでは、お披露目会とやらで、アウグスト様の隣に座っているだけでも……)


 疲れてしまうのではないかと思う。だから、彼女は夜の庭園を歩くのだ。今日は空が少し暗く、月明かりも星明かりもない。そのため、燭台の明かりをランプに移して持って来た。


(このお屋敷は、蜜蝋を使っているわ……ヒルシュ家の離れでは、もっと獣くさい……動物の匂いがする蝋燭しか使えなかったのに)


 ヒルシュ家は本館の一部では蜜蝋を使っていたものの、使用人が寝泊りする場所や護衛騎士たちの詰め所、それから離れは動物性の蝋燭を使っていたはずだった。たったそれだけで、アウグストが築いた財が大きいことがよくわかる。そして、自分が今使っているランプの油も植物性だと彼女は気付いていた。何を使っているのかはわからなかったが、とにかく匂いが違うのだ。それを、素直に「すごい」と彼女は思う。


 バルツァー侯爵家の庭園は思った以上に広かった。庭師に聞けば、アウグストは別段庭園をどうとも思っていないようだったが、先代――アウグストの父親だ――まではよく庭園にあれこれ口出しをしていたらしく、みな庭園が好きだったとのことだ。とはいえ、先代の借金だか何かのせいで、一時的に予算が割けなくなって庭園の手入れ回数も減った。それを、アウグストは元に戻したのだと言う。


 だから、アウグストは庭園に興味がないのかもしれないが、庭園に何が必要なのかはわかっていて、好きにさせてくれるので良い旦那様だ……庭師はそうアメリアに話してくれた。


(わたしも庭園のことはよくわからないけれど……)


 アメリアは夜の庭園をぐるりと回る。美しい花壇の花は夜露に濡れている。今日は少しだけ涼しかったので、肩にはレースのショールをかけていた。


「あっ……?」


 庭園に出て案外奥まで歩いたな、戻らないと……そう思った矢先だった。ぽつぽつと細かい雨がアメリアの頬に落ちて来る。アメリアは慌ててランプを地面に置いて、レースのショールをそっと頭からかぶる。それから、片手でショールの端を押さえ、片手でランプを持って邸宅に向かった。彼女は普段走らないが、さすがに雨に降られては小走りにならざるを得ない。


「はっ、はっ、はっ……」


 少し、息が切れる。なんとか渡り廊下に戻ると、アメリアは膝を床につく。すると、そこに足音が近づいて来た


「あ……」


「おい、大丈夫か」


「アウグスト様……おかえりなさいませ」


 見れば、アウグストが帰って来たところだった。外套を着ているため、明らかに外から戻ったのがわかる姿だ。


「……何やら、花嫁のヴェールのようだな」


 彼はそう言って小さく笑う。アメリアは一瞬何を言われているのかわからずきょとんとしたが、少しぼんやりしてから、彼がレースのショールのことを言っているのだと気付いて「あっ……」と小さく声をあげる。それから、どう答えたら良いのかわからなくなって、頬を染めて俯いた。


 アウグストは「少し待っていろ」と言って、そこから離れた。アメリアは一体どうしたのかと不安そうに、床に座って彼が戻って来るのを待つ。その時間、ほんの1,2分。彼は戻って来た。


「これを使え」


 そう言ってタオルを差し出すアウグスト。


「ありがとうございます」


 アメリアは、頭にかぶっていたショールをとって肩にかけ、タオルで髪を拭く。滑らかな金髪の端から、ぽとりぽとりと水滴が落ちて室内着を更に濡らす。アウグストは勝手に手を伸ばして、彼女の肩からショールを取った。それに気付いて慌てて声をあげるアメリア。


「あっ、そ、それは……そのっ……ごめん、なさい。貴族には……似つかわしくないもの、でしょうが……」


「うん? 十分水を吸っているのだから、肩にかけては……」


「あっ、そういうことでしたか。わたし……」


 恥ずかしい、とアメリアは更に頬を紅潮させる。アウグストは手に持ったタオルでショールを包みながら


「貴族には似つかわしくないか」


と呟いた。彼の言葉の意図がわからなかったものの、アメリアは少し沈んだ声音で答える。


「わたしには身の丈にあったもののように思えるのですが、きっと、普通の貴族は……」


「そうだな。確かにそうなんだろう。これか。リーゼと出かけて買って来たのは」


 アウグストにはそんなことまで報告されているのだ、とアメリアは少しだけ驚いた。が、それへ「はい」と小さな声で返す。


「わたしにも、これが貴族にあうものだとは思えない」


「!」


「だが、そうではないものを身に着けることは、別段悪くないと思っている。人前では虚勢を張っても、家の中でなら構わないだろう。それに、君が自分で選んで買ったのだろう? 人と言うものは、何かを欲して、選んで、物を手に入れるものだ。わたしが知る限り、君がここでそう欲して手にしたものはこれが初めてだろう。ならば、それは尊重する。身の丈がどうこうという話ではない。君がこれを選んだのだから、そんなものは関係がない」


 アメリアにはアウグストが言っていることがあまりよくわからない。わからないが、自分が初めて選んで買ったものを受け入れてくれたのだ、ということは理解を出来た。


「ありがとうございます……!」


 彼がタオルからショールを出してアメリアに戻せば、彼女はふわりと微笑んでそれを受け取った。


「着替えは大丈夫か。濡れたものは脱いで、廊下に出しておけばいい。風邪をひく前に急げ」


「はい。ありがとうございました」


 アウグストは自分が手にしていたタオルもアメリアの肩にかけ、そのまま私室に向かおうとする。


「おやすみなさいませ」


 アメリアが柔らかい声を背に投げると、彼は足を一瞬止め「ああ。おやすみ」と返した。


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