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4.頭を抱えるバルツァー侯爵

 アウグスト・バルツァー。25歳。彼はバルツァー侯爵家の次男として生まれたが、愛妾の子供だったため、後継者の権利を有さなかった。よって、彼は貴族の子息教育を受けず、むしろ市井の子供たちに交じって暮らしていた。朝になればバルツァー侯爵家の裏口から出て、領地内の子供たちと共に遊んだり、その辺の店屋の手伝いをしたりして、子供の頃は過ごしていた。


 そもそも母親はバルツァー侯爵との蜜月を楽しむ人生を送っており、彼の行いについて何も干渉をしなかった。彼が侯爵家の裏口から出る頃に母親は眠っていたし、戻って来る頃は「これから侯爵との逢瀬を楽しむのだ」と着飾っている最中であることがほとんどだ。彼は、そんな母親を母とは思わずに生活をしていた。


 彼が13歳の頃、その母親が死んだ。そして、彼は完全にバルツァー侯爵家を「寝泊りするだけ」の場所にして、日々を街中で過ごした。そのうち、商人に声をかけられ、彼は父親に内緒で近くの学校に通うようになる。そこでは貴族子息の教育とはまた違った教育が施されていた。商人になるには、無学文盲ではよろしくない。それは商人たちの共通認識だったし、そこでは国内に留まらず国外のことも学ぶことが出来た。


 アウグストは侯爵家から独立するため、ひっきりなしに勉強をし続けた。そして、彼に声をかけてくれた商人の元で見習いとなり、商談に同行をさせてもらうことも増えた。バルツァー侯爵家に戻らない日も多かった。そんな彼を咎める者は一人もおらず、どんどん彼は商売の世界にのめりこんでいった。


 ところが、彼が18歳になった翌日。バルツァー侯爵家の別荘に出かけていた家族――父親と本妻、異母兄と異母妹の4人――を乗せた馬車が盗賊に襲われた。そして、その時に抵抗をしたせいで、異母兄と本妻は盗賊たちの手によって殺されてしまった。ようやく侯爵家に戻って来た父親は一気に老け込んでしまっていたし、異母妹はショックを受けて塞ぎこみ、アウグストの叔父が代理人としてバルツァー侯爵領を治めることになった。


 しかし、何を思ったのか、バルツァー侯爵は「アウグストに後を継がせる」と言い始め、彼を無理矢理後継者にしてしまう。


 それにはアウグストも反対をして「叔父さんがいるでしょう」と言ったものの、どうも代理人になっていた叔父も歯切れが悪い。一体何がどうしたのか、と話を聞いたところ……。


「アウグスト。このバルツァー侯爵領の経営はよろしくない。お前の父と母は、内緒で借金に借金を重ねていたようだ」


 と、とんでもないことを言い出されてしまう。何の冗談かと思ったが、まったくこれが冗談ではなく、その借金の返済は、後3年後との話。これにはアウグストも寝耳に水とばかりに衝撃を受けた。


「そして、更に残念な話をする。その借金は、お前の父が支払わなければ、次はわたしではなくお前に支払い義務が発生するようになっている」


「は……?」


「本来ならば、お前の兄だったのだろうが、残念なことに亡くなってしまっているしな」


「一体、どうしてそんな……」


 何をどう言ってみようが、それらの話は事実だった。サインをした覚えもない書類が大量に出て来て、どうにかしようと思っても結果的にそれをくつがえすことは難しかった。それを機として、アウグストはバルツァー侯爵家にあった様々な資料をひっくり返し、借金以外にも、鉱山の所有権にも期限があって2年後には手放す予定になっているとも知った。


 これはもうどうしようもない、とアウグストは叔父に頭を下げた。領地の経営は叔父にある程度任せながら、彼は商人の手を借りて拙い商売を始めた。そして、彼の商売はあっという間に軌道に乗って、3年間でその借金を返済することになった。


 しかし、金があるところには色々な悪意が集まって来る。商人も、商人ではない者も。男も、そして、女は特に。


 侯爵という肩書きがあっても、彼は愛妾の子供だ。本来、後継ぎになる権利を持たない者。側室の子供までしか認められない後継者になった彼は、陰で噂をされていることをよく知っていた。そんな彼の元に嫁ぎたいと言う女性たちは、おおよそ金目当て。同じ貴族であっても、財力が違う。それだけで、彼は人々のターゲットになった。


 彼は借金返済後もどんどんその商才を振るって、あっという間に財を築いた。そして、未だにそれは右肩あがりだ。そうなれば、血統が整っていても財がない……それこそヒルシュ子爵家のようなところから……女性を紹介され、どうにか婚姻出来ないかと画策する者たちが出ても不思議ではない。


 彼は、それからの数年何度も女性と付き合い、その都度、何度も「自分ではなく自分が持つ財」を狙っていることに辟易をした。おかげで、今では見事に女性嫌いになってしまった。挙句、今回のように「自分も同じことをしても良い」と、血統やら何やらだけを求めて婚姻を申し込む始末。


 だが、彼にとってそれは「他人に狙われるならば、むしろ自分が選んでしまえばいい」と言う苦渋の想い。彼は彼で、苦しんだ挙句の選択だったのだ。




「くそっ……なんということだ……一体どうなっていやがる……」


 今も、アウグストは執務室で頭を抱えていた。まったく、何もかもうまくいかない。多額の結納金を出したにも拘わらず、やってきたのは存在すら知らなかった双子の妹ときたものだ。しかも、人脈もない上に、噂に聞いたような華やかな女性でもない。まったくの外れくじを掴まされただけではないか。


「いや、いい。ヒルシュ子爵は血統で言えばこの国では長い家門であるしな……それだけでも、良かったと思わなければ……」


 トントン、とノックの音がする。返事をすれば「ディルクでございます」と執事の声が。


「失礼いたします。アメリア様の件で」


「なんだ」


「一応話をお伺いしましたが、アメリア様はダンスが出来ないそうです」


「まさかとは思っていたが……いい。以前も言っていたが、足をくじいたことにすれば良いだろう」


「かしこまりました。それから、給仕の者からの報告ですが、アメリア様はあまり食が太くないご様子で、スープとパンのみしか召し上がらないとのことです。こちらの食事が合わないのかと尋ねましたところ、もともと多くお食べにならないと言うお話で……」


「どうにか出来ないのか。大体、あの室内着はなんだ。胸元はスカスカだし、袖から出ている腕も細すぎる。体全体が細くて折れてしまいそうではないか。あれをお披露目に出しては、その辺の村娘を連れて来て代替えを立てたように見えてしまうだろう」


 それにディルクは否定をしなかった。とはいえ


「ですが、艶やかな金髪に、美しい水色の瞳をなさっておられますよ。それに、あまり顔を上げてくださらないようですが、綺麗なお顔立ちです」


「そうか……?」


 ディルクの言葉に眉をひそめるアウグスト。顔。顔を思い出そうとしても、あまり印象に残っていない。それどころか、思い出せない。俯いている姿しか彼の記憶にはなかった。目覚めた後にも話をしたが、怒りを抑えるのが精一杯で、一方的に話をしたせいか彼女をよく見ていなかった気がする。


 彼はここ数日仕事を詰めていたため、あまり眠っていなかった。だから、少しばかり感情が苛立っており、過剰に反応をしてしまった。それを今反省してもどうしようもない。どちらにしたって、アメリアの存在は青天の霹靂だったし、彼が思い描いていたようなものではなかったのだから、完全な不良債権だ。


 ヒルシュ子爵令嬢が2人いたならば、本来「どちらのことなのか」と尋ねれば良いのだ。それをしなかった。しなかったという時点で悪意がある。どちらでも良いわけがない。だが、その悪意のせいでアメリアを押し付けられた。そして、金は払わされた。自分の落ち度ではあるが、これに腹を立てないことはなかなか難しい。


「……ああ、駄目だ。悪い。ちょっとイライラしているな……ああ、そうだな。わたしが悪い。よくわからんが、アメリアも無理矢理嫁がされた、ということなんだろうな」


「そのようですね」


 アウグストの頭が冷えた様子なのをディルクは「よかった」と思いつつ、顔にも口にもそれを出さない。


「どうせ元から政略結婚以下の婚礼だ。今更怒っても仕方がない。だが、腹が立つほど結納金を取られての、これだ。完全にヒルシュ子爵から馬鹿にされている。爵位としてうちの方がだいぶ上なのに、血統を盾にしているのか……どうせ、『俺』が愛妾の子供で成り上がりだという話も知っているんだろうし、そいつは仕方がない。そして、仕方がないから金を出したのに、これだ。やってられん……」


「坊っちゃま」


「坊っちゃまは止めてくれよ……とはいえ、俺が幼い頃からディルクとリーゼだけは、変わらずに接してくれていたな。それは感謝している」


 そう言ってアウグストは椅子の背に体を預けた。ディルクは小さく微笑んで


「アメリア様と、ご一緒にお食事でもいかがですか」


と尋ねる。しかし、それへアウグストは首を横に振った。


「そんな暇はない。悪いが、お前とリーゼに任せた。それなりによくしてやってくれ。ちょっと執務をしたら、父上と妹に会って、それから町の視察に出なければいけない。今日も帰りは遅くなるし、当分それが続く。一週間ぐらいかな……頼んだぞ」


「……かしこまりました」

 

 ディルクはそう言って頭を下げて出て行った。閉まった扉をしばらくアウグストは眺めていたが「ああ」と自分の髪をぐしゃぐしゃと指でかきあげ、ため息を一つ。


「言っておかなければいけなかったな……」


 口をへの字に曲げて、アウグストは部屋から出た。ディルクがまだいれば声をかけたところだったが、既に彼の姿はない。彼は仕方ない、と溜息をひとつついて、アメリアの部屋に向かった。




「アメリア」


「あっ……バルツァー侯爵様」


 突然入って来たアウグストに驚いて、アメリアはかすかに震える。それを見て「ああ、悪い……次からは、ノックをする」と告げる。


「クローゼットにある程度のドレスは用意していたが、多分お前……いや、君のサイズはなさそうだ。町に出て買ってくるがいい。リーゼに言って、仕立て屋に共に行ってもらえ。仕立て屋を邸宅に呼ぶのではなく、自分で行って欲しい」


「えっ、あの、そんなことは……」


「ひとつき後のお披露目に着用するドレスは、体にあったオーダーメイドで作ってもらえ。それに合う宝飾品や靴も一緒に買ってくるがいい。それから、お前には毎月それなりの金額を与えるので、何かに使うように」


 驚きで目を見開くアメリア。だが、アウグストは彼女の表情を特にしっかり見ていないようで、必要なことを矢継ぎ早に話す。

 

「よくわからんが、最新のドレスやら、あとは最近流行っているらしい菓子店やら……まあ、一番いいのは宝石店だな。ある程度使ってくれ。この部屋もそうだ。毎月何かどこか調度品を入れ替えても良い。町に金を流さなければいけないし、何より、わたしが妻に対して金をしっかり使う男だということを領民にわからせなければいけないからな。それなりの贅沢をしてくれ。これはわたしからの依頼だ」


「え……え……」


「ああ、それから、君は前髪が長すぎる。顔に髪がかかって表情が見えない。それも切ってもらうがいい。あとは、好きに使え」


 それだけ言うと、アウグストはアメリアの部屋から出て行ってしまった。まったく、アメリアからの返事も何も聞かずに一方的に。


「い、一方的、だわ……」


 だが、彼が自分を妻と認めて話を続けてくれているのだと思えば、それはありがたいとも思う。何より、ヒルシュ子爵家に戻れとはもう彼は言わないのだろうし。


「……わたし……ここにいても、大丈夫なのかしら……」


 ぽつりと呟くアメリア。ぐるりと室内を見れば、あまりにも大きく、そして調度品も豪奢なものばかり。それらは今まで自分が寝泊りしていた場所と雲泥の差だった。


「ああ、まるで夢のよう……でも、本当にわたしが妻になるなんて、バルツァー侯爵にはご迷惑極まりないことなのではないかしら……」


 もし、自分が妻になったら。そう思っても、自分は何も役に立てないと思う。


(バルツァー侯爵様は側室を娶られるのかしら……とても、わたし一人では……)


 アメリアは立ち上がると、窓に近づいた。そこから外を見れば、美しい空が広がっている。不思議と、子爵家の窓から見た空よりもその空は美しく見えた。


「何か、お役に立てれば良いのだけれど……」


 と、そっと声に出してしまい、なんとなく気恥ずかしくなってアメリアは一人で首を横にふるふると振った。


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