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3.旦那様からの拒絶と妥協

 深い眠りについていたアメリアだったが、朦朧とした意識の中、遠くから声が聞こえてくる。なんだか、騒がしい。だが、あまりの疲れで彼女は目覚めることが出来ない。


(ああ、わたし、深く眠ってしまって……起きられない……)


 男性の声が2つ。それから女性の声。と、思った途端、体を揺さぶられ、無理矢理起こされる。


「起きろ! お前は一体誰だ!?」


「っ……」


「ヒルシュ子爵令嬢ではないだろうが。よくも面の皮厚く、眠っているものだな!?」


「あ……」


 がくがくと体をゆすぶられる。なんて暴力的なのだ。そう思ったけれど、意識は未だに朦朧としてうまく覚醒出来ない。ただ、揺すられていることは不快だった。


「大体、お前たちもお前たちだ。見ればわかるだろうが。こんな貧相な輩が、子爵令嬢のわけがないだろうが」


「し、しかし、侯爵様……」


「おい、起きろ! 起きろと言っている!」


「んっ……あ……」


 ようやく、深い眠りの淵から戻って来て、アメリアはゆっくり瞳を開けた。なんだか頭の奥が重たく感じるが、今はそんなことを言っている場合ではなさそうだ。見れば、大柄でいささか粗野な黒髪の男性が彼女の二の腕に手を置いて揺さぶっている。精悍な顔立ちだが、その表情は険しい。


「おい、一体何がどうして、ヒルシュ子爵令嬢と入れ替わったんだ? どこかで馬車を襲ったのか? そもそも、ここに来たのも馬車1台と聞いたぞ。子爵令嬢がそんな貧相な様子で嫁入りに来るか? お前は盗賊か何かではないのか」


 矢継ぎ早の言葉に、アメリアは驚いた。二の腕を掴む彼の手の力に顔を歪め、それからなんとか「わたしがヒルシュ子爵の娘です……」と声を出す。


「侯爵様、痛がっていらっしゃいます。それぐらいで」


 そうリーゼが声をかけたが、その男性の手の力は緩まない。


「どこの誰とも知らぬやつに、手加減をする必要はない」


 長い前髪がアメリアの顔を隠す。それを自分でどけたいのに、彼が二の腕を強く掴んでいる痛みでうまく手が動かない。アメリアは自分の顔を覆う髪の隙間から、彼を見上げた。


「侯爵、様……でいらっしゃいますか……?」


「そうだ。わたしがこの侯爵家の当主だ。言え。一体何が目的だ。ヒルシュ子爵令嬢をどうした!」


「ですから、わたしが、ヒルシュ子爵の娘で、カミラの双子の妹、アメリアと申します」


「何だと!?」


 ようやく彼の手が緩み、アメリアの体はソファに倒れた。「うっ」と声を漏らすアメリアに、ディルクとリーゼは手を貸そうかと困ったようにおろおろとする。なんとかアメリアは体を起こして立ち上がり、おずおずとカーテシーを行った。それを彼は呆然と見ている。


「双子の妹……? ヒルシュ子爵令嬢は、二人いたということか……?」

 

「はい。侯爵様からの求婚のお手紙はお名指しではなかったので……姉ではなく、妹のわたしが参りました。それではお困りでしょうか……」


「……はぁ……それは、本当か? 本当に?」


 深いため息をつき、あからさまに嫌そうな表情を作るバルツァー侯爵。だが、アメリアは「ここで怯んではいけないわ」となんとか勇気を出して、はっきりと返事をする。


「はい。本当です」


「お前は、姉のように社交界でうまく交流が出来るか? 人脈はあるか?」


 その言葉に俯くアメリア。


「……いえ……それは……ございません」


「それから、貴族としてのマナーなどはどうだ? わたしが欲しかったのは、貴族としての正当な血統と、それに即した振る舞いが出来る女性、そして、人脈だ。それが備わって、更に誰もが目を奪われるように美しいと聞いていたので、だったら金を積んでも良いと思ったのだ。お前はどうだ?」


 貴族としてのマナー。それに関しては、自分もカミラもそこまでは変わらない気がした。何故なら、テーブルマナーなどはともかく、カミラは人としては「ちょっと奔放」が過ぎるからだ。が、それ以外に関しては完全に彼が言うのはカミラそのものだった。カミラは多くの男性の心を射止め、一時的にどんどん人脈を広げていった。勿論、その後にその男性を捨てるので、実際の人脈はと言うとまた別問題だったのだが……。


「残念ながら、どれもわたしは持ち合わせておりません……」


「ハッ! そうだろうな。見ればわかる」


 バルツァー侯爵は両手を広げ、呆れたように声をあげた。そうか、彼はカミラの美貌だけで婚約を迫ったわけではないのだ……アメリアはそう思ったが、だからといって自分で良いわけはまったくない、いや、むしろない……そう思えば、胸の奥がずきんずきんと痛む。


(わかっていたことなのに、今更傷つくなんて。馬鹿ね、わたしは。見ればわかる。そうね、わたしはこんなに貧相ですもの……)


 彼に欲されていないことは最初からわかっていた。でも、今傷ついているのはカミラと比較されたからではない。きっと、自分は無意識で「もしかしたら」と思っていたのだろう。


(なんて浅ましいことを。本当にわたしは……)


 涙が湧き上がりそうになるのを、ぐっとこらえる。そんな彼女にバルツァー侯爵は冷たい声で告げた。


「ならば、帰って伝えろ。わたしが欲しいのはお前ではない。お前の姉だと。わかっていながらお前を差し出したのだろうな、ヒルシュ子爵は。その腐った根性については、それ以上は問わないでやる。いいか。明日の朝になったら、この家を出てヒルシュ家に戻ってすぐに姉を寄越せ」


「ですが……」


「これ以上、お前と話をする義理はない。おい、ディルク、リーゼ、いいか。明日の朝、彼女を馬車に乗せてヒルシュ子爵家に送り返せ!」


 2人は困惑の声をあげる。アメリアは、もう彼を見ずに俯くだけだ。


「しかし……」


「侯爵様、ですが……」


「わたしはもう寝る。いいな!」


 バルツァー侯爵はそう言うと部屋から出て、バタン、と大きな音をたててドアを閉めていく。残されたアメリアの元に、ディルクとリーゼが駆け寄る。


「アメリア様」


 アメリアはすっかり意気消沈してしまった。バルツァー侯爵に気にってもらうも何もない。自分の一か月は完全に無駄だったし、きっとヒルシュ子爵邸に戻れば役立たずと罵られてしまうのだろう。


「お2人ともありがとうございます。明日、ここを出て……」


 ヒルシュ子爵家に戻ります。そう言おうとしたが、どうにも言葉にならない。悪意によって自分はここに遣わされたが、では、戻ることは許されるのだろうか。いや、許されるわけがない。何度も考えたそれが現実となってしまい、思考が止まる。


 ディルクもリーゼもなんとなく察している様子で「ですが」と、言葉にしては、口を閉ざす。


(わたし、生かしてもらえるのかしら? 財をヒルシュ子爵家にもたらすと言われてここまで生きて来て。そして、この一か月、更にお金をお父様に使わせて、その結果がこれだなんて)


 だが、何にせよ、バルツァー侯爵の拒否は想像以上に激しかった。これで、明日起きて自分がいたら、きっと彼は更に怒りを加速させるだろう。だが、ヒルシュ子爵家に戻ったら、自分はまた離れで暮らすことになるのだろうか? それとも、どうにかしてバルツァー侯爵の妻になれと、またあちらでも追い返されるだろうか。


 そんなことはもう嫌だ。どうにかして。そうだ。どうにかして、ヒルシュ子爵家に戻らなくても良い方法を考えつかないだろうか。


(ああ、頭が、重い……早く、1人で眠りたい……)


 とにかく、自分を心配してくれるディルクとリーゼ、2人を安心させないと。そう思って、アメリアは困惑しつつも、彼らに言葉を返した。


「どうやら、わたしでは侯爵様のお眼鏡に叶わないようですので……大丈夫で……あ……あれっ……なにか……」


 それは、突然だった。ぐらりとめまいがする。ぐるぐると世界が回っていくような感触に襲われ、脳の奥がガンガンと痛む。


(ああ、駄目……目を、開けていられない……!)


 アメリアは目を開けて何かを見ていると、それが頭痛に繋がるように感じる。慌てて目を閉じたが、それでも状況は解決しない。絶えず脳の奥で何か不快な音が鳴り響き、それも聞きたくないと思う。だが、目を閉じてもぐるぐると回る感触は残り、その螺旋の中央にすいこまれるように彼女の意識は閉ざされていった。




 夢を見た。幼かった自分に優しかった乳母が、まだ自分の傍にいてくれた頃のことを。幼かった自分は、栄養が足りないせいなのか、人とあまり接していない割によく風邪を引いた。その時に、そっと乳母が手を伸ばして額に触れてくれていたことを思い出す。そうだ、誰かが、今まさに、自分の額に手を触れているような気がする。


(誰? 私の額に手を……?)


 ぼんやりと意識が浮き上がる。すると、彼女の額にそっと触れていた手が離れた。うっすらと目覚めて何度か瞬きをすると、枕元にリーゼが膝を折って屈んで覗き込んでいる姿が映った。


「ああ、起こしてしまいましたか。どうですか。起き上がれますか」


「リーゼ……さん……」


「リーゼ、で良いのですよ。アメリア様」


「わたし……」


 頭痛がして。めまいがして。そうか、倒れてしまったのか、となんとか思い出す。


「ごめんなさい。ちょっとだけ疲れていて……」


「ええ、ええ、そうでしょう。ヒルシュ子爵家からここまでの長旅、おひとりだったとのこと。後から門兵から聞きました。ですから、相当にお疲れだったのでしょうね」


 その声は優しい。自分はもうバルツァー侯爵家から出て行かなければいけないというのに、こんな風に情けをかけてもらえるのか……それを心からありがたいと思いながら、アメリアは体を起こした。


「ちょうど良かったです。お腹はどうですか。あれからもう一日半も経過しています。ずっと何も食べていらっしゃらないでしょう? お水は時々、勝手ながらお口に差していたのですが……」


「一日半も?」


 アメリアは驚いて目を見開く。リーゼは「ええ、ええ。もう今日はあの日から2日後の朝ですよ」と笑顔を見せる。


「ごめんなさい。わたし、ここから出て行かなければ……すぐに出ていきますから……」


 慌てて毛布を跳ねのけるアメリア。すると、そこにノックもなしに扉が開いて、バルツァー侯爵が姿を現した。驚いて身を竦めるアメリア。


「起きたか。通りがかりに声が聞こえたのでな」


「あっ……の、今すぐ、今すぐ出ていきますのでっ……」


 見れば、やはり変わらず険しい表情で眉をしかめている。どう見ても自分のことをよく思っていない彼にじろりと睨まれ、アメリアは萎縮をした。


(怖い……でも、お怒りになるのは仕方がないことだわ。これぐらいは我慢をしなくちゃ)


 だが、そんな彼女に思いもよらない言葉がかけられた。


「いい。お前を妻にすることにした」


「えっ?」


「お前がヒルシュ子爵家を出てから、あちらはあちらで動いたようだ。昨晩、こちらにも話が届いた」


「と、申しますと?」


 そう尋ねれば、更にバルツァー侯爵は難しそうな表情になり、チッ、と軽く舌打ちをする。


「まったくもって、やられた。お前の姉は、ギンスター伯爵子息と縁談が決まったのだそうだ。よかったな。あちらからもそれなりの金を用意されるんだろうさ。大々的に発表をしたらしい。こちらにお荷物を押し付けてな」


「!」


 ギンスター伯爵の名をアメリアは知らない。だが、きっとカミラの夫になるならば、それ相応の地位も名誉も財力もあるのだろうと思う。本来、バルツァー侯爵の方が爵位は上だが、ヒルシュ子爵には何やら思うところがあったのだろう。


「仕方がない。お前を妻にして……腹は立つが、まったく、どうしようもない。が、ヒルシュ子爵家の娘を娶ったということで、1か月後に内々で婚姻を結び、お披露目をするからな。それには出席してもらうぞ」


「は……はい……」


「婚姻はただの形式だ。用意した書類に名前を書くだけだ。名前は書けるな?」


 アメリアはそれに頷いた。「それはよかった」と返し、バルツァー侯爵は「後は勝手にしろ。テーブルマナーとダンスだけ出来れば……いや、ダンスもいらない。足をくじいたことにでもすれば良いな。わたしの隣で座っているだけでいい」と言って出て行ってしまった。閉まるドアを呆然と見ていると、リーゼがにっこり微笑んで


「お食事にいたしましょう。こちらにお運びいたしますか? それとも、お食事の間に行かれますか?」


と尋ねた。アメリアは「ここで」と小声で答え、リーゼは部屋を出ていく。


(なんてこと……きっと、既に決まっていたんだわ……カミラの結婚のことは……)


 だから、アメリアをバルツァー侯爵邸に寄越したのだ。それを知って、小さなため息をつく。


(わたしは、何の役にも立たないのに。本当にバルツァー侯爵様がおっしゃる通り、わたしはお荷物だわ……何も出来やしない……)


 そして、彼もまた自分に期待をしていないのだと思えば、少しだけ胸の奥が痛む。だが、それは仕方がない。自分は何が出来るわけでも何を知っているわけでもない。貴族らしい振る舞いはこのひと月でうわべだけ詰め込まれたものだし、ダンスも出来なければ、刺繍も出来ない、乗馬も出来ない、書物は読めるが学問は納めたこともない。出来ることと言えば……。


(お父様には、媚びを売れと言われたけれど……わたしにはそんなことは無理だわ……)


 それは、人に媚びたくない、という意味ではない。彼女はそもそも誰かに「媚びを売る」ということがよくわからない。ただ、言葉の意味はなんとなくわかる。その上で、彼女は「それを侯爵様にするなんて」と、軽く首を横に振った。


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