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身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした  作者: 今泉 香耶


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16.プロポーズをもう一度

「執事代理人が残っているとお聞きした。その者にお会いしたい」


 ヒルシュ子爵家前の門兵にそう告げて、アウグストは通してもらう。彼を案内しようとする門兵に「今日は人が足りないのだろうから、良いよ」と言えば、彼らもまた「ありがとうございます。それでは、ここからまっすぐ行ってあの扉をお開けください」と告げる。


「酷い有様だ」


 ヒルシュ子爵家は、門からエントランスの扉までの両側、美しく花が並べられている。が、よく見れば、その奥側にある庭園は、手入れが行き届いていない。表向き「それっぽく」しているだけで、実際は張りぼてというわけだ。


 彼は、後ろを振り返った。門兵たちが自分を見ていないことを確認すると、脇道に逸れる。


(アメリアは、離れにいると報告書にはあった……)


 足取りが早くなる。ヒルシュ子爵家のどこにどう離れがあるのかはぱっと見てわからなかったが、急がなければと思う。小道だったのだろう場所も、雑草が生い茂っており、まったく手が入れられていないことが明らかだ。


 少し歩けば、本館の裏にどんよりとした離れが一つ見えた。きっと、あそこにアメリアがいるのだろう……アウグストは周囲に人がいないかどうか気にしながら、ゆっくり近づいた。


 と。その時。


「……!!」


 侍女の服を着た一人の女性がそちらから歩いて来る姿が見える。本館と行き来している者だろうか。彼は、庭園の、なんとか緑を保っている木の裏に隠れてそちらを見た。彼女が行きすぎてから、離れに行こう。そう思った時……


「アメリア……!?」


「!」


 まさか。その侍女の服に身を包んだ者が、アメリアだなんて。アウグストは驚いてぽかんと口を大きく開けた。そしてまた、アメリアもまた、驚いて「えっ」と言ってから、がくりと膝をその場で付く。


「アウグスト……!?」


「アメリア。アメリアだな?」


「はい……はい……っ」


 彼は、彼女に手を伸ばした。アメリアはおずおずとその手に手を重ねた。ぐいと彼女の体を起こして、アウグストは顔を覗き込んでいった。


「アメリア。君を、抱きしめても、いいだろうか」


「えっ、え……」


 突然の言葉に面食らったように、アメリアは声がうまく出ない。が、間違いなく彼女はこくりと頷いた。アウグストは、それまで彼女を抱いたことが一度たりとなかった両腕で、細い体を強く抱きしめた。


「すまなかった……本当に、すまなかった……こんなことを言うなんて、と腹を立てられるのは承知の上で言わせてくれ……君に……会いたかった……!」


 彼女のか細い体は、それでもぬくもりを彼に伝える。ああ、温かい。温かいのに、こんなに小さくて、こんなに細くて、折れてしまいそうだ。もっと優しくしてやりたい。だが、それが自分にはうまく出来ない。ぐるぐるとアウグストの脳にあれこれとあてどもないことが浮かんでは消え、浮かんでは消える。だが、それらをどうでもよい、と脳の隅に追いやるように、ただただ、彼は「もう離したくない」と強く願う。


「アウグスト……少し、少し、苦しい、です」


 か細い声に慌てて少しだけ力を緩める。自分の腕の中で見上げる彼女を見れば、見る見るうちに瞳に涙をあふれさせていく。


「わたし……わたし……」


「うん」


「あなたに、手紙を、書きました」


「手紙?」


 アメリアは震える手で、彼に封書を差し出した。


「あなたに、会いたいと。ずっとお待ちしていますと、書きました……!」


「……受け取っても良いだろうか」


「はい」


 アメリアの頬に、大粒の涙がこぼれる。アウグストは、彼女の手からその手紙を受け取って「ここで読んでも?」と尋ねた。アメリアは、両手で顔を覆って俯き、肩を震わせて「はい」と答える。


 封筒を開ける。2枚の紙に綴られる、たどただしい文字。だが、精一杯、綺麗に見えるようにと頑張っているのだろう、一筆一筆に思いがこもっている文字だった。


(決して、恨みも何もない。自分の悲しみも何も。境遇を一つも漏らさず、ただ、バルツァー家の使用人たちを思いやる言葉。それから)


 わたしへの言葉。手紙の内容はそう多くはない。だが、多くないゆえに、まっすぐに伝わる。


(本当に、わたしに会いたいと。けれど、それは叶わないのだろうから、過ぎ行く日々を数えながら、わたしを思いながら、待っていると。ただそれだけの言葉が)


 どうしてこんなにも胸を熱くするのかとアウグストは驚きつつ「貰っても良いだろうか」とアメリアに尋ねた。勿論、良いに決まっている。こくりと頷く彼女の様子を見れば、更に胸の奥がじんじんと痺れる。彼は、ポケットにその封書をしまうと、すぐに再び腕に力を入れて彼女を抱きしめた。アメリアは「あっ」と小さく声をあげたが、彼になされるがままになっている。


「アウグスト」


「ああ」


「わたし、本当に、嬉しかったんです……」


「何が、だ?」


「あなたや、みなさんに、人間として扱っていただきました。ひと月で、たくさんのことを教えていただきました。ここで、あなたに嫁ぐためにひと月費やした日々の、何倍も、何十倍も、たくさんのものをいただいて……だから……だから、その気持ちをどうしても……伝えたくて……!」


 泣きながら、これまでにないほど早口でアメリアは話す。そんな彼女を見たことがない。堰を切った、と言うがこれがそうなのかと思いながら、アウグストは彼女の髪を何度も撫でた。


「アメリア、戻って来てくれるだろうか……」


「よいのでしょうか?」


「ああ。勿論だ……すまなかった。わたしは本当に君に酷いことをした。だが、ようやく……」


 そう言葉にしようとして、彼ははっと気づいたように腕を離す。それから、その場でゆっくり膝をつき、彼女を下から見上げた。


「アウグスト……! そんな、わたしにそんなことは……っ」


「もう、わたしはすべて知っている。君がここでどんな暮らしをしてきたのか、どんな風に扱われていたのか。そして、どうしてわたしのもとに来たのかも、おそらく。だから、隠さなくてもいい。わたしは君を金で買った男だが、それでも言わせてくれ」


 一体彼が何を言うのかと困惑をしているアメリアに、アウグストは告げた。


「今更で、申し訳ないことは重々承知の上だ……もう婚姻は結ばれていることもわかっている。だが、答えて欲しい。アメリア、君さえよければ、わたしと結婚してくれるだろうか? わたしは、君がいい……!」


 夢のようだ、とアメリアは思う。あのアウグストが自分の前に跪いて、そしてプロポーズをしている。一体何が起きているのだろうかと思う反面、これ以上の幸せが自分にあるのだろうかと心が満たされる感覚にアメリアは包まれた。


 大体、何故彼はここにいるのだろう。どうして自分は彼とここで出会えたのか。それすらよくわかっていない。よくわかっていないけれど、自分の前で彼は自分が書いた手紙を読み、そして、その上で求婚をしてくれているのだ。


 まるで、間違った出会いをしてしまった自分たちのやり直し行うように。それは、アメリアにとって、心から歓迎するべきことだった。彼は自分を金で買ったと言っていたが、それすらなかったように思える。だって、彼はこうやって自分が欲しい言葉を与えてくれている。


(カミラの代わりでもなく、わたしに。わたしの名を呼んで、そして、わたしがいいと言ってくださっている……)


 そんなことが自分の人生であるなんて。アメリアは抑えきれない涙をぼろぼろと瞳から零す。頬を濡らし、あごを伝って落ちる涙。それを、アウグストは下から手を伸ばしてそっとぬぐってくれる。その彼の指が太くて長い男性のものだということに初めて気づき、アメリアは「あ……」と小さく声を漏らす。


(ああ、そんな風に、わたしに触れてくださるなんて)


 恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。かあっと頬を紅潮させたアメリアは、それでも自分の精一杯で答える。


「わたし、わたしで、良いのでしょうか」


「君がいい」


「……嬉しい……嬉しいです……嬉しい……あなたが好き……好きです……」


 その言葉を聞いたアウグストは、はっと瞳を大きく見開いた。


「そうだ。すまない。大事なことを言っていなかった」


 一体何を言うのかと思えば、彼はそっとアメリアの片手を取った。細くて、骨ばった手の甲。それを彼女は恥ずかしいと思う。だが、彼はそっとその甲にキスをした。


「わたしも君が好きだ。そして、君に、こんなわたしを選んで欲しい……ああ、そうなんだ。わたしは、アメリア、君のことが好きなんだ……」


 そう言って、アメリアを見る彼の瞳はまっすぐだ。アメリアは、息を呑んで彼の瞳をじっと見つめる。答えはわかっているだろうに、とアメリアは思うが、彼の瞳は真剣だ。


(ああ。こんな、みすぼらしいヒルシュ子爵家の庭園なのに。自分は、今世界で一番幸せだ……!)


 アメリアはそう思い、かすかに震える声で「はい」と答えた。どんなに考えても、他にうまい言葉は見つからなかった。だが、それでアウグストには十分だったらしい。彼は立ち上がるともう一度彼女を抱きしめた。その腕の中で、彼女は初めて自分から彼の服を握って、彼の胸に頬を寄せた。人というものは、こんな風に温かいものだったのだ……そう思った途端、彼女は再び泣き出してしまった。だが、アウグストはそれに焦ることなく、彼女の髪を撫でて優しく告げる。


「バルツァー侯爵家……いや、家に帰ろう」


 彼のその言葉に、泣きながらも今度ははっきりと「はい」と頷いた。その自分の声が、これまでの人生でなかったほど、あまりにもきっぱりと、あまりにもはっきりとした響きを伴っていて、アメリアは驚く。


(わたし……少しだけ、やっぱり変われた気がする)


 そしてそれは、きっとアウグストもそうなのだ。彼の腕からするりと抜けると、アウグストは手を伸ばし、アメリアの手に指を絡めた。それに、彼女も軽くではあったが、ぎゅっと握り返したのだった。


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