龍人の髪結い
「今日も綺麗な切断面ね。あなたの唯一綺麗な場所だわ。ご当主様に斬首して貰えて羨ましい限りですわ」
クスクス笑う女官達。今日も一日嫌味からはじまる。
そんな時は、いつも通りとびきり元気にお返事を! 顔に出しても見えないのって素敵。頭が無い事の利点ですね。
「そうでしょう! 毎日ピカピカに磨いて、クリームも塗って、断面専用のカバーをつけて寝ているんです! わかって貰えて嬉しい!」
途端に嫌そうに顔を歪め、コソコソ何か言いながらみんなどこかへ行っちゃった。
うっかりご当主様の御髪を踏んでしまって早十五年。
すっぱり首を切られ、首なしっ娘首なしっ娘と後ろ指を刺され気味悪がられていますが、案外不便はないんですよ?
龍人なので、龍の眼で問題なく周りは見渡せますし、豊富な魔力で音も聞こえるし歌も歌えます。
唯一の欠点は、龍人の誇りの髪を梳けない事と、美味しい物を食べられない事くらいです。
ご当主様のお屋敷の下働きという立派はお仕事も頂けいますし、みんなが思っているより辛くはありません。
龍人の誇り、ご当主様の見事な御髪を踏んでしまった私が悪いのに、次期当主様と同い年幼馴染みだからと、慈悲を与えて下さったご当主様には、感謝しかありません。
凍てつくたらいの水に手を突っ込み、ざぶざぶと野菜を洗っていく。
芯まで冷えて手が痛くても、丁寧に丁寧に。髪を梳く必要の無い私は、手が多少荒れても良いです。
年に一度の龍夜祭が近い今、みんな髪と手の手入れには神経質になっているので、私がやるのが一番面倒が起きなくて良いんです。
「イーリン。こっちだイーリン」
「ハオラン! ……様」
呼ばれて振り返れば、次期ご当主様のハオランが、建物の影から手招きをしていた。
元気に返事をしてから周りを確認。生まれた時からの幼馴染みとは言え、うっかり仲良く呼び捨てにしている所を見られたら、面倒な事になる。
面倒事はごめんです。
手についた水をパッパッと払い、服の裾で拭きながら急いでハオランの元へ。
すると、露骨に変に顔を引きつらせたハオランが、私を見下ろしながら深々とため息をついた。
「服で手を拭くな服で」
「良いじゃない。どうせびちゃびちゃになっちゃうんだもの」
ぷいっと拗ねたように顔を背けるも、返ってくるのはため息ばかり。
「まぁ良い。イーリン、今年の龍夜祭はどうするんだ?」
「どうするって? いつも通り、お屋敷の中で飴菓子を作ろうと思ってるけど」
龍夜祭でだけ作られる飴菓子。あれはとても人気で作ってるこちらも鼻高々なの。
そう告げると、ハオランはまた変に顔を歪ませた。
何? 何が言いたいの?
そんな私の考えを察してか、呆れたようにハオランは何度目かのため息をついた。
「俺達は今年で十八だ。十八の龍夜祭は、成人のお披露目を兼ねた特別な日だろう? それなのに、なんでまた奥に引っ込もうとするんだ」
少し苛立ったのか、ハオランの深い青碧色の髪が、魔力でキラキラと光り始めた。
慌てて身振り手振りでその事を伝えると、ハオランもハッと顔色を変え、慌てて着ていた羽織を頭から被ってしまった。
「ちょっと、そんなにキラキラ輝いちゃったら、みんなに見付かっちゃうでしょ!? 面倒事はごめんだからね!」
「お前がトンチンカンな事言うから!」
ハオランの羽織の中に無い頭を突っ込み文句を言ってやれば、今度は目がギラリと輝き龍化した。
何をそんなに怒っているのやら。成人の龍夜祭って言ったって。
「成人の龍夜祭って言ったって、私には結う髪もないんですもの。ご当主様のような立派なたてがみも、奥様のような優雅な飾り毛もないの。ただ恥をかきに行くなんて嫌だわ。……面倒事はごめんだわ」
たっぷりと着飾って、手入れに手入れを重ねた髪をお披露目する。
そんな場所に、私が?
今までずっと、龍夜祭はお屋敷の中から見ていた。
夜じゃ無いみたいに世界中に灯りがともり、笑い声と音楽に溢れ、飴菓子は飛ぶように売れ、翌日婚約の報告をたっぷり耳にする日。
それが、私の龍夜祭。
ハオランの言い分は分かるけど、私には縁の無い場所。
ハオランの羽織から抜け出すと、すっかりいつも通りに戻ったハオランも、羽織をバサリと脱ぎさる。
「俺の髪結いをしろ。そうすれば、堂々と俺の隣に並んで歩ける。成人の髪を結った者の特権だろう? 俺の髪を結った者を、悪く言えるやつはいない」
「じ、次期当主様がなにを言ってるの!」
思わず大きな声が出てしまい、はっと口を抑える。
背中を丸め周囲を確認すると、声に気付いた何人かが、お屋敷の中から出てこようとしていた。
「ちっ。今の話、忘れるなよ」
ハオランは舌打ちをすると、さっと窓からお屋敷の中へと戻っていってしまった。
「もう、何かと思ったらイーリンじゃない。そんな所でなに? 盗み食いでもしてたの? もう、早く野菜切ってよ」
ひょっこり顔を出した下働き仲間が、安心したような呆れたような、もうもうとあきれ顔でため息をつく。
早く早くと扉を開けてくれた下働き仲間を待たせないように、大急ぎで野菜を抱え、厨房へと向かった。
☆★☆★
「ちょっと! 髪に引っかかるじゃ無い!」
「あんたが結うの下手くそだから引っかかるんじゃない!」
あれからハオランに会えず数日が過ぎた。
龍夜祭が近づき、お屋敷の中は更にピリピリ嫌な空気。
飴菓子用の砂糖や果物の準備も始め、ドタバタと慌ただしさでいっぱいの屋敷では、あちこちで「髪が!」「手が!」と口論が絶えない。
「龍夜祭までにその下手くそをどうにかしないと、まーた婚期逃すわよ? あ、練習に馬の毛を贈ってあげましょうか? まぁ、あなたの髪質的には、ススキや箒草の方が近いかも知れませんけど」
遠くから聞こえる特大の嫌味に、他人事ながら心が苦しい。
自分の髪を梳いた記憶が無くても、やっぱり私は龍人なんだと思い知るようで、心が苦しい。
それにしても、馬の毛か。
練習なんて考えた事も無かったけど、この前のハオランの言葉を聞いた後から、ずっと髪について考えていた。
髪に良いオイルは? どういう結い方が一番ハオランに似合うかしら。 髪紐の色はどうしよう。飾りは?
そんな事ばかり考えていたせいで、無意識に下働き仲間の髪を見詰めてしまっていた。
「……なに? 首なしのくせに、あなたまで私の髪を馬鹿にするつもり?」
「まさか!」
しまったと、慌てて逃げ出してしまったが、きっと相手は不快に思っただろう。
「首なしのくせに」。ずっと言われ続け、なんとも思わなかった言葉が、今日は何故か心に深く刺ささった。
夜。昔下働き仲間がくれた、馬の毛を戸棚から引っ張り出してくる。
当時はこの贈り物を見るのも嫌だった。
今も目にすると当時の思いが再燃してくるが、最近のモヤモヤした気持ちの方が勝った。
髪の結い方や流行り廃りは知っている。毎日みんなが競うように髪を見せ付け合っているのを、客観的に十五年も見てきたからだ。
まずは簡単に三つ編みにしてみる。
意外にすんなり編めた事に驚き、今度は編み込んでみる。
次は四つ編み、次は魚の骨のようにしよう。少し引っ張り出して角のようにしてみるのはどうだ。
今までやって来なかった分、触りだしてみれば楽しさで手が止まらない。
次は次はと試していると、隣の部屋の下働き仲間がひょっこり扉から顔を出した。
どうやらノックに気付かなかったらしく、お互いびっくりした。
「こんな時間になんの音かと思ったら……。あんたが、髪結いの練習?」
「あの、これはその……」
上手く言葉が出ずしどろもどろになる。
奇妙な物を見たように顔を歪めていた下働き仲間だったが、はっと鼻で笑うと、ズカズカと部屋に入って来て馬の毛を鷲掴みにした。
「こんなにキツく編んだら、髪が傷んで切れちゃうじゃ無い。それになに? この魚のヒレみたいな出っ張りは。ただボサボサしてるだけにしか見えないじゃ無い」
そう言うと、馬毛を乱暴に揺する。
「あんたには一生関係ないから教えてあげるけど、龍人の髪は、音楽が聞こえるくらい優雅じゃなきゃ駄目なのよ」
「音楽……?」
「結ったことないあなたには、分からないでしょうね。さあ、迷惑だから、さっさと寝てちょうだい」
一方的に言葉を投げ付けると、馬毛を鷲掴みにしたまま、下働き仲間は部屋を出て行ってしまった。
手に残った毛を結う感覚が、逆にむなしかった。
翌日、馬毛を持って行ってしまった下働き仲間が、馬毛に施した編み込みと髪型をしていた。
そして、自分で考え自分でやったのだと、天下を取ったかのような態度でふれ回っていた。
「明るいあの子の髪には似合わないのに」
「ちょっと若作りしすぎじゃない?」
聞こえてくる小言を心にメモし、ではどうするか、頭の中で髪を結っていく。
たっぷりとしたハオランの青碧の髪に映える飾りと、結い方。
みんなの髪を見渡していると、騒がしかった廊下の端がぴたりと静かになった。
「随分賑やかだな。祭りの予行練習か?」
みんなの髪をぐるりと見渡したハオランが、にっこりと笑いかける。
みんな頭を下げてはいるが、ハオランに美しく髪が見えるよう、首が変な角度になっている。
次期当主さまに見初められたい人ばかりみたい。
下げる頭がないので屈んでぼーっとしていると、ハオランがこちらをチラリと見て、にやりと笑った。
「美しい髪ばかりだな。きっちりまとめたものは清潔感がある。緩くまとめたものは華やかだ。春を思い出させる髪型は好ましい」
わっと下働きの間で声が上がり、たまらず顔を上げてしまう者までいた。
ハオランが髪の好みを言うなんて、初めて聞いた。
不思議に思い、ない首を傾げていると、挑戦的な笑みのハオランがこちらを向いていた。
……まさか、本気で私に髪結いをさせるつもり?
また賑やかさの戻った廊下を、ハオランは静かに去って行った。
龍夜祭当日。
朝から浮き足立った人の中で、せっせと飴菓子作りに精を出す。
髪結いをするかしないか分からないけど、朝から朝からてんてこ舞いでそんな事を考えてる暇がない。
口に入れたらほろほろと崩れる飴菓子は、龍夜祭の間ちょっとずつ摘まむのに最適だ。
一口程度の大きさしかないので、恋人同士仲睦まじく食べるのだ。
怒濤の準備も終わり、皆が髪を結い始めると、これぞ嵐の前の静けさと言える静寂が流れる。
一人暇を持て余し部屋でごろごろしていると、窓を叩く音が聞こえた。
まさかと思い窓を開けると、きらびやかな衣装に不釣り合いな木箱を抱えたハオランが、にこやかに立っていた。
「よう、約束通り来たぞ」
「約束してないけど? 髪結い、ご当主様になにか言われなかったの?」
「あの日から今日までその事でずっと喧嘩してた」
さらりと言ってのけたハオランは、よっこいしょと窓を跨いで、当たり前のように部屋に入ってきたかと思えば、勝手に椅子を持ち出し座ってしまった。
「じゃ、頼んだよ。今更頼める人なんかいないからな」
「ほんっと、いー性格!」
こうなったらやるしかない。
気合いを入れハオランの髪に触れた途端、驚きで動けなくなった。
「髪って、こんなに綺麗で柔らかくてさらさらなんだ……」
「ははっ! 次期当主さまの髪だからな、この里で俺を越える髪はいない」
そんな事を言われると、緊張しちゃう!
怖々髪を梳いて、ずっと考えていた通りに手を動かしていく。
「イーリンは手先が器用で先入観もない。きっとみんな驚くぞ。大丈夫だ、思い切ってやってみろ」
恐る恐るだったのが見透かされたようで、胸が跳ねた。
幼馴染みの髪を結っているだけ。なんて事ないわ。
気軽に考える事にして、恐れ多くも次期当主さまの髪を好き勝手しはじめた。
龍夜祭が始まり、一斉に灯りがともり音楽が流れ始めた。
着飾った人々は、親しい人達と各々見付けておいた特別な場所へ集まり、ゆったりした時間を過ごし、時折龍の魔力で灯りをつくり、空へ飛ばす。
「ねぇ、変じゃない? こんな服着慣れなくて……馬子にも衣装って笑われちゃう」
「大丈夫だ。俺の隣にいるんだ。むしろ、笑ったやつの首がなくなる」
なにが大丈夫なの……?
聞いちゃいけないと黙り込んでいる私の手を、ハオランが引く。
今年の成人のお披露目は私たちだけ。
小さな里で、二人も居るのが珍しい方。しかも一人は次期当主さま。
隣に立つなら、私じゃなくて、もっと綺麗でちゃんとした子の方が良かったんじゃ……。
今になって申し訳なさが押し寄せてきて、広場へ続く扉の前で動けなくなってしまった。
広場にはご当主様も居る。足が震えてくるのが分かる。
「イーリン。ずっと預かってたままで、返し忘れたものがある。今渡しても良いか?」
「今……?」
もう出ないといけないのに、何を言い出すの?
預かっていたもの……?
見上げたハオランは、いつも以上に優しい顔をしていて。
視線を下げれば、ハオランがずっと大事に抱えていた木箱を差し出された。
開けてみるとそこには――
扉が開いて、私たち二人はゆっくりと広場へと入場した。
眩しい。
光の中、皆が驚きの表情でこちらを見ている。
「誰、あれ……。鮮やかな浅黄色の髪、あんな子、見たことない……」
ポツポツと聞こえてくる言葉は、みんな同じ。
十五年ぶりに戻った頭で見る世界は、普段より輝いて見える。
ハオランから手渡さた箱の中には、綺麗に髪を結い上げられた、私の頭が入っていた。
『この日に返そうと、父上から奪ってずっと大事に保管していた。髪もずっと手入れをしていたから、問題ないはずだ』
言葉が出ない私に、ハオランはそっと首を元通りにしてくれ、そのまま手を引いて広場へ連れ出した。
みんなが見てる。
眩しい。
みんなが見てる。
ハオランと目が合う!
そんな事ばかり考えているうちに、広場の真ん中についてしまった。
先に広場に居たご当主様は、複雑そうな顔をしていたけど、少し口角を上げて微笑んで下さった。
「イーリン。日に日に美しくなっていく君を独り占めしたくて、十五年も返しそびれてしまった事、本当に済まないと思っている。早く返した方が良いのは分かっていた」
向かい合ったハオランとの身長差が新鮮で、上手く視線が定まらない。
ハオランは私の手を取ると、私の目線の高さまで屈む。
「イーリン。私の髪結いの君。正式に交際を申し込みたい」
広場から悲鳴が上がる。
交際? 誰? 私?
半ばパニックになり、ご当主様に視線を向けると、なんとご当主様が頭を下げた。
「父上は説得済みだ。イーリンに負い目を感じていたし、簡単に許してくれた。……イーリン、返事を聞いても良いか?」
返事! ご当主様は説得済みで、今は龍夜祭で、あっ、飴菓子は売れたかな? じゃなくて!
頭がつくと、こんなに思考がぐちゃぐちゃになるの!?
それともこんな状況だから!?
言葉が出ない私の手を、ハオランがぎゅっと握る。
無言の返事の催促がつらい。
顔をあげてハオランを見れば、しっかりと目が合った。
私の首。大事にしててくれた。
じわりと顔が熱くなる。
「とも、友達からじゃ……」
「これ以上に?」
「っ……!」
顔寄せてくるのずるい。
ずるいずるい!
首が戻ってまだ数分の私に、そんな、刺激が強い……!
観念し、深呼吸を繰り返す。
ハオランの腕を引っ張り、ちょっと背伸びをする。
近付いてきた耳元に、こそっと耳打ちを。
「お手柔らかに、おねがいします……」
その瞬間、ハオランは私を抱え、その場でくるくると回り出してしまった。
喜びで輝くハオランの髪を見ると、私まで嬉しくなってくる。
いつの間にか発光し始めた自分の髪に、恥ずかしくてたまらない。
こんなに感情が丸見えになるなら、首なんていらないよー!
ハオラン、もう一回私の頭、貰って下さい!