悪役令嬢の娘は世界を救わない
「いらっしゃいませー!」
カランカランとドアベルの音がして近所のお客さんが店内に足を踏み入れる。
「やぁ、ティナちゃん。今日はこれと…後はそうだな…このクリームの入ったやつをくれ」
「ありがとうございます!」
手早くパンを紙に包み、会計を済ませると笑顔で手を振ってお客さんは帰っていった。
私はこの瞬間が好き。うちのパンを笑顔で買って帰るお客さんの姿。うちのパンが好きで、何度だって通ってくれる村の皆が、私は大好きなのだ。
「ティナ、おつかいお願いできる?」
お昼のお客さんが引いた時間、母が厨房から顔を覗かせた。
私のお母さん。名前はローズマリー。けど村のみんなは『ローゼさん』て呼んでる。いつまでも若くて綺麗だから、13歳の娘が居るなんて知らずに未だに告白されることもしばしばで、その度にお父さんはヤキモチを焼いている。
そんなお父さんもお母さんに負けず劣らずのイケメンだ。名前はキース。がっしりした体格で村の人に頼りにされている。昔は王国騎士団で働いていたとかで剣の腕はこの村で敵う人は居ないのだそう。
2人はこの辺境の村でパン屋を営んでいる自他ともに認めるラブラブ夫婦なのだ。
そしてそんな二人の娘が私、ティナ、13歳。
親子三人で仲良く暮らしているごく普通の一般家庭です。
「ローゼ、買い出しなら俺が行くけど…」
倉庫から小麦袋を抱えて戻ってきた父が私の頭を撫でながら母に視線を向ける。相変わらずその目の中には母への愛おしさで一杯だ。甘い!
「私が行くよ。重いものじゃないんでしょ?だったら平気!」
「本当に大丈夫か…?」
母に甘い父。当然私にも激甘だ。
母から買い物のメモを渡され、私は家を出た。なるほどなるほど…今夜の夕食はシチューらしい。
買い物を済ませて帰路に就くと家の前に豪華な馬車が停まっていた。それを見た瞬間、私は『遂に来たか』と目を細める。
「ただいまぁ!」
勢いよくドアを開けると、これまた服装だけは派手な、けれども頭の登頂はみすぼらしいおじさんが偉そうに後ろで腕を組んで父と対面していた。
「ほぉ、娘か」
ゴミでも見るかのような視線だけ私に寄越す。
それを無視して買い物かごを厨房へ運ぶと背後から「躾のなってない子供だ」とか「魔力の適性はないのか」と偉そうに父に言葉を投げ掛けている耳障りな声が聞こえてきた。
母は私に気が付かないのか。背中を向けたまま椅子に座り背中を丸めている。
「ただいま、お母さん。今夜はシチューでしょ?あ、そうだ、オレンジ、おまけでくれたんだよ!」
「ティナ…おかえりなさい。……お父さん、大丈夫そうだった…?」
母の顔色は悪く、握り締めた手は白くなっていた。そんなに強く握ると爪が食い込んで怪我をしてしまう。なので貰ったオレンジを母に手渡し拳を開いて貰った。…あぁ、ホラ、跡が付いちゃってる…。
「痛いの痛いの飛んでけ……」
ぽそりと母に聞こえないように呟くと私の指先から小さな光の粒が飛んで行き、母の掌に消えた。吸い込まれた光が掌の爪痕をスゥ…と消したのを確認して父の元に戻る。
「──娘には魔力はありませんよ。洗礼式の日に、確かにそう聞いています」
父が強く答えると、禿げデブキラキラ男は舌打ちをして店を出ていった。
「お父さん、どうしたの?あの人と知り合い?」
「…いや、お父さんも知らない人だよ」
「そう」
ドアを鋭い視線で睨め付けていた父の双眸は、私を見る頃には霧散していつもの優しい眼差しに戻っていた。
その日の夜、父は母を抱き締めて何度も「大丈夫」と囁いていたのを、トイレに起きたとき見てしまった。
─そう、大丈夫だよ、お母さん、お父さん。だって…。 物語は始まらないのだから。
私の母は旧姓、ローズマリー・ノウゼン。この国の四大公爵家ノウゼン家の長女として生を受けた。6歳で第一王子と婚約し、将来は王太子妃としてゆくゆくは国母にならんがため、幼少から血反吐を吐くような厳しい教育を受けてきた。そして何事も完璧にこなし、いつしか淑女の鑑とまで謳われるようになったものの、自分よりも出来の良い婚約者を疎ましく思った王太子に婚約破棄を叩き付けられ、棄てられたのだった。
元はと言えば婚約者がありながら男爵家の娘に現を抜かした王太子の瑕疵なのに、母に非があったかのような冤罪を吹聴され、醜聞を嫌った実父によって母は身ひとつで公爵家を放り出されたのだ。
時を同じくして、王宮では父がとんでもない事実を盗み聞きしてしまったのだ。
─曰く、あの女は何でも出来て気に入らない。愛嬌のある男爵令嬢の方が調教のしがいがある。曰く、冤罪を吹っ掛けたことが公になると不味い。放逐されたところを殺せ。─
それを聞いた父はすぐさま騎士団に辞表を叩き付け、田舎の祖母が危篤なので、その後は家業を継ぐ、とかなんとか適当な理由を付けて慌てて身の回りの物をかき集め(主にお金)住んでいた寮を飛び出した。
そして屋敷を追い出され呆然と立ち尽くす母を見付けた父は直ぐ様保護し、経緯を説明しこの辺境の村まで逃がしてくれたのだ。
何故そこまでして母の助けになってくれたのか。それは偏に母へのひたむきな恋心故だった。
初めて母を見たときから、父はずっとずっと恋心を抱いていたのだ。
父は子爵家の四男。当然爵位も領地も持っていない。父の実家は成人したのなら次男以下は己でどうにかしろと言う方針であったため、三男の兄と四男の父は平民と変わらない生活をしていた。騎士団に所属していたとは言え、そこはお貴族様達によるお飾りの団体。実力はあっても役職どころか給金も上がらない状況に鬱屈していた父はその職を捨てることに躊躇いは無かったそうだ。
そうして父と母はふたりで連れ添い、正規の道とは外れた獣道を通りこの辺境の地まで逃れてきた。
そんな訳で道中めちゃくちゃ頼りになる父に母も段々と心惹かれてゆきこの村に辿り着いた頃にはめでたく恋人同士に昇格し、数年後にはパン屋を営み可愛い娘が誕生しました。
─と、まぁ両親の馴れ初めはこんな感じだ。
そしてそんな二人の可愛い娘。それが私、ティナです。
実は私、両親に秘密がある。
ひとつは私が母と同じ転生者であると言う事。母は秘密にしているみたいだけど、たまにポロッと前世での単語が飛び出す。初めて母が転生者であると確信したのは私が3歳の頃の話で、盛大に転んだ私を慌てて抱き起こし「だっ、誰かぁー!!救急車呼んでーー!!」って叫んだ瞬間だった。実は頭からずっこけたせいで額からどくどく血が流れだしたショックと、母の叫び声で私は前世を思い出したのだけど、それも当然秘密だ。
ふたつめはこの世界が乙女ゲームの世界であると知っている事。
母はこの世界で言うところの悪役令嬢だった。…冤罪だけど。どうやら王太子を寝盗ったヒロイン、現王妃も転生者であったらしく、うまく立ち回り母を蹴落としたようだ。ただこのヒロイン、よく聞く『逆ハ狙って身を滅ぼす系』ヒロインでは無かったようで他の攻略対象には目もくれずただひたすらに王太子に熱烈アタックを繰り返していたそうだ。まぁそのお陰で王太子を落とせたようでなにより。
ある意味純愛と言えば純愛かもしれないけど、その為だけに罪のない母を嵌めた事は許されることじゃない。て言うか許さない。主に私と父が。
「ティナ、おはよう」
「おはよ!デュオ!」
ニコーッと笑うと彼の耳の端がほんのり色付く。ふふっ。照れ屋さんめ。
「今日はね、サンドイッチにチキンを挟んできたのよ。デュオの好きなハニーマスタード!」
「本当に?楽しみだな」
控え目に微笑む彼はデュオ。幼馴染みで二つ上。お隣の雑貨屋さんの次男だ。因みに私の彼氏!(両家両親公認)数年後は私のお婿さんになることが決まってる。んふふーー!
朝の教会までの道程でふたりで他愛ないことをお喋りしながら歩く。この村では午前中、教会で無償で勉強を教えてくれる。神父様が大変良い人で何歳でも、勿論大人でも読み書きや算術を教えてもらえるのだ。その上で仕事に役立つマナーや接客指導など希望する人には色々と学ばせてくれる。それ以外の事だって何でも相談に乗ってくれる優しいお兄さん神父だ。なので神父様は村民から信頼がとても厚いんだよね。
デュオとは週に4日、朝教会で勉強を見て貰っている。勉強の後は村が見渡せる丘の上でお昼を食べるのがいつもの流れだ。
少し歩くとデュオが何か言いにくそうに視線をそらしてポツポツと喋り出した。
「……えっと、その…昨日、ティナの家に来てたのって…」
「昨日…?……あぁ、何か来てたかも?ハゲでデブのおじさん。貴族だったのかな」
「俺の家にも来てたし、…その、人を探してるって。魔力持ちの13歳の女の子だって…」
「ふぅん。こんな辺鄙な村に人探しだなんて、大変だね」
心配そうに私をチラチラと見るデュオが何を言いたいのかはだいたい解ってる。
するときゅっと手を繋がれて歩みが止まる。振り返るとデュオは意を決したように真剣な眼差しで私を見て、絞り出すように小さく呟いた。
「──何処にも行かない、よな…?」
「デュオ…。探してたのって魔力持ちでしょ?私に魔力はないよ?」
彼は知ってる。あの貴族が探していた人物を。それが私だという事も。
「それに、言ったでしょ?私の運命の人はデュオだって」
「……」
デュオは私を信じてる。私だってデュオを信じてる。例えデュオが物語の中でモブだったとしても。
私は初めから、貴方と出会ったその日から、ずっと片想いをしていたの。だから絶対に離れないし、逃がしてなんてあげないんだから。
私には秘密がある──。
ひとつは前世の記憶があること。
ふたつ目はこの世界が乙女ゲームの世界だと知っていること。
そしてもうひとつ。それは母が悪役令嬢として登場したゲームの続編が発売され、その主人公がティナだという事。
母は恐らく続編の事は知らない。知ってたら私に続編の主人公の名前をつけないだろうから。
両親は私に魔力があることを知っているし、私が聖なる魔法と言われる治癒魔法を使えることも何となく気が付いている。だから両親は平民である私が貴族に利用されないようにそれを秘密にしてくれているのだ。
母が泣いていたのはそれが何処からか漏れ、私が攫われるかもしれないと恐れたからだろうと思う。だけど私は大好きな両親から離れるつもりは一ミリもない。勿論愛するデュオからも。
なので続編─【物語】は始まらないのだ。
そう、現在王妃になったヒロインは知っているのだろう。
続編の主人公がこの辺境の村に居ることを。
そして知らないのだ。自身が欲望のために嵌めた女性の子供がティナだという事を。
あ、でも私の名前を名指しで探してないってことは…さてはクソ長い序盤のモノローグをすっ飛ばして主人公の名前を自分の名前にしてたクチかな?ティナの名前は最初にデュオが1度呼ぶだけだもんね。忘れたのね、きっと。
その続編だけど、物語は主人公がデュオと王都に遊びに行くところから始まる。そこでなんやかんやあって王太子に出会い、またなんやかんやあって学園に通うようになり、そこで聖なる魔力が発覚し、なんやかんやあって聖女になり、王太子と結ばれると言うもの。攻略対象者も前作の息子や叔父や甥等々…。主人公は両親の反対を押し切り、王太子妃になる。
前作では登場しなかった【聖女】だけれど、なんと、聖女は100年に1度現れるという設定だ。教会の中心の泉で祈りを捧げて国を守護する聖なる結界を張るのがお役目。なんじゃそりゃ…後付けが酷い。
結界を張れないとどうなるのか?まぁありがちな災いが王国を襲うとかなんとか?知らんがな。
そしてデュオだが、恋に悩み、苦悩する主人公を支えたのはサポート役である彼だった。彼は幼馴染みが心配で王都まで付いてきてくれたのだ。
何とも思ってない女の子のためにそこまでする?しないでしょ!デュオはずっと主人公に密かに片想いしていたのに、それに全く気が付かず主人公は涙ながらに恋の相談をするのだ。彼の恋心に塩を擦り込む様なマネを何度も何度も何度も何度も……鬼畜か!
それ以前になんっっで母を貶めた奴等の息子と恋愛!?有り得ない!気持ち悪っ!
ゲームだと両親の事はボカされてたから攻略本にも記載がなかったとは言え、ないわ~。ムリムリ!
そうそう!私とデュオの出会いはね…。
前世で初めて画面に現れたデュオを見たとき余りにドストライクで胸がきゅっ!ってしたのを覚えてる。彼とどんな風にお話ししてどんな物語があるのか…ドキドキしてコントローラを持つ手が震えた。
─のに!!デュオが攻略対象じゃなかったと解った瞬間のあの絶望…!
余りのショックに勢いのまま制作会社にクレームを入れてしまった。因みに電話口の女性は私の余りに余りな発狂ぶりにドン引きしてたっけ。
まぁ前世の事はさておき、この続編の主人公に何故か転生したのだけど、真っ先にしたのはデュオとの信頼関係よね。
うまいことやったと自分を誉めてあげたいわ!ふふん!…あれ?なんか私悪役っぽい?ま、いっか。
「あぁ~早く16歳になりたいな。そしたらデュオのお嫁さんになれるのに」
「─うん。お、俺も…早く…」
ふふっ。赤くなって可愛いなぁ~もう!
ぎゅっと繋いだ手に力を込めて握り返すとデュオは視線を合わせてフッと照れたように困ったように笑った。私も笑い返す。
──そう遠くないいつかの未来、私はデュオと結ばれる。
物語がどうとか、世界がどうとか、そんなの私には関係ない。私の世界はいまここが全てなのだから。
悪役令嬢の娘だもの。世界を救わなくてもいいじゃない?
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