作者と僕
「あ、奥さん!!見に来てくださったんですね。この間いただいた作品…心を込めて書かせていただきました。あの…いかがでしょうか……?」
「とても素敵な書を…ありがとうございます。なんていうか、作品が…イキイキして見えますね。とても幸せな詩…俳句、感激しています。こんなにもステキに、きれいな文字になって、嬉しくて…生まれ変わって…本当に、ありがとうございました。もう諦めてたのに…捨てなくて、良かった……」
僕の勤めているゴミ処理場は、焼却場と分別棟、市のリサイクルセンター、温水プール、コミュニティセンターが併設されている。市内在住の子どもたちは小学四年生の遠足で必ず訪れる場所で、フリーマーケットや催し物など、比較的イベントが活発に開かれている場所でもある。
温水プールとコミュニティセンターの間にはトラックや搬入車の専用道路をまたぐ形で渡り廊下があり、100メートルを越す細長い空間の壁際に市民のための作品掲示コーナーが設けられている。この場所は市民であれば誰でも使用でき、手作り品や絵画などを展示する事が可能だ。
書道教室をやっていた母親が自作品を展示するために定期的に利用していたこともあり、僕にとっては馴染み深い場所である。クリーンセンターに就職するずっと前から…この場所を訪れては、母親の作品をショーケースの中に並べる手伝いをしていた。
先月…、啓介の実家の掃除が終わった時のことだ。
箱に入ったままのビールにコーラ、レジ袋に入った状態のお菓子に缶詰め…テーブルセットがあるという事さえ判別できなかったキッチン、タッパーだらけの冷蔵庫、あちこちに置きっ放しになっているプラスチックの食器類に、そこらかしこにおいてある箱も開けてない新品の家電、雑貨、パソコン周辺機器、洗剤、箱入りの贈答品、タグ付きの服、雑誌、下着、靴下、靴、数え切れない帽子、ぬいぐるみ、健康器具……、あらゆるモノが処分され、すっからかんになったリビングで、奥さんと少し、話をした。
―――朝から夕方まで母のところに行かなければいけなくなって…こまめに掃除をすることができなくなってから、こんな事になってしまったんです。母が入院したので時間が取れるようになって片付けようとしたら、勝手に移動されるとどこに何があるのかわからなくなるから一切触るなと言われて…ほぼ放置する事になってしまって。捨ててもいいといわれた生ものやペットボトルの処理をするだけで、一日が終わってしまうような状態で…。
毎日親の介護のために家を空けるようになった奥さんは、啓介の暴走を止める事ができなくなってしまったのだ。知人が多く、日常的にもらい物をする事が多い上に新しい物好きで…浪費癖があったこともあり、どんどんモノが増えていってしまったらしい。しかもイベント毎に『ゴミはうちで出しておくからもらっていくよ』などといい顔をしていたようで…奥さんは分別のされていないゴミ袋を毎週のように…洗って、仕分けて、ゴミ出しの日まで取っておいて、処理をさせられていたそうだ。
奥さんが毎日掃除をしていたキッチンのコンロ周りとシンク、トイレと風呂場だけはある程度きれいにしてあったが、それ以外の場所はほぼ啓介の私物と持ち込まれた不用品で埋め尽くされた。奥さんの部屋である一階の和室でさえ、ベッド周りをのぞいて啓介のスーツケースや段ボール箱が詰め込まれていたのだ。
啓介の物をすべて排除した結果…家の中には、ほとんどモノが残らず、がらんどうになった。もう捨てるものはなさそうだな、これでこのお宅にもお邪魔することはなくなるな、そんな事を考えた時。
―――あの、色紙って…燃えるゴミでしたか?古紙回収に出せましたっけ…?
―――高級なものとか…、箔押しが入っていたりするとダメですが…ちょっと見せてもらっても?
奥さんから差し出されたのは、絵手紙のような、書のような…短い詩にイラストが添えてある、芸術を感じる、見事な作品だった。いつの間にか和室の座卓の上に…みっちりと積まれた色紙の数は、100枚や200枚のレベルではなかった。
―――肩を壊す前に書いた作品と、…肩が治ったら書こうと思っていた作品なんですけど。詩と、俳句…もう、書くこともないし…書けるとも思えないので、捨ててしまおうかなって思って。
聞けば、啓介に誘われて始めたミニテニスをやっていて肩を壊してしまった奥さんは…何度も色んな病院を訪ねて治療を試みたのだが、結局右腕が上がらなくなってしまい…長年趣味として嗜んできた書道全般を諦めたのだそうだ。そういえば奥さんは…重いものを持つ時にいつも右肩をかばっていたのを思い出した。
奥さんは…この素晴らしい作品を…すべて捨てようとしている……?
―――あの、良かったら、この作品…僕に預けてもらえませんか。
母親が書道の師範をしていると言う事もあり、自分には少々の…書の心得がある。
僕はおこがましくも、鉛筆書きの詩に墨を入れて、作品として完成させたいと思ったのだ。展示コーナーに飾ったら…必ず見た市民の心に何かが残るはずだと言う確信があった。あの展示コーナーは市民カルチャークラブの人たちもまめにチェックしているので、もしかしたら奥さんのコミュニティを広げる事ができるかもしれない、そんな事も思った。
ダンボール三つ分の色紙を受け取り、自宅で一枚一枚拝見していくうちに…僕はすっかり、奥さんの紡ぐ言葉に魅了されてしまった。
素朴なのに温かみのある、さりげないのにいつまでも胸に残る、微笑ましいのにどこか寂しげで、悲しいのに未来を信じられる…今までに出会ったことのない、詩。風景が目に浮かび、季節の香りや温度までもが周りにあふれ出すような…繊細で的確で、でも輪郭がほのかにぼやける、読んだ人に自由な感想を持つ事を許す、懐の大きな俳句。
自分の書が世界観を壊してはしまわないか…、詩に相応しい文字が、俳句を汚さない文字が、自分に書けるだろうか…、一文字、一文字、悩んで、迷って、心をこめて…筆を動かし、墨を色紙の上に載せた。止め、払い、墨の厚みに筆の掠れ…すべてに集中して、文字を書いた。
先週、奥さんに作品を掲示する事になりましたと連絡をしたところ…今日見に来るという返事をいただいたので、僕は昼休みを使ってここにやってきたのだ。そして今、奥さんと一緒に…誇らしげな色紙たちを眺めている。
真心をこめて書いた文字が…詩の、俳句の作者である、イラストを描いた本人に…喜ばれている。一枚一枚、丁寧に写真を撮って、時折…目元を拭っている、奥さん。……感無量とは、こういうことを言うのだろうか。言葉が見つからず、ただ、ただ…作者である奥さんとともに、飾られている色紙を見つめる事しかできない。
……ふと、昔、啓介が…市民俳句コンテストで特別賞をもらった事を思い出した。
【おいしいな おいしいなったら おいしいな】
啓介に頼まれて僕が書を書いて、入選した作品だった。スイカを頬張る啓介の顔のドアップの写真の、ほっぺたの部分に俳句を書いて…特別賞をもらったのだ。豪快で力のある、僕らしくない文字だったが、会場人気一番だったとかで…一緒になって入選を喜んだ。
……今にして思えば、アレは…人脈だけでもらった賞なのではないかという疑念が残る。
本当に心に染み渡る俳句と言うのは、奥さんのように、言葉の一つ一つをぎゅっと抱きしめて気持ちと融合させ…ひとつの世界として生み出されるものなのではないだろうか。語呂あわせだけで、その場のノリで、勢いだけで得た、入賞なんて……。
僕は、奥さんの詠んだ切ない俳句の方が…印象深くて価値があると思った。
これからも、もっと奥さんの世界観を…たくさん、魅せて欲しいなと、心から…思った。