取材報告:限りなく野生に近い聖女
<1>
聖女の朝は早い。
今日、私は王国の最北端に位置するオレアス辺境地を訪れていた。
小さな教会の庭は手入れされておらず、雑草に足をとられそうになる。
庭の中心に陽光を集めるように立つ、一人の少女。
オレアス辺境地の聖女――フェティアの活動は、早朝から始まる。
多くの聖女たちは、朝一番に祈りの時間を設けていた。
祈りのなかで、精神を集中させて一日を始める聖女たち。
しかし、この地の聖女は少々違うようだ。
今ここには、風を切る大きな音が響いている。
「今日はよろしくお願いします。
……あの、何をなさっているのでしょう?」
声をかける私に、聖女は応える。
「素振りです」
小柄な彼女には似つかわしくない、大きな鉄の棒。
早朝のさわやかな空気を、無骨な金属が切り裂いている。
「わたしは朝が弱くて……目覚ましもかねて、少し運動を入れることにしてるのです」
王国にあって最も危険と噂されるオレアス辺境地。
この地を任される聖女は、実に、頼もしい。
ブォン、ブォンと凶悪な音が響く。
本能が近づくなと警告する。
「なるほど……。
この後はどのように活動されるのでしょうか?」
「そうですね。
半刻ほど後に『森』への巡回に出発しますので、準備しておいてください」
オレアス辺境地で単に森と言うとき、それは『降魔の大森林』を指す。
オレアス辺境地の大部分を占める森は、かつて邪竜が墜ちた場所とも言われる魔物の巣窟だ。
あふれだす魔物たちは長らく周辺を蹂躙した。
人々の営みは幾度となく破壊され、この地を不毛にしてきた。
しかし――それも過去の話。
この聖女こそが、いまやその脅威を抑え込む壁となっている。
長い歴史のなかで森から遠く追いやられた人類の勢力は、いまや森の外縁に橋頭保を築くに至った。
凶悪な魔物たちは森の奥へと押し返されて、人目に触れることもない。
「…………」
眼前に広がる『森』。
往時のような魔物たちの狂乱は過ぎ去って、静かに深い緑をたたえている。
それでも、樹々の隙間からのぞく闇が私の足を竦ませる。
「わ、わかりました……その……」
「大丈夫です。あなたの安全はわたしが保証しますよ」
金棒を肩にかついで、少女が微笑みをうかべる。
まさに神の造形とも言えるであろう整った顔立ち。
細められた琥珀の瞳。
直視されると、同性の私でさえ紅潮してしまう。
腰まで伸ばされた銀髪は、うっすらと鈍く発光しているように見える。
これは力の強い聖女にみられる外見的な特徴だ。
見目は可愛らしいが、この少女はまぎれもなく『聖女』なのだ。
それも辺境地をまるごと任されるほどの。
多くの聖女を取材してきた私は知っている。
彼女たちはスペシャリストである、と。
「ありがとうございます……。
ところで、聖女様はお祈りはされないのですか?」
「いま、やっています」
「はい?」
「魔物どもを粉砕するパワーを授けてくださるように。
神様に祈りながら金棒を振るっています」
ブォン
ブォン
一振りのたびに空気が震える。
「パワー」
どうも、今回の聖女は他と少々違うらしい。
<2>
聖女たちの結界術は実に神秘的だ。
南の要衝をまかされる筆頭聖女の取材をした際は、彼女の張る結界柱の美しい輝きに心を奪われたものだ。
神秘の輝きは、魔物たちさえも退けていく。
きっと、それが『聖女』なのだ。
しかし――
「あの……結界術は使われないのですか?」
森に入ってすでに長い時間経った。
しかし、結界を張ることもなく、ただ奥へと進んでいく。
なにより不思議なのは、結界が張られていない場所のはずが、まったく魔物の気配がないことだ。
「結界術では、此処の維持はむずかしいんですよ。
魔物も強いですし、範囲もあまりにも広いですから」
たしかに、オレアス辺境地は南の要衝と比べても魔物の生息域がはるかに広い。
「ワンオペでは限界があります」
「ワンオペ?」
聞いたことのない言葉だ。
「ああ……すみません。
ちょうどよい言葉がなくて……。
ここの聖女は、わたし一人ですよね?
もし結界術で維持しようとすると、不眠不休でも時間が足りないんですよ」
それは当然の事実だ。
同様に魔物の強い南の要衝レンドでは、筆頭聖女をはじめ聖女二十名ほどが配置されていた。
聖女が一名のみというのは、この地域の脅威と比較してあまりに薄弱に感じる。
取材に来て驚いたことに、辺境地統括の聖女フェティアのほかに聖女が配置されていなかった。
さらに、騎士団さえも森との境界警備のみに配置されている。
森に入るのは、聖女フェティアただ一人。
「…………」
このオレアス辺境地はもともと聖女不在で、周辺の魔物被害も放置されていた場所だった。
三年前に聖女フェティアが派遣されるまでは。
この聖女は、瞬く間にこの地を平定した。
そして、この三年の間、魔物の被害を出さないまま維持している。
「では……どうやって魔物を退けているのですか?」
私は当然の疑問を口にする。
「それは……ああ、コレです」
聖女が指す先。
ひときわ目立つ大木の幹には、深くえぐられたような痕がつけられている。
「……樹の幹に傷がつけられていますね」
「はい」
応えながら、聖女はおもむろに杖を取り出す。
先刻まで何も手にしていなかったところに、いまは金銀にきらめく豪奢な杖が握られている。
虚空から取り出された杖――
息を呑む。
「それは、もしや、『太陽の杖』ですか?」
「そうです」
力の強い聖女にのみ使用が許されるという、教会最高の聖遺物。
通常は筆頭聖女が携行しているはずのものだ。
長らく教会と各地の聖女たちの取材をしてきた私も、この杖は初めて見る。
「すばらしい……」
思わず感嘆が漏れる。
ただ豪奢なのではなく、この杖には神秘的な輝きがある。
その杖を、おもむろに指して聖女が言う。
「ほら、先端にギザギザの突起がありますよね?」
「ギザギザ。
突起。
はい。太陽を模したオーナメントですね」
「これを利用して……――こうします」
彼女は何を思ったのか、樹の幹に太陽の杖を叩きつける。
「えいっ」
可愛いらしい掛け声が静かな森に響く。
ガリッという音とともに、樹の幹に新しい傷がつけられる。
ヒッ。
悲鳴が漏れた。
すんでのところで叫び声を抑えることには成功した私。
眼前の行為は、あまりにも常軌を逸していた。
太陽の杖――教会の誇る神代の聖遺物。
おい。
おい、おまえ。
おまえ、その杖なんだと思ってんだ。
「おまえ、その杖なんだと思ってんだ」
声に出てしまった。
「ふふ……先端の重みがちょうどよくて。
すごく振りやすいんですよ」
屈託なく微笑む彼女をみて、この聖女はやはり違うと感じた。
<3>
「ええと、つまり?」
聖女に奇行の説明を求める。
このままでは、私のなかでこの聖女は……。
尊い聖遺物を樹に叩きつける罰当たりな小娘である。
私の内心を知らず、聖女は語る。
「オレアス辺境地の魔物は、じつに有能です。
彼らは知能が高く、自身が勝てない格上の相手との争いは確実に避けるのです」
強い魔物ほど一般的に知能が高いと言われる。
このオレアス辺境地であれば、たしかにそうだろう。
「もう少し奥に進むと、巨大な熊の魔獣が縄張りにしている区画があります。
彼、ないしは彼女かは、とても強くて。
ここに赴任した当初に何度か殴りあったのですが、決着をつけられませんでした」
殴りあう。
この聖女の場合は、比喩ではない気がして。
深く訊かないことにした。
「そうこうしていると、熊の魔獣のある行動に気が付きました。
ちょうど、こういうふうに樹の幹にマーキングしていることに」
「はぁ」
「つまり、縄張りをしっかり決めれば、無用な衝突を避けられる」
「なるほど?」
おかしいぞ。
聖女が熊と同列になってきた。
彼女の言葉どおりなら、この地では熊(魔獣)と聖女が縄張りを主張しあいながら共存していることになる。
野生動物じゃないんだから。
「ある意味では、きわめて効率的な結界術とも言えるでしょう」
言えねぇよ。
それ言えたら、聖女はもう野生の熊かなにかだよ。
「あと五ヶ所ほどマーキングして回ったら、巡回完了です」
ひと仕事終えたとでもいうように、少女が微笑む。
……
結論として。
オレアス辺境地の聖女フェティア。
多くの聖女たちと異なり、独特な生態で活動している。
彼女は、限りなく野生に近い聖女のようだ。