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8話 「初めてのキス」

 ため息をついて、俺は自分の部屋で休むことにした。風呂にも入ったから、後は適当に時間を潰して眠るだけだ。


 俺の部屋はシンプルなもので、床はたたみ、寝具はベッド。木製のテーブルに少しの本棚と勉強机。他に特筆することと言えば、両親との家族写真が入ったフォトスタンドがあるくらいか。


 ベッドの上に寝転がり、天井を無表情で見つめる。今までのことを振り返ると、予想外のことばかりだった。

 右目の視力を何者かに奪われ、エンジュと出会い、契約を結んで今や同棲状態にまで至る。


「……本当、なんでこんなことになったんだろうな」


 右目のガーゼの眼帯に触れる。痛みはない。けれど、どうしようもない虚しさと怒りが込み上げてきた。


「ヨシ? 入っていいかしら」


 エンジュだ。律儀にノックまでして待ってくれている。俺は『どうぞ』と口に出すと、エンジュが部屋に入ってきた。


「見て、ヨシ。このパジャマ、ミサキからお古の物を貰ったの。似合ってる?」


 エンジュのパジャマ姿は、私服のそれとは違って白で統一されていた。上は長袖のワンピース風で、下は長袖のスボン。……そう言われると母さんが昔着ていたような。


「似合ってるよ、お姫様。エンジュには白も黒も似合うもんだな」


「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」


「お、俺は本心で言ったんだからなっ」


 そう言って、エンジュは顔を綻ばせる。彼女がくすくすと笑っても嫌な気はしなかった。それは心を許しているのかと思うと、若干の自己嫌悪が俺を蝕んでいく。


「ヨシ? どうしたの?」


「……なんでもない。気にしないでくれ」


「……? 分かったわ」


 しばらくして、エンジュがベッドの空いているスペースに腰掛けてきた。俺は様々な感情や劣情を抱かせないよう、エンジュから顔を逸らす。


「あのね、ヨシ。あなた、本当に私と契約して良かったと思ってる?」


「突然どうした? ……まぁ、後悔はしてない。少しだけ心残りはあるけれど、お前と一緒にいれて嬉しいと思ってる。いつものワガママを控えてくれると、こっちはこっちで嬉しいんだけどなっ」


「そう。それなら良かった。……ねぇ、ヨシ。目をつむっててくれる?」


「あ、あぁ。別にいいけど……」


 目をつむる。何度見たか分からない無の世界が俺の視界を埋め尽くす。すると、ベッドがきしむ音が聞こえた。おい待てよ、まさかこれって。


「もう目を開けていいわよ」


「――……は?」


 俺の目の前にはエンジュがいた。


「……え? は? なんで、エンジュっ、えっ?」


 寝間着用の着物をなぞるように、エンジュが手を出していく。そして左手で俺のガーゼの眼帯に触れようとして――。


「や、やめっ。さ、触るなっ。み、ないで――お願い……」


 胸の鼓動が高鳴っていくと同時に、恐怖に塗りつぶされていく。エンジュに触れられる度に涙が溜まっていく。もうお前は俺をどうしたいんだ。


「やめて、右目だけは……見るなっ、見ないで……っ!」


 エンジュの顔が近づいてくる。俺はそれに耐えきれなくてたまらず目を閉じた。


 すると、何か柔らかいものが俺の額に触れた。


「はぁっ、はっ、は――…………え?」


「いやね、ヨシ。ただのキスよ。私があなたに向ける、ただの愛情。怖がらせたらごめんなさいね?」


 間の抜けた声が出る。しばらく思考停止して、何秒か何分か経ったあと、俺は事の顛末をようやく理解した。


「このっ……責任取れっ、馬鹿吸血鬼――!!」

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