助けてなんて言ってません!余計なお世話です!
「うふふふ~」
私はセラフィーヌ。
子爵家の次女です。
「やーね。セラフィーヌったら、いつまでもニヤニヤしちゃって」
呆れたお姉様に軽く頬をつねられてしまいましたが、それくらいで私の幸せ気分は壊れないのです!
私がどうしてこんなにも幸せなのかといいますと、つい先日、大好きな彼との間に正式に婚約を交わしたのです!
私の彼は我が家の領地で広大な葡萄畑を有するワイン農家の長男です。
私は幼い頃から領地へ帰る度に彼と遊んだものでした。
次女とはいえ子爵家の令嬢である私と、葡萄栽培とワイン製造で裕福とはいえ農家の彼とでは身分が違います。
しかし、幸いにも私には優秀なお兄様とお姉様がいらっしゃり、お二方がそれぞれ格上のお家と縁づいたため、私の結婚については自由にしていいことになったのです。
といいますか、まずお兄様の婚約者はお兄様にベタ惚れの侯爵令嬢でございます。向こうからのアプローチがすごかったですわ。
高潔と名高い侯爵様が「娘が恋に狂ってしまい申し訳ない」と謝罪にきたほどでした。お父様が腰を抜かしてましたわ。
お兄様のことを大好きすぎて偶に暴走することさえ除けば、美しく教養もおありになって素晴らしいお方なのですけれど。
お姉様のお相手はなんと、辺境伯様の御嫡男でいらっしゃいます。
私のお姉様は私と違ってたおやかで思わず守って差し上げたくなる麗しい容姿なのですが、中身は非常にしっかり者で時にはお父様やお兄様をも口で言い負かしてしまうほどですの。
そんなはっきりしたお姉様の気性に惚れ込んだ辺境伯様の御嫡男がお姉様を口説き落としたのですわ。お父様が泡を吹いてましたわ。
そんな訳で、「これ以上、有力貴族と縁続きになったら逆にヤバい」と震え上がった小心者のお父様から、「お前は子爵以下と結婚してくれ~」と拝まれたのです。ええ。家同士のバランスとかありますものね。
だったら貴族でなくてもいいですか? と交渉してみたところ、あっさりとお許しが出ましたわ。
「昔からよく知っている信用のおける相手だし、娘が領地でのんびり暮らすなら心配せずにすむ」とのことで、私と彼は私のデビュタントの直前に婚約することになったのです。えへえへ。
そして、本日は私のデビュタントの夜会です。
私は学園を卒業したら貴族籍を抜けて彼と結婚しますので、社交の場に出るのは学園にいる間だけですから気楽ですわ。
「うふふふ~」
「もう! そんな締まりのない顔でデビュタントを迎えるつもり!」
お姉様に叱られますが、どうしても顔がにやけてしまうんですの。うふふ。
「セラフィーヌ。浮かれるのは構いませんが、気をつけて。私やジョセフィーヌから離れてはいけませんよ」
お母様がきりりとした顔つきでそうおっしゃいます。
「そうよ。もしも私達とはぐれてしまったら、デビュタントを迎えたご令嬢達で固まるか、人目の集まる位置に立っていなさい」
お姉様も私に言い聞かせます。
どうして、こんなにも警戒しているのか、そして、デビュタント直前に私が婚約を整えたのには理由があります。
その理由とは、夜会の会場で間違いなくデビュタントを迎えた令嬢に張り切って突撃して行くであろう、あの御方でございます。
初めての夜会の会場は何もかも煌びやかで、まるで夢のようです。
私はお父様とファーストダンスを踊った後は、お母様とお姉様に挟まれるようにして色々な貴族の方にご挨拶をさせていただきました。
だいたいの挨拶を終えたところで、例の御方の声が聞こえてきました。
「貴女、婚約者はいらっしゃるの!? えっ! 子爵家? まあーっ! 伯爵令嬢が子爵家に嫁ぐだなんて!」
ああ。どこかのご令嬢が早速突撃されてしまったようです。
「同じ伯爵家に嫁ぐ方が絶対に幸せになれますわ! 私がいいお相手をご紹介しますわ!」
「いえ、娘は婚約者と相思相愛ですので」
「ええ。娘本人が婚約を誰より喜んでおりますの」
ご令嬢のご両親が、がっちりと娘を庇うように前に立っております。
あら。婚約者様も駆けつけて参りました。
周りの皆様は「また始まった……」という目で、被害者となられた令嬢を気遣わしげに見ておられます。
そう。これが私がーーというか、未婚のご令嬢が初めての夜会の前に急いで婚約を整える理由でございます。
「まあ! 私はよかれと思ってお勧めしましたのよ! 後悔などなさらないように」
この御方ーールドメール公爵夫人は、未婚のご令嬢に一方的に縁談を押しつけようとなさる、困った御方なのでございます。
まだ婚約者のいないご令嬢に釣り合った殿方をご紹介されるのであれば、お節介とはいえ善意の申し出と受け取ることが出来ますが、ルドメール公爵夫人の場合は、婚約者のいるご令嬢にも御自分の考えた「ふさわしい相手」を押しつけようとしてくるから皆様から憎まれておいでです。
というのも、公爵夫人が押しつけてくるのはたいてい問題のある方ばかりなのです。
侯爵家の御次男が婿入りすることが決まった伯爵令嬢へ、三十すぎてもご実家住まいで遊び人と噂される公爵家の四男を紹介してきたり、
幼馴染の男爵家の御嫡男との婚約に頬を染める子爵令嬢へ、四十も年上の離婚歴のある伯爵様を勧めてきたり、
一番おぞましかったのは、まだ七歳の伯爵令嬢へ、奥様を亡くされて独身の三十九歳の侯爵様をお勧めしようとなさったことです。
これは流石にお相手として勝手にお名前を上げられた侯爵様の方が慌ててお話を打ち消しましたわ。当然でございます。非道を通り越して鬼畜の所行ですわ。
このように、視界に未婚の令嬢がいれば見境無く「ふさわしいお相手」を紹介してくる御方なのです。
公爵夫人の持ちかけてくる縁談をお断りするのは、普通であれば下位貴族には難しいものですが、幸いルドメール公爵様は温厚で良識ある御方で夫人の蛮行を諫めてくださいます。
また、国王陛下も正式に認められた婚約に横やりを入れて壊そうとなさる行いを許すような御方ではございません。
ご令嬢の家族や婚約者は結婚するまで令嬢を守ることに心血を注いでおられる方々ばかりです。
ですので、公爵夫人の勧める縁談が整ったことは一度もなく、不幸になったご令嬢はいないことが救いです。
それでも、公爵夫人は諦めることなく、ご令嬢がいる家に目を光らせていらっしゃるようです。
我が家も、お兄様とお姉様の婚約が整った時に突撃されました。
無論、そんなものに屈するような我が両親と兄姉ではございません。かなり粘着されましたが、なんとか諦めていただきました。
ちなみにその際、私は領地へ送られほとぼりがさめるまで滞在していました。家族の奮闘により私の存在はなんとか隠し通されましたわ。
そんな訳で、両親と兄姉は、デビュタントを迎える私に、必ずや公爵夫人が突撃してくるだろうと警戒していたのでございます。
「あら、クレシェンド伯爵令嬢。前の夜会と同じアクセサリーね。私のご紹介した侯爵家とのご縁を断るからですよ。トックス伯爵家ではドレスを新調するのもままならないでしょうからね」
ルドメール公爵夫人は御自分の勧めた「ふさわしいお相手」を断ったご令嬢には何か一言おっしゃらなくては気が済まないようです。
本日はクレシェンド伯爵令嬢エルシー様が絡まれておりますわ。
エルシー様はひきつった笑みを浮かべておられます。
確かに、エルシー様の婚約者であられるイヴァン様のトックス伯爵家は裕福ではありません。しかし、それは水はけの悪い土地が大部分を占める領地で領民達が飢えることのないように伯爵夫妻が事業に資産を回しているからです。それを知る貴族達はトックス家を尊敬こそすれ、貧しいと見下す者などおりません。
それに……
「エルシー!」
「イヴァン様」
エルシー様が絡まれているのをご覧になって、イヴァン様が駆けつけてエルシー様の肩を抱かれました。
途端に、エルシー様の真っ白なひきつった笑顔が、薔薇色に染まった頬と緩められた瞳でイヴァン様を見つめる美しい微笑みに変わります。
ーーそれに、エルシー様とイヴァン様は相思相愛で、学園でも仲睦まじく過ごされており、女の子達は皆お二人のご様子を見て羨望の溜め息を吐くほどなのです。
お二人ならば素晴らしいご夫婦となられることでしょう。
どんな立派な宝石やドレスで着飾れたとしても、イヴァン様以外のお隣ではエルシー様は幸せになれないと思います。エルシー様が一番美しく幸せそうに微笑むのはイヴァン様のお隣ですわ。
「あら! カロビス子爵夫人とご息女ではありませんの! 妹様はデビュタントでいらっしゃるのね!」
おっと。とうとう矛先がこちらへ来てしまいましたわ。
すかさず、お母様とお姉様が私を庇うために前に出ます。
「ルドメール公爵夫人。ええ、次女のセラフィーヌですわ」
「妹は先日、相思相愛の幼馴染と婚約して喜びで口も利けぬほど浮き足立っておりますの。ご無礼をお許しくださいませ」
にこにこ笑っているけれども、二人ともこめかみがぴくぴくしていますわ。
私は口を開かずに二人の背に隠れております。礼儀など気にせずにやりこめなければならない相手だと言い聞かされておりますので。
「まあ、そうですの。それで、お相手はどなた? この会場にいらっしゃるのでしょう?」
「いえ、夜会には来ておりません」
「まあ! 何故かしら?」
お母様とお姉様はのらりくらりとかわそうとなさいますが、公爵夫人は執拗に相手を知りたがります。
婚約者が平民だと知られたら厄介だからと、お母様とお姉様はなんとか言わずにやり過ごすつもりです。
そこへ、天の助けが現れました。
「母上! またご令嬢に迷惑をかけているのですか!」
公爵家の御嫡男様とその婚約者の侯爵令嬢様が駆けつけてくださいましたわ。
「カロビス子爵夫人、申し訳ない」
御嫡男様と侯爵令嬢様が現れたことで、ルドメール公爵夫人は文句を言いながらも退散してくださいましたわ。
やれやれ。
私はお母様とお姉様と目を見合わせて、ほっと息を吐きました。
***
婚約したことを報告すると、友人達は皆お祝いしてくれました。
「おめでとう!」
「よかったわね、セラフィーヌ」
「ありがとう」
教室でクラスメイト達に囲まれ、婚約相手の彼について根ほり葉ほり聞かれます。貴族令嬢が平民を婚約者とするのはあり得ない訳ではありませんが珍しいことは確かなので、皆興味津々のようです。
「では、セラフィーヌは学園を卒業したら領地へ行ってしまうのね」
「卒業後は夜会などにも出られないのね。寂しいわ」
貴族ではなくなるので、夜会には出られません。でも、元々私は堅苦しいのが苦手で、領地ではお転婆娘と呼ばれていましたから、貴族の家に嫁ぐよりずっといいのです。
それに、彼ーーロッドは私の初恋なんですもの。
「あのね、ロッドはすっごく素敵なの。美味しいワインを作るのが夢でね、そのためにいつも葡萄のことを勉強していて……」
「やーね。のろけないでよ!」
「いつか、彼の作ったワインを飲ませてね!」
友人達に笑われながらも祝福され、私は幸せの絶頂にいました。
ですが、帰宅した私は浮かれ気分が急速に落下していくのを感じたのです。
「あらあら、セラフィーヌ嬢! 聞きましたよ! 平民に嫁がされそうになっているんですって、お気の毒に!」
何故か我が家にいらっしゃる公爵夫人に、お母様がひきつった顔で応対されています。おそらく、私が帰ってくる前に追い返そうと努力してくださったのでしょう。
「ご安心なさって! 由緒正しい子爵令嬢を平民に嫁がせたりしませんよ!」
「……先ほどから申しております通り、この子が望んだ縁談ですの。幼馴染で相思相愛で……」
「何を言ってますの! ジョセフィーヌ嬢が辺境伯へ嫁ぐというのに、セラフィーヌ嬢は平民に嫁がせるだなんて! 姉妹に優劣をつけてはいけませんわ!」
公爵夫人は自信満々でお母様の言葉を遮ります。
優劣をつけられている訳ではないと言っても、聞く耳を持ってもらえないのでしょう。
ああ。なんだか大変なことになりそうですわ。
私はがっくりと肩を落としてしまいました。
それでもなんとか、公爵夫人に私が婚約を喜んでいるとお伝えしたのですが、公爵夫人は何故か私が無理矢理平民と結婚させられると思い込んでおり、ご理解していただけませんでした。
うう。憂鬱ですわ……
***
危惧していた通り、公爵夫人は私が無理矢理平民に嫁がされそうになっていると吹聴しているようです。
お母様とお姉様はお手紙やお茶会で付き合いのあるご婦人に説明なさっています。
幸い、皆様は我が家の説明を信じてくださっております。
私も学園で友達にきちんと事情を説明しました。
こちらが頑として公爵夫人の望む縁談をお断りすれば、そのうちに諦めてくださいます。これまでずっとそうでしたもの。
公爵夫人もお立場がありますので、こちらが否というものを無理に押し進めることは出来ません。
だから、とにかく公爵夫人が諦めるまでやり過ごせばいいはずなのですが、どうしたことか、今回の公爵夫人はなかなか諦めてくれないのです。
「カロビス子爵家はセラフィーヌ嬢がかわいそうだと思わないのかしら?」
「兄と姉には高位貴族との縁談を結んでおいて、妹は平民に落とすだなんて、あんまりですわ!」
「農夫と結婚だなんて、考えただけで寒気がしますわ!」
このようなことをあちこちで声高く主張しておられるようです。
「はあ……」
本当に憂鬱ですわ。
明日の夜会でも間違いなく突撃されます。お母様とお姉様が庇ってくださいますが、想像しただけで疲れますわ。
「あー、ロッドに会いたいですわー……」
私は我が家の書斎でぐったりソファにもたれて嘆きました。
ロッドの焦げ茶色の髪と瞳に癒されたいですわ。大地と同じ色を持つロッドの傍はとても心地いいのです。
「はー……ロッド……」
「呼んだ?」
「ぎゃわっ」
びっくりしすぎてソファから落ちるところでしたわ。
「ロッド!?」
侍女に案内されて現れたのは、私の婚約者のロッドだったのです。
何故、ここにロッドがいるのでしょう。彼は領地にいるはずなのに。
「商談とか、いろいろあってね。今日からしばらくここに泊めてもらうんだが」
聞いてませんわ。お父様ったら、私に内緒にしてましたわね。
「ところで、なんでそんなに落ち込んでいるんだ?」
ロッドに尋ねられて、私は思わず彼にすがりついてしまいました。
「そうか。そんなすごい夫人がいるのか……」
事情を聞いたロッドは神妙な顔で悩み始めました。
「大丈夫なのか? 格上の貴族からの申し出って断れないんじゃあ……」
「ううん! 公爵夫人の言っていることは明らかにおかしいから! 皆、断っているからそれは大丈夫なんだけど、ただ今回はやけにしつこくて……」
「やっぱり、俺が平民だからか」
ロッドが顔を曇らせてしまいました。
「私は絶対にロッドと結婚したいのだから、そんな顔しないで!」
「あ、ああ。いや、俺は平民だからセラが困っていても助けにいけないだろ? それが歯がゆくてさ」
平民のロッドは社交の場には入れませんから、私を心配してくれているようです。
「明日の夜会で、もう一度はっきり言うわ。私はロッドと結婚する以外に考えられないって」
「セラ……」
ロッドが手を握ってくれました。どきどきしますわ。
「セラ。渡したい物があるんだ」
ロッドは懐から小さな箱を取り出して私に差し出しました。
受け取って蓋を開けると、銀の葉に葡萄色の石が房のように連なっている髪飾りが入っていました。
「貴族だと、婚約者に夜会のドレスとかアクセサリーを贈るんだろ? 俺はドレスなんて贈れないし、これだって貴族がつけるような立派なものじゃないけど」
ロッドは照れながら頬を掻いて言いました。
私は感激で声もなく髪飾りをみつめました。
「ロッド……っ! 嬉しいわっ」
値段なんて関係ないのです。ロッドが私のために贈ってくれたのですから。
明日の夜会に絶対につけていきます! ロッドが傍にいてくれるようで心強いですわ!
***
私は公爵夫人という立場にあります。この国の公爵家の夫人として、いつも年若いご令嬢の幸せを祈っておりますのよ。
ええ。女の幸せはなんといっても結婚相手で決まるものですわ。
ですから、少しでも幸せになれるようにと、不幸な結婚で人生を台無しにする令嬢を救うために縁談を進めるのですけれど、どうしてか皆さんお断りになりますの。
公爵家が世話した縁談を断るだなんてありえませんわ。
どうしてこう、娘を道具のように嫁がせる心ない親が多いのでしょう。嘆かわしいことですわ。
貴族は政略結婚が当たり前だなんて、古い時代の価値観ですわ。
だけど、私は諦めません。私が諦めてしまっては、この国の貴族達の目を開かせる役目は誰がするのです?
娘を不幸な結婚に追いやる親達にも、いつか私の正しさを認めさせねばなりません。
彼らが良心を取り戻し、不幸な結婚から娘を救い出すというのであれば、私はいくらでも協力いたしますわ。
それに、傷物になったご令嬢でもきちんと嫁ぎ先をみつけて差し上げます。
それが私に与えられた役目ですわ。
そんな私ですが、今回ばかりはほとほと呆れました。
カロビス子爵夫妻は、兄には侯爵家、姉には辺境伯家との縁を結んでおきながら、妹のセラフィーヌ嬢は平民に嫁がせ家から追い出すつもりなのです。
平民などと結婚したら、貴族籍から抜けることになります。
おかわいそうなセラフィーヌ嬢。
どうしてそのような血も涙もない真似が出来るのかしら。
もしや、セラフィーヌ嬢は普段からカロビス子爵家で虐げられているのではないかしら。
夜会の時にも夫人とジョセフィーヌ嬢がセラフィーヌ嬢を喋らせないようにしていましたわ。
なんてことかしら。すぐにセラフィーヌ嬢を救わなくては。一刻の猶予もありませんわ。
幸い、明日は我が公爵家が開く夜会です。
明日こそはお気の毒なセラフィーヌ嬢を冷たい家族から救い出し、平民と結婚などというおぞましい未来に怯えている彼女を頼れる殿方に預けなくてはなりません。
待っていてくださいな、セラフィーヌ嬢。
私が貴女様を救って差し上げますわ。
***
「うひひ」
「お嬢様。先ほどからお顔が崩れっぱなしです」
夜会の準備中、髪を結ってくれる侍女が呆れたように言いました。
だって、仕方がないのです。
私の髪には、ロッドに貰った髪飾りが輝いているんですもの!
うふふ。うふふ。
「まったく。これから夜会だっていうのに、その緩みきった顔をどうにかしなさい」
お姉様に苦言を呈されても顔が緩むのを止められませんわ。
せっかくなのでロッドにドレス姿を見て貰いたかったのですけれど、私が準備をしている間にお仕事に出かけてしまったそうです。
残念ですわ。
「セラフィーヌ。今夜はルドメール公爵家の夜会です。私達から離れてはいけませんよ」
「はい、お母様」
そうなのです。今夜は公爵家の催す夜会なのです。
出来れば欠席したいぐらいなのですが、侯爵家と縁を結ぶお兄様と辺境伯家へ嫁ぐお姉様はいろんな方に挨拶せねばなりません。お父様もお母様も格上の家と縁を結ぶ子供達のために社交を頑張らなくてはなりません。
それに、我が家が欠席しては公爵夫人にどんな噂を広められるかわかりません。
私が一人で夜会を欠席するのも、家に一人残す方が心配ということで、私も夜会に行かなくてはなりません。万一、公爵夫人が何かしてきたら、使用人達では止められない可能性がありますからね。
「お父様とお兄様も出来るだけ近くにいてくださるわ。何かあったら助けを求めるのよ」
家族は皆、私を守ろうとしてくれますが、ここのところ疲れているようで心配です。
早く、公爵夫人が諦めてくださいますように。
私は髪飾りにそっと触れて祈りました。
そうして、気合い十分で夜会に臨んだ私でしたが、公爵夫人は私に突撃せずに他のご令嬢に声をかけていました。
最初は警戒していた家族も、公爵夫人が一向にこちらに興味をしめさないため徐々に警戒を解き始めた。
「諦めたのかしら?」
お姉様が呟きます。そうだったら嬉しいのですけれど。
しかし、それは甘い考えだったと、後に私は思い知るのでした。
公爵邸の大広間の天井画は二百年前の天才画家によるもので、見上げているだけで圧倒されそうです。
公爵夫人は公爵様と共にいろいろな方とお話なさっていて、私の方へ来ようとはしていません。
考えてみれば、今夜の公爵夫人はホストなのですから、私に構っている暇はありませんわよね。
「今夜は大丈夫そうね」
お母様とお姉様もほっとした顔をされております。
私も安心して胸を撫で下ろしました。
その後も何事もなく、私は夜会を楽しむことが出来ました。
そして、夜会が始まって一時間ほど経った頃、ついに公爵夫人が私の元へ歩み寄って参りました。
「ご機嫌よう、セラフィーヌ嬢」
「お招きいただき光栄ですわ、ルドメール公爵夫人」
すぐさま私の家族が集まってきて私と公爵夫人の間に入ります。
「セラフィーヌ嬢。私ちょっと調べてみましたのよ」
公爵夫人はにこにこと笑みを絶やさず、私はなんだか嫌な予感が致しました。
「貴女の婚約させられたお相手、平民な上に農夫だなんて! あり得ませんわ! こんな非道を見過ごすわけには参りませんわ!」
公爵夫人の言葉に、私はムッとしました。
「でも、ご安心なさって。私がちゃんとセラフィーヌ嬢の幸せを用意しましたわ!」
「……それは、どういう意味ですかな?」
お父様がこめかみを引きつらせながら尋ねます。
「ええ。きちんと説明しますわ。どうぞ、こちらへ」
公爵夫人が夜会会場の外に設けられた休憩室へと私達を誘います。
ふと会場を見渡すと、いつの間にか公爵様の姿がありませんでした。
御嫡男様は婚約者様と共に他の貴族の方とお話しされていて、こちらに気づいていないご様子でした。
両親は少し逡巡した様子でしたが、私を一人にする訳ではないのだから大丈夫だろうと公爵夫人の後に従いました。
休憩室には他の方はいらっしゃいませんでした。公爵夫人は不敵な笑みを浮かべて私を見ます。
「実は、以前お知り合いになった隣国の伯爵へ、セラフィーヌ様の御事情をお伝えしたところ、たいそう同情してくださって。セラフィーヌ様をお助けしてくださるとおっしゃられております。セラフィーヌ様を第七夫人として迎えてくださいます! 明日にもお迎えがきますわ!」
公爵夫人の言葉に、私は目が点になりました。
隣国は我が国より大きく豊かな国です。伯爵であっても我が国の侯爵と同等の扱いとなります。
さらに我が国と違って妻を八人まで娶ることが許されております。
いえ、それはともかく、何故この方は私を勝手に隣国へご紹介しているのでしょう。いくらなんでもあり得ません。
「失礼ながら、勝手なことをされては困りますな」
お父様が怒りを隠さずにおっしゃいます。もちろん、お母様とお兄様お姉様も怒りでぶるぶる震えておられます。
国内の貴族ならともかく、隣国相手では下手すれば国際問題でございます。いつもは公爵夫人が勝手に騒いでいるだけですが、隣国の貴族まで巻き込んではどうなるかわかりません。
「私はセラフィーヌ嬢の幸せを思ってしたのです! 貴方達に虐げられているおかわいそうなセラフィーヌ嬢をお助けするには、これしか方法がありませんわ! セラフィーヌ嬢、安心なさって? 隣国へ嫁げば、ご家族ももう手出しできませんわ。伯爵は六十歳ですがお元気な方ですし、他のご夫人は三十を越えておりますから、セラフィーヌ嬢は可愛がっていただけますわ」
この方は何をおっしゃっているのでしょう。
もはや意味すら理解できません。
「……こんなのっ、もう我慢できませんわ!」
そう叫んでお姉様が休憩室から走り出ていきました。
「あなた……私もこれ以上耐えられません。よろしくて?」
「……ああ」
お母様も、お父様の了承を得てさっと身を翻して休憩室から出て行きます。
「公爵夫人。我が家が娘を虐げているなどと、ひどい侮辱です。我々を侮辱した挙げ句、娘を隣国へ売ろうとするなど、けして許されませんぞ」
「まあ! なんてことをおっしゃるの! 私がセラフィーヌ嬢を売るなどと、よくもそんなことが言えますね!」
「証拠もなく私の家族を侮辱する貴女様には怒る権利はないでしょう」
お父様と公爵夫人が睨みあう。
「貴方達がセラフィーヌ嬢を虐げていた証拠ならありますわ! その髪飾りです!」
私は目を見開きました。
「明らかに安物ではありませんの! 奥方やジョセフィーヌ嬢とあからさまな差を付けて、そのように粗末なものを与えるだなんて! そんな物を身につけさせるなど愛のない証拠です!」
私は、自分の頭がカーッと熱くなるのを感じました。
「取り消してくださいっ!」
思わず、叫んでおりました。私を守ってくれていたお兄様の腕から抜け出して、私は公爵夫人に詰め寄りました。
「これは、私の婚約者からの贈り物です! 確かに、高価なものではなく、夜会で身につけるにはふさわしくないかもしれません。ですが、デビュタント後の夜会では婚約者のいる令嬢は婚約者から贈られた物を身につけるのが慣習です。ですから私はこの髪飾りを身につけているのです!」
ワイン農家の跡取りであるロッドならば、村の女の子達からはモテモテでしたし、いくらだっていい条件の縁談があったはずです。
それでも、ロッドは私を選んでくれたのです。学園を卒業するまでは貴族としての務めを果たさなくてはならない私のことを受け入れてくれたのです。
そして、社交界では傍にいられない代わりに、この髪飾りで私を守ってくれているのです。この髪飾りが「愛のない証拠」などであるはずがありません。
そのロッドの想いのこもった髪飾りを、粗末などと馬鹿にされたくありません!
「取り消してくださいっ!」
「何を言うの!? 私は貴女を助けてあげようとーー」
「助けてなんて言ってません!! 余計なお世話ですっ!!」
怒りにまかせて叫んだその時、聞こえないはずの声が聞こえました。
「セラ!」
私は驚いて振り向きました。
平民の礼服に身を包んだロッドが、私に駆け寄ってくるのが見えました。
「ロッド……どうしてここに……」
「お義母様とお義姉様が、俺を呼びに来て、セラを助けにいけと……」
「まああ! 何故、平民風情がここにいらっしゃいますの!?」
公爵夫人が卒倒せんばかりに喫驚いたします。私はロッドにすがりついて涙を流しました。
「ロッド……」
「大丈夫だ、セラ」
ロッドは安心させるように私の背を撫でてくれました。
「どこから忍び込みましたの!? 汚らわしい!」
ロッドを罵られて、私が思わず公爵夫人を睨んだその時です。
「やめないか!!」
鋭い声と共に、公爵様が現れました。普段お優しい穏和な笑顔を浮かべている公爵様が、今はとても厳しい顔つきをなさっておいでです。
「ああ、貴方! すぐに追い出してちょうだい!」
公爵夫人が夫である公爵様に強請ります。私はロッドを守りたくて彼の腕をぎゅっと握りました。
「お前は何を言っている?」
公爵様は、公爵夫人を冷たく見下ろしました。
「彼は私が招いたのだ」
「え?」
公爵様のお言葉に、私は目を瞬きました。
「そうなんだよ、セラフィーヌ」
お父様が言います。どういうことでしょう?
「ロッドから驚かせたいからお前には秘密だと言われていたんだがね。こうなっては仕方がないだろう」
お父様が目で促すと、ロッドは少し気まずそうに目を逸らしました。
「セラフィーヌ嬢。貴女の婚約者であられるロッド殿は、新しいワインを開発し王室へ献上した功績で、「サー」の称号を賜ることが決まったのですよ」
「へ?」
「授与はまだ先になりますが、今夜の夜会では貴族達にそのワインを振る舞うことになっておりました。そのため、彼にも我が家へ来て貰っていたのです」
公爵様の説明に、私はロッドの顔を覗き込みました。
「ごめん。秘密にしていて……」
ロッドは照れくさそうに頭を下げました。
確かに、ロッドはずっと新しいワインを作ろうと努力していました。
「実は今夜、ワインを振る舞う際にロッドに出てきてもらい、セラフィーヌに最初の一杯を献じることになっていたんだよ。その上で婚約者であると発表すれば、もう大丈夫だと……」
お父様が語尾を濁されます。
そうだったのですね。おそらく、お父様が公爵様へお願いしてロッドを連れてきたのでしょう。
大々的に正式な婚約者だと発表し、平民といえど新たなワインの開発者という有能な者であると貴族の皆様に認めていただき、私が不幸な婚約を無理強いされているわけではないと証明するために。
「まあ! 「サー」などと一代爵位ではありませんの! それに、子爵令嬢が農夫に嫁ぐなど、不幸になるに決まっていますわ!」
公爵夫人はなおもがなり立てていましたが、私はもう聞きたくなくてロッドの胸に顔を埋めました。
「いい加減にしないか! 平民嫌いなお前が騒ぐと思ってロッド殿を招くことを知らせていなかったのは私の落ち度だが、まさかここまで愚かな真似をするとは……妻を連れて行け」
公爵様の命で、公爵夫人は使用人達に抑えられ連れて行かれてしまいました。かなり騒いでおられましたが、どうやら公爵様は夜会の会場には戻らせないおつもりのようです。
「セラフィーヌ。大丈夫かい? 家に帰ろうか」
「別室を用意する。セラフィーヌ嬢とロッド殿にはそちらで休んでいただこう」
「……いいえ」
公爵様のお申し出に、私は首を横に振りました。
「会場へ戻りますわ」
「セラフィーヌ?」
「予定通りに、ワインを振る舞ってください」
私は顔を上げてロッドをみつめました。
「最初の一杯を、私に捧げてくれるんでしょう?」
にっこり微笑むと、ロッドの顔にも笑顔が浮かびました。
それから、私はお父様お兄様と共に会場へ戻り、心配していたお母様とお姉様に抱きしめられました。
そして、公爵様が新しいワインを紹介し、その開発者としてロッドが会場へ呼ばれ、その婚約者として私の名が呼ばれました。
ロッドは私にワイングラスを捧げ、微笑みます。
「君のために作ったワインだ。名前は『セラ』」
そうして私がワインを飲み干すと、会場中が拍手と祝福の声に包まれました。
「夢のようだわ……」
私はロッドに寄り添い、皆様がロッドの作ったワインを口にされる様子を眺めて呟きました。
「俺の方こそ夢のようだ。貴族の夜会なんて場違いで。セラはこんな世界で生きているんだな」
「あら。私だって夜会はまだ二回目よ」
「うん。……しかし、見目麗しいキラキラした方達を見ていると、セラには本当に平民の俺でいいのかと自信がなくなるよ」
「なんてこというのよ! 馬鹿!」
私は頬を膨らませてロッドを軽く小突きました。
「もう誰にも、私の幸せな結婚を邪魔させたりしないわ! たとえロッドにでもね!」
***
夜会の翌日、ロッドは領地へ戻っていってしまいました。また学園が休みに入って領地へ戻るまでは会えません。
でも、学園を卒業すれば結婚してずっと一緒にいられますから平気です。
ロッドの作ったワインの評判は上々で、学園ではいろんな方から声をかけられました。「素敵な婚約者で羨ましい」とも言われましたわ。
公爵様からは正式に謝罪とお詫びの品が届けられました。
隣国へも公爵様が説明とお詫びを送られるということで、我が家は一切関わらなくていいとのことです。
今回、公爵夫人がしでかしたことについてはお優しい公爵様もさすがに見過ごせなかったらしく、公爵夫人は離縁されご実家の伯爵家へ戻られました。
公爵様と義弟である伯爵様がご相談の上で、夫人は伯爵家の領地へ送られ隠棲されるそうです。
問題を起こさずに静かに暮らすのなら、今後も生活の面倒はみるおつもりのようです。夫人の言動には誰もが迷惑しておりましたが、これまですべて未遂で実際に不幸になったご令嬢がいないため温情が与えられたそうです。
もしも、私の時のような強引なやり方を他のご令嬢にもしていたら、決して許されなかったと思います。
ある意味、夫人は私の婚約者が平民であったおかげで助かったともいえるのではないでしょうか。
なんだか皮肉ですね。
しかし、あの夫人が田舎の静かな暮らしに耐えられるでしょうか。少し心配になります。
もしも、新たに問題を起こしたら、夫人は実家からも見捨てられてしまうかもしれません。そうなれば、夫人は救貧院に行くしかなくなります。公爵夫人として華やかに生きてこられた御方には耐えられないでしょう。
どうか、夫人が賢明に己れをみつめなおしてくれることを祈ります。
それにしても、公爵夫人はどうしてあんなにも他人の結婚に口を挟みたがったのでしょう。
月下氷人がしたかっただけならそれほど嫌われなかったかもしれませんが、夫人の場合は幸せな恋人達を引き裂いてでも不幸な結婚をさせたがっているようにしか見えませんでしたから、あれほど皆から憎まれたのでしょう。
もしも、公爵様が夫人の言いなりになるような御方でしたら、どれだけの令嬢が不幸になったかわかりません。
穏やかでお優しい公爵様と、優秀なご令息と非の打ち所のない婚約者、公爵夫人という身分。何もかもを手にしてお幸せに過ごされていたでしょうに、どうして公爵夫人はあんなにも他人の幸せな結婚を壊そうとされていたのでしょう。
私には、公爵夫人のお気持ちがわかりません。
ですが、お母様はこうおっしゃいました。
「御自分が幸せであっても、他人がほんの僅かにでも幸せになるのが許せなかったのでしょうね」
きっと自覚はしていらっしゃらなかったでしょうけれど、と、お母様は深い溜め息を吐きました。
「善意を装った悪意……いえ、本人が善意と信じているだけの善意は、悪意より恐ろしいものよ」
お母様のその言葉は、私の胸に残りました。
我が家はこれからお兄様の結婚にお姉様のお嫁入りと、慌ただしくなります。
お二人の結婚式ではロッドのワインを皆様にお出しする予定です。侯爵家と辺境伯家は、私の婚約者としてロッドの出席をお許しくださいましたわ。
「うふふ」
髪飾りを撫でて、私は笑みを漏らします。
大好きな彼と結婚する日を想うと、まるで自分が世界で一番幸せに思えるのです。
きっと、愛しい人と想い合う方は皆、私と同じくこう思っているのでしょう。
「私が世界一幸せよ!」と。
終