貴方と同類ではない
「嫌よ!」
「ジェシカ様!」
王太子夫妻の私邸近くにある小さな離れ。
そこは女の住処、つまりはウィリアムの愛人の。
こんな近くにどういう神経しているのだろうかと思ったが、シャロットも以前はここに住んでいたのだから何も言えない。
仕方ない事ではある。王太子が王宮外に愛人を住まわせるわけにいかない。
サルスタジア王国で継承権を持つ者以外の男の子供ができれば、それはつまり孤児院か修道院送りだ。王家と繋がりのない人間の内部への干渉は許されず、ありえない話。
妃でも愛人でも王宮にいる以上は従うしかなく、結局は側に置いて囲うのだ。
ここには侍女を含めた使用人や警備係がいて、愛人としての生活は保証されている。
しかも王子の、未来の国王の子供を産む可能性があるのだ。退屈だとしても何も困らないのだから、誰だって居心地最高だと思うのは当然だろう。
――王子に愛される存在よ? あぁ、幸せだわぁと思ったら抜けられなくなるわよ。私もここでの生活は悪くないと思ったわ、まるで蜜の味。
そんな世界でも、グレースを苦しめるのだけはたまらなく嫌だった。
誰よりも気高くて美しい王太子妃。
どんなにウィリアムが愛人を作ろうと他所に気持ちが移ろうと、その誇りは汚される事も乱される事もない。それは彼女が誰よりも彼を理解し、愛しているからなのだ。
いつだったかシャロットは聞かされた。
『ウィリアムを愛しているわ。ううん、彼を愛せている自分が好きなのね。そして私の好きなウィリアムを愛する貴方もね』
例え、彼から愛されなくなったとしても幸せでいられるのだと言った。
本当はきっと誰もいないところで泣いているのだろうに。
だからこそ幸せな妃でいて欲しい、シャロットは心からそう願っている。
――なのにどうしてかしら。あの離れに今、私はいるの。彼の元に戻ったのでなく呼ばれたのよ。どうやら仲裁役として。
そして来てみたら、つんざくようなジェシカの喚き声が外にまで聞こえる。
それだけではない。食器の割れる音、椅子が倒れる音、何かを叩く音、まさに大暴れという表現が似合う事態だ。
離れの警備担当の騎士がドア前でシャロットに挨拶する。
「何の騒ぎなの?」
「妃殿下……」
と、そこへジェシカの侍女が離れの玄関ドアを勢い良く開けて出て来た。
どうやらシャロットの姿が窓から見えていたらしい。
「妃殿下!」
「いったいどうしたの?」
「助けて下さい! ジェシカ様が言う事を聞いて下さらなくて」
「もうすぐ出産でしょう。不安定になっていらっしゃるのでは?」
「いえ、それがそうではないのです」
侍女の話はどうにも理解できない。混乱しているようだ。
「あんなに騒いだらお身体に響くわ」
只事ではないらしい。直感的に気が急いた。
ジェシカがいたのは玄関ホールを抜けた先の居間、そこには彼女の他に警備が数人。
「何、これ……」
居間に広がるあまりの光景にシャロットは呆気に取られた。
この離れは愛人のジェシカと彼女を世話する人間達のみが居住する空間で、決して広くはない。それでも王太子殿下が寝泊まりしたり、食事を取ったりする事もあるのだ。
それなりに煌びやかな室内装飾が施されているはずなのに、それがまるで窃盗被害にでも遭ったかのような散らかり具合で無惨に荒れていたのだ。
「ねぇ、シャロット様!」
現れたシャロットにジェシカまでが助けを求める。
彼女の縦ロールに巻いた栗色の髪は、まさかの暴発寸前状態。
いつもならどんな時でも見た目重視のジェシカが、この時ばかりは違った。
「シャロット様!」
親しげな声で呼び掛けられるような関係ではない。
なのに貴方なら私の気持ちがわかるわよね、とでも言いたげな響きが伝わって来る。
――何があったの?
「私はここを出て行かないわよ!」
「え?」
「追い出された貴方なら私の味方になってくれるわよね」
――いや、追い出されたからアシュリーと結婚したわけではないわよ。
状況が全く掴めず、近くにいたウィリアムの従者に説明を求めた。
――本人がいないのに従者だけがいるのはどうしてなのかしら。
「それが実はジェシカ様のお相手は王太子殿下ではないようでして……」
「父親が違う?」
「はい、そうなります」
「それでここを出て行くように言われて激しく拒否しているのね」
「あまり興奮してはお身体に影響が出てしまいますし、どうしたものかと」
「王太子殿下はどこ?」
「グレース妃殿下についておいでです。出産にはまだ月日がございますが、万が一何かあっては大変だからと」
「確かにそうでしょうけれど……」
「王太子殿下はジェシカ様に騙されたと、それはもう大層お怒りで」
「はぁ……」
「そこであの……シャロンを呼べ、と殿下が申されまして……」
従者が申し訳なさそうに項垂れている。
――貴方は悪くないわ、命令されたらそうするものよ。悪いのは貴方よ、ウィル! どうしてこんな面倒事に私を巻き込むの? 愛人の管理ができていなかった貴方の責任よ。