愛され方を私は知らない
「シャ……」
――誰かの声が聞こえるわ。
「シャロ……」
――誰? 起きたくないのよ、とても疲れているの。
「愛しているよ」
「ウィル……なの?」
――あぁ、私を心配して会いに来てくれたのね。だってそうでしょう? 私をそんな甘い声で呼ぶのは彼くらいだもの。
「ウィル……一人にしないで……」
シャロットの髪を撫でる手が優しくて温かい。
愛人の時はいつもそうだった。私が眠るまで、そっと抱き締めていてくれた。
「アシュリーがね……また女の所に行ったのよ……グレース様はいつもこんな、悲しい気持ち……」
大きな包み込む手がまるで子守唄のように安らぎを誘う。
「ゆっくりお休み……シャロン」
夢うつつのようで朦朧として意識がはっきりしない。よほど疲れていたのだろう。
だからこんな事を口走ってしまったのだ。
それでも朝が来て夢から醒めたら忘れているはずだ。
アシュリーがここにいなくて寂しいだとかウィリアムの温かさが恋しいだとか。
だから今は髪を撫でる手を止めないで。
優しく頬に触れる指先で零れる涙を拭わないで。
☆ ☆ ☆
目を開けたそこはアシュリーが待っていると言ったはずの、誰もいない一人きりの寝室。
「夢、だったのね……」
――寂しさには慣れたつもりだったのにな。
この寝台は一人で寝るには広すぎる。
「おはよう、シャロット」
ノックもせずに入って来たのは、ここではない別のどこかで一夜を明かしたアシュリー。
昨日の夜会服のまま、上着の前だけを開けている。どうやらさっき戻って来たばかりらしい。
もう少しここにいてとねだられて面倒くさくなったのだろうか。とりあえず適当に着替えて帰って来たというような。
寝台から上半身だけ起こす。そのままの体勢で身なりを整えていると、アシュリーが近づいて側に腰掛けた。
「お寝坊シャロット、やっと起きたのか?」
「アシュリー」
爽やかな顔はシャロットへの感情の欠片も見当たらない。彼が愛するのは彼女ではないし、愛される事もないのだ。
アシュリーが愛しているのは……。
「目覚めはどうだ?」
「素敵な朝だわ。貴方がこの部屋で寝たのは初夜の日だけだもの」
「俺にいて欲しいのか?」
「その気もないくせに」
「昨日、キティと何を話した?」
キティ、それはアシュリーが呼ぶキャサリンの愛称。
「貴方の愛人になりたいそうよ」
顔から表情が消えた。
なのにシャロットの真っ直ぐな栗色の髪をそっと撫でる手つきは、まだ夢の中だという錯覚を起こさせる。あの優しい手つきはアシュリーにはないはずだ。
「余計な事は言わなかっただろうな」
「当たり前でしょう」
「裏切ったら君をここにいられなくする」
どうしてそんな台詞を優しい笑みで言えるのだろうか。
「私を脅す気?」
「どうしてこんなに可愛くないのかな」
「結婚を後悔するなら遅いわよ」
「時々、君が憎らしくなる」
きっとここを追い出されたらシャロットは居場所を失ってしまう。伯爵家には戻れないし、愛人にも。
第三王子の元妃はあっさり捨てられた、そんな後ろ指を指されながらますます悪女の名声を高めるだろう。
「ウィリアムの方が良ければ愛人に戻ればいいさ」
「私は、私を愛してくれる人の側にいたいわ」
「だとしたらそれは俺ではないのだろうね」
アシュリーの指がシャロットの頬に触れた。
「泣いたのか?」
言われて思い出した。そういえば夢で……。
誰かが側にいてくれたのかもしれないが、それすらも誰にも愛されない彼女を不憫に思った神様からの贈り物だったのかもしれない。
こんなに悲しい気持ちになるならいらないのに、意地悪だ。
「泣く理由がどこにあるの?」
頬に触れる彼の手を払い除けて寝台を抜け出す。
結局、昨晩に磨き上げた身体は何の役にも立たなかった。きっとこれからもそうなのだろう。
――それでもいい、私は慣れているわ。
悪女でいる事も、心の内を隠す事も。
「キャサリン様には幸せになって頂きたい、心からそう願っているのよ」
「シャロット……」
「本当よ……嘘はつかないわ」
寝室を出て行く時、アシュリーがどんな表情をしていたのかなんて背中を向けていたシャロットにはわからない。
ただ、その願いは彼も同じはずだという事だけは伝わって来た。