嫌いなアイツが心を掻き乱すから
夜会が終わってようやく一段落……と言いたいところなのに、そうもいかないのは第三王子妃だから。
それでもやるべき事は全てこなしたはずだ。
だからもうコルセットを外して、ドレスも脱いでしまいたい。
――あれ、意外と苦しいのよ。私の豊満な部分がより一層強調されるから嫌になる。
「シャロット妃殿下、よろしいですか?」
アシュリーと私室に戻る途中、声を掛けて来たのはキャサリン・ブランドン公爵令嬢。
アシュリーより二歳年下で従妹という間柄のせいか子供の頃から仲が良いらしく、兄妹のように接して来たのだという。
公爵家の一人娘なら既に婚約者がいても良さそうな年齢ではある。ところが彼女はどんなに良い縁談が来ても断り続け、一途にアシュリーだけを想い続けて来た。建前上は婚約者はいないが、本音は彼からの婚姻申し入れを今か今かと一日千秋の思いで待ち続けて来たのだろう。
――あぁ、まさに悪役令嬢ここにあり……ね。
溜め息を吐きたくなる。できれば素通りして欲しかった。
隣でシャロットの腕をそっと外し、アシュリーは悪そうな顔で微笑む。
「愛するシャロット、寝室で一人寂しく君が戻るのを待っているよ」
――何が愛するシャロットよ、全く!
侍女と一人の警護のみをその場に残したアシュリーは、従者と他の警護を従えて先に歩いて行く。
キャサリンはシャロットが見ているのも構わず、この場を去る彼の背中を見つめている。もう届かない人を愛しそうな瞳で。
「キャサリン様、夜会の方はお楽しみ頂けました?」
――いえ、楽しくなかったのはわかっているわ。
「えぇ、もちろんです」
自分から声を掛けておきながら、アシュリーを今にも追い掛けて抱きつきたい衝動を抑えているのがその熱い眼差しけら窺える。
――この方、嘘がずいぶん下手ね。だから悲劇のヒロインだなんて言われるのよ。
「それにしてもさすがですわ」
「あら、何が?」
「シャロット様は逞しくていらっしゃるのですもの。 私もそのようになりたいものだわ」
――あら、嫌味? 人は外見だけではわからないと言うものね。
キャサリンがアシュリーやウィリアムによく似た外見なのは従妹だからだろうか、それとも王族の一員だから。
彼女の父上である公爵閣下はサルスタジア王国、アイザック国王の弟だ。
髪色は王太子妃殿下のグレースほどの鮮やかな金髪ではないが、清楚な雰囲気と気高さは劣らない。
普段の彼女は決してシャロットのような陰口を叩かれる事がない。身体のラインを強調したドレスは着ないし、男を誘惑するような視線も流さない。
いつも控えめで、自分を律する意識に長けている。
――今は違うわね。少なくとも私の前では本性が出るらしい。ただ、アシュリーにはそうではないのでしょうね。
「キャサリン様にもお教えしましょうか?」
「いらないわ、おばさんの教えなんて」
――お、おばさん? 一つしか違わないのに。
込み上げるものがある。腹筋が痛い。ここで笑ったら失礼だろうか。
彼女の精一杯な虚勢を張った態度が可愛い。
「あぁ、どうしたら私のように魅力的で尚且つ殿方を簡単に落とせる女になれるかを知りたいのね?」
途端にキャサリンの目線がシャロットのそこに移った。
――あぁ、そうなのね。
彼女は本当は周りが思うほど表情が出ないわけでも冷静で冷たいわけでもない。ただの夢見る子供なのだ。
顔を真っ赤にして俯き、震え出してしまったのだから。
「私は……シャロット様にお祝いを申し上げたかっただけなのです」
キャサリンは必死に俯いて、公爵令嬢として言うべき事を言わなければと感情を押し殺しているようだった。
――本当は言いたくないでしょうに。少々、意地悪が過ぎた。
「キャサリン様、私は日頃から貴方と仲良くなりたいと思っておりました。もちろん過去の事から納得していないのは承知しておりますが」
「でしたらどうしてアッシュ……いえ、アシュリー殿下と結婚なさったの?」
彼女は子供時代からの名残りでアッシュと呼ぶ。
――好きだからと言えば納得するの? それとも運命だと言ったならどう思うかしら。
「アシュリーから妻にしたいと申し込まれたのです」
「私の方がずっとずっと長い間、殿下を好きだったわ」
「そうでしたわね。キャサリン様はとても一途で純粋で素敵な方」
「どうして申し込まれた時に断らなかったのですか? 貴方には……」
ウィリアム王太子殿下がいる、そう言いたいのだろう。
「女は誰しも欲張りなのですよ。貴方もそうでいらっしゃる。だからアシュリーを諦められないのでしょう?」
――こんな時に涙を浮かべて辛そうにするのは卑怯よ。女なら堂々としなさいな。
「でしたら私もシャロット様を真似て愛人になろうかしら」
「アシュリーの愛人になるとでも?」
「元々は殿下は私と結婚するつもりだったのだもの。愛人に格下げされても彼の側にいられるのなら平気ですわ」
「おやめになった方が懸命よ。キャサリン様には無理だもの」
「どうして?」
「それはご自身がよくおわかりのはず」
☆ ☆ ☆
――あぁ、疲れたわ。
今度こそ、コルセットを外せた。
「失礼致します、シャロット妃殿下」
「お休みなさいませ、妃殿下」
「ありがとう、ゆっくり休んでね」
侍女達が世話を終え、部屋を退室して行く。
肩の凝る夜会用ドレスから寝間着のネグリジェの上にガウンを羽織り、結い上げていた髪も下ろした。身体は丁寧に湯浴みで磨き上げて。
――どうせ無駄だとわかっているのにね。
☆ ☆ ☆
「嘘つき」
寝室には誰もいない。
――待っているよ、そう言ったくせに。今日もまた女と夢の中なのね。
皺一つない寝台の敷物に寝転がってみると、簡単に意識を手放せた。
このまま一人、夫婦の寝室でずっとなのかもと思うとウィリアムの愛人だった頃が懐かしく思えて、初めて後悔の念が芽生えた。