番外編 初恋(前編)
公爵家の一人娘として誕生したキャサリンは幼少時から父親に溺愛されて育って来た。
周囲の人間から見たら、それはもう目に入れても痛くないほどの可愛がりようなのが逆に危惧の種となっていたようだ。我が儘になるのではと思われていても仕方ない。
ところが期待を裏切る形で娘は令嬢らしい令嬢へと健やかに成長していった。
キャサリンは生まれついての公爵令嬢であり、羞恥心と誇りを持った貴族である。
そんな中、母親は冷たかった。
公爵が担う責任に忠実で真面目な父親との仲は良くなく、つまらない人だと愚痴を溢す母親を幼いながらに寂しい気持ちで見ていたのをキャサリンは覚えている。
だからなのか、華が消えても母親を求める思いは沸いて来なかった。
理由は母親の浮気もあるのかもしれないが、公爵夫人の務めを果たさなかった事もその一つだろう。
『貴方はどうして公爵家の娘なの? 全く気に入らないわ』
その言葉は心の奥深くに傷として残っている。
母親が公爵家から出た後、父親はもちろん王家の面々もまるで娘か妹のように可愛がってくれた。王宮へも何度も招待され、足を運ぶ回数は少なくなかった。
きっとそのおかげで、らしくいられたのだ。
特にキャサリンの心を満たしてくれたのはアシュリーの存在。
王宮に行くと決まって遊び相手になってくれた。
『僕達は気が合うね』
いつも手を握って微笑んでくれた。
王宮に泊まる日はアシュリーの寝床に潜り込んで一緒に寝た事もある。もちろん子供だったのだから、手を繋いで寝るだけで。
朝目覚めて使用人達に呆れられたり、父親に怒られたり、アシュリーが読み聞かせてくれる本を横から覗いてはいつの間にかうたた寝していたのは懐かしい思い出。
穏やかな日々を過ごし、成長していけば思春期を迎える。
恋がまだわからない年齢の頃から側にいたアシュリーとはこの先もずっと一緒にいられるものだという当たり前の確信以外を持った事はなかった。
そして周囲も二人をそういう目で見ていたはずだ。
キャサリンが十一歳、アシュリーが十三歳。
正式ではなくても、事実上の婚約者。少なくともキャサリンはそのつもりだった。
『ねぇ、アッシュ。私が大きくなったらお姫様にしてくれる?』
『僕のお姫様はキティだけだよ』
『本当?』
『嘘はつかないよ』
『私の事、好き?』
『もちろん』
あと数年で婚姻の儀を上げる年齢になる、疑った事は一度もなかった。
それからのキャサリンは相応しい王子妃になりたくて行儀作法やマナー、勉学にも磨きを掛けて学んで来たつもりだ。それは二年にも及び、月日が長いのか短いのかもわからない。
あの日はウイリアム王太子が私的に開いた夜会だった。
キャサリンも招待されていたのだが、父親には出席を控えるように言われた。
父親からの命令に背いた事はなかったので勇気は必要だったが、アシュリーがどんな風に令嬢方と接し、誰に視線を送るのかが気になってどうしようもなかった。
結局、無理を言って夜会に参加したのに初めて着るドレスは居心地が悪い。まるで似合わない物を着ていると笑われているような気がして恥ずかしかった。
唯一の救いはアシュリーが褒めてくれた事だ。
『似合っているよ』
嬉しくて天にも昇る気持ち。来て良かった。着て良かった。一瞬で舞い上がった。
なのにそんな感情はすぐに堕ちてしまう。
アシュリーの目が一人の令嬢に向いていたから。
艶麗な美貌から周囲の殿方を虜にするだけでなく、女性達までをも惹きつける魅力。
彼の目は彼女から逸れる事はなく、まるで心を奪われた一人の男そのもの。
その姿を目の当たりにしたキャサリンは酷く傷ついた。
近くにいた令嬢に名前を聞くと、その人は苦虫を噛み潰した顔をして答えるのだ。
『伯爵家のシャロット・ハリス嬢です。ウイリアム様のお手がつきそうですわよ』
シャロットがウイリアム王太子の愛人になったのはそのすぐ後。
二人を見つめるアシュリーがどんな表情でいたのか、キャサリンは今でも忘れる事ができない。




