プロポーズは突然に
「ちゃんと俺を見ろよ」
テラス奥から奏でられる音楽を耳で受けながら、近距離のその声が頭上から届く。
「貴方が近くて見えないのよ」
密着した格好で踊る二人を皆が見ているというのに。
「恥ずかしがるなんて君らしくないな」
「私にもそんな時があるのよ」
「疲れたのか?」
婚姻の儀が終わり、貴族方への挨拶を兼ねたパーティー、王族揃っての会食。動きづらいウエディングドレスやティアラを纏った姿の前に目まぐるしく現れては消える人、人、人。
今は私的な夜会だから多少はリラックスできている。それでも夜会用ドレスに変わりない。
アシュリーはもっと堅苦しく、王家の正装がこんなにも酷いとは思わなかった。当然と言えば当然なのだが。
そもそも偽装だというのにどう見ても本物の夫婦で、誰が見ても正式な結婚だ。
シャロットはこっそりと、この男に愚痴った。
「嘘つき」
「何の事?」
二人を見守る多くの視線の中には両親やスタシア、ルイ、第一王子のウィリアムと妃のグレース、第二王子のレオンもいる。
「形だけだと言ったのに」
「それは俺達の問題。君のご家族にもきちんと挨拶に行っただろ」
「えぇ、確かに」
「それとも気になるのか? あいつが」
「別に……」
☆ ☆ ☆
二ヶ月前のあの日、アシュリーが伯爵家に挨拶に来た時。
両親は動揺を隠しながらも、こんな良い話はないと言って最終的には喜んでいた。
今までの娘の有り様を知っているからだ。
『乗り替えるなんてさすがだわ』
――お母様にこっそり言われた言葉に内心腹が立ったのは内緒。
『ずる賢さは一級品ですわね、お姉様』
スタシアのそんな嫌味に慣れているシャロットには全く驚きもない。
――あら、ごめんなさいね。私は酷い態度は取らないわ。優しい女だから。
『お姉様、おめでとうございます』
ルイの素直な表現は唯一、シャロットの心を温かくする。
――貴方だけよ、ルイ。
これから成長期を迎える彼はまだ今は背も身体も小さい。それでもきっと数年後には立派な男性になって素敵な女性に出会えるだろう。
――あぁ、ルイのこれからだけが楽しみ。
挨拶を終えた後の馬車での会話は本来の二人の姿ともいえる。
『はぁ、疲れた。妻を迎える手続きというのはこんなにも気苦労するものなのか』
『適当でいいわよ』
『そうはいかないさ。これでも王家の人間だからね』
『だったら女遊びはやめなさいな』
『魅力的な女性が王宮にたくさんいるから難しいね』
『私だって女よ』
『君も適当にしたらいいさ』
『仮面夫婦ここにあり、ね』
婚姻をただの手続きのように言う男とどう接したら良いのか、そう思っていた。
考えても仕方ないのはわかっている。
本当はあの時に引き返すべきだったのだ。そうすれば彼女が泣く事はなかったのに。
『ねぇ、私も王宮に住まないといけないの?』
『住みたくないのか?』
『そうではないわ』
『王宮の敷地はかなり広い。レオンはまだ独身だが、ウィリアムは王宮内に邸を構えている。だから俺達も当然そうなる。君だって知らないはずないだろ?』
――嫌味な男。えぇ、知っているわ。嫌というほどね。
☆ ☆ ☆
偽装夫婦のダンスを終えると、近寄る存在に気がついた。
引く波の如く、招待客が遠巻きに見守る中を腕を組んで歩いて来る。
アシュリーの舌打ちの音が微かに聞こえた。しかし避けようもないし、逃げようもない。
思わずアシュリーに絡ませた腕に強く力を入れてしまった。彼もそれに気がついたのか、シャロットの腕にそっと手を乗せる。
まるで大丈夫だ、そう言っているような気がした。
「おめでとう、お似合いの二人だね」
「それはどうも。ウィリアムには心にも無い言葉を頂きまして」
「こういう場ではウィリアム王太子殿下と呼んでくれ」
「今日は愛人のジェシカ嬢は?」
「アシュリー、君は僕と違って女遊びが激しいからね。他所に子供なんか作るなよ」
「そのままお返ししますよ」
「それは嫌味か、それとも褒め言葉か?」
周りの招待客を放ったらかしで、この兄弟王子達の会話はとても王家のものとは思えない。
――場を弁えたらどうなの?
「シャロンを幸せにしてやってくれ」
「軽々しく愛称で呼ばないでくれ」
「すまないな。今までずっとそう呼んでいたから癖が抜けなくてな」
――グレース様がいらっしゃるというのになんと無神経な。
だが、当の本人は動じた様子はない。寧ろ、楽しんでいるようでもある。
そうでないと、王太子妃なんて務まらないのかもしれない。
「なぁ、シャロン。そうだったよな?」
「ウィル……」
アシュリーとウィリアムのシャロットを見る目が、豊満なその胸の奥を苦しくさせる。
そんな中でもグレースだけは笑っている。
逆にそれがシャロットを安堵に導いていく。
「シャロン、僕は終わらせたつもりはないからね?」
彼の目がシャロットを捕らえて離さない。今更引き戻そうとする。
――もう遅いのよ。私は逃げたのだから。
彼女はウィリアム王太子殿下の愛人だった。
「私はアシュリーの妃になりました」
「君は僕のだよ」
「私は……」
「ウィリアム、いい加減にして下さい」
「シャロン、君は一度も僕にアシュリーへの想いを口にした事はないのだよ」