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義妹に『醜悪な野獣』と言われる『辺境伯様』への嫁入りを押し付けられました。真実の姿を知ってから代わってくれと言われても、もう遅いです!

それはある日。ある伯爵家に一通の手紙が届いた。その手紙が事件を巻き起こす事になる。


私の名はシャーロット・カーディガン。伯爵家の令嬢ではあるが、実際のところはそういった扱いを受けていない。私は養子なのだ。


両親は私の養父の友人だったらしい。私の両親は旅行先の不慮の事故で亡くなったらしい。

複雑な家庭環境故に他に頼れるものがおらず、養父は仕方なしに私を引き取ったそうだ。しかし養父には配偶者がおり、そして娘もいた。娘は私より年下なので義妹という事になる。ちなみに義妹の名はガーベラという。


養母は私を引き取る時に当然のように反対した。養父母そして義妹とは血縁関係にないのである。なぜ血縁関係にない子供を育てなければならないのかと、養母は猛反対した。血縁関係にない子供を育てるという事はそれだけ余計な手間と資金を費やす事になる。


人間が生活するのは決してタダではない。生きていくだけで食事は必要だし。寝るところは必要だ。他人と一緒に生活していくというだけでストレスになる。

養母の言っている事は決して間違いがない。そんな子供は孤児院にでも預ければいいとも言っていた。それも正論である。しかし養父はお世話になった友人の子供だという事で妻の反対を強引に押し切ったらしい。


こうしてわだかまりを抱えたまま私のカーディガン家での生活は始まる事になる。当然引き取る事に対して不満を持っていた養母の扱いは至極当然のように悪かった。


そして子は親の振りを見て育つものだ。その影響は娘であるガーベラにも大きく影響していた。


二人は私を至極当然のように虐げてきた。私には日課があった。それは伯爵家で飼っている馬などの家畜のお世話である。餌をやり、そして糞の始末をする。


他にも屋敷にはいくつかの家畜がいた。愛玩動物としての犬や猫もいた。


「よしよし……良い子、良い子」


私の味方は屋敷には誰もいない。養父も養母の反対を押し切った後ろめたさがあるからか、全面的には私を庇ってはくれなかった。


だから私が心を許せるのは屋敷で飼っている動物だけだ。そういう動物の世話をしているのは私に課せられた義務であり、仕事であったが、決して苦痛ではなかった。


そうした動物と触れ合える時間は私にとって唯一の心が癒される瞬間だったからだ。


こうして私が動物達の世話を終え、屋敷に戻ろうとした時だった。


「待ちなさいな! そこの獣臭い女!」


少女に声をかけられます。見た目は美しいのですが、目つきが鋭く人を見下したような雰囲気をした少女です。私の義妹ガーベラです。


「なんて臭いんですの! もう鼻についてどうしようもないですわ!」


「申し訳ありません、ガーベラ様」


 私は義妹をガーベラ様と呼びます。対して義妹は私の事を決して姉とは呼びません。そこら辺の物扱いか。せいぜいさっきの『獣臭い女』と言うくらいです。

 

 臭いのは当然です。さっきまで私は動物の糞尿の世話をしていたのですから。どうしても体にその匂いが染みついてしまうのです。


 当然のようにガーベラがその行いを労う事はありません。例えそれが必要な事だったとしてもガーベラは屋敷にいさせて貰うだけの当たり前の事としか思っていないのです。


「もう臭くてどうしようもありませんわ! そんなに臭くては屋敷に入れませんわ」


「ではどうすれば……」


「こうすればいいんですわ!」


「きゃっ!」


 バサッ。ガーベラは私に冷水をかけるのです。バケツに溜まった冷水を思いっきり。

 当然のように冷たいです。身も凍える程。


「おっほっほっほっほ! これで少しは獣臭くなくなりましたわ! すっきりしましたわ!」


 そう言って満足した様子でガーベラは屋敷の中に戻っていくのです。


 私はトボトボと屋敷の中に入っていきます。


「まあ! 何かしら! その恰好は水浸しじゃないの!」


 いかにもガーベラの母らしき人物。養母――ローズが降りてきます。ガーベラに似ていて顔立ちは整っているのですが、その視線や態度はものすごくきついのです。


 そう、私に対してのみですが。


「そんな恰好で屋敷にあがったら絨毯が濡れるじゃないの!」


 養母は私を心配するは愚か怒鳴ってきます。義妹であるガーベラに水をかけられたにも関わらずです。言ったとしても娘がそんな事をするはずがない、など反論されるのは目に見えています。

 

 だから私は何も言えずに押し黙るのです。


「ではどうすれば……」


「服が乾くまで外で待ってなさいな」


「はい。わかりました」


 こうして私は服が乾くまで外で待たされる事になりました。しかしその時、既に冬でした。寒いです。冷水を被ったのですから、冷風がさらに冷たく感じます。


 次第に私の体が熱くなってきたのを感じました。どうやら風邪をひいてしまったようです。冷水を被り寒い中突っ立っていたのですから体調不良を起こすのは必然と言いました。


パタリ、と私は倒れてしまいます。意識が段々と遠のいてきます。このまま私は死ぬのでしょうか? お父さんとお母さんのところにいけるのかと。


「おい! 大丈夫か! シャーロット!」


 その時でした。養父のトーマスが帰ってきたのです。仕事を終えて帰ってきたのでしょう。倒れている私を見て駆け寄ってきます。


 こうして私は養父のおかげで一命をとりとめたのです。この様子は屋敷における私の扱いの一例にすぎません。このような扱いで私はずっとカーディガン家で過ごしてきたのです。


しかしそんな私に思わぬ転機が訪れるのです。それはそう。カーディガン家に届いた一通の手紙でした。

義母と義妹から過酷な扱いを受ける私。そんな私の運命を変えたのはカーディガン家に届いた一通の手紙でした。


それは『醜悪な野獣』と言われる『辺境伯様』から花嫁探しの手紙でした。


「なによこれは! この手紙は!」


 それを読んだ義妹――ガーベラは驚愕していた。手紙の内容は前述の通りです。


 辺境に住んでいる辺境拍様である有名なお方がおりました。その方は大変醜い化け物のような見た目をしていると有名なお方でした。


 その手紙は貴族や資産家の令嬢に無差別的に届けられ、有名になっていました。その手紙を元に『辺境伯様』を訪れたのですが、幾人もの令嬢たちはその野獣のような姿を目の前に一目散に逃げて行ったそうです。


『とてもこんな人のところにお嫁にはいけない』


 皆が口を揃えてそう洩らしているそうです。その為、その噂は界隈に広まり、もはやその手紙を受け取っても誰も『辺境伯様』を訪れようとすらしないのです。


 当然、義妹のガーベラもそうです。その手紙が届いた時、まるで呪いの手紙を受け取ったかのように驚愕していました。それは横にいる義母ローズもそうです。


「あの化け物のような見た目をしているっていう『辺境伯』のところになんて誰が嫁に行くものかしら! あんな辺鄙な田舎でしかも醜い化け物の嫁になるなんてまっぴらごめんよ!」


「そうよ! ふざけてるわよ! うちにこんな手紙を送り付けてくなんて! 誰が娘をそんなところに嫁にやるもんかしら!」


 二人は当初は怒っていました。しかしある事に気付いてからはにやり、とそれこそ親子二人揃って同じような。まるで悪魔のような醜悪な笑みを浮かべるのです。


「そうだ。シャーロット。この『辺境伯様』のところ、あなたが嫁げばいいんじゃない?」


「え!? 私がですか!?」


 ガーベラは私の事を義理の姉だとは欠片も思っていません。ただ年齢が上なだけの使用人以下の存在です。私はこの家ではお邪魔虫以外の何物でもないんです。ただ家畜の世話をしている世話係。その程度の問題です。

 いなくなっても別の係を雇えばいいだけなのです。


「獣臭いあなたにはお似合いの相手じゃない! おっほっほっほっほ! これは『辺境伯様』もお喜びになるわよ! ついにはお嫁を貰えるんですから!」


 ガーベラは高笑いをします。心底楽しそうです。


「それは良い考えね! 流石は私の娘ガーベラ。シャーロット、そうなさいな。あなたにはちょうどいい縁談じゃないの!」


「そうよ! 野獣みたいな相手ならきっと獣臭い女でも気にしないわよ! あなたにはちょうどいいわ!」


 二人は大笑いします。心底嬉しそうです。これで厄介者の私を厄介払いできると手を叩いて喜んでいるようです。


「いいわねシャーロット。この『辺境伯様』の所にあなたは嫁入りするのよ。そして絶対に帰ってきてはだめよ」


「間違ってもカーディガン家の敷居は二度と跨がない事ね。くっくっく」


「「おっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほっほ!」」


 親子二人の同じような笑い声が屋敷に響きます。最初から私に選ぶ権利などないのです。


 それに今この環境は地獄そのもの。相手が化け物のような見た目をしていようが、心まではそうではないではないかもしれません。


 この悪魔のような心をした二人に虐げられるよりはもしかしたらマシかもしれません。


「わかりました。私はその『辺境伯様』のところへ嫁入りします」


 私はそう告げます。


こうして私は『醜悪な野獣』と言われる『辺境伯様』への嫁入りを決意したのです。


私は義母と義妹と一緒の馬車に乗りました。


二人は別に私を見送りたかったわけではありません。途中で逃げ出さないように監視したかっただけなのです。


そして丸一日馬車を走らせてついには『辺境伯様』のところへとたどり着くのでした。


「ここで降ろしなさい」


「は、はい!」


 使用人に義母は命じます。


「いい事、決して逃げ出さない事よ! あなたはあの醜い化け物のような『辺境伯様』のところに嫁入りするの! いいわね!」


「いい事ですわね! シャーロット! 決して逃げ帰ってはこないでくださいね! あなたとは二度と顔を会わせたくないですもの! 獣臭い女には野獣のような『辺境伯様』がお似合いですわ!」


 二人は散々言いたい事を言って馬車で走っていきました。私は一人ぽつんと取り残されます。


『辺境伯様』のところはその名の通り、田舎の方ですので周りには特に何もありません。他の住居もなく、『辺境伯様』の大きな屋敷が存在するのみであります。


 他に選択肢などありません。私は『辺境伯様』の屋敷を訪れます。


 私は門から屋敷に入っていきます。


 物音がしました。


「ひいっ!」


 私は驚きました。


 にゃー! という声がします。どうやら猫のようでした。


「なんだ、猫ですか」


 私は胸を撫でおろします。どうやら屋敷には無数の動物が住み着いているようです。住み着いているというよりは飼っているのでしょうか。


 犬や馬などほかの動物も飼っているようでした。私が以前住んでいたカーディガン家で飼っている動物よりも種類も数も多いです。


 そこはさながら動物の楽園のようでした。


 私は歩き続けます。大きな庭ですので屋敷にたどり着くまでは時間がかかりました。


 玄関の近くにベルがありました。このベルを鳴らして訪問を知らせるという事なのでしょうか。私はベルを鳴らします。


「誰だ!?」


 声が聞こえてきます。


「花嫁探しの手紙を頂きましたカーディガン家のシャーロットです。その……『辺境伯様』のところに嫁入りに参りました」


「久しぶりの来客だな。もはや誰も訪れなくなって久しい」


 玄関から『辺境伯様』が姿を現します。


 私は思わず驚いてしまいます。確かに噂通り、彼は毛むくじゃらで野獣のような見た目をしていたのです。


 人間離れしたその容姿には誰もが驚くに違いありませんでした。


「ようこそ。私の名はウィリアム。ウィリアム・ローズベリーだ」


 そう言って『辺境伯様』は私に名乗るのでした。


「初めまして……シャーロット・カーディガンと申します」


 私も恐る恐る名乗ります。これが私と『辺境伯様』ウィリアム・ローズベリーとの最初の出会いでした。



『辺境伯様』は噂通りの野獣のような見た目をしていました。


私は思わず悲鳴をあげそうになります。ですが、それを何とか堪えるのです。


相手は爵位のあるお方です。どんな見た目とはいえ、悲鳴をあげるなど失礼な事です。それにこれから彼は私の旦那様となるお方なのです。


他に手段などありません。今更カーディガン家に戻る事などできません。あんな意地悪な義母と義妹のいるカーディガン家など生き地獄そのものでした。


でしたらこっちの方が幾分マシではないでしょうか。それに見た目はこう野獣のような見た目ではありますが、心まではそうではないかもしれません。


「逃げないのですか?」


『辺境伯』であるウィリアムは聞いてきます。


「逃げない、とはどういう事でございましょうか?」


「私の醜悪な姿を見た令嬢は皆、一目散に逃げだしていきます。ですからあなたが私から逃げない事を驚いているのです」


 彼は逃げ出さない私を見て驚いているようです。


「た、たしかに『辺境伯様』の見た目には驚きました。噂通りの見た目をしております。ですが、心まではそうではないかもしれないではないですか。見た目は確かに重要かもしれません。ですが、見た目だけでは判断できない事も世の中にはあると思っているんです」


「そうですか……あなたのような方は初めてです。どうか屋敷に上がってください」


 こうして私は屋敷の中に招待されるのです。


 ◇


「今、使用人に紅茶を淹れさせます」


 ウィリアムの命令でテーブルに紅茶が運ばれてきます。使用人もまた野獣のような見た目をしておりました。


 この屋敷にはまともな人間など一人としていないようです。


 紅茶に口をつけます。おいしい紅茶でした。淹れた人間の見た目など紅茶の味には何の関係もないのです。


「いきなり私のような見た目をした人間に嫁入りしろと言われても無理な相談でしょう?」


「それは……確かにそう思いますが」


「ですのでしばらくうちの屋敷で生活をしてください。無論、寝所は別に用意します。その生活の中で私の事を気に行ったのならば嫁に来てくれればいいですし。嫌になったのでしたらお帰りになればいい。どうでしょうか? この条件で」


 何にせよカーディガン家には帰れないのです。私は身寄りのない身。例えどんな恐ろしい見た目をした相手だったとしても。寝るところがあるだけで大変ありがたい事でした。


 それにどうやら食事も提供される様子。生きていく上では衣食住は欠かせません。それらが提供されるのです。


 私にとって願ってもいない条件でした。


「構いません。でしたらウィリアム様の屋敷でしばらく生活させて欲しいのです。私にとってもありがたい事なのです」


「ありがたいとはどういう事なのです? あなたもどこぞの令嬢でしょう? 嫌になったのなら実家に帰ればいいだけではないですか?」


「いえ。私はカーディガン家の令嬢ではなく、貰われた養子なのです。それで義母と義妹に二度と帰ってくるなと追い出されて、帰る場所もないのです。ですから寝食が保障されているというだけでとてもありがたいのです」


「そうですか……そんな事が。詳しくはわかりませんが、とても苦労されている様子。気の済むまで、他に行く先が見つかるまでこの屋敷に泊まっていってください」


 ウィリアムは私にそう優しい言葉を投げかけてきます。見た目は恐ろしい方ではありますが、やはり中身はそうではない様子。まだ詳しくはわかりませんが、その優しさが垣間見れました。


「はい。ご厄介になりますがよろしくお願いします」


 私は頭を下げました。こうして私は『醜悪な野獣』と恐れられる『辺境伯様』ウィリアム様の屋敷でしばらくお世話になる事になったのです。


 私はこうして『醜悪な野獣』と噂される『辺境伯様』ことウィリアム様と一つ屋根の下での生活が始まりました。


 最初、私はウィリアム様の野獣のような見た目から、一緒に生活をしていれば当然のように襲い掛かってくる事を恐れていたのですが、そのような事は一切ないのです。


 ただただ平穏な生活が過ぎて行きます。見た目さえ慣れてしまえばお屋敷での生活も快適そのものでした。


 使用人たちも野獣のような見た目をしてはいましたが、それでも私に何か危害を加えてくる事はありません。ただただ賓客のように丁重に私をもてなしてくれたのです。


 私は紅茶を飲んで日がなぼーっとしていればいいのです。最初は疲れていたのでそれでいいのですが、しばらく経つとエネルギーが余ってきて退屈になってきます。

 

 何もやる事がないと若いのにボケてしまいそうになります。


「ウィリアム様」


「なんですか? シャーロット」


「何かやる事はありませんか?」


「やる事ですか? 大抵の事は使用人がやってくれますよ。シャーロットがやらなければならない事などありませんよ」


「ですがそれでは一日の時間を終えるのも退屈です。本を読むのも一日中やるとなると飽きてしまいます。私は仕事が欲しいのです」


 暇な時間を私は本を読んで過ごしました。最初は使用人が淹れてくれた紅茶を飲み本を読むだけの優雅な生活に満足していたのですが。


 それは義母と義妹に虐げられて心身共に疲れ果てていたからです。回復してきたらそれだけでは一日を過ごすのが辛くなってきます。


 やる事がないというのも人間には苦痛なものでした。


「そうですか。でしたら庭の掃き掃除でもしてはくれませんか? 御覧の通り、この屋敷の庭は広く、木々が何本も立っています。落ち葉が大量に落ちているのです。使用人だけではなかなか庭が綺麗になりませぬ」


 ウィリアム様はそう言ってきます。


「掃き掃除ですね。わかりました。がんばります」


「あまり頑張らなくて結構です。疲れられて倒れられても困りますので」


 やはりウィリアム様は見た目は怖いですが、心のお優しい方です。義母や義妹は私が過労で倒れる事を楽しんでいました。


 それは義母や義妹が異常だっただけだと思いますが。よく今まで生きてきたものです。自分で自分に感心してしまいます。こうして私は庭の掃き掃除をする事にしたのです。


 ◇


 私はウィリアム様の見ているすぐ傍で掃き掃除をしていました。ウィリアム様はテラスに腰かけ、その様子を見守っています。


 やはり仕事があるといいものです。仕事があると精神が充実します。多少の労働がないとはやりメリハリがなくなってしまうものです。


 その時の事でした。天気が悪くなってきたのです。突如黒い雨雲が空を覆い始めました。そしてぽつぽつと雨が降ってくるのです。


さらにはゴロゴロと雷の音がします。私はその時、ちょうど木の近くにいました。


 ピカピカと光ったと思うと、木に落雷が落ちてくるのです。


「え?」


 大木に落雷が当たり、枝木が折れました。そして巨大な枝が私に向かって落ちてきたのです。枝と言ってもそれは木の幹くらいの太さでした。頭上に落ちてくれば決して無事では済むものではありませんでした。


「危ない! シャーロット!」


 ウィリアム様が私に走り寄ってきました。そして、その巨大な身体で私を庇ったのです。

 ウィリアム様が盾となってくれたおかげで私は無事でした。ですが。


「無事ですか? シャーロット」


「ありがとうございます。ウィリアム様のおかげで無事でした。ですが、ウィリアム様は。私を庇った事でお怪我をされたのではないですか?」


「私は御覧の通り、丈夫な身体をしていてね。あの程度ではビクともしないよ。それよりシャーロットが無事でよかったよ」


 ウィリアム様は私から離れます。その時なぜでしょうか。私はもっとこう、抱きしめて欲しかったような、そんな寂しさを感じたのです。


 なんでしょうか。この感情は。やるせないような気持ちを抱きます。


 それにこうまで人に優しくされたのは生まれて初めてだったのです。


 その時私は野獣のような見た目をしているウィリアム様のその心の美しさを見出し。そして惹かれていっている自分に気付いたのです。


 こうして、『辺境伯様』ウィリアム様と生活するようになってしばらく経過してからの事でした。


 印象的だった事は確かに私の身の危険を、その身を挺して守ってくれた事ではありました。


 ですが日常生活のいたるところで彼の優しさや頼もしさを垣間見られる場面がいくつもありました。


 何より彼は私を義母や義妹のようにモノのように扱わないのです。それは普通の事かもしれません。ですが私にとっては普通ではありませんでした。


 モノのように扱われる日常が私にとって普通の事でした。ウィリアム様の扱いは私にとっては決して普通の事ではありませんでした。


物事の基準が大きく下がった点は義母や義妹に感謝していいところかもしれません。私はそう思えるようになりました。


 そして別に彼は私を急かさないのです。じっくりと考えるだけの時間を与えてくれたのです。


 そもそも私には選ぶ余地などありませんでした。どこへ行く宛てもないのです。見た目さえ気にしなければウィリアム様はとても素晴らしい殿方であると理解できたのです。


 ですから私は迷う事はありませんでした。それに純粋に彼の綺麗な心に私は惹かれていったのです。そしてその熱い気持ちは見た目の優劣など簡単に超えてしまえる程に、強くなっていったのです。


「どうしたんだい? シャーロット」


 それはいつもの事でした。彼はテラスの椅子に腰かけていました。そして私は想いを打ち明ける事にしたのです。


「ウィリアム様にお願いがあるのです」


「お願い? それはどんなお願いですか?」


 想いを伝える時、胸の鼓動が高まって、聞こえてくる程でした。彼にまでそのドキドキが聞こえてしまう程でした。それほど、胸の鼓動の高まりを抑えきれなかったのです。


「ウィリアム様さえよろしければ私を妻として娶っては頂けないでしょうか?」


 その言葉を聞いた時、その野獣のような表情が驚いたような顔になりました。余程驚きだったのでしょう。


「本当に私でいいのか? シャーロット。私の顔を見ればわかるだろう? 自分で言うのもなんだが、私の顔は化け物のように醜い顔をしている。この顔を見ただけで興味本位で屋敷に来た令嬢が何人も逃げ帰ってしまった程だ。そしてその噂が広まり、屋敷には何人たりとも寄り付かなくなった」


「ええ。知っております。『辺境伯様』、ウィリアム様の噂は界隈では有名だったそうですから」


 私はあまり知らなかったが。義妹、ガーベラは耳に挟んだ事があるのだろう。ウィリアム様からの手紙を受け取った時、最初呪いの手紙でも受けとったかのように表情を歪めていた。


 私は他の令嬢などと交友がなかったが、ガーベラにはあった。だから知っていたのだと思われる。醜い見た目をした『辺境伯様』の噂を。


「ですが見た目の問題ではありません。私は『辺境伯様』の美しい心に惹かれたのです。その気持ちは日に日に高まり、そして強い愛情を抱くようになったのです」


「本当か、シャーロット。私でいいのか?」


「はい。勿論です。それよりウィリアム様は私でいいのですか? 獣臭い女だとカーディガン家で蔑まれて、使用人以下の扱いを受けてきた。令嬢ともいえない、ただの使用人のような私で。そんな私が妻でウィリアム様はいいのですか?」


「勿論だ。君は素敵な女性だ。謙虚で我が儘を言わないし。それに勤勉だよ。獣臭いなんてそんな事はない。それだけ君が熱心に動物の面倒を見ていたからだろう? それは君が労働の末に流した汗と似たようなものだ。君がその汗をかいただけ、誰かの役に立ってきたはずなんだよ」


「ウィリアム様」


 ウィリアム様の優しい言葉に私の心は強く打たれました。思わず今すぐにでもキスしてしまいたい衝動を抑えます。


「シャーロット」


 私達は抱き合い、そして見つめあいます。


 こうして私は正式にウィリアム様の妻になる事を心に決めたのです



私はこうして辺境伯ウィリアム様と結婚し、妻となる事になったのです。


法律や行政的な手続きなど必要ありません。当人同士が愛し合えば、それだけで十分な契約となりうるのです。二人が永遠の愛を誓えばそれだけで十分です。


私達は獣人の使用人達と多くの動物達の目の前で結婚式をあげる事になるのです。


私は使用人たちにウェディングドレスを着る手伝いをしてもらいます。


「まあ、これが私ですか」


 お化粧をして、それから白いウェディングドレスを着た私。その私が鏡に映し出されているのです。


 夢にまで見た花嫁衣裳です。カーディガン家にいる間はこんな綺麗な花嫁衣裳を着られるとは思ってもいませんでした。


 鏡に映し出された私は、とても本当の私とは思えない程綺麗に映っていました。


「お綺麗ですよ。シャーロット様」


 使用人がそう言ってきます。


「これは何か魔法の鏡でも使っているのではないでしょうか? とても私とは思えません」


 使用人は笑い始めました。


「なんてことのない、ただの普通の鏡ですよ」


「そうですか……あまりに自分とは思えないくらい変わってしまって驚いてしまいました」


「それだけシャーロット様がお綺麗だという事ですよ。さあ、ウィリアム様のところへ参りましょうか」


 私はこれから旦那様となるウィリアム様のところへ向かうのです。


 ◇


 パチパチパチ。私が式場――とは言っても屋敷の中のホールです――に向かうと多くの使用人たちが拍手をしてくれています。


 皆確かに見た目は恐ろしいですが、心がとても綺麗な人達なのを私は知っていました。


 もうこの屋敷に来てから随分と時間が経っているのです。ここにいる人達は誰一人として義母や義妹のような扱いを私にしてきません。丁重にもてなしてくれるのです。

 それだけで十分に幸せな事でした。


そして神父役の使用人の前には『辺境伯』であるウィリアム様がいたのです。これから私の旦那様。生涯の伴侶となるお人です。


恐ろしい見た目をしたお方ですが、とても心の綺麗で優しい方である事はもう十二分に私は知っておりました。


私はタキシードを着たウィリアム様と向き合います。


「良いのか? シャーロット……本当に私で」


 ウィリアム様は不安げに聞いてきます。


「どういう事ですか? ウィリアム様。私で? とは」


 私は首を傾げます。


「私は御覧の通り化け物のような見た目をしている。今まで何人もの令嬢が私の顔を見るなり逃げ出していったんだ。今では人っ子一人寄り付かなくなった。そんな化け物のような見た目をした私が夫で、シャーロット、君は本当にいいのか?」


「何をおっしゃいますか。ウィリアム様。見た目など関係ありません。私はウィリアム様の心の美しさにこそ惹かれたのです。ウィリアム様こそ、私でよろしいのですか?」


「勿論だ。君もまた素直で心の綺麗な女性だ。それに今日の君は特に見た目も美しい。とても魅力的な女性だと私は感じているよ」


「まあ……お上手です事。だったら私達は相思相愛ではありませんか。何も問題ありません」


「そうだな……だったら問題ないな」


「ええ。問題ありませんわ」


 私達は神父に向かい合います。そして私達は周囲に対して永遠の愛を誓いあうのです。


「汝、シャーロット、病める時も健やかなる時も夫ウィリアムを愛する事を誓いますか?」


「誓います」


 私は即答しました。もはやその心に一遍の迷いもありません。


「汝、ウィリアム、病める時も健やかなる時も妻シャーロットを愛する事を誓いますか?」


「誓います」


 ウィリアム様も迷うことなく答えます。


「それでは誓いのキスを」


 私達は使用人たちに見守られて、誓いのキスをします。長い、長い誓いのキスです。


「ウィリアム様……永遠に愛しております」


「私もだよ。シャーロット。僕は君を永遠に愛している」


 私は彼の唇から、慈しむように唇を離し、その長いキスを終えるのです。


 こうして私達は使用人たちの前で永遠の愛を誓ったのです。しかし、その次の瞬間、思っても見ない出来事が私の目の前で起こり始めたのです。


 それが私達が結婚式で永遠の愛を誓い、キスをした後の事でした。 


 その時でした。突如眩い光が世界を覆ったのです。


 これはなんでしょうか? 理解が追い付きませんでした。『醜悪な野獣』と言われた『辺境伯様』こと、ウィリアム様の姿が瞬く間に人間の姿になっていくではありませんか。


 それだけではありません。他の使用人達の姿も野獣のような姿から、まともな人間の姿に変わっていくのです。皆、美男美女ばかりでした。


 そしてウィリアム様のお姿です。ウィリアム様のお姿は金髪をした、雪のような白い肌をした美丈夫になっておりました。あまりに整った顔立ち故に作り物か何かと思ってしまう程です。


 まるでどこぞの王子様のようでした。物語に出てくるような王子様そのものです。そんな素敵な王子様が私の目の前に突然姿を現したのです。


「……こ、これは一体。私は夢でも見ているのでしょうか」


「これは夢ではないよ、シャーロット」


 目の前の美丈夫が優しい笑みを浮かべて私に語り掛けてくるのです。


「どういう事なのですか? あなた様はウィリアム様ではなかったのですか?」


「いいや。私は間違いなくウィリアムだよ」


「ですが、お姿が全く変わってしまいました。そして使用人の方々も。これは一体どういう事ですか? どんな魔法を使ったのですか?」


 私はあまりの出来事に驚いてしまいました。それはもう、言葉を失う程に衝撃的な出来事です。そんな時、ウィリアム様の口から事情が語られ始めるのです。


「今まで私達は魔法にかかっていたんだよ。それは今より何年も前の事だ。もう忘れてしまう程昔の事」


 辺境伯様、事ウィリアム様はその時から伯爵をしていたらしいです。そして、そのウィリアム様を気に入った魔女がいました。


 魔女はウィリアム様をいたく気に入りました。ですがウィリアム様はその魔女のアプローチに対して、全く靡かなかったのです。


 嫉妬にかられた魔女はウィリアム様に魔法をかけるのです。それでしたら相手を魅了するような魔法をかければいいと思ったのですが、どうやら魔女にはそのような魔法が使えなかった様子。


 魔女は魔法でウィリアム様と使用人たちに魔法をかけました。その魔法とは『獣のような醜い姿になる事』そしてその魔法が解ける唯一の条件が『彼が心より愛する女性が現れる事』というものだったのです。


そして魔法にはもうひとつ条件がありました。それはこの屋敷から一歩も外に出られないという条件です。


魔法が解ける条件を唯一と先ほど説明したそうですが、もうひとつだけ方法がありました。


それはその魔法をかけた魔女が魔法を解く事でした。その魔女の狙いとは勿論、ウィリアム様の心を篭絡する事でした。


でしたが、ウィリアム様はその卑劣な方法には屈しず、何年もの長い間、屋敷から自分を愛してくれる人を探し続けていたのです。


何年もの間、何通もの手紙をこの屋敷から出してきたのです。自分にかけられた呪いの魔法を解ける女性を。魔女の誘惑には決して屈しずに。


 魔法には『魔法がかけられている事を伝える事』も禁じられていました。その為、誰にも真実を伝える事もできなかったそうです。


 だから彼は私にその事を伝えられなかったのです。


「そして巡り合えた運命の女性がシャーロット、君だったというわけだよ」


「そんな事があったのですか。私は今まで何も知らなかったのですね」


「君が私の魔法を解いてくれた。私に自由を与えてくれた。今ではどこに行くこともできる。どこへ行っても誰にも不気味がられる事はないだろう」


 私はあまりに美しいその顔立ちを直視できずにいました。こんな美しい容姿の殿方が自分の夫とは俄かに信じることができなかったのです。


 私は顔を赤くし、思わず目を背けてしまうのです。


「どうしたんだい? シャーロット、私の本当の顔は嫌いかい?」


「そうではありません。ウィリアム様の本当のお姿が素敵すぎて、恥ずかしくなってしまったのです」


「ふふっ……そうか。私の顔をよく見てくれ、シャーロット。本当の事を知った時、君の気持ちが変わってしまうのではないかと私は不安だったよ。君はあの毛むくじゃらの野獣のような顔だからこそ私を好きになったんじゃないかと」


「そんな事はありませんわ。だって私はウィリアム様のその心にこそ深い愛を抱いたのです。姿形など関係ありません。永遠にあなたの妻として愛し、お慕い申し上げます」


「シャーロット」


「ウィリアム様」


 私達は見つめあい、再び熱いキスを交わすのです。


 パチパチパチ。人間の姿に戻った使用人たち。


 割れんばかりの拍手が鳴らされます。こうして最高に幸せな気分のまま。


 私とウィリアム様の結婚式は終わりを迎えるのでした。


 


「ふんふーん♪」


 シャーロットに対する義妹。果たして義妹と呼んでいいのか、カーディガン家を追い出された今では。ともかく、ガーベラ・カーディガンは陽気であった。


 なにせあの養子であったシャーロットを都合良く厄介払いできたからである。あのただ飯食らいであり、尚且つ獣臭い(とはいえそれは義母が飼っている家畜の世話を強制させていたからなのではあるが。それに関しては一切彼女が顧みる事はなかった)女がいなくなったという事は。


 いわばガーベラにとっては長年うっとおしく邪魔だと思っていた粗大ごみを捨てられたに等しい。気分爽快である。


 だから今のガーベラは珍しく陽気であり、晴れ晴れとした気分をしていたのである。


 ガーベラが呑気にテラスで優雅なティータイムをしていた時の事であった。それなりの名家であるカーディガン家には当然のように使用人がいた。


 わざわざ自分から紅茶を淹れる必要性などない。ただ使用人が淹れたちょうどいい温度と香りの紅茶を飲めばいいだけであった。片付けもやってくれたのだ。この上ないサービスをガーベラは受けていた。


 ――と、その時であった。


「はぁ……はぁ……はぁ」


 母――ローズがガーベラの元へ走ってきたのである。


「あら、どうしたのでありますか、お母様。そんな血相を変えて」


「い、いえ。なんか変な噂を聞いちゃって」


「変な噂? どんな噂ですの?」


「前に『辺境伯』のところに嫁に出したシャーロットの事は覚えている?」


「ああ。あの獣臭い粗大ごみのような女でありますか。あの女がどうしたのですか?」


「そのシャーロットが嫁いだ『辺境伯』の辺りに凄い美丈夫が現れたんだって」


「何かの間違いではありませんか? お母様? あの地帯には化け物のような見た目をしているという『辺境伯』がいるだけではありませんか? あの地帯には他に屋敷どころか、一軒家すらありません事よ」


「そうなのよ。だから私は何かの間違いだと思っていたんだけど、どうやらそうじゃないようなのよ。他の令嬢たちがその美丈夫を一目見たいが故に集まっているみたいで」


「まさか……そんな事が。ありえませんわ! あの地帯には野獣のような化け物。『辺境伯』がいるだけのはずですもの!」


 ガーベラは憤った。だが、まさか何かがあったのか。そんな予感がした。なんにせよ、この場にいてはどうしようもない。実際足を踏み入れてみなければわからない事も世の中には存在する。


「どうするの? ガーベラ」


「ともかく行ってみましょう。何かの間違いではあると思うのですが、実際にこの目で見て観なければ様子がわかりませんもの」


「そう。わかったわ。馬車を走らせましょう」


「ええ……」


(そんなはずがありませんわ……あの犬臭い女、シャーロットは間違いなくお似合いの化け物のような辺境伯と結ばれているはず。そんな事あるはずがない)


 まさか、シャーロットがそんな美丈夫と結ばれているような事は決してないとは思いつつも。胸にざわめきのようなものを抱えたガーベラは馬車を走らせ、辺境伯のところへと向かったのである。


「な、なんですの! この人だかりは!」


 現地に着いたガーベラはあまりの人混みに驚いていた。そこは辺境伯の領地付近であった。


 人っ子一人寄り付かないと言われていたその領地付近に、大勢の人々が押しかけていたのである。


 なんと賑やかな状況であろうか。とてもあの人っ子一人寄り付かない『辺境伯』の屋敷とは思えないのである。


「ありえませんわ……こ、これは何かの間違いに決まっております」


 ガーベラは慄いていた。


「きゃー! ウィリアム様よ!」


「ウィリアム様! 素敵!」


 周囲の女子たちが黄色い声をあげていた。


「なっ!?」


 そこにいたのは金髪に白い肌をした、どこぞの王子様としか見えない殿方だったのである。


 社交界で数々の美男子を見てきたガーベラではあったが、それでもこれほどの美男子は未だかつて見る事がなかった程である。


「あ、あれが噂に名高い辺境伯……ウィリアム様だとおっしゃいますの。とても野獣のようには見えません。信じられませんわ」


 ガーベラは驚いていた。


 しかしガーベラの驚きはそれでは済まされなかったのである。さらなる驚く事態へと発展していくのだ。


「きゃー! 見て見て夫人のシャーロット様よ!」


「シャーロット様。良いなぁ。あんな素敵な旦那様と幸せになって」


「私もあんなウィリアム様のような素敵な殿方と結ばれたわ」


 取り巻きの女子たちが各々そう述べていた。


「なっ!? ななっ!?」


 屋敷の中にいたのは煌びやかなドレスを着た女性である。間違いない。シャーロットだ。綺麗な恰好をして化粧もしているから別人のように見えるが。


 ガーベラが『獣臭い!』と虐げてきたあのシャーロット本人なのだ。見間違いかと思ったが、何度見ても間違いない、本人だ。


「ど、どういう事ですの! あの獣臭い女! シャーロットは醜い化け物のような辺境伯のところへ嫁いだはず! それがなぜこんな事に!」


 ガーベラは俄には信じられなかった。そして時間が経つにつれて、どういうわけかはわからないが目の前に起きている出来事を現実として信じられるようになってきた。


 その後湧き上がってきた感情は猛烈な嫉妬心。独占欲。


 自分より明らかに劣った存在だと思っていたシャーロットが、美丈夫の妻になっているという事だ。


 これはガーベラにとって絶対に許せない事であった。ガーベラは猛烈にその美丈夫。ウィリアム伯を手に入れたくなったのである。


 ガーベラは恥も何も知らない女であった。ずかずかとその屋敷の領地に入って行ったのである。


 シャーロットからウィリアム伯を横取りする為にである。昔から欲しいものは何でも手に入ると思ってきたし、手に入れてきた女なのだ。ガーベラは。


 故に今回も手に入れられると本気で信じていた。


 


それは私がウィリアム様と屋敷で生活していた時の事でした。私の前に突如、思いもよらない来訪者が現れます。


それは義母ローズと義妹ガーベラの姿です。二度と会う事はないと思っていた二人が突如として私の目の前に姿を現したのです。


「あら。随分とめかし込みましたわね。あの獣臭い女が」


「そう。その通りよ。生意気ね。全く」


 人のお屋敷に勝手に入ってきて、なんという言い草でしょうか。二人はいきなり悪態をついてきます。


「な、何の用でしょうか? 私はもうカーディガン家とは何の関係もないはずです。それに二度と帰ってくるなと言っていたではないですか」


「それはそうなのですが、事情が変わりましたわ」


 ガーベラは飄々と言ってきます。なんという図太い精神でしょうか。あまりに図々しくて言葉もありません。


「事情が変わったとは?」


「獣臭いお姉様には、あのような素敵な殿方は似合いませんわよ。代わりなさいな、お姉様」


「代わるって、何をですか?」


「全く。そこまで言わないとわかりませんの? あんな素敵な殿方、あなたには似合いませんのよ。どういうわけかはわかりませんが、ウィリアム様は実は素敵な殿方でしたのね。どんな魔法を使ったのでしょうか? まあいいですわ」


 ガーベラは一方的に言葉を並べてきます。昔から私の話なんて一度たりとも聞いた事がないのです。


「いいから代わりなさいな。獣臭いお姉さま――シャーロット。あなたにはあんな素敵な殿方勿体ないですのよ! 私こそがあのウィリアム様の妻に相応しいのですわ」


「い、嫌です! ウィリアム様は私の旦那様です! ガーベラ様になんて決して渡しません」


「きー! なんですって!」


 ガーベラは怒ります。


「全く! 誰のおかげで今まで大きくなったと思ってるのよ! この恩知らず! 今こそがただ飯を食らってきた恩を返す時じゃないの! あのお方への嫁入りをガーベラに譲りなさい!」


 義母ローズまで私に対して物凄い剣幕で捲し立ててくるのです。


「いいから代わりなさい! 代わらないと!」


 あまつさえ、ガーベラは私に暴行をしてきようとしました。カーディガン家ではよくあった光景です。ですがここはもうカーディガン家ではないのです。


 ――と、その時でした。


「何をやっているのですか?」


 ウィリアム様が姿を現しました。


「ま、まあ! 近くで見るとますます良い男ですわ!」


 ウィリアム様を見た時、ガーベラが目を輝かせるのです。


「ま、まあ! 素敵ねっ! ガーベラにはぴったりのお方よ! それに私の息子になるに相応しいお方だわ!」


 義母ローズもまた、目を輝かせます。流石は親子です。


「何か用ですか? 我が妻シャーロットに」


「え、ええ。実は私達、義理の家族だったんです。私が義理の妹で、こちらが義母になります。初めまして、私はガーベラ・カーディガンと申します。名家であるカーディガン家の令嬢なのですよ」


「は、はぁ……そうですか」


「それで知っておりますか? そこのシャーロットという獣臭い女。両親を幼い頃に亡くし、仕方なくカーディガン家に引き取られてきた、ただの孤児のような女ですのよ。令嬢でもなんでもない、ただの平民のような娘なのです」


 ガーベラは好き放題に言葉を並べてきます。


「こんな獣臭い女なんかより、本物の令嬢であり、気品があり気高い私の方がウィリアム様に相応しいですわよ! だからウィリアム様! そんな獣臭い女とは別れて、私と結婚してはいかがかしら?」


「母としてもそう思いますわよ! さあ! そんな女と別れて是非うちの娘と結婚し! うちの娘を妻として娶りなさいな! さあ! さあ!」


「いきなり現れて何を言っているのですか? あなた達は」


 ウィリアム様はあきれ果てていました。


「しかも私が一生愛する事を誓った妻を侮辱しました。私の忍耐力を侮るのもいいかげんにしてください。私でも我慢の限界があるのですよ。妻――シャーロットを侮辱するのは絶対に許しません」


 強い口調でウィリアム様は言うのです。


「な、なんですの! で、でしたら私を妻として娶る事はできないとおっしゃるのですか!」


「当然です。いきなり何を言っているのですか? シャーロットは私が醜い野獣の恰好をしていた時からずっと傍にいてくれた、そして私を心から愛してくれた素晴らしい女性です。彼女以外の女性を妻とする事は考えられません」


「むきーーーーーー! なんですって! 私よりそんな獣臭い女を取るというのですの!」


 ガーベラはハンカチを噛みちぎろうとしていました。よほど悔しかったのでしょう。


「言葉を改めなさい。誰が獣臭い女ですか。私が生涯で愛するのはこのお方――シャーロットただ一人です」


「ウィリアム様」


「シャーロット」


 私達は見つめ合います。もう私達は義妹ガーベラの事も義母ローズの事も一切気になりません。私達は私達だけの世界に没入していったのです。


「むきーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


 こうして屋敷にガーベラの悔しそうな声が響くのです。


 私達はもう永遠の愛を誓い合った仲なのです。


 そしてウィリアム様の真実の姿を知ってから代わってくれと言われても。


 もう全ては遅かったのです。



私はその日の朝、『辺境伯様』こと、ウィリアム様と寝室で二人きりでいました。


朝日が差し込んできます。


まるで夢のようです。あんな野獣のような見た目をしたウィリアム様がこんな素敵な殿方だったとは。


何度見ても信じられない事です。私は未だに夢でも見ているのではないでしょうか?


「どうしたんだい? シャーロット」


 食事中、呆けている私を見てウィリアム様が訊ねてきます。


「何でもありませんわ、ウィリアム様」


「何でもなくはないよ。君は心配そうな顔をしているよ。どうかしたのかい?」


 ウィリアム様は優しい口調で私に語り掛けてくるのです。


「不安になるのです」


「不安? どんな不安だい?」


 今も屋敷の周りは大勢の人々が詰めよしてきます。ここら辺がまるで観光名所にでもなってきているようです。


 心と同じように見た目も素敵になった『辺境伯様』を一目見ようと各地から人々が詰め寄せてきています。


「それはもう、ウィリアム様は大変素敵な外見になられましたもので……やはり不安です。永遠の愛を誓い合ったとはいえ、やはり人間の気持ちは移ろいやすいものなのです」


 私は不安げにその胸中を告げます。


「なんだ……そんな事か。シャーロット」


「ウィリアム様」


 ウィリアム様は私を優しく抱きしめるのです。


「君の僕に対する気持ちは移ろうかい?」


「移ろいません……絶対に。私のこの心はウィリアム様のものです」


「私だって同じだよ。私のこの気持ちはシャーロット、君から永遠に離れない。そう結婚式の時に誓ったじゃないか」


「ウィリアム様」


「シャーロット」


 永遠なんてものはどこにもない。そして未来は不確かなものでした。


 ですがその時私達は自分達の愛が、この気持ちが永遠のものなのだと信じ、唇を交わします。


 未来の事は誰にもわかりません。ですが、今この瞬間の事ならわかります。


 私は笑みを浮かべます。それも満面の笑みです。


「シャーロット……君はそうやって笑っている方が素敵だよ」


 ウィリアム様も笑顔を浮かべます。


 今のこの私の気持ちだけはわかります。そう。


 私は一途な素敵な『辺境伯様』に愛されて、最高に幸せな気分なのでした。



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義妹に『醜悪な野獣』と言われる『辺境伯様』への嫁入りを押し付けられました。真実の姿を知ってから代わってくれと言われても、もう遅いです!【連載版】


連載版よろしくお願いします

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[一言] なんか、脳死しててもツッコミたくなる話だったな
[一言] 面白かったです。
[一言] 絵本で漫画にっぽんむかしばなしを読んでる気分でした。
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