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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
95/563

16. 黒い風 7


リリアナが異変を覚えたのは、翌々日の朝だった。部屋の中、窓際で本を読んでいたリリアナは顔を上げる。足元にはアジュライトが寝ころんでいた。マリアンヌが屋敷を発ってから、普段は外をふら付いている黒獅子はなぜか屋敷に入り浸っている。


『何かあったか』

「ええ、マリアンヌに何かあったようですわ。行って参りますわね」


リリアナは一言告げると、ローブを纏い無詠唱で転移する。後に残されたアジュライトはリリアナが居た場所を見て欠伸を一つすると、前足に顎を乗せ眠りについた。


一方で、無詠唱で転移したリリアナはマリアンヌが乗った馬車のすぐ近くに姿を現した。馬車は車輪が外れて横転している。馬は暴れ、馬車の中に居たマリアンヌは這う這うの体で外に出たものの、軽く怪我をしているようだった。自力で動ける様子で、リリアナは安堵する。マリアンヌに付いていた護衛と御者が慌てた様子で馬車を立て直そうとしていた。


(――整備はしていたはずですのに)


リリアナは訝し気に眉根を寄せる。馬車が走っていた場所を見ると、あまり路面状況が良いとは言えない。石が転がり土が凹んだり盛り上がったりしている。整備が不十分であれば車輪が外れることもあるかもしれないが、リリアナはその可能性を否定するだけの自信があった。屋敷の者たちが手を抜くことはないと断言できるだけの信用はある。そうなると、昨夜マリアンヌが泊まった宿で車輪を留める螺子が故意に緩められたと考えられるのが自然だ。だが、周囲に人の気配はない。


(一体誰が――?)


周辺に人の気配がないのも妙だ。違和感を覚えたリリアナは、咄嗟に周囲に防御の結界を張る。その瞬間、高い金属音が響いた。振り向いたリリアナは足元に光るものを見つける。目を眇めれば、細長い針だった。刺繍針の二倍程度の長さだ。どう考えても暗器である。


(【索敵(ズーハ)】)


咄嗟に術を稼働させて、敵の位置を把握する。驚くべきことに、怪しい人影は少し離れた森の中にあった。その人影がマリアンヌを狙った可能性は高い。リリアナはローブで顔を隠したまま森の中に転移する。出現した瞬間、危険を覚えて防御の結界を強化する。ちり、と肌が粟立ってリリアナは後方へと転移し距離を取った。


「わお、反射神経良いな、あんた」


不意をついたにもかかわらず、解術の陣を施したナイフを片手にリリアナへ襲い掛かった少年は口笛を吹く。リリアナは解術された防御の結界を再度張り直し、見知らぬ少年へと向き直った。

リリアナの反射神経が良いのは生まれ持ってのものではない。体力や運動能力に関しては一般的な令嬢とそれほど変わりがなかったため、カマキリに頼んで基礎体力の向上を中心に特訓した。そして、それでもなお足りないと判断したリリアナは、魔術を行使する速度も高めるように努力した。結果的に、リリアナの動きが肉体由来のものなのか魔術由来のものなのか、一見しただけでは判断できない程度までになった――つまり、今リリアナが後方に飛んだのは転移の術を駆使した結果だが、傍目から見ればリリアナが()()退()()()()()()()()()()()()


「そちらこそ、勘が宜しゅうございますのね」

「それが仕事だからな」


少年は悪びれない。楽し気にリリアナの様子を窺っている。少年もまたローブを着てフードを目深にかぶっているせいで容姿が分からないが、リリアナより年上だろうことは見当がついた。


「貴方、あの馬車を狙っていらっしゃいますの?」

「んー? 半分正解で、半分間違い」


少年はへらりと答える。首を傾げたリリアナに、少年は物騒な気配を醸し出しながら種明かしをした。


「あの馬車に乗ってた姉ちゃんが泊ってた宿で、()()()()()()()()()ペンダントだって言ってたのを見かけたんだよ。あのペンダント、魔道具だろ? それも、全部は分からないけど防御の術も使われてる。てことは、そのお嬢様にとってあの姉ちゃんは守りたい存在なんだろうと思ったってわけ」


リリアナは眉根を寄せる。その説明を聞く限りでは、少年はリリアナを呼び出すためにわざとマリアンヌに危険を生じさせたように受け取れた。


「――わたくしと、お会いになりたかった?」


率直にリリアナは尋ねる。少年は一瞬無言になったが、やがて楽しそうに声を立てて笑った。


「まあ、そうなるよな。うん。そういうことだ。だって、あんたがリリアナ・アレクサンドラ・クラークだろ? それで、あの姉ちゃんはマリアンヌ・ケニスだよな。父親が死んで葬式に向かうってところか?」


雑談を楽しむような口調だが、リリアナは警戒を高めた。辺境伯は重篤な状態だが一命は取り留めたと確認が取れている。ただ辺境伯の一族が、当主の暗殺未遂という機密情報を漏らすとは考えられない。つまり目の前の少年は辺境伯を襲った刺客本人か、その仲間である可能性が高かった。それも、恐らくは相当な手練れだ。

一人でこの場に来たのは悪手だったかもしれないと若干の後悔がリリアナを襲う。しかしそれも今更だった。こうなってしまえば、少なくともマリアンヌを乗せた馬車がさっさと遠くに移動するよう祈るしかない。マリアンヌたちがこの近辺から立ち去ってくれさえすれば、ここで刺客の少年と戦闘を繰り広げることになっても、巻き込む可能性を心配しなくて済む。

いつでも迎撃できるように体勢を整え、リリアナは更に尋ねた。


「何故、わたくしにお会いなさりたいと思われたのでしょう? たかが公爵令嬢の一人ですわ」

「たかが? たかが、ねえ――」


リリアナの言葉を聞いた少年は、嘲弄するような口調で繰り返す。そして、フードの下から漆黒の瞳を煌めかせてリリアナに向けた。


()()()公爵令嬢が、簡単に解術したり殺気に気付いたり転移したりできないと思うけどなあ。それに――最高位の光魔術も」


使えないだろう、と。意味深な少年の言葉に、リリアナは瞠目する。彼女にしては珍しく、表情を取り繕うのを忘れた。

全て、身に覚えがある。だが、解術や転移に関しては至る所で使ったせいで、どこで目撃されていたのか分からない。転移の際は目撃されないように極力姿を消していたから、見られる可能性は低いはずだった。だが、それ以上に最高位の光魔術を使ったことをこの少年は知っている。リリアナが最高位の光魔術を使ったのは一度だけ――フォティア領から屋敷に戻る道すがらで巻き込まれた魔物襲撃(スタンピード)の時、一度だけだ。だが、あの時もリリアナは姿を消していた。


「――気のせいではございませんかしら?」

「まあ、そういうことにしといても良いけど。取り敢えず、仕事じゃないけどあんたには興味があったんだよな」


リリアナの反論を聞いた少年は鼻で笑う。全く信じていないことは明らかだった。少年は、リリアナの仕業だと確信している。


「証拠がございませんと、相手を追い詰めるにしても苦労なさいますわよ、暗殺者さん」


にっこりとリリアナが微笑むと、酷く嬉しそうに笑った少年は肩を竦めた。


「うん、やっぱりあんた良いよ。俺が暗殺者だって分かってて落ち着いてるって、なかなか出来ることじゃないよ。たかが公爵令嬢なんて詰まらない肩書は捨てた方が良いんじゃねえ?」

「お褒めに与り恐縮ですが、わたくしは普通の令嬢で宜しゅうございますのよ」

「だから、普通じゃねえって」


何が楽しいのか、喉の奥で笑いを堪えながら少年はくるりと手に持ったナイフを回す。その瞬間、リリアナはその場から転移して少年の右手に移動した。


「おっと。前に見た時は殺気にしか反応しなかったのに、訓練でもしたのかよ」


殺気は感じられなかった。だが、少年に攻撃の意志があると垣間見えたためにリリアナは場所を移動した。案の定、リリアナが居た場所に向けて、そして少年の背後に放たれたナイフは木の幹に刺さっている。どうやら少年はリリアナが攻撃を予測し、少年の背後に逃げることを見越していたらしい。だが、リリアナは少年の右手に逃げたため攻撃を免れたのだ。

少年ほどの力量があれば四方にナイフを放つことも可能だったはずだ。間違いなく、彼はリリアナの能力を試していた。


「大人しく殺される気はございませんの」


リリアナはあどけない仕草で首を傾げる。


「貴方も、命が惜しくばこの場から立ち去ってくださいませ」

「それ、本来なら悪役(おれ)が言う台詞だと思うぜ」


無益な殺生はしたくないと言うリリアナに、少年は更に笑みを深めた。ゆらりと立ち上がってローブの中に手を入れる。


「やっぱりあんた、面白いよ。遊んでくれたら、嬉しいんだけど。相手、してくれねえ?」

「わたくし、室内で本を読むのが一番の楽しみでございますので――このような戦ごっこ(おあそび)は、性に合いませんわ」


良く言うぜ、と少年は唇を捻る。そしてローブから手を出した瞬間、風を切る音が響く。リリアナの防御の結界を目に見えぬ糸が切り裂く。呪を施しているのだと魔術で視力を強化したリリアナは見て取った。それならば、防御の結界はむしろ邪魔だ。結界を解いたリリアナの体はぞくりと震える。初めて大量の魔物に対峙した日以来の武者震いだった。


「【結合(ファビンド)】」


少年が持つ目に見えない武器に、地中に存在する有機物を凝集させ、結合させる。彼が使っている武器が単なる糸でないことは明らかだった。ある程度耐久性に優れた糸――この世界で用意できるものと考えれば、必然的に極細の鉄糸しかない。通常の製鉄技術では作れないが、魔術を使えば可能だ。そして、材質が鉄であれば地中に存在する有機物と反応させることもできる。


「おっと」


リリアナの目論見は成功した。途端に姿を現した少年の武器は、リリアナが予想した通り非常に長い鉄糸だった。そして、重さを増したそれは動きを鈍らせる。少年は一瞬絶句したが、すぐに気を取り直した。


「そう来ないと、つまんねーよな」


次の瞬間、動きの鈍った鉄糸が再び生き物のように縦横無尽に宙を走る。触れたら怪我をすることは確実だ。防御の結界を使えないことは先ほど証明された。鉄糸が体に到達しないよう、リリアナは自身の周囲に小規模な乱気流を起こす。それと同時に、リリアナの眼前から少年の姿が消えた。だが、既にリリアナは視力に頼るのを辞めていた。魔力の位置を感知する。


「――後ろに、【鎌風(エリーガンストーム)】」


小さくリリアナが呟けば、一瞬にして彼女の背後に迫っていた少年は切り付ける風を飛んで避ける。だが、その避けた先の地面が()()()()()()


「うわっ」


余裕の表情を見せていた少年も、さすがに慌てる。宙に浮いた体を捻り、およそ常人にはできぬ動きで体勢を変えると違う場所に着地する。少年は攻撃の手を休め、恐る恐る自分が着地する予定だった場所に首を伸ばした。


「――めっちゃ深いじゃねえか」


地面が消失したと思ったのは、底の見えない落とし穴が一瞬にして出来ていただけだった。リリアナは、少年が着地する場所を見切って土魔術で穴を掘ったのだ。平然としている少女は乱気流で乱れた髪を手櫛で軽く整えながら、ゆっくりと振り返る。


「お気に召しまして?」

「無詠唱?」


少年は落とし穴を指さして尋ねるが、リリアナはにっこりと笑みを浮かべただけで答えなかった。だが、それで少年には十分だったようだ。がっくりと肩を落とし、疲れたように地面に座り込む。そして楽し気に目を煌めかせて、リリアナを見上げた。


「やっぱり、あんたって底が知れねえな。短詠唱だけじゃねえのか」

「褒め言葉として受け取っておきますわ」

「一応、褒めてるつもりだぜ」


短詠唱はその名の通り、本来であれば長くなりがちな詠唱を短くしたものだ。術式を使って魔力を魔術に変換する際、魔力の不足を補うため詠唱する必要がある。必要な魔力量と実際に使える魔力量の差が大きければ大きいほど、詠唱は長くなる傾向があった。そのため、短詠唱も不可能ではないが、現実的に使える者はいないとされている。当然、無詠唱は不可能とされる領域だった。

リリアナは小さく首を傾げて少年の様子を窺う。彼が一体何を考えているのか、リリアナには読み取れなかった。少し様子を窺っていたが、どうやら少年はこれ以上攻撃を仕掛けるつもりがないらしい。


「もう、宜しいのですか?」

「とりあえず、今の状況じゃあ、あんたを殺ろうと思っても無理なことが分かった」

「まあ」


それだけでも嬉しいと、少年は無邪気に言う。どうやら、自分と互角に戦える相手がなかなか居ないのが詰まらないらしい。だからといって、無駄に戦わされるのはご免だ。リリアナは少し考えて口を開いた。


「つまり、貴方はご自分の力量を試したいとお考えになっていらっしゃるの?」

「いや?」


そういうわけではないと、少年は首を振る。少年は胡坐をかいて膝に肘をつき、手に顎を載せた。


「俺は面白ければ何でも良いんだよ。今は特にやりたいこともないし、面白いこともないから暗殺業をやってるけど、段々それも飽きて来たんだ」


その矢先に、少年はリリアナに出会った。最初は暗殺者の隠匿の術を解術したことに驚いた。その後も、仕事をする先々でリリアナの人間とは思えない所業を目撃した。普通であれば同一人物の仕業だと気付かなかっただろうが、少年は惑わされなかった。全て、リリアナ・アレクサンドラ・クラークと言う名の公爵令嬢が絡んでいた。


「仕事でこの国に来ることになったからさ、ついでだしあんたとも直接会ってみたかったっていうか」


そして、あわよくば手合わせをしてみたかった。そう楽し気に話す少年に陰鬱な雰囲気はない。好きな運動や趣味の話をする子供のように、生き生きとしていた。恐らく少年は、手合わせをした結果リリアナを殺すことになっても気にしないのだろう。自身が腕や足を落とすことになっても、目を丸くして「やべ」と言うだけで、何の感慨も抱かないに違いない。そんな底抜けの明るさが、少年にはあった。


「――でしたら、今度はわたくしの家にいらっしゃれば宜しいわ」


リリアナは逡巡した結果、そんなことを口にする。少年は予想外だったのか、目を丸くしてリリアナを見返した。静かに視線を返し、リリアナは微笑を浮かべる。


「わたくし以外の者に見られないようにし、そしてわたくしに攻撃を仕掛けないこと。この二点を守っていただけるのでしたら、歓迎いたしますわ」

「へえ」


少年はにやりと笑った。試すようにリリアナを注視する。


「それで、俺にどんな利点(メリット)があるの?」


彼にとって面白いと思えることがなければ、少年はリリアナの元には来ないだろう。少年の琴線に触れることが一体何なのか、リリアナには分からない。だが、一つだけ言えることがあった。


「この国の貴族と隣国の諜報と工作活動。これから先、権利闘争で荒れ果てるであろうこの国を中枢から見ることができましてよ」

「ふうん」


少年の反応は芳しくなかった。だがリリアナは動じない。悠然と少年に微笑みかけた。


「興味がございましたら、いらっしゃいませ。お待ちしておりますわ」


ああ、そうそう――と、リリアナは最後に思い出したように付け加える。


()()()()()()()()()次の雇い主を探しているのでしたら、働き場所を提供して差し上げましてよ」


その言葉と共に、転移の術を使う。リリアナの姿がその場から掻き消える瞬間、最後に見えた少年の目は大きく見開かれていた。



4-2

8-3

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