16. 黒い風 6
武勇に秀で騎士としての矜持を持つ辺境伯にとって、刺客などという職業は侮蔑に値するものだった。卑怯な手を使い、命を奪う。刺客そのものも、刺客に頼るしか能のない者も、尊敬に値しない。額から脂汗を垂らしながらも、辺境伯は剣を下ろさなかった。茂みを凝視する。
しばらくして、茂みが揺れてふらりと一人の少年が姿を現した。黒装束を纏って目深にフードを被っている。顔は良く見えないが、インニェボリと同い年くらいのようにも見えた。敵の予想外の姿に、辺境伯は瞠目する。だが、少年もまた感心したように言った。
「あんた、凄いな。なんでまだ立っていられるんだ?」
「――毒には耐性を付けているもんでな」
「それでも程度ってものがあるだろ」
少年は嗤う。圧倒的な気迫を放つ辺境伯を前にしても、少年は動じなかった。その様子を見た辺境伯は眉根を寄せ――そして、腑に落ちたように口を開いた。
「貴様、大禍の一族か」
今度は、少年が驚く番だった。
「良く気が付いたな、あんた」
「そのような形の刺客がそうそう居て堪るか」
辺境伯は吐き捨てる。
裏社会には数多くの暗殺者がいる。だが、幼く優秀な刺客はそうそういない。少年少女を腕利きの暗殺者に仕上げるためには幼少時からの訓練が必要であり、刺客を養成する組織がなければ不可能だ。そして、暗殺者を育てる組織はただ一つ――大禍の一族と呼ばれる、暗殺一族だけだった。
「まあ、確かにそれは言えてるか」
少年は納得したように頷く。そして、すぐにニヤリと笑った。
「でも残念だったな。俺が狙ったんだ、あんたは生きては居られない。すぐに楽にしてやるから悪く思うなよ、オッサン」
堂々とした言葉は経験に裏打ちされているのか、迷いがない。そして、確実に少年は言葉の通り実行するだけの力があると辺境伯は悟った。
「それなら、冥途の土産にお前の名を訊こうか、刺客の少年よ」
「えー、そこで名前聞く? 俺、自分の呼び名嫌いなんだけど」
不機嫌に顔を顰めた少年の顔は年相応だった。しかし辺境伯は笑わない。無表情のまま、ぐらつく頭を必死に支えながら少年を睥睨する。少年は諦めたように「まあいっか」と肩を竦めた。
「どうせ死ぬしな、あんた。良いよ、教えてやるよ。俺は死の虫って呼ばれてる。ダサいだろ?」
だから嫌いなんだ、と告げた少年は空の手を肩の高さに上げてみせた。だが、その姿に安堵はしない。少年は、見えない場所に武器を隠している。そして、刹那の時を見計らい、相手に気付かせずに命を獲る――そういう生き物だった。
「そうか? 虫ケラの名にふさわしく、森の中に生息しているようだが」
息をするのも辛いのに、辺境伯は口角を上げて見せた。その姿を見て、少年は呆れたように小首を傾げる。無理せずに倒れたら良いのに、とでも言いたげだ。だが、伯は倒れない。最期の最後まで、己の命を奪う者の姿を目に焼き付けんとしていた。
「俺も暇じゃないしね、さっさと楽にしてやるよ」
「そうか。それならお前の主に伝えておけ――、」
そして浮かぶ、凄惨な笑み。
「標的は見失った、とな」
次の瞬間、辺境伯の左腕が光る。
「うわっ、マジかよ」
少年は眩しさのあまりに目を瞑る。すぐに目を開いたが、既に辺境伯の姿はなかった。
*****
標的が消えたと知った瞬間、死の虫と名乗った少年はポリポリと頭を掻いた。
「うわー、まずったな。転移陣持ってるとは思わなかったぜ」
典型的な武人だって話じゃなかったか? と少年は首を捻る。彼の常識では、“典型的な武人”は魔術や呪術を忌避するものだった。騎士でさえ、魔導士と共に仕事をすることを厭う者が多い。一方で魔導士や呪術士は、暴力的だと騎士や武人を避ける傾向にあった。騎士と魔導士を組み合わせたと一般的に思われている魔導剣士は、どちらかというと魔術に頼る傾向が強いため典型的な武人からは忌避される。それでも典型的な魔導士よりは比較的騎士に受け入れられやすい。そしてケニス辺境伯は、魔導剣士ではない普通の騎士だった。
「まあいっか。どのみち、あの毒を受けて生きられるわけもねえしな」
標的であるケニス辺境伯が名の知れた武人であることは知っていた。国境を長年守り抜いて来た百戦錬磨の男だ。だからこそ、場所とタイミングはよく考えた。
ユナティアン皇国側の領主たちが、最近不穏な動きを見せているという情報は掴んでいる。その状況で、辺境伯が国境を護る砦に来ないはずがない。そして、折角訪れたのであれば直接隣国の状況を確認しようとするはずだ。ケニス騎士団の中で、辺境伯に勝てる騎士はほぼ居ない。だからこそ、国境付近を視察する時も少数で来るだろうと踏んだ。
実際に、辺境伯は副団長と二人きりで来た。その上、身に着けていたのは簡素な防具のみだ。弓兵であれば辺境伯の体に傷一つ付けられなかっただろう。だが、少年にとっては簡単な仕事だった。草叢に隠した毒針は複数本あった。その内の一本が防具の隙間から侵入し、肌に傷を付ければ十分だった。もし草叢に隠した毒針が無駄になっても、落馬した瞬間に隙が生まれたらそれで十分だ。
そして結果的に彼の作戦は成功した。草叢に仕掛けた毒針に傷つけられた辺境伯の左肩は爛れ、侵入した毒は体内を駆け巡り伯の命を奪い取ってくれるだろう。少年が使った毒は、そこらの医者では治療できない。解毒剤など存在しないのだ。治癒魔術を使えば助かる可能性はあるが、腕の良い者でなければ病状は回復しないはずだった。
だからこそ、わざわざ辺境伯が国境の砦に来る日を待った。辺境伯領の屋敷には、優秀な治癒魔導士がいるはずだ。しかし、戦支度を整えていたとしても、引く手数多の治癒魔導士を危険地帯に置いておく道理はない。
どこに辺境伯が転移したのかは知らないが、大方砦だろうと少年は想定した。転移陣で長距離を移動することはできない。長距離を移動する転移陣は、魔導省に申請が必要だし、スリベグランディア王国にある長距離の転移陣は王宮にしかないはずだ。つまり、辺境伯の命が助かる可能性はほぼゼロなのだ。
「でもまあ、一応確認してみるか」
少年は歩き始める。向かう先は砦だ。そこに辺境伯が転移したのかどうか、確認だけしておく必要があった。
先に立ち去った若い男と出会うかとも思ったが、すれ違わなかった。少年の足は非常に速い。途中で必ず追いつくはずだったが、影すら見えなかった。他人を見落とすような道でもない。
砦に戻らなかったのか、違う道を歩いているのか――それとも辺境伯を見捨てることに罪悪感を覚えて現場に戻ったのか。
いずれにせよ、若い男は少年の標的ではなかった。それに、相手にしたいと血が滾るほど強くもない。興味も持てない相手を探す趣味もなく、少年は砦に辿り着く。砦は騒がしかった。騎士たちが動揺しているのが手に取るように分かる。
「中に侵入するか?」
呟きながら、少年は物陰に隠れながら身軽に砦の内部へと入る。驚いたことに、辺境伯と共に居た男は既に砦の広場に居た。汗だくになりながら、蒼白な顔で刺客に襲われたことを話している。騎士たちの反応は二つに分かれた。一つは、辺境伯の無事を確信している者。そしてもう一つは、今からでも辺境伯を助けに駆け付けるべきだと主張する者。辺境伯が死亡していると考えている者がいないことに、少年は苦笑した。
「無意味だからやめとけって」
誰に言うでもなく呟いた少年はその場から立ち去る。適当に見当を付けて部屋を見て回ったが、どこにも辺境伯の姿はなかった。
「居ねぇなあ。普通に考えたら転移なんて失敗するよな、あの状態で集中できるとも思わねえし」
少年はぼやく。転移陣を使う時は集中力が物を言う。繊細な魔力調節が必要になるというのは常識だ。だが、毒針で死にかけている人間が転移の術を正しく使える可能性は非常に低い。
転移に成功したとすれば、辺境伯は砦の何処かに居るはずだが、実際に辺境伯は居ないようだった。そうなると、結論は一つだ。彼は転移に失敗し、ここではない何処かに放り出されている。国境近くなだけあって、この付近には民家もそれほど多くない。仮に誰かに助けられたとしても、医者を呼ぶ間もなく命を落とすはずだ。
「じゃあ取り敢えず、任務完了ってことで」
死体を確認はしていないが、次の仕事もある。少年は誰にも姿を見咎められないまま、ふらりとケニス辺境伯領から姿を消した。その手には辺境伯領の店で買った林檎が一個、握られていた。
*****
体に激痛が走る。毒が全身を駆け巡るのが分かる。それでも、ケニス辺境伯は諦めていなかった。
諦めた瞬間が死を迎える時なのだと、彼は長年の経験で学んでいた。同じ怪我を負っても、死なぬと思えば生き、死ぬかもしれないと思えば命を落とすのだ。幾度も死線を潜り抜けて来た戦場で、彼は生きることを諦めた瞬間にその命を両手から取りこぼした者たちを数多く見て来た。
――だからこそ、辺境伯は最期の最後まで刺客の少年を睥睨していた。
若い頃にこの青年ならばと夢を見たエアルドレッド公爵が、表舞台に出ようと決めたのだ。彼が描く未来を、彼がこの国の未来を託さんと決めた王太子ライリーの行く末を、この目で見るまでは死ねなかった。そして時には己の力が必要になるだろうことも、辺境伯は知っていた。
――――だからこそ、今ここで死ぬわけにはいかなかった。
辺境伯が左手首に付けていたブレスレットは魔道具。エアルドレッド公爵から送られて来た手紙に、命の危険を知らせる言葉と共に同封されていた。魔力を込めれば、一人だけその場から転移できる。転移先は指定されていたが、そこであれば間違いなく安全だと保障されていた。
少年には一切の隙がなかった。腕に付けているブレスレットが転移の術を付与した魔道具だと気付かれたら、使う前に奪われると思った。だから、少年が獲物を仕留めようと己の術に意識を向ける、その一瞬だけが逃走の機会だった。
手紙を読んだときは、敵前逃亡など騎士の風上にも置けん、と辺境伯は憤慨した。だが、エアルドレッド公爵の言葉なら――と身に付けることにした。それが、早速役に立つとは思いもしなかった。
「旦那様!」
転移した先は、ケニス辺境伯領の屋敷だった。執務室に書類を持って来ていた執事が物音に振り返った途端、愕然と目を瞠る。
「如何なされました、旦那様、ああ肩に傷が――?」
国境の砦に行っていたはずの主が、前触れなく戻って来た上に左肩を抑え膝をついている。顔は脂汗に塗れ、食い縛った歯の隙間からは獣のような唸り声が響いている。血の気が失せた顔からは明らかに苦しみが窺えた。ぐらりと体が揺れて、辺境伯の体は床に落ちる。意識を失った体からは徐々に温かさが失われていく。
「医者を――!」
険しい表情で執事が叫ぶ。辺境伯の屋敷は騒然とした。
辺境伯に長年勤めている執事は、最初こそ動揺を見せたもののすぐに切り替えた。手早く主を助けるための準備を整えていく。辺境伯の防具と服を剥ぎ取り、傷口を露わにする。左肩は爛れていた。恐らく毒だと見当を付ける。通常であれば、口で毒を吸い出す。だが、毒に耐性があるはずの辺境伯が失神するほど強い毒であるならば、毒を吸い出す方にも影響がないとも限らない。
執事は手袋をはめた両手で傷口を絞り、血を流させる。傷を受けてからどれほどの時間が経過しているか分からない。気休めに過ぎないと思っても、動かずには居られなかった。
直ぐに医者が来る。執事は医者に主を託す。ぐったりと動かない辺境伯を前に、屋敷に勤める誰もが顔色を失っていた。
*****
晴天が眩しい日だった。屋敷の庭に出てお茶を楽しみながら本を読んでいたリリアナは、ふと顔を上げた。少し離れた場所にはジルドとオルガが居る。リラックスした様子だが、刺客や暴漢が敷地内に入って来ればすぐに撃退できるだけの用意は整っている。だが、彼らに動きはない。近づいて来る気配は、リリアナも見知ったものだった。
(あら、マリアンヌ――顔色が悪うございますわね)
どうしたのかしら、とリリアナはおっとりと首を傾げる。真っ青になったマリアンヌはしっかりと手紙を握っていた。開封されているところを見ると、マリアンヌ宛の手紙だろう。その内容が、彼女にとって良い報せではなかったのかもしれない。
そう思いながらリリアナが近づいて来るマリアンヌを見つめていると、彼女は色を失った唇を震わせて「お嬢様」と泣きそうな声を出した。
「あの――大変、申し訳ないのですが、しばらく、お休みを――」
〈どうなさったの?〉
休みを与えることに否やはないが、主として理由は知っておきたい。穏やかな表情を崩さずに文字に書いて尋ねると、マリアンヌは瞼を震わせた。今にも泣きだしそうだ。しかし、彼女は決して涙をこぼさなかった。
「父が、刺客に襲われ意識不明の重体だと、」
リリアナは目を瞠る。
マリアンヌの父であるケニス辺境伯には一度会ったことがある。辺境伯領で起こっていた“北の移民”の失踪事件で、辺境伯が犯人を捕らえるため王都を訪れた時のことだった。あの時から、辺境伯はリリアナの動向を窺っている気配がある。監視とまではいえない程度だし、リリアナも辺境伯の身辺を調査しているからお互い様だと考え放置している。だが、その上でリリアナは辺境伯が刺客に襲われる可能性は低いと判断していた。実際に、前世の記憶にある乙女ゲームでも辺境伯は名前だけ出ていた。
だからマリアンヌが悲しむようなことにはならないと安心していた。だが良く考えれば、ケニス辺境伯がマリアンヌの父であるとはどこにも記されていなかった。既に彼女の父は死亡し、兄が後を継いでいた可能性もある。
(わたくしとしたことが)
部下が快適に過ごせるよう気を配ることは雇い主の仕事だ。それにも関わらずとんだ失態だと、リリアナは内心で嘆息した。思い込みを捨てきれていなかった。
動揺を押し隠し、リリアナは心配そうな表情を作ってみせた。そして、手元に引き寄せた紙に更に言葉を綴る。
〈勿論、こちらは気にせず存分にお父様のお傍に居て差し上げて。馬車は公爵家のものを使うと宜しいわ〉
「お嬢様――有難うございます」
マリアンヌは顔をくしゃりと歪めた。リリアナは気にするなと言うように首を振る。侍女とはいえ辺境伯の末娘に辻馬車を使わせるわけにもいかず、辺境伯の馬車を呼ぶにも時間が掛かる。それならば、クラーク公爵家の馬車を貸した方が早い。
リリアナは、すぐに出立の準備を整えるように促した。そして、リリアナもまた立ち上がる。ジルドとオルガには部屋に戻ると告げ、マリアンヌとは違う侍女に茶器を下げるよう命じた。
真っ直ぐに部屋に戻ったリリアナは、机の引き出しから鳥型に切った紙を取り出す。
「【追尾】」
術を掛けると、透明な鳥に変わった紙は壁をすり抜けてマリアンヌの追跡を開始する。刺客が狙ったのは辺境伯ということだから、末娘であるマリアンヌが狙われる可能性は低い。だが、何の心配もないとは言い切れなかった。万が一の時のために取れる手段は全て取っておくべきだ。
(ゲームのマリアンヌは、名前こそ出ておりませんでしたけれど、恐らく最初にわたくしが巻き込まれた魔物襲撃の時に命を落としてしまったのだと思いますの)
だから、マリアンヌが今後も無事であるという確証はどこにもない。
リリアナは更に机の引き出しからネックレス型の魔道具を取り出した。ペトラに呪術を教わり始めてからずっと、勉強の一環として魔道具作りにも精を出している。今手にしている魔道具は、その内の一つだった。単に魔道具の解説書にある図面をなぞるだけではなく、複数の効能を発揮できるよう組み合わせたり新たに考案したりもしている。ペトラほど呪術の才能はないのか、それとも経験のせいなのか、物になる案は少ない。だが、いくつかは新たな効能が付与された魔道具も完成していた。
「お嬢様」
部屋の扉を叩いてマリアンヌが入って来る。リリアナは振り返る。マリアンヌの真後ろに、透明な鳥が浮かんでいるのが見えた。
「お言葉に甘えて、今から行って参ります」
〈ええ、気を付けてね。長い旅路ですもの、このペンダントを付けて行ってくださらないかしら〉
リリアナはマリアンヌに魔道具を差し出した。予想外だったのか、マリアンヌは目を丸くする。受け取ってまじまじと見つめていたが、やがて破顔した。疲労がにじみ出ていた顔に、わずかに柔らかさが戻る。
「まあ、素敵なペンダントですね。有難うございます、お嬢様」
〈気になさらないで。貴方の身を守るものですから、ずっと身に着けて頂けると嬉しいわ〉
マリアンヌはリリアナの言葉を受けて、ペンダントを付ける。簡素な意匠のペンダントは、どのような服装にも合う。マリアンヌは再度リリアナに礼を述べると、慌ただしく部屋を出て行った。見送ったリリアナは、部屋の扉を閉めて椅子に腰かけた。
「出ていらっしゃいな、アジュライト」
居るのでしょう、と言うと、寝台の影に隠れていた黒獅子が姿を現す。その姿を見てリリアナは微笑を浮かべた。
「隠れていらしたの? 他の方に貴方の姿は見えないのに」
『気分の問題だ』
リリアナの指摘を受けて、アジュライトは憮然と答える。その様が面白くてくすくすと笑いながら、リリアナは笑みを残した目でアジュライトの背中部分に目をやった。
「今日は翼はしまっていらっしゃるのね」
『邪魔だからな』
「便利ですのね」
収納可能な翼とは珍しい。素直に感心したリリアナを面白そうに見やって、アジュライトは先ほどマリアンヌが出て行ったばかりの扉に顔を向けた。
『あの女にくれてやったのは魔道具だろう? 結構な効能が付与されていたようだが』
「あら、お気付きになりましたのね」
くすりとリリアナは笑みを零した。アジュライトは呆れた視線をリリアナに向ける。言葉にはしないものの、分からないはずがないだろうとでも言いたげだ。
「仰る通りですわ。居場所の特定、魔術と武術問わず攻撃された際の防御、治癒、更にはそれでもなお安全を確保できない場合のわたくしへの通達、合計で四つの効能を付与しておりますの」
『過保護だな』
「そうでしょうかしら?」
おっとりとリリアナは頬に手を当て小首を傾げた。アジュライトは面白そうにリリアナを見上げる。
『随分と、あの小娘を気に入っているらしい』
「気に入る――そうかもしれませんわねぇ」
だが、リリアナは他人事のような言い方しかできない。アジュライトは不思議そうに目を瞬かせたが、リリアナは笑みを浮かべるだけでそれ以上言葉を口にしようとはしなかった。
――確かに、リリアナはマリアンヌを気に入っているのだろう。
ジルドやオルガ、そしてペトラやベンも大切だ。彼らに何かあれば手助けをしてやろうという気持ちは、確かに存在している。仮に、親が危篤だからしばらく休暇を取りたいと申し出たのがマリアンヌでなくともリリアナは許可を出した。必要と判断すれば、マリアンヌに与えた魔道具をその者にも渡しただろう。だが、その気持ちと打ち捨てられた猫や犬を助けることに、差があるようには思えなかった。
勿論、全ての命を救えるわけではない。切り捨てなければならない場合もある。その時、リリアナは一切の躊躇いもなく見放すことができるだろう。ただ、極力そのような場面を作るべきではないと、リリアナは学んでいた――それが、上に立つ者の使命だから。
そして、そんなリリアナはきっと、マリアンヌのようにはなれない。
親が危篤だと報せを受けても、リリアナは動転することもなく平然と受け入れる。そして、たとえその結果親が死んだとしても、涙の一滴も零さない。ただ、一つの命が儚く消えたのだと、事実だけを受け入れるだろう。