16. 黒い風 2
王都近郊にある自分の屋敷で、リリアナはペトラから預かった五個の魔導石を手に眉を寄せていた。元々この魔導石はペトラが回復してから共に解析をしようと思っていた。だが、結局それは不可能になってしまった。解析方法と道具はペトラから伝授されているものの、初めての試みに不安は隠せない。だからといって手をこまねいていれば、いつまで経っても結果は出ない。
いい加減に腹を括ろうと決めたリリアナは、棚から袋を取り出した。認識阻害の術で他人には見えないようにしているその袋の中には、ペトラから借りた書物と解析に必要な陣を描いた紙、その他必要な道具が詰め込まれていた。
自室で解析しても良いが、外から目撃される可能性もある。最適な場所は地下牢だろう。あっさりと場所を決めたリリアナは、袋を持って地下牢に向かった。
誰に見咎められることもなく地下牢に辿り着いたリリアナは、袋から道具を取り出す。大きな紙を床に広げる。描かれた六芒星の先端にそれぞれ魔導石を置き、中央に解析対象の魔導石五つを設置した。
解術の方法もいくつか存在している。簡単な魔術であれば詠唱だけで行えるし、リリアナに限って言えば無詠唱でも可能だ。だが、解析対象が複雑な魔術や呪術であった場合や、術の発動から経過した時間が長い場合は、解術に必要な魔力が増える。その不足を補うために魔道具を用いる必要があった。逆に言えば、魔道具さえ存分に備えれば魔力がなくとも解術は可能だ。ただし、確実に解術したければ魔道具と詠唱を組み合わせるべきだった。
「【我が名に於いて命じる、汝の真なる姿を示せ】」
詠唱と共に魔力を流せば、六芒星とその中に描かれた様々な文様が不思議な光を放ち始める。空中に金色と紫が混じった光の靄が広がった。リリアナは慎重にその靄が形作る文字を目で追う。文字は時間と共に姿を変え、色と形を変えていく。その文字が示す正体に、リリアナの顔色は徐々に悪くなる。血の気が失せた唇を震わせながら、ゆっくりと深呼吸する。やがて、全ての正体を現した魔導石はパキンと音を立てて割れた。術が終了し、同時に浮かんでいた光の靄も消え去る。
「――そういうこと、でしたのね」
先日、王都の屋敷から転移で抜け出した後、魔物襲撃の際に氷漬けにして捕えた魔物を調査した。異形の魔物は体組成が人間にそっくりだった。だが、リリアナは俄かには信じられなかった。人が魔物になるはずはないと思っていた。事実、これまで人間が魔物になったという報告はなかった。
だが、ペトラが回収した魔導石はリリアナの仮説を裏付けていた。
「捕えた人間の恐怖を極限まで高め、その恐怖を魔術で増幅させることで体内に瘴気が溜まる。そして呪術で人間を魔物に変える――鬼畜の所業ですわ」
つまり、少なくとも今夏の魔物襲撃は自然発生したものではなく、何者かが人為的に生み出したものだったということだ。
魔導石は体内に瘴気が溜まった人間を無理矢理、魔物に変えるためのものだった。強制的に魔物へと変化させられる時、人の体は衝撃に耐えられない。その結果、異形へと姿が変わる。その際に感じる激痛や人としての形が失われることに対する恐怖や怒り、悲哀、絶望――そういった負の感情が一層瘴気を濃厚なものにし、周囲に零れだす。その瘴気に中った他の人間もまた異形になり、人としての意識を失って魔物に変わる。知能が高かったのは、元が人間だったせいに違いない。自我は失われても、論理的思考能力は残っていたということだ。
これは明らかに禁術だった。研究するにも膨大な時間と費用が必要だし、そもそも史上最大規模と言われる魔物襲撃を生み出すほど膨大な数の魔物を作り出すには、相応の人数が必要になる。どこから生贄となる人間を集めたのか――そこまで考えて、リリアナは嫌な予感に眉根を寄せた。
脳裏に過ったのは、ケニス辺境伯領でも問題視されている“北の移民”の失踪事件だった。人身売買だろうと辺境伯は考えていたが、人身売買の買い手が今回の事件と無関係であるとは言い切れない。勿論、懸念である可能性も否定できないが、関連がある可能性も考慮して調査した方が良いのは間違いない。
そして抜け目のないことに、特定の術式を使えば跡形もなく魔物を消滅させられる術が魔物の体内に埋め込まれていた。たとえ派遣された騎士団が任務に失敗し制圧できなかったとしても、魔物を生み出した本人の手によって魔物襲撃は浄化されたのだろう。そうすれば禁術を使った者は魔物襲撃を制圧した英雄となる。
リリアナは溜息を吐いた。
「――あのお二人が動けないことが、痛手ですわね」
どれほど同年代の少年少女と比べて能力が高いと言っても、リリアナに出来ることには限度がある。その点、ベンやペトラの協力はとても助かっていた。リリアナと比べて経験豊富で人脈も広い。更には手元に入る情報もリリアナより多い。しかし二人が動けない今、リリアナが自力でどうにかしなければならなかった。他に頼れる人も思いつかない。
「せめて、術者が分かれば宜しいのですが――」
魔導石に術者の痕跡が残っていればよかった。だが、生憎と術者に関わる情報は全て隠されている。状況証拠から犯人を推察しようにも、疑わしい人物が多すぎた。
今回の魔物襲撃で、得をする者と損をする者。損をする者の中にも、長期的に見れば利がある者がいるかもしれない。少なくとも、魔術制御の枷を付けられたベン・ドラコと大怪我を負ったペトラは容疑者から外れる。
リリアナは魔導石や紙などの道具を片付け始めた。さっさと袋に戻して、帰りも目撃されることなく悠々と自室に戻る。部屋に入ったリリアナは袋を棚の奥深くに隠し、ソファーに腰かけると本を開いた。だが、思索に没頭してしまい視線は宙を彷徨う。
魔物襲撃を人為的に発生させた犯人が一体誰なのか、その犯人を見つけるための道筋を極力早く見つける必要があった。再び同じ規模の魔物襲撃が発生すれば、被害が拡大するだけでなく王家の威信も揺るぎかねない。
「短絡的に見れば、魔導省の方々は得をする側ですわね」
目の上のたん瘤であるベン・ドラコを追いやり、更には監視対象とすることで自分たちに不利な行動が取れないようにした。仮に騎士団たちが失敗した魔物襲撃の制圧に成功したのは自分たちだと主張し認められたら、魔導士としての地位は向上し名誉も手に入る。
「それに、状況証拠だけで考えますと、お父様も疑惑がありますわ。顧問会議に出席されているお歴々も同様ですわね」
魔物襲撃が自然発生的なものだと決議した顧問会議の面々は、少なからず容疑がある。調査を続けて魔物襲撃が人為的なものだと気付かれたくない人物が顧問会議に居たと考えるのが自然だ。だが、全員が怪しいわけではない。表面上は迎合したものの、自然発生説に違和感を持ち裏で調査を進めた貴族がいないとも限らない。
「騎士団は――少なくとも、二番隊は除外して宜しいでしょうか」
二番隊は今回、甚大な被害を受けた。自分たちの命を危険に晒してまで、魔物襲撃を生み出そうとは思わないだろう。むしろ今回の魔物襲撃で騎士団の戦力を削ぎ、掌握したいと企んだ者が居ると考えた方が自然だ。
だが、リリアナが放った呪術の鼠が持ち帰った情報によると、騎士団の人事には変更がない。団長のトーマス・ヘガティも二番隊隊長のダンヒル・カルヴァートも、査問会議でその責を問われたものの不問とされ、そのまま任を続けることになった。ベン・ドラコの件では何者かの思惑通りに事が進んだのだろうが、騎士団については思惑と外れた結果になったに違いない。
「査問会議で騎士団を一番糾弾していたのはバーグソン長官だったようですけれど、彼が全ての黒幕と考えるのも不自然ですわね。彼が騎士団を掌握できる可能性は限りなくゼロに近いのですもの」
たとえ騎士団長と二番隊隊長の二人が騎士団を追放されたとしても、ニコラス・バーグソンが騎士団を掌握することはない。爵位もない商家出身の彼は野心家だが、騎士団を牛耳るほどの実力はないはずだった。騎士団を掌握するには、少なくとも貴族でなければならない。となれば、バーグソンは傀儡であり、その後ろに何者かがいると考えた方が良さそうだ。そもそも、ベンを陥れようとした人物と騎士団を掌握しようとした人物、そして魔物襲撃を引き起こした人物が全て違う可能性もある。
「とりあえず、騎士団に関しては更に何かを仕掛けて来る可能性もございますから――注視しておけば、何かしら黒幕に繋がる情報が手に入るかもしれませんわね」
ベン・ドラコに関しては、しばらくは敵も仕掛けて来ない可能性が高い。様子を見るならば、騎士団を優先すべきだろう。
そこまで考えて満足したリリアナは、騎士団を監視するために鼠を数匹、王都に向けて放つことにした。
*****
林檎を齧りながら、少年は今回の依頼主の屋敷を後にしていた。ユナティアン皇国の皇都トゥテラリィは東西南北に並行して道が整備されており、山の裾野に広がる敷地に皇帝の住まう宮殿が建っている。地理的にはスリベグランディア王国と似ているにも関わらず、街の様子や文化は全くと言って良いほど異なっていた。国境付近は比較的似た雰囲気であるが、ユナティアン皇国の都は国土の中央よりも東側に位置しているため、スリベグランディア王国からは距離がある。
「ったく、人使いが荒いよなァ」
少年は林檎の芯を捨ててぼやいた。
本家が直接下した指示であったため、少年に断る選択肢はなかった。ただ、嫌な予感はした。基本的に、本家が直々に連絡を取って来る時は碌なことが起きない。しばらくとある男の下で働けと言われたが、案の定蓋を開けてみれば、二年近くもその男の元に拘束された。その間、他の仕事はできなかったし羽を伸ばすこともできなかった。ただ言われるがまま仕事をこなす毎日。楽だったが楽しくはなかった。
「さァて、久々の遠出だ」
次の仕事だと指示された標的は、ユナティアン皇国の人間ではなかった。スリベグランディア王国の貴族が数人。殺害方法は一任されているが、唯一、依頼主が分からないようにすることだけが条件として出された。
少年はニヤリと笑みを浮かべる。ユナティアン皇国内での仕事は全て、大人しくこなしてやった。少年の噂を聞いていたらしい依頼主は最初こそ暴走を警戒していたものの、やがて噂はあくまでも噂だったと思ったらしく、標的の殺害方法を指定しなくなった。若く優秀で従順な暗殺者――それが、今の依頼主が少年に対して抱いている評価だ。
『死の虫と呼ばれても、所詮は子供に過ぎん。派手好きだと聞いてはいたが、実際は他の暗殺者と変わらぬやり方をするだけだ。そして――そう。少しばかり、腕が良い。他の者では躊躇する標的であろうと、命じた仕事は完遂する』
少年が居ないと思っていたのか、居たとしても自分には何もしないという自信があったのか、ある日依頼主はそんなことを部下に漏らしていた。少年は気配を完全に消したまま、笑いそうになるのを堪えた。裏社会で死の虫と呼ばれている理由も、そして自分が雇っている暗殺者の本質さえも見抜いていない男が、ユナティアン皇国で恐れられている男だというのはとても面白い冗談だった。
「デス・ワームって呼んでるだけで、殺そうかと思ったけどな」
あまりにも野暮ったい二つ名だ。もっとマシな名前が良かったと思うが、裏社会ではその名で知られているから仕方がない。いずれにせよ、今の依頼主の元に戻るつもりはなかった。だから、あの男が再び少年をデス・ワームと呼ぶことはないだろう。
依頼主に大人しく従うのは、ユナティアン皇国で働いた二年でも長すぎるほどだった。十分に本家への義理は果たしたはずだ。少年は元々、一ヵ所に定住するつもりはなかった。気の赴くままに移動し、出先で仕事をする生活の方が好きだった。金も権力も要らない。たったそれしきのことで首輪を繋げられると思っているのであれば、笑止千万だ。
「とりあえず、することもないし仕事はするか」
前金として結構な額を貰っている。スリベグランディア王国に居る標的を順に殺していけば、それほど時間も掛からずに依頼は完遂するだろう。その後は戻るようにと依頼主には言われたが、ユナティアン皇国に帰る気はなかった。二年以上も一人の依頼主に拘束されるなど、賃金を倍にされようがお断りだ。
「分家に庇護を求めたら――まあ、本家がうるさく言って来ることはないか」
本家と分家が対立を深めていることは、少年も知っている。本家が無理矢理少年をユナティアン皇国に連れ戻そうとするのであれば、分家を巻き込んで戦って貰えば良い。自分が手を下すまでもなく、潰し合ってくれるだろう。もし本家と分家が共倒れになれば、テンレックに仕事を仲介して貰えば良い。仲介して貰わずとも、少年は自ら客を探して依頼を取って来ることもできる自信があった。
「そうなれば、大禍の一族も地上から消えるってわけだな」
にやりと少年は嗤う。そして、皇都の外れにある厩で馬を一頭買うと身軽な動作で飛び乗った。
「楽しければ、何でも良いさ。ああそうだ、久しぶりにあの嬢ちゃんも見に行ってみるか」
楽し気に嘯いて、少年は馬を走らせる。向かうは隣国スリベグランディア王国だった。
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