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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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挿話7 ベルナルド・チャド・エアルドレッド公爵の密談


エアルドレッド公爵家当主のベルナルド・チャドは、王都にある屋敷に戻った次男の寝顔を眺め、小さく微笑を浮かべていた。悪かった顔色もだいぶ血の気を取り戻している。

魔物襲撃(スタンピード)でオースティンが大怪我を負ったと聞いた時、平静を保てたのは経験の賜物だった。後遺症も残らないだろうと医師が太鼓判を押してくれたものの、不安は残る。魔物によって付けられた傷は、本人も忘れた頃に体を蝕むことがあった。そして何より、初めて戦に出た者は精神的に参ってしまう者が多い。騎士団はその対処に慣れているから任せているものの、不安に駆られて一度だけと自分に言い聞かせ、誓いを破ってまで顔を見に来てしまった。

騎士になれば戦場で怪我をすることは当然であり、そして命を落とすこともある。息子が騎士を志した時から、騎士となった暁には決して戦場で怪我をしても見舞うこともなく、命を落としても平常心で息子の生き様を誇ろうと誓っていた。


「全く、昔からハラハラさせおって」


年を取ってから出来たオースティンは、一際可愛らしかった。大人しい長兄と比べると、オースティンはやんちゃで悪戯が大好きだった。一方で、父親であるベルナルドが驚くほど強い正義感を見せることもあった。多少乱暴なところはあったが、決して弱い者は虐めなかったし、自分の中で納得できないことや道理の通らないことには屈しなかった。

そのオースティンが王太子となる前のライリーに会った時、オースティンは目を輝かせてベルナルドに言った。


『父上。俺は、ライリー殿下の近衛騎士となります』


“なりたい”ではなく“なる”という言葉に、ベルナルドは息子の決意を知った。そして、生まれた時からずっと息子を見て来たベルナルドは笑みを浮かべた。


『やってみなさい。お前ならできるだろう』


ベルナルドが口にすることは、たいていがその通りになった。小さい頃から、ベルナルドは先を読めた。超能力や異能力、魔術の類ではない。単に、ベルナルドは現時点で判明している事柄から先を推察することが得意だった。チェスの駒がどう動くかなど、現実の問題に比べたら赤子の手をひねるようなものだ。現実の問題は考慮すべき事項が多くて複雑だが、それでもベルナルドにとっては自明だった。

そしてオースティンも、父が言うことは確実なことだと分かっていたから、その答えに狂喜乱舞した。ベルナルドの言葉で余計にやる気が引き出されたようで、オースティンは一層、剣や乗馬、体術などの稽古に邁進した。ライリーの“友人”として相応しくなるよう、勉学や立ち居振る舞いにも常に気を配った。側近として、そして近衛騎士としてライリーの傍に居るためには見聞を広めることも大切だと兄に説かれてからは、領民との交流にも積極的だった。


王都の自宅に戻ったベルナルドが溜息を吐くと、部屋の隅から影がゆらりと出て来た。ちらりとそちらに目をやったベルナルドは、苦笑混じりに口を開く。


「言うなよ、アドルフ。これでも、僕だって後悔しているんだ」


影はゆらりと揺れる。その動きに非難と慰めを感じ取ったベルナルドは、深々と息を吐いた。執務椅子に深く腰かけ、卓上に置いてある高級な封筒を手に取る。既に開けてある封筒を手で弄びながら、ベルナルドはぽつりと独白を漏らした。


「ずっと、詰まらないと思っていたんだよ。全ては僕が読んだ通りになる。多少、考えなければいけないことは多いけれど、でも結局はそれだけ。チェスの駒が動くように物事は必然に則って動く。いくつもの可能性が、様々な事情によって折り曲げられて一つの選択肢に絞られていくんだ」


だからこそ、近い将来に起こり得る出来事を防ぐためには――もしくは何かしらの出来事を起こすためには、どのタイミングで何をすれば良いのかも分かる。実際に、ベルナルドは試してみたことがあった。

今ここで、()()をすれば将来はこうなるだろう――そして、その読みは百発百中だった。ベルナルドにとっては、チェスの多面指しも人生も変わりがない。チェスは最初の数手で終局が分かる。人生は長いだけあって最期は分からないが、対策を練るだけの時間と余裕を持って先を予測できる。

だが、ベルナルドが動き未来を変えることで傷つく人がいた。他人を傷つけるのであれば、傍観者になろうと嘗てのベルナルドは決意した。以来、他人に求められて助言することはあっても、自ら動くことはしなかった。


「息子は――オースティンは、僕が想像もしないことを仕出かす子だったからね。ずっと、ハラハラして来たけど」


予測できるのが当たり前のベルナルドにとって、予測のつかない行動をするオースティンは目が離せない子供だった。オースティンに関わることは、高確率でベルナルドの意表を突いた。滅多に動じないベルナルドは、感情があまり動かない。常に一定の温度を保っていられる。だが、愛息子が生まれてからは、自分にこれほどの情動があるのかと驚くばかりだった。


「今回の怪我が、一番のビックリだったね。心臓が止まるかと思ったよ」


ベルナルドの言葉に同意するように、影がゆらりと揺れる。ベルナルドは苦笑を漏らしたが、すぐに真顔に戻る。真剣な表情で手に持った封筒を凝視する。影がふらりふらりと揺れるのを視界の端に捕え、ベルナルドは「ん?」と尋ね返した。


「ああ、そろそろ動けって? うん、そうだね。ずっと傍観者を気取っていたけどね――うん。関わりたくなかったしね。だって、先を読むだけなら楽だけど、その中で動けと言われたって面倒なばかりじゃないか。厄介事が関わって来た時は対処するけどさ」


エアルドレッド公爵家に害を為そうとする存在がいれば、排除して来た。だが、ベルナルドがして来たことはそれだけだった。基本的に政治の中枢には関わらない。権力闘争にも首を突っ込まない。それがベルナルドの選んだ道だった。

だが、今やそうも言っていられない。

以前から、理解はしていたのだ。オースティンがライリーの近衛騎士になりたいと言ったあの日から、いつかは愛息子のために自ら動かねばならないと――積極的に、泥沼のような暗闇に足を踏み入れねばならないと、ベルナルドは分かっていた。それを先延ばしにしていたのは、偏に面倒だったからだった。そして、ほんの少しの臆病さ。また大切な存在を傷つけるのではないかという恐れ――意識してしまえば、身動きが取れなくなる。


だが、そのせいで今回オースティンは怪我をした。自分が動いていれば、オースティンは怪我をしなかったはずだった。もしかしたら、魔物襲撃(スタンピード)の討伐隊に加わることもなかったかもしれない。騎士団の騎士たちも、大怪我を負ったりはしなかっただろう。

全ては自分の弱さが招いたことだった。人生は、チェス盤と同じではない。チェスの駒は幾らでも己の物にできるが、失われた者は二度と戻って来ないのだ。


――嫌になるほど、ベルナルドはそれを知っていたはずだった。知っているつもりに、なっていた。


ベルナルドは目を伏せる。目を閉じて、過去の記憶を、心の奥底に封じ込めた思い出を今一度確かめる。次に顔を上げた時、ベルナルドの双眸は強い煌めきに輝いていた。


「でも――もう、動かないとね。オースティンには、父親らしいところをみせないと」


いつまでも腑抜けてはいられない、と笑ったベルナルドは卓上の呼び鈴を鳴らす。影は部屋の隅に寄って、壁に出来た暗がりに同化した。

すぐに執事がやって来る。ベルナルドは手にした封筒を執事に手渡し、告げた。


「これからケニス辺境伯に会いに行く。先ぶれを出して、用意をしてくれ」

「承知いたしました」


執事が立ち去る。ベルナルドは着替えるために、椅子から立ち上がった。準備を整えて先ぶれの返事を待つ。これから会えるとの返事を受けたベルナルドは、執務室の棚の奥深くにしまい込まれた杖を取り出した。持ち手に虎の意匠が施された杖は、嘗てベルナルドが愛用していた仕込み杖だった。



*****



ケニス辺境伯の邸宅に到着したベルナルドは、応接間に通された。ベルナルドを待ちわびていたらしいケニス辺境伯は笑みを浮かべてベルナルドを迎えた。


「ようこそいらっしゃいましたな。お待ち申し上げておりましたよ、公爵」

「お久しぶりですね。とはいっても、顧問会議振りですか」

「こうして私的にお会いするのは、久方ぶりで相違ありませんな」


ケニス辺境伯は呵々と笑う。促されるままベルナルドはソファーに腰を下ろした。侍女が注いでくれた紅茶を一口飲み、部屋から人が居なくなるのを待つ。扉が閉まってから少しして、先に口を開いたのは辺境伯だった。


「正直、お手紙を差し上げたものの、貴方から色よい返事はないだろうと思っておりました」


見事に言い当てられたベルナルドは、苦笑を返事に変えた。はっきりと答えなかったが、その態度で自分の推察が間違っていないと確信した辺境伯は眼光鋭く問い質す。


「何故、気が変わったのかお伺いしても?」

「そうですね。息子が――オースティンが、魔物襲撃(スタンピード)で怪我をしたから、でしょうか」

「――後悔されましたか」

「ええ。人生で二度目の後悔です」


ベルナルドの返事を聞いた辺境伯は目を細める。その瞳を受けて、ベルナルドはゆっくりと微笑んでみせた。辺境伯よりも年下のベルナルドだが、悠然とした態度は辺境伯と同輩にも見えた。


「ご存知でしょう、僕の最初の妻の最期を」

「その節は――ご愁傷様でした」

「いえ、もう終わったことなのです」


ベルナルドの最初の妻は、ベルナルドより四歳年上の姉さん女房だった。明朗快活な女性で幼馴染だった。物静かなベルナルドとは対照的だったが、二人はとても仲が良かった。

彼女の最期について知る人はほとんど居ない。ベルナルドと、ベルナルドの七歳年下の弟だけが、その真相を知っていた。だが、人の口に戸は立てられない。辺境伯の耳にも、ベルナルドの最初の妻がベルナルドに殺されたという噂は届いていた。ベルナルドは、その噂を否定したことがない。だが、辺境伯は己の影を使って真実に近い情報を入手していた。


「妻は自死しました。しかし、彼女は僕が殺したようなものだった。僕の傲慢さが、彼女の死を招いたのです」


二人の間には、息子が一人だけだった。息子が幼い時に、妻は死んだ。

ベルナルドの記憶の中には、妻の姿が色鮮やかに残っている。楽し気に笑い、悲しいことがあれば哀しみ、そして時にはベルナルドを怒った。怒った日の翌日は、クッキーやら花やらを持ってベルナルドに会いに来た。

最期を迎えたあの日――妻は、怒りと侮蔑に満ちた視線をベルナルドに向けていた。人はチェスの駒じゃない、人の命はそんなに軽いものじゃない――そう怒鳴った妻に何も言えないまま、それでもベルナルドは大したことではないと高を括っていた。明日にはきっとクッキーか花束を持って帰って来るものだと、疑っていなかった。それなのに、翌朝――ベルナルドの元に帰って来たのは、冷たくなった妻だった。二度と目を開けない妻だった。二度と、声も聞けないのだと知らされた。


辺境伯はちらりと、ソファーに立てかけられた公爵の杖に視線をやる。


「しかし、貴方はその杖をお持ちになられた。再び表舞台に立つことを決意された――違いますかな?」

「ええ、このままではまた――天国の妻に叱られるでしょうし、それに、今の妻にも申し訳が立ちませんからな」


ベルナルドの答えに、辺境伯は静かに微笑む。優しさの滲んだ瞳をひたとベルナルドに向け、辺境伯は静かに告げた。その声音は、若人を励ますようにも聞こえた。


「貴方は二度、後悔なされたと仰られた。一度目は、まさしく後悔でしょう。しかし、二度目はまだ終わっていない。後悔で終わるか終わらないか――それは、貴方次第ではありませんかな」


辺境伯の言葉を聞いたベルナルドは目を丸くする。予想外のことを言われたといわんばかりの表情に、辺境伯は堪え切れない笑いを漏らす。ベルナルドは少し照れたように笑い、頭を掻いた。


「いやあ、貴方を前にすると僕も形無しですね。他であれば、威厳を持った大公爵らしく振る舞えるようになったと思ったんですが」

「いやいや、十分だと思いますよ」


にやりと辺境伯は笑う。事実、エアルドレッド公爵は顧問会議でも強い発言力を持つ。宰相という地位に就いているクラーク公爵でさえ、ベルナルドの言葉は無視できない。その時に彼が纏う雰囲気は非常に厳格で、他者を圧倒する。

ただ、ベルナルドを若い頃から知る辺境伯だからこそ、ベルナルドが築き上げた威厳を無に帰することができるのだ。


「それで、貴方に手紙でお報せしたことですが」

「ああ、はい。“北の移民”に関することと、今回の魔物襲撃(スタンピード)に関する一連の出来事ですね」


楽し気にベルナルドとの雑談を楽しんでいた辺境伯だったが、二人とも多忙である。あっさりと本題に切り替え、ベルナルドも直ぐに手紙の内容を思い起こした。


「左様。我々も情報を収集しておりますが、不足しているところも多く、そして煩雑なため少々解読に手間取っておりましてな。貴方のご意見も伺えたらと考えたのですよ」


ベルナルドは頷いた。辺境伯の言葉は手紙を読んだ段階で既に予想していたことだった。そして、ベルナルドは自宅から辺境伯の屋敷に来る間、自分が持っている情報と辺境伯からの手紙を照らし合わせておおよそのことを悟っていた。


「“北の移民”に関してはケニス殿のお考え通りかと。ただ、黒幕に関してはまだ何とも言えませんね。隣国から来た商人が不穏な動きを見せてはいるようですが、だからと言って双方を結び付けるのは短絡的というものでしょう」


辺境伯は頷いた。ベルナルドの発言は、辺境伯が考えていたことと寸分違わない。


「そして、もう一つの方ですが――」


ベルナルドはそこまで言って口を噤む。わずかに眉根を寄せて「確証はありませんので、御心一つに留め置いていただけますか」と念を押す。軽々しく動くことは避けたいと言いたげな様子に、辺境伯はわずかに目を細めたがすぐに頷いた。“一度目の後悔”を経験したベルナルドが、慎重にならざるを得ないのだと気付いていた。


「ライリー殿下を次期国王に推す国王派、我が公爵家を推す旧国王派――この二大派閥はご承知でしょうが、それ以外の派閥が現在勢力を拡大しつつあるようですね」

「それ以外の派閥――?」


どうやら辺境伯は聞いたことがなかったらしい。訝し気に反芻する。ベルナルドは飄々と頷いた。


「ええ。フランクリン・スリベグラード大公を次期国王にすべしという意見が、一部の貴族で広がり始めているようですよ」

「フランクリン大公だと――?」


辺境伯は低く唸る。物騒な気配が彼の体を取り巻き、威圧感が増した。だがベルナルドは動じない。


「馬鹿な! 大公を次期国王に推すなど、正気の沙汰とも思えん! そ奴らは我が国を滅ぼすつもりか、恥知らずめが!!」


激怒した辺境伯の怒号に、応接間の家具が揺れる。ベルナルドはわずかに仰け反ったが、表情は変わらなかった。ただ、目を忙しなく瞬かせる。恐怖というよりも困惑に近い目の色は、どうすれば辺境伯を落ち着かせられるか、言葉を探しているようでもあった。

一方で、怒鳴った辺境伯は少し落ち着きを取り戻したらしい。相変わらず額に青筋は立っていたが、腕を組んでソファーに深く座り直した。痛烈な舌打ちを漏らし、苦々しく吐き捨てた。


「――あんな痴れ者を国王になぞしてみろ、あっという間に国庫は底に穴の開いた船のように沈み、貴族共は主を失くした獣のように好き勝手にのさばり、見る間に国は荒れ果てるわ。赤子でも分かるだろうて」

「ええ、僕も同感ですよ。今はまだ大公派も、国王派と旧国王派に比べて大きくはない。早いところに対処すべきでしょう。隣国も、本格的に我が国を取り込もうと動き始めているようですからね」


辺境伯は先ほどまでの怒りを収め、眉根を寄せ深く考え始める。


「大公派の貴族に目星は付いているのか?」

「スコーン侯爵はほぼ確実でしょう。大公とは非常に懇意にしている様子ですよ」

「――スコーン侯爵、か」


ベルナルドの返答を聞いた辺境伯は吐き捨てる。スコーン侯爵は野心家としても有名だった。同時に商売に関しては非常に有能らしい。先代侯爵の時に傾いた領地をあっという間に立て直した辣腕ぶりは一時期社交界を賑わした。それを契機に、現侯爵は社交界でも影響力を持つようになった。

ふと、辺境伯は一つの事実に気が付く。苦々しい表情を張りつけた顔をベルナルドに向けた。


「待て。スコーン侯爵家の次男は、確か今――」

「ええ。騎士団八番隊の隊長を務めていますね」


騎士団の八番隊――それは、隠密や間諜に特化した隊であり、国内外に存在するスリベグランディア王国の謀反を企む者を取り締まる、非常に重要な役割を持っている。その八番隊の隊長に着任しているのが、ブルーノ・スコーンーースコーン侯爵家の次男だった。

ベルナルドはにこやかに答えるが、その双眸は穏やかなどというものではない。


大公派のスコーン侯爵家が次男、ブルーノ・スコーンは八番隊隊長であり、年齢的にも実力的にも次期騎士団副団長として目されている。そしてライリーの側近候補であるオースティンは魔物襲撃(スタンピード)で大怪我を負った。騎士見習いでしかない少年が同行するには、あまりにも不自然な状況だった。だが、人手が足りないと承認された。そこに、騎士団長の意志があったかは定かではない。だが、ヘガティ団長の為人を知る二人にしてみれば、ヘガティがオースティンの同行を許可するはずはなかった。

――つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。直接的ではないにせよ、連れて行かざるを得ない状況に追い込まれた可能性が高かった。


「騎士団長が随行したのは、唯一の対抗手段だったのかもしれませんね。彼であれば、転移陣を使って隊士たちを危険から遠ざけることができる。聖魔導士が同行できないと知った時点で、団長権限で随行を決めた可能性はあるでしょう」


ベルナルドの淡々とした推察を無言で聞いていた辺境伯は、深く息を吐き出す。


「――バーグソン長官については、どう思う」

「彼は野心家です。大義はない。派閥に属するというよりも、単なる太鼓持ちでしょう。己にとって最も利があると思う相手であれば誰でも良い。今の主は――そうですね。予想はしていますが、状況証拠ですらありませんので、今は言うのを控えましょうか」

「訊きたい気もするがな」


辺境伯は苦笑を漏らした。証拠が一切ない、あくまでも直感でしかない――いわば当て推量は口にしないと告げるベルナルドは、案の定首を横に振った。教える気は一切ないということだ。

肩を竦めた辺境伯は、それ以上ベルナルドを問い質すのを諦めた。代わりの質問を口にする。


「いずれにせよ、そ奴らの企みは半ばで頓挫したという認識で良いのか」


ベルナルドは「ええ、恐らくは」と頷いた。


「本懐は、騎士団長と二番隊隊長を馘首し、手の者に挿げ替えることだったのでしょう。ですが、その企ては潰えた。一方で、魔導省の副長官は、更迭は免れたものの無期限の謹慎です。こちらはほぼ彼らの謀略通りになったと考えれば良いかと」


“彼ら”と言っても、具体的に誰を指し示すのかはまだ明らかではない。少なくともスコーン侯爵は含まれるはずだ。それ以外の人物についても、ベルナルドは推測しているが不確実だ。万が一、明言した内容が誤りであった場合、その人物は不当に没落する可能性がある。軽々しく口にしてはならない――それは、ベルナルドが嘗ての妻に教えられたことだった。


ふと、そこまで考えてベルナルドは笑みを浮かべる。脳裏に浮かんだのは魔物襲撃(スタンピード)の事後処理に不安があると訴えて来た王太子の姿だった。


「どうかしましたか」


ベルナルドの変化に気が付いた伯爵が訝し気に尋ねる。ベルナルドは首を振ったが、少し考えて思い直した。


「いえ――王太子殿下のことを思い出していたのです」

「殿下のことを?」


意外だったようで、辺境伯は目を瞬かせる。ベルナルドは頷いて、簡単にライリーの訴えを説明した。辺境伯は「ほう」と面白がる光を両眼に浮かべている。


「殿下は、副長官殿とも面識がある。それにもかかわらず、感情的にはならず――理論的に、冤罪の可能性を示唆された。伏せられているはずの情報を入手する手腕も、そこから事実を精査し組み立て展望を俯瞰する能力も、見事なものだと感心したのです。それだけの能力があれば、特に幼いときは己の才能に溺れ、傲慢に振る舞うものですからね」

「なるほど」


ベルナルドの話を聞いていた辺境伯は、にやりと口角を上げた。顎を指先で擦るともう一度「なるほど」と呟く。


「どうやら私は、殿下を見誤っていたようですな」


辺境を護る猛者の、最大限の賛辞。

ベルナルドは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。


「殿下は立派なお方ですよ。僕の息子が、初対面で惚れるほどですからね」


オースティンは一目でライリーを気に入り、将来は近衛騎士としてライリーを護ると宣言した。その気持ちは今もなお、変わらない様子だった。魔導騎士になるか、実力主義の七番隊で功績を立てれば最短でライリーの近衛騎士になれると考えていることも、ベルナルドは知っていた。

言外に、オースティンも人を見る目があるのだと自慢することになったベルナルドを見て、辺境伯は声を立てて笑う。愉快でたまらないといった目は優しかったが、それと同時に、ベルナルドが“親馬鹿”だと雄弁に告げていた。



15-10

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