15. 生誕祭の罠 13
数多の戦場を生き抜いて来た騎士団長の怒りを受け止められるほど、バーグソン長官は経験豊富ではない。魔導省というぬるま湯に浸かり権力を欲しいままにしている彼は、ヘガティと比べると赤子のようなものだった。顔面を蒼白にして震える長官は口を噤む。それ以上何も言えなくなった彼を、メラーズ伯爵は困惑交じりの迷惑そうな顔で一瞥する。どうやらバーグソンの暴言はメラーズ伯爵にとって予定外のことだったらしい。会議の進行役を担う彼にとっては余計な口を挟まれたという印象が強いのだろう。しかし、すぐに伯爵は穏やかな表情を浮かべてヘガティに顔を向けた。
「貴殿の主張は尤もだ、ヘガティ団長。この場は決して貴殿を糾弾するためにあるのではない。我々が欲しているのは事実を明らかにすることであり、事実に基づいた適切な処遇を決定することだ」
ヘガティは無言でメラーズ伯爵の言葉を聞く。バーグソンと異なり、メラーズ伯爵は理性的だった。だが、言葉と本音が違うことは往々にしてあり得る。ヘガティもダンヒルも、この会議が決して事実関係を明らかにするためだけに開かれたものではないと分かっていた。
少なくとも一部の貴族が、何らかの理由でヘガティとダンヒルを陥れたいと考えていることは確かだろう。バーグソンの言葉がこの場にいる全員の意志であるとは思わないが、魔導士二名が死亡した責任をヘガティとダンヒルに負わせ、職を辞させるなり降格させるなりの処遇を求めていたのではないかと思える。
「それでは、もう一つの件だ。魔物の制圧と浄化、これを行ったのは騎士団か?」
「いいえ」
ヘガティは否定した。だが、その答えは予想していたのだろう。メラーズ伯爵は動じずに、「それでは誰が?」と尋ねた。
「不明です。我々は魔物を討伐しながら中心部に向かっておりましたが、その手前で魔物の集団により攻撃された結果、ほぼ壊滅状態に陥ったため一時撤退を決意致しました。その際に浄化の術と思われる光が周辺に満ちましたため、恐らくそのタイミングで何者かが浄化の術を使ったと思われます」
「その術者の姿は見ていないのか?」
「は」
魔物襲撃の現場は広かったし、離脱直前に目にした光が浄化の術によるものだと気が付いたのは転移の術を発動した後だった。それも、傷が癒えて他の騎士たちと会話をする中でようやく思い当たっただけである。そこまで詳細に供述するつもりはないが、少なくともそのような極限の状態では術者の姿を目撃できなくとも特段妙な話ではない。メラーズ伯爵は「なるほど」と溜息混じりに頷いた。
「自然消滅でもなかったのだな」
「魔物が自然消滅することは、あり得ません」
伯爵の独白にヘガティが訂正を入れる。魔物が頻繁に現れる領地を治める貴族たちは頷いてヘガティの言葉に同意を示した。
ヘガティの言葉に圧倒され無言になっていたバーグソンが、苦々し気に小さな声で吐き捨てる。
「一時撤退なぞするとは軟弱者が。嘆かわしい。王国を護る騎士であるならば、最期まで戦うべきだろう」
今度こそ、ヘガティだけでなくダンヒルも絶対零度の視線をバーグソンに向ける。そして、一部の貴族たちも冷ややかな目を長官へ向けた。だが、バーグソンは不貞腐れたような顔で腕を組んだままだ。もはや相手にしたくないとでも言いたそうなヘガティだったが、代わりにダンヒルが口を開いた。
「どうやら貴殿は、魔導騎士の希少性をご存知ないとみえる」
明らかに嘲弄を含んだ声音に、バーグソンはカッと顔を赤らめた。発言者がヘガティではなくダンヒルだったからか、ヘガティに抱いた恐怖は感じていない様子だ。しかし、ダンヒルはバーグソンが口を開くより先に言葉を続けた。
「聖魔導士を除けば、魔物を確実に屠れるのは魔導騎士のみ。他の騎士や剣士でも戦うことは可能だが、魔導騎士のように魔術と剣術を一定水準以上に極めることは非常に困難だ。本人の資質だけでなく、努力と時間も重要な要素――即ち、魔導騎士は魔導士以上に替えのきかない存在なのですよ」
お分かりいただけましたか、と穏やかな表情で告げるダンヒルの目は全く笑っていない。バーグソンは怒りに体を震わせ、口を無意味に開閉させていた。更に何か言おうとしているらしいが、それをエアルドレッド公爵が制する。
「全く、貴殿たちの仰ることは尤もです。筋も通っているし、そもそも命を懸けて現場に駆け付けられた方の言葉を蔑ろにすべきではないでしょう。貴殿たちの功績に感謝し報いることはあれど、糾弾するほど厚顔無恥のつもりはありません。むしろ、この未曽有の危機にあって十分な戦力を提供できなかったことを謝罪すべきではないかと私は思いますな」
言外に魔導省の非協力的な態度と騎士団長たちを弾劾する言動を責めつつ、一方で騎士団を持ち上げる。その上で公爵は同意を求めるように、ゆっくりと貴族たちを見渡した。最初はバーグソンの言葉に同意を示していた者でさえ、エアルドレッド公爵の視線を受けると渋々ながら頷く。
「宰相、貴方はどう思われます?」
最後に、エアルドレッド公爵はクラーク公爵を見やった。クラーク公爵は無言で全員の様子を眺めていたが、やがて「そうですな」と口角を上げた。
「無論、魔物の討伐に向かうに当たって準備が不十分であるのはいただけません。騎士団どころか、民の命を危険に晒すことにも繋がる。尤も今回は歴史上類を見ない事象だったため、全てが上手く運べるわけはありません。その点は勘案すべきですが、今回のことを教訓にして今後に生かすべきでしょう」
三大公爵家の内、この場に出てきている二家が同じ意見を表明した以上反対する貴族はいない。バーグソンは唇を噛みしめ俯いていた。ただし、とクラーク公爵は続ける。
「魔物襲撃の制圧が騎士団の功績であれば褒賞を取らせることもできたでしょうが、今回はどこぞの術者が行ったようですな。本来であればその者を探し褒美を授けるところですが――見つけることは難しいでしょう」
何よりも時間が経ちすぎている。それに、どこに居るのかも分からない者を探すために費用と時間、人員を割くよりは、被災地復興に資金を回した方が良い。
そう主張したクラーク公爵に、エアルドレッド公爵も同意を示す。メラーズ伯爵は他の貴族たちにも意見を求め、大多数が同意したところで決着はついた。
ヘガティとダンヒルは退室させられる時間かと思い身動いたが、フィンチ侯爵に引き留められる。不思議そうな顔をする貴族も居たが、エアルドレッド公爵とクラーク公爵はフィンチ侯爵が何を言うつもりなのか察している様子だった。静かに言葉の続きを待っている。フィンチ侯爵は、意味深に視線をニコラス・バーグソンに向けた。
「この度の件、希少性の高い魔導騎士が十五名も殉職したことは問題ではありませんかな」
これまでの話の流れを汲めば、魔導省が聖魔導士を王都に留め、魔物襲撃制圧に向かった騎士団に随行させなかったことが問題だと解釈できる。更にヘガティの証言が事実ならば、同行した魔導士二人こそが騎士たちの命を危険に晒したと言えなくもない。
バーグソンの顔が引き攣る。
「そ、それは――」
否定しようと口を開くが、言葉が出て来ない。更に追い打ちをかけるように、フィンチ侯爵が言葉を重ねた。
「バーグソン長官――貴殿は部下の監督も十分に出来ないのではないかと、そんな疑惑があるとも聞き及んでおりますよ」
ヘガティもダンヒルも、フィンチ侯爵が何を示唆しているのか分からない。だが、他の面々には明らかだったようだ。何人かの貴族は侯爵の言葉が尤もだと言わんばかりの表情を浮かべている。気まずい沈黙が落ちたが、それを破ったのはクラーク公爵だった。
「誰にでも過ちはあるでしょう。十五名もの騎士が殉職したことは悲しむべきことであり、また痛手でもありますが。何度も犯しているのであればともかく、一度の過ちで咎を負うとするのは――些か、行き過ぎのようにも思いますな」
クラーク公爵の言葉に、フィンチ侯爵は目を細める。不服そうにも見えたが、すぐに彼は感情を殺した。バーグソンは目を見開きクラーク公爵を凝視したが、慌てて視線を逸らし足元を見つめる。その両手は強く握られていた。エアルドレッド公爵もまた、クラーク公爵に同意を示す。
「それが妥当でしょう。長官には、今後の対応を如何様にするかの方策を立てて頂き、その内容を顧問会議で吟味するということで如何でしょうか」
「異論はありません」
クラーク公爵が頷く。バーグソンは先ほどまでの威勢はどこへやら、恐縮した様子で深々と頭を下げ了承した。
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その日の夜――照明が落とされた暗い部屋で、男は苛々とした様子だった。豪奢な室内には香が焚かれていたが、その香りを楽しむ余裕さえない。初老の執事に向け、男は端的に尋ねた。
「“器”はどうなっている」
「順調に作成が進んでおります。明晩で完了する手筈となっております故、あとは時機を待つだけでございます」
「それだけが良い報告だな」
男は口角を上げて微笑するが、すぐに表情は不機嫌なものへと変わる。そして、「他は駄目だ」と吐き捨てた。執事は無言で主の言葉を聞いている。
「騎士団も魔導省も、全てが中途半端だ。大言壮語の腑抜けに任せるべきではなかった。最後通牒を突き付けたところで、能力のない者には無駄なことだったな。だが、金と時間をかけたのだからここで頓挫させるわけにはいかん」
「御意」
「使えない者は切り捨てる、それから――不穏の種も潰さねばならん」
唸るような主の言葉を聞いて、執事は頷いてみせた。言外の意図を難なく読み取るからこそ、初老の執事は長年、主に仕えることを許されていた。そして、どれほどの難題であろうと主の要求は全て全うする――それが執事の矜持だった。
「浄化の術を使った者は捜索に当たります。それから、長官には時機を見計らってご退場頂きましょう」
「そうしてくれ」
男はそこでようやく、執事の差し出したホットワインに手を付けた。ゆっくりと香りを楽しみながら喉を潤す。様子を窺っていた執事は、やおら口を開いた。
「以前に話しておりました、暗殺者の件ですが」
「見つかったか」
楽しみにしていたのか、多少食い気味に男は尋ねる。執事は肯定も否定もしなかった。淡々と知っている事実を告げる。
「候補者と連絡が取れたとのことにございます。一週間後にこちらへ来ると申しておりました」
「そうか」
男は鼻を鳴らした。空になったワイングラスに、執事はお代わりのホットワインを注ぐ。グラスを受け取った男はしばらく宙を睨んでいたが、やがて楽しそうに笑みを零した。
「その者が来たら、どれを最初の仕事とするか――考えておけ」
「御意」
執事は頷く。そして、彼は主の希望を全て恙なく叶えるため、部屋を後にした。
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