15. 生誕祭の罠 11
ベン・ドラコが王都に所有している王都の屋敷で、ポールは自室に引きこもってレースのカーテンを編んでいた。部屋の中はパステルカラーに満ち溢れ、カーテンだけでなくソファーやシーツ、クッション、壁紙に至るまですべてが花やレース、リボンで装飾されている。
突如として邸宅に現れたペトラ・ミューリュライネンは魔物襲撃に巻き込まれて大怪我を負っていたが、見知らぬ人物のお陰で一命を取り留めた。ドラコ家お抱えの医者に診察して貰ったところ、しばらくは体調不良に悩まされる可能性はあるが、後に別状はないとお墨付きを貰った。後遺症に関しては恐らく心配いらないだろうが、確証はないと言われている。研究熱心だがペトラにだけは興味を示す主が知れば激怒するだろうと思いながら、ポールは束の間の静けさを堪能していた。ペトラに付き添っている双子も、今回ばかりは衝撃が大きかったのか、外に遊びに行くこともなく大人しくペトラのすぐ傍に付いている。
「――――?」
ふと、ポールは違和感を覚えて顔を上げる。壁に掛けられた鳩時計には色とりどりの小花が装飾されていて、非常に空想的だ。この時計を購入した時にベンやベラスタは顔を引き攣らせ、ペトラとタニアは呆れ顔を隠さなかったが、ポールのお気に入りの時計だった。
その時計の花が、一部変色している。ポールは眉根を寄せた。
「招かれざる客が来たようだな」
低い声は、空想的な室内には不釣り合いだ。だが、ポールは気にしなかった。きっちりとカーテンを畳んで棚の中に仕舞うと、扉に鍵を掛けた。扉の近くにある姿見で服を確認し、理想の執事像だと満足気に微笑む。棚から取り出した眼鏡を掛けて小指に指輪をはめる。そして悠々と歩いてペトラたちが居る部屋に向かうと、扉を叩いて中を覗いた。
「ベラスタ、タニア。今から部屋を閉鎖するから、出て来るなよ」
「え? 閉鎖って――兄貴がいないのに?」
目を丸くしたのはベラスタだった。ポールは頷く。
「厄介な相手だと思う。だからこの部屋は閉鎖する。お前たちはそこでペトラを守っておくんだ」
「――分かった」
頷いたのはタニアだった。一瞬遅れて、ベラスタも「うん」と頷く。ポールは意外な気持ちを隠せなかったが、「ペトラを宜しくな」とだけ告げて扉を閉めた。これまでであれば、双子は素直にポールの指示には頷かなかっただろう。“部屋を閉鎖する”と聞けば、緊急事態であることは分かる。それは、ドラコ家でのみ通じる符牒だった。見られてはならない部屋や物を隠蔽するための仕掛けが、この館には施されている。だが、招かれざる客が横暴を働く可能性は否定できない。その時は、館と一族を守るために戦わねばならない。それならば自分たちも招かれざる客と相対し戦うと、これまでの双子であれば言い出しかねなかった。だが、今回はそうではなかった。大人びた表情で頷いた二人は、自分の力量を把握し無謀を慎もうとしているようにも見えた。
「子供は知らないところで成長するもんだな」
感慨深くポールは呟く。ついこの前まで反抗的なガキだと思っていたのに――と溜息を吐き、そう思うこと自体が年を取った証拠だと溜息は苦笑に変わった。
口角に滲んだ苦笑はそのままに、ポールは扉の横にある壁紙の青い花を撫でる。すると、そこにあったはずの扉が消えた。確認したポールは玄関ホールに向かい、飾られている大きな花瓶を半周だけ回した。屋敷の空気が揺れる。これで準備は整った。見られてはならない部屋は全て扉が壁に変わり、棚は一切見えなくなる。“招かれざる客”を迎え入れる準備は整った。
悠然と、ポールはポケットから取り出した黒手袋を身に着ける。最後にもう一度身だしなみを確認し終えた時、激しく玄関扉を叩く音が聞こえた。ポールは敢えてゆったりと扉を開ける。扉の前には、ローブに身を包んだ集団が居た。
「我々は魔導省査問部である。ベン・ドラコに対する国家反逆罪の疑いにつき、顧問会議許可の元、これより本宅の捜索ならびに差し押さえを行う」
「――――――国家反逆罪?」
さすがに予想外だったのか、ポールはたっぷりの沈黙の後、眉根を寄せて訝し気に反復する。研究熱心で他に興味がないベンが国家反逆罪など、太陽が西から昇ると言われた方が信憑性がある気すらした。だが、そんなポールを見た魔導士たちは不機嫌に彼を睨みつけ、「邪魔立てすると貴様も反逆の意志があると見做すぞ」と恫喝する。しかし、その程度で動じるポールではない。愛想よく笑みを浮かべると、「とんでもございません」と身を後ろに引いて魔導士たちを屋敷内に招き入れた。
「最初からそうしておれば良いのだ」
二番目に入って来た小男が吐き捨てる。ポールはにこにこと笑いながら、「お勤めご苦労様です」と穏やかに告げる。本来であれば目上が目下に使う言葉をさらりと放ったにも関わらず、穏やかな雰囲気と柔らかな言葉のせいか、魔導士たちが気が付く様子はなかった。
同じようなローブに身を包み、個としての特徴を失っている魔導士たちを全員確認する。魔導士は全部で四人――家宅捜索を行うには少ない。平民の家であれば十分だろうが、貴族の邸宅ではないとはいえこの屋敷は広い。最低でも倍の人数は必要だ。
――人数を増やせない理由がある、ということか。
そんなことを思いながら、ポールは最後の一人が入った後で扉に鍵を掛けた。
ベンは滅多に魔導省のことを話さないが、彼以外からの情報も統合すれば、今の魔導省が魔物襲撃にそれほど多くの魔導士を割くとは考えられない。特に昨日は王太子の生誕祭があったばかりだ。ほとんどの魔導士が王宮に集結していたに違いなかった。その状況で、査問部の人間が四人しか集まらないはずはない。
ベンが犯すはずのない国家反逆の罪を口実にしたことからも、彼らがベン・ドラコを嵌めるつもりなのは明らかだった。
――だから、研究だけではなく政治的駆け引きも面倒がらずにやれと言ったんだ。
ポールは内心で苦々しく乳兄弟を罵った。ベンは研究さえできれば良いと考えていたが、魔導省は利権や政治的思惑も深く関わっている。下手をすれば足を掬われかねないと、ポールは以前から常々言っていた。勿論、ベンも多少は努力していた。研究の片手間に魔導士たちの横領を調査し、ペトラとの実りある討論の隙間時間で禁術に手を染めた魔導士の存在を探していた。だが、本気で取り組まなかったからこそ、今こうして足元を掬われ国家反逆罪の汚名を受けているのだ。
魔導士たちは、玄関ホールに広がる夢想的な空間――ポールの自室よりも大人しいが、女主人が居ない屋敷としては規格外に色鮮やかな装飾品の数々を前に絶句した様子だった。最後尾の二人が素早く顔を見合わせた。
「――副長官って結婚してましたっけ?」
「してなかったと思うけど――明らかにこの装飾、女の趣味だよな」
小声で言い合うが、二人とも自信はないようだ。ポールは大人しく彼らの後ろに控え、真顔のまま内心で「私の趣味です」と答えるに留めた。恥ずかしいとは思っていないが、ベンを国家反逆罪で陥れようとしている連中に余分な情報を提供する気はない。それに、彼らの中でベンが少女趣味であるという勘違いが広まってもポールには関係ない。研究馬鹿のベンも気にすることはないだろう。
「お前らは一階を探せ、我々は二階を探す」
指示を出したのは、先頭の魔導士だった。どうやら年長組と年少組で手分けして捜索するらしい。ポールは何気なく年長組に付いて二階へ上がった。少し距離を取り気配を消す。年長の二人は迷わず最奥にあるベンの寝室に入った。乱暴に寝台のシーツを剥ぎ、棚を漁る。カーテンを引っ張った時、びりっと音がして布が破けた。だが、魔導士たちは気にする様子が一切ない。散らかしたものを片付けることもなく、床に落ちた物を踏みながら次の部屋に向かう二人の男を見ながら、ポールのこめかみはピクピクと痙攣していた。額に青筋が浮かぶが、彼は気配を消して二人の動向を注視する。
ポールが動いたのは、魔導士たちが執務室に入った時だった。
仕切っていた魔導士が驚いたような声を上げようとした、その時――足音を殺して近づいたポールが、ローブのポケットから今にも出そうとしていた魔導士の左腕を掴んだ。
「な――!?」
魔導士が驚愕に目を瞠る。ポールはにこやかな笑みを浮かべながらも、底冷えする光を浮かべた瞳で魔導士を真っ直ぐに見下ろしていた。段々魔導士の顔色が悪くなる。彼の左腕を掴むポールの手に込められた力は徐々に強くなっていた。
「い、痛――っ」
「何か、見つかりましたでしょうか?」
尋ねるポールの声は穏やかだが、聞いた人の肝が冷えそうなほど感情がこもっていない。筋骨隆々のポールに対して魔導士二人は体を鍛えていない。背もポールの方が高く、物理的な実力差を感じたのか腕を掴まれた魔導士は真っ青になって震えていた。さながら蛇に睨まれた蛙だ。
最初から、ポールはこの家宅捜索が茶番だと見抜いていた。元よりベンが謀反を企んでいるわけはない。勿論、屋敷の中に証拠はない。だが、ベンを処罰するためには証拠が必要だ。魔導省の副長官室であれば、誰かが忍び込んで“謀反の証拠”を置いたと主張することもできる。その逃げ道を塞ぐために、わざわざ彼らはベンの私邸で証拠を見つけようとした。本来そこになかった物証を、あたかも発見したかのように見せかけるのは古典的な手法だ。
勿論、そのような悪巧みを知る者は少人数でなければならない。同時に、全く無関係の同僚を同行させることで、物証が確かに被疑者宅から発見されたと証言させることも出来る。年少の二人は無関係だろうと踏んだポールは年長の二人を監視することにしたのだが、案の定その内の一人が不審な動きをした。ポケットから取り出そうとしたものは、ベン・ドラコが反逆を企てた“物証”に違いない。
ポールはゆっくりと、もう一人の魔導士に見せつけるように掴んだ左腕をポケットから出させる。赤い宝石の指輪を付けた左手は、折り畳んだ紙を持っていた。
「――これは?」
ポールはにこやかに尋ねる。魔導士は掴まれた腕の痛みが酷いのか、額から脂汗を流しながらも唇を引き結んだ。それを横目で見ながら、もう一人の魔導士に顔を向ける。ポールが腕を掴んだ魔導士よりも若い魔導士は、悔し気にポールを睨みつけていた。どうやら二人とも、悪知恵は働くが踏んだ場数は少ないらしい。動揺が全面に押し出され、即座に誤魔化すこともしない。
呆れは内心に押し隠し、ポールは取り上げた紙を見る。そこに書かれていたのは、小さな転移陣だった。
「なるほど、転移陣に細工をしたという建前ですね。ですが、私の主が作ったと言うにはお粗末すぎる出来のようですよ」
明らかな嘲弄に、魔導士の顔は真っ赤になる。指輪をした魔導士は、怒りのあまり赤を通り越してどす黒くなった顔を憎悪に歪め、ポールを睨みつけた。
「――これは、この執務室で発見したものだ。証拠故に持ち帰る」
「ここで見つけたという、記録でも残しますか?」
魔導石があれば、発見した証拠と発見場所を自動登録することができると聞いたことがあった。ポールの問いを肯定するように、魔導士は唇を皮肉に歪める。「なるほど」と頷いたポールは、軽く紙面をなぞって折りたたんだ。
「それでは、これはお返し致しましょう」
魔導士は乱暴に陣が掛かれた紙を取り返す。そして、ポールを睨みながら首からぶら下げた魔導石を紙に翳した。魔導石が光を放つ。魔導士は証拠と魔導石を袋に入れると、足音も荒々しく執務室を後にする。これ以上ここには居たくないとでも言いたそうな勢いだった。
ポールとしても招かれざる客には早々に退散して欲しい。引き留める理由はなく、ポールは二人の後を追うようにして玄関ホールへと向かった。若年者二人も時を同じくして姿を現す。どうやら、一階から犯罪の証拠は見つからなかったらしい。
「証拠も見つかった。ベン・ドラコは確実に国家反逆罪の咎で裁かれるであろう。お前も裁きが下されるだろうな。精々首を洗って待っているが良い」
吐き捨てられた言葉に、慄いたのはポールではなかった。愕然と目を瞠り絶句したのは、一階を捜索していた年少の二人だった。一方で、言われた当人であるポールは動じずに「そうですか、楽しみですね」と他人事のように肩を竦めた。苛立ったように、魔導士がフードの下からポールを睨みつける。頭がおかしくなったのか、とでも言いそうな表情だ。ポールは飄々と、笑みを浮かべたまま男を見返した。
「僭越ながら私からも一言ご忠告申し上げましょう。今後他人の家を捜索なさる際は、この度のような方法はお控えになられた方が宜しいと思いますよ。まるで空き巣の所業です」
「な――――っ!?」
憎々し気だった魔導士が絶句する。ポールはにこやかに、しかし「とっとと出て行け」とでも言わんばかりに扉を開け放った。
「お帰りはこちらです、皆さま。万が一、またいらっしゃる機会がありましたら、その時は真実の神を模った等身大のケーキをご馳走致しましょう」
偽証をでっちあげようとした者に対しては痛烈な皮肉になる台詞を口にする。
魔導士は言い返したかったのか口を開くが、言葉が出ない。直接暴言を吐いているわけではないから、反論も思いつかないのだろう。痛烈な舌打ちを漏らし、足音も荒く玄関から外に出て行く。年少の二人は申し訳なさそうに肩を竦めながら、ポールの方を見ないように顔を背けて立ち去る。
姿を見送ったポールは扉を閉めて鍵を掛けると、眼鏡と指輪を外した。
「魔道具は便利だな」
しみじみと首を振る。眼鏡も指輪も、ベンが作ったものだった。魔術も呪術も得意でないポールは転移陣など見ても分からない。しかし、眼鏡を掛ければ書かれたものが一体何を意味するのか理解することが出来た。そして、指輪に付された術は“無効”の呪術。ポールが転移陣の書かれた紙を撫でた結果、魔導士が持って来た証拠は単なる紙になった。紙を折り畳んだのはポールであり、白紙になったことに魔導士は気が付かなかった。白紙の紙を証拠として登録したところで、裁判では何の意味もなさないと相手にされないだろう。
――これで、ベンが処刑される最悪の事態は避けられる。
そう思えば、ほっとする。一方でポールはウンザリとした溜息を隠すことが出来なかった。
一階はまだ良いかもしれない。だが、問題は二階だ。魔導士二人の手によって散らかされ荒らされ、さながら嵐に遭った船内である。それを全て片付けなければならないのかと思うと、気が滅入る。それに、ベンが国家反逆罪という最悪の汚名を受ける可能性を減らすことが出来たとはいえ、他に罠が仕掛けられていないとも限らない。
「こういうことは、あいつ苦手だからな。でも、奥の手を使わなくても大丈夫そうなのは良かったか」
仕方がない、とポールは首を回す。ぼきりと骨が鳴る。
手を回す方策を考えながら二階に向かい、荒らされた部屋を片付けることにした。片付けた後に“部屋の閉鎖”を解除する。片付けも双子に手伝って貰うと余計に散らかるだろうから、一人でした方が早い。すべきことを全て終えた後――六段重ねのケーキに挑戦してみようかと、ほんの一瞬だけ、荒れ果てた部屋を前にしてポールは現実逃避に浸った。
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