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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
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15. 生誕祭の罠 10


魔物襲撃(スタンピード)の現場から部屋に転移したリリアナは、ほっと安堵の息を吐いた。疲れてはいたが、気は抜かない。幻術を掛けていた毛布をクローゼットに戻すと、寝台に潜り込んだ。防音の結界も解除し、外の気配を探る。

どうやら人々はようやく瘴気が消えたことに気が付いたようだ。最初は小さな騒ぎだったのが、すぐに歓声へと変わる。多少声は遠いが、リリアナは体を起こす。疲労のせいか、横になっても目が冴えて寝られない。


魔物襲撃(スタンピード)の影響で、家へはしばらく帰れませんでしょうし――王都の屋敷に滞在することになってしまいますわね。致し方がないこととはいえ、憂鬱ですわ)


溜息が零れ落ちる。瘴気が収まった今、王宮に一泊するのも憚られる。少なくとも王都の屋敷には戻るべきだろう。だが、王都の屋敷は父の家という印象が強くてどうしても馴染めない。まだフォティア領の屋敷の方が落ち着く。極力どちらの家にも寄り付きたくはないことは確かだが、贅沢は言っていられない。クラーク公爵が魔物襲撃(スタンピード)の事後処理に追われて帰宅できないだろうことがせめてもの救いだ。

ふと、廊下に人の気配を感じた。耳をそばだてると、マリアンヌが対応している音が聞こえる。しばらく待っていると、小部屋に通じる扉からマリアンヌが顔を出した。


「あ、お嬢様。起きていらしたんですね」


ほっとした顔でマリアンヌが笑う。リリアナは微笑を浮かべて頷いた。マリアンヌは「良かった」と言いながら、ライリーとクライドが来たと告げる。兄が来るのは分かるが、王太子が会いに来る理由は分からない。リリアナは首を傾げたが、拒否する理由もない。二人を出迎えるべく、リリアナは寝台から立ち上がった。マリアンヌが廊下に通じる扉を開き、来訪者二人を迎え入れる。

クライドはほっとしたように顔を緩め、そしてライリーは一瞬驚いたように目を瞠った。


「良かった、リリー。少し顔色が良くなったみたいだね」

〈ええ、お陰様で〉


クライドの言葉にリリアナは謝意を示す。ライリーも「良かったが、くれぐれも無理はするなよ」と言う。そして、わずかに戸惑った様子を見せるリリアナに気が付いたのか、ライリーは微苦笑を浮かべた。


「貴方の具合が悪かったと聞いたから気になっていたんだ。無事に魔物襲撃(スタンピード)は制圧された。復興に時間はかかるだろうが、一旦危険は去ったよ。安心してくれ」

『それは宜しゅうございました』


さすがに、疾うの昔に知っているとは言えない。リリアナは念話用ブレスレットでライリーに声を聞かせながらも、嫋やかに微笑むに留めた。ライリーも表情は変わらないが、何かを探るような色が目に光っている。リリアナは内心で首を傾げたがライリーの心の内は読めなかった。

そんな二人の様子に気が付かない様子で、クライドは口を開く。


「体調も戻ったようだし、マリアンヌと二人で王都の屋敷に帰れるかな? 僕は父上の手伝いもあるから、しばらく王宮に留まらないといけないんだ」

〈承知いたしました〉


リリアナは大人しく頷いた。予想通りだし、敢えて嫌がる理由もない。クライドは「良かった」と笑った。心底安堵している様子のクライドは、本当に妹想いなのだろう。だが、それはあまりにもゲームのクライドと性格が違う。クライドは腹黒なキャラクターで抜け目もなく、他人には一線を引いて接していた。そして、ヒロインがクライドを攻略した時は、妹に切なさを僅かに見せながらも、最終的に憎しみの籠った目を向けていたはずだ。

既にゲームのシナリオから逸脱しているのか、それとも今後クライドの性格が変わっていくのか、リリアナには分からない。


「それじゃあ、馬車の手配をしたら呼ぶから。準備をしておいてくれるかな」


クライドの言葉を受け、リリアナはマリアンヌに顔を向ける。マリアンヌは承知したと言うように一礼すると、隣の小部屋に入った。恐らく帰宅の準備を整えるのだろう。元々、宿泊する予定でもなかったから、準備にはそれほど時間は掛からないはずだ。そのままライリーとクライドを見送ろうと、リリアナはその場に立ち尽くす。だが、部屋を出たのはクライドだけだった。

ライリーは肩越しに扉が僅かな隙間を残したまま閉められたのを確認し、リリアナに近づく。ライリーはリリアナに手を伸ばし、何かを確認するようにその頬に触れた。何をしているのだろうと首を傾げるリリアナに、ライリーはふっと笑みを浮かべた。


「――実は、貴方が寝ている間に一度来たんだよ。()()()()()()()()()()()、起こさなかったけど」


リリアナは目を瞬かせる。表情は一切変えずに、さらりと言葉を返した。


『まあ。それは気付きませんで、申し訳ございません』

「うん――心配していたんだよ。次はぜひ、頼って欲しいな。今回は取り敢えず、貴方が()()()()()()()


無事、という言葉にリリアナは違和感を覚えた。体調を崩して寝ているところを見たのであれば“元気で良かった”と言うはずだ。一つの可能性に、リリアナは思い至る。タイミングが悪かったとはいえ、運の悪さを呪いたくなった。


――――ライリーは、リリアナが魔術を使えると気が付いたのかもしれない。


だが、認めるつもりはない。リリアナは無言でライリーを真っ直ぐに見返す。視線は逸らさない。そしてライリーも、リリアナを見つめていた。時に目は口より雄弁である。ライリーは何かを言いたそうにしていたが、やがて諦めたのか、口を引き結んでリリアナの頬から手を離した。


「これは、私の我が儘だけれど――いつか、貴方が心の裡を少しでも見せてくれたら良いと、そう思うよ」

『――ライリー様』


リリアナはわずかに戸惑う。だが、すぐに嫣然と微笑んだ。


妖精姫(フィオンディ)の心根は、真っ直ぐに美しく、穢れなきものと言いますわ』


予想外の返答だったのか、ライリーは目を瞠る。フィオンディを持ち出したのは、リリアナが生誕祭のために着ていたドレスがフィオンディのようと喩えられたからだ。遠回しに、しかし堂々と“隠すことなどない”と断言したリリアナに何を思ったか、ライリーは面白そうに小さく笑い声を立てた。


「それなら、その心はどこまでも深いのだろうね」

『人の心とは、常にそのようなものだと存じます』

「ああ――、そうかもしれない」


ライリーは目を細めてリリアナを見やる。そして、リリアナの手の甲に口づけを落とすと「また」と告げて部屋を立ち去る。扉を閉めたリリアナは、ふと小部屋の方からマリアンヌが顔を覗かせていることに気が付いた。マリアンヌはわずかに頬を染めている。どうしたのかと思っていると、マリアンヌは嬉しそうに言った。


「こうして拝見いたしますと、殿下とお嬢様はさながら、天空の王と妖精姫(フィオンディ)のようですわね」

〈まあ〉


リリアナは苦笑する。絶世の美男と美女に喩えるなど、さすがに言いすぎだろうと思う。だがマリアンヌは本気でそう思ったらしい。しかし、あながち間違ってもいない。物語では、天空の王とフィオンディは悲劇の二人だ。フィオンディは死に、天空の王は嘆き悲しむ。ゲームでもリリアナは死に、王太子は生き残る。そこにある違いは、天空の王とフィオンディは互いを愛していたが、王太子とリリアナは決して相思相愛ではなかったということだ。ゲームのリリアナは王太子を愛していたが、王太子はリリアナに情はあれど愛してはいなかった。

死に至る運命を変えるために行動しているにも関わらず、悲劇の二人に例えられるとは皮肉でしかない。マリアンヌに悪気がないことは分かっている。道ならぬ恋に落ちたことではなく、仲睦まじい様子が似ていると言いたいのだろう。だが、リリアナとしては素直に喜ぶ気にはなれない。


――――決して運命は変えられないのだと、揶揄されているような――そんな気がした。



*****



リリアナを送るクライドと別れたライリーは、自室ではなく政の中心となる部屋が連なる棟に向かった。これから行われる“事後処理”に関して、自らの意見を顧問会議に反映させるためには事前に有力貴族との交渉が重要だ。これまでも事前に意見を告げたことはあったが、その内容も告げる相手も不適切だった。

ライリーが叩いた扉は、高位貴族が顧問会議の前後や狭間に休憩するため用意された歓談室だった。恐らく居るだろうと思っていたが、案の定知った声が入室を促す。ライリーは「失礼します」と言って中に入った。


「お一人ですか」

「ええ、有難いことですよ」


そう言って目を細める男こそがエアルドレッド公爵家当主ベルナルド・チャド・エアルドレッドだ。顔立ちはオースティンに似ているが、豊かな髭を蓄えているせいか非常に老成してみえる。その雰囲気に隙はなく、抜身の剣のように鋭い。そして、穏やかな表情の中に光る鋭い目つきは厳格さを醸し出していた。常に穏やかで抑えた口調は、淡々としていて内心を読めない。その言葉が本心から告げられているのか、それともその場を支配するために作られた虚構なのか、誰にも判別がつかない。

そんな彼は顧問会議でも滅多に口を開かないが、彼が発言すると他の貴族たちは皆、一斉に緊張する。常に泰然自若として常に優位に物事を進めるクラーク公爵ですら、エアルドレッド公爵が口を開く時はどこか警戒しているように見えた。


「ご子息が無事に戻られたと伺いました」


エアルドレッド公爵に勧められるまま、ライリーは対面に腰かける。公爵はライリーの言葉を受けて、わずかに頬を緩めた。


「オースティン、ですな。お耳が早いことですね」

「お会いになりましたか?」


ライリーは尋ねる。面会は明日以降許可されるとは聞いていたものの、肉親であればその前でも会えるだろう。だが、エアルドレッド公爵は首を振った。


「命に別状はないと聞いています。オースティンは騎士となりました。任務で怪我をしたからとて、一々様子伺いに行く親はおりません」


騎士であれば、任務中に怪我を負うのも当然である。下手をすれば、死に目にも会えない上に遺体すら手に入らない可能性がある。エアルドレッド公爵は言外に、その可能性すら覚悟していると滲ませた。ライリーは眦を赤く染め、目を伏せた。


「――過ぎた口でした」

「いえいえ、これからその覚悟をなされば宜しい」


穏やかな口調だが、その裏にはひんやりとしたものが漂っている。「それで」と彼は口を開いた。


「殿下がいらしたのは、僕に御用があるからでしょうか」

「はい。これからの“事後処理”に関して――そして今回の魔物襲撃(スタンピード)について、懸念があります」

「――――伺いましょう」


エアルドレッド公爵は目を細める。鋭い眼光に射貫かれて、ライリーは生唾を飲み込んだ。

事後処理に関しての懸念は大きく二つあった。

一つは、復興が遅れる可能性だ。近距離で短期間の間に生じた二つの魔物襲撃(スタンピード)のお陰で、現場は未曽有の被害を受けているだろう。復興予算をどのように確保するのか、今回の現場の混乱を踏まえると民に負担を掛ける案が浮上する懸念が拭いきれない。

もう一つは、魔導省副長官ベン・ドラコの扱いだ。彼は転移陣に細工を施したと指摘され、魔力を封じる魔道具を付けられ勾留されている。だが、彼の為人を多少なりとも知るライリーには信じ難いことだった。むしろ、今回の件を上手く利用して罠に嵌められた可能性が高い気がしてならない。だが、問題は無実の証拠を用意することができないということだった。もしベン・ドラコを陥れる計画だとすれば、有罪の証拠がどこからともなく出て来ることだろう。


極力論理的に結論付けたライリーを、ソファーに腰掛けたエアルドレッド公爵は静かに見つめていた。しばらく無言で豊かな髭を撫でつけていたが、やがて喉の奥で笑いながら「なるほど、なるほど」と頷いた。


「殿下のご懸念は理解致しました。伏せられているはずの情報を入手する手腕も、そこから事実を精査し組み立て展望を俯瞰する能力も、よもや十歳の少年がなさることとは思えない。御見それ致しましたよ」


褒められているようにも思えるが、何かを含んでいるようにも聞こえる。第一、相手は神童として名を馳せ、今もなお頭脳明晰だと評判の公爵だ。人によっては皮肉と受け取るだろう。上手く反応できずに沈黙するライリーを見て、公爵は目を細めた。冷たさの一切ない、優しい表情だった。


「僭越ながらお褒め申し上げたのですよ、殿下。ここは素直に受け取っていただけますと嬉しいですね」

「それは――光栄です」

「優秀な若人を育てるのは、先達の義務であると共に楽しみでもあるというものです」


楽し気に言ってのけた公爵は、しかしすぐに笑みを消す。途端に厳格な雰囲気が彼を包み、ライリーは気圧されそうになるのを辛うじて堪えた。怯まないよう己を叱咤しながら、真っ直ぐに公爵の視線を受け止める。公爵は低く告げた。


「殿下のご懸念は尤もでしょう。僕もその点は気にかかっているところです。これからの顧問会議には全て、ケニス辺境伯とカルヴァート辺境伯にもご臨席賜るよう要請致しました。必ずしも志は一つではないが、共闘できる場合は手を借りねば損ですからね」


ですが、と公爵は声を強めてライリーに念を押す。


「ここは我々にお任せください。先ほど仰ったことは、決して他にはお話になりませんよう。そして願わくば、御身の周囲に()()()()気をお配りください」


それは、遠回しに身の危険を知らせるものだった。ライリーは常に暗殺される可能性がある。そのために護衛も付けているし、今では“影”も姿を隠したままライリーの身辺を警護している。だが、恐らくそれでは足りない可能性があると公爵は言っているのだ。

ライリーは顔を引き締めた。


「――承知いたしました。ご助言、しかと肝に命じます」


敬意を表するようにしっかりと礼をし、ライリーは部屋を辞する。

王太子の後ろ姿を見送った公爵は、扉がしっかりと閉じられたのを確認すると、深々と溜息を吐きだしソファーの背もたれに体重を預けた。


「どうも――肩が凝りますねぇ」


公爵以外居ないはずの部屋に、一つの影が浮かび上がる。公爵はちらりとそちらを見て、苦笑を浮かべた。


「やはり僕には向きませんよ。早く領地に戻りたいです――けれど、収穫はありましたね。オースティンが気に入るはずです」


あの子は良い子だ、と、不敬に値する言葉をしみじみと呟く。それに呼応するように、部屋に浮かんだ影はゆらりと揺れた。



*****



その日の夜――月明りの下。人々が寝静まった王都の道を、一つの人影が馬に乗り軽快に走っていた。高位貴族たちが住まう一画へと向かう。目深にフードを被った顔は影になっていて見えないが、わずかに唇は弧を描いていた。


「とうとう、この日が来た」


その人影にとって、今日は待ちに待った日だった。積年の想いを叶えるための最後の準備である。唯一の悲願のために、十数年もの時間と大金を惜しみなく注いだ。東奔西走して知恵を求め、綿密な計画を立て、協力者を探した。

馬上の人物は、最大の貢献者の言葉を思い出していた。


『術の定着には時間がかかる。失敗する可能性も勿論あるが、成功すれば後は勝手に育ってくれるし、時が来れば勝手に術は発動する』


幾度も試し、失敗も経験した。直近の数例は成功した。だから本番に挑戦しても大丈夫だろうと判断し、場を整えた。失敗は許されない。また同じ年数を重ねることは不可能だ。だが、馬上の人物には自信があった。

高揚するその人物は、自分を見つめる目があることには気が付かなかった。王都の象徴でもある物見の塔の先端に、器用に止まった獅子。全ての光を吸収する漆黒の獅子は、紫と緑が混じった瞳を月光に煌めかせていたが、やがて竜の翼を現わす。ばさりと一つ羽ばたくとその体は宙に浮かび上がり、やがて漆黒の闇へと消えていった。



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