表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
82/563

15. 生誕祭の罠 9


王都にあるベン・ドラコの私邸では、筋骨逞しい家宰のポールがフリルの付いたエプロンを身に着け、一心不乱にババと呼ばれる焼き菓子を作っていた。先日、とても良いラム酒を入手できたのだ。ババを作るためには、まずパンから作らなければならない。ライ麦ではなく小麦で作ったブリオッシュに紅茶味のシロップを染み込ませ魔導石で作られた冷蔵庫に保管しておく。冷えたらラム酒を掛け、生クリームと果物で飾り付ければ完成だ。


「双子の分は、もう準備した分で足りるかな。アップルパイも下拵えはしたし、ヌガーとマカロンも作ったし――あとはペトラだけど、あいつの好みは未だに良く分からん」


それだけあれば双子も満足するだろうと、ポールは腕を組む。

王太子の生誕祭を迎えるに当たって、王都はほぼ祭り状態だった。様々な店が期間限定品を販売し、広場では民がダンスを楽しむ。野外には様々な商店が屋台を出して一気に活気づく。

ドラコ家の末に生まれた双子――ベラスタとタニアは、その祭りに参加したいと実家から王都まで遊びに来る予定だった。だがつい先日街道沿いで発生した魔物襲撃(スタンピード)のせいで足止めを食らい、到着は生誕祭が終わってからになるだろうと連絡があった。あの二人は――特にタニアに関しては、足止めを食らったからといって王都に来るのを諦めるような子供ではない。祭りには参加できなくとも、何だかんだで慕っている長兄に会いたいのだ。


「ペトラが落ち合えたようだから、大丈夫だとは思うが――」


お目付け役にドラコ家の使用人が付いているはずだが、使用人程度がベラスタとタニアの暴走を抑えられるわけがない。それに、魔物襲撃(スタンピード)の現場近くの宿に泊まるというのも心配だ。最近は、魔物襲撃(スタンピード)が起こればその近辺で新たな魔物襲撃(スタンピード)が発生すると聞く。しかし、偶々仕事で近くに居たペトラが合流したお陰で安全面については多少、安心できるようになった。そのペトラから、無事に王都に向けて出発したという連絡も受け取っている。少なくとも明日の昼には到着するだろう――今日になって起こった新たな魔物襲撃(スタンピード)に巻き込まれてさえいなければ。

王都では、突如として発生した巨大な瘴気に人々が右往左往していた。祭りどころではなくなり、人々は王都から逃れるべきか、それとも結界に守られたこの場に居た方が安全なのか騒ぎ立てている。だが、民が混乱すればその分治安維持のために人手が割かれる。現状では悪影響しかないのだが、それを理解できる人間はそれほど多くない。

結果、ポールは予定通りに主の留守を守り、そして帰って来る主と遊びに来る双子を歓迎するための準備に余念がなかった。勿論、不安がないわけではない。心の奥底から湧き上がる「もしかして」という仄かな恐怖を押しやるためにポールは集中し、あっという間に料理や菓子の下拵えが済んでしまった。


「仕方がない、今日は他にすることもないし、カーテン作りの続きをするか」


ポールは一旦菓子作りの手を止め、フリルの付いたエプロンを脱ぐ。きっちりと丁寧に畳んで所定の場所に置く。時計を見ればちょうど夕食時である。だが、あまり腹は減っていない。

主であるベン・ドラコは生誕祭のためここ連日は王宮と魔導省に泊まり込んで仕事をしている。だからポールの仕事は非常に捗った。夕食も簡単なもので十分だし、しばらく手を止めていたレース編みを再開しようと目論む。ポールが作っているのは居間の窓を飾るカーテンだった。白を基調に、草花の刺繍を施して春らしさを全面に押し出す予定である。

わくわくとしながら、ポールは台所から一階奥の自室に足を向け――ふと、違和感を覚えて玄関ホールに視線を向けた。勿論、扉は閉まっていて玄関ホールは見えない。


「――血の臭い?」


警戒心が沸き起こる。緊張を高めながら扉を僅かに開けたポールは、愕然と目を瞠った。しかし、動揺は一瞬で過ぎ去る。何が起こったのかは分からないが、それは()()()()()()()()()()()。普段、ベラスタやタニアには静かにしろと注意しているのも忘れ、ポールは扉を乱暴に開け放つ。

玄関ホールの中央には、血にまみれぐったりと動かないペトラと、彼女に縋るように座り込んだ双子の姿があった。目から滂沱と涙を流し、呆然と自分を見上げる双子の姿には目もくれず、ポールは跪いて意識のないペトラの状態を看る。


「何があった――医者を、いや、これは――」

「す、魔物襲撃(スタンピード)に、ま、巻き込ま、れて、」


しゃくり上げながらタニアが必死に説明する。


「治癒魔術を使ったのか」

「そ、そう、フード、の、人が」

「でも、でも、目、覚まさなくて、」


フードの人、という言葉に、ローブを着た魔導士が助けてくれたのだろうとポールは見当を付ける。


「近くに騎士は?」


手早くペトラの服を脱がせ傷痕を検めながら、ポールは手短に訊く。タニアとベラスタは顔を見合わせたが、すぐにふるふると首を振った。どうやら騎士はいなかったらしい。となれば、やはり騎士団に所属している治癒士ではなく魔導士だろう。

一通り確認したポールは、ほっと溜息を吐いた。傷はほぼ塞がっている。だが体温は低く脈が遅い。失血した量が多すぎたのだろうと、布の色が分からないほど赤く染まったローブを見て考えた。魔物の攻撃によって受けた傷は瘴気の影響が強く魔術でなければ治せない。だが、治癒魔術を掛けられたのであれば、あとは医師でも対処できる。


「お前たちは、怪我はないか」

「だ、だいじょうぶ」

「ペトラが、守ってくれたの」


双子は揃って首を振った。怪我もしていないし痛いところもない、だが目の前で良く知る人が血塗れになり息も絶え絶えになっているのは、ただただ恐怖でしかなかった。温かい体がどんどん冷たくなり、呼吸は浅くなる。人の“死”というものを身近に感じたのは、ベラスタもタニアも初めてだった。自分たちがただ護られることしかできなくて、ペトラは大怪我を負った。もしかしたら死んでしまうかもしれない、そう思うと体の震えが止まらない。頭が真っ白になって、それでもポールの質問には答えなければと必死に言葉を探す。

震えながらも、二人の小さな手はしっかりとペトラのローブを握りしめている。手を離せばペトラの命が儚く消えてしまうのではないかと恐れるように、小さな二人は血塗れの布に縋りついていた。

軽く二人の頭を撫でてやったポールは、ドラコ家お抱えの医師に見せようと決め、一旦ペトラの体を部屋に運び身を清潔にすることにした。だが、体を清めるためにはポールでは差し支えがある。さすがに、女性に任せた方が良いだろうと考えたポールだが、心当たりは住み込みで働いてくれている料理人の女性一人しかいない。そして、彼女はそれなりに高齢だった。料理をしているだけあって、年齢のわりには力仕事も出来るが、一人で意識のない怪我人の服を着替えさせ体を清めるのは重労働だろう。


「心配しなくて良い、血が足りなくなってるだけだ。医者には一応診せるが、すぐに回復するさ」


ポールが敢えて穏やかな声で告げると、双子はようやくホッと体から力を抜く。どっと疲れが出たのか、涙をぼろぼろと零しながらも顔を茫然とさせている。


「ペ、ペトラ、助かるの?」

「ああ、こいつが死ぬわけがない」


はっきりとポールが断定すると、タニアとベラスタは「良かったぁあああ」と号泣する。ポールは目を細めてそんな双子を見つめたが、それ以上慰めることはせずにタニアに尋ねた。


「タニア、手伝えるか」

「っぅ、え、うん、て、てつだう」


泣き腫らして目を真っ赤にしたタニアは、長兄が好きすぎるあまりにペトラに対して反抗的だった。大好きなベンが自分以外を構うのが嫌だったらしい。だが、以前タニアの軽率な行動のせいで魔物に襲われた時に彼女はペトラに助けられた。それ以降は多少態度が軟化していたが、今回の出来事はタニアに大きな衝撃を齎したようだ。今までであれば「何故私が」という顔をしただろうに、素直に頷く。

そして双子の片割れ――ベラスタ・ドラコも、慌てたようにポールの服を引っ張った。


「ぼ、僕も」


何か手伝いたい、とベラスタは必死に言い募る。ポールは「当然だ」と答えた。

双子を守るために、ペトラはここまで酷い怪我を負ったのだろう。彼女一人であれば、今回のように大規模な魔物襲撃(スタンピード)であっても身を守れたはずだ。だが、それを分かっていようがいまいが、ベラスタもタニアもペトラが自分たちを庇って傷ついたのだと()()()()()()()()()()。そんな人間の抱く後悔や懺悔、無力感――そして絶望を少しでも軽くするためには、何か()()()()がなければいけないと、ポールは良く知っていた。



*****



王宮は騒然としていた。


「瘴気が――――消えた?」


誰もが、つい先ほどまで瘴気が立ち込めていた方角を見て愕然としている。真っ黒に空を覆うほどだった瘴気は、一瞬にして掻き消えていた。自分たちは幻でも見ているのではないかと、何度も瘴気があった方角を見つめている。だが、そこには美しい夕焼け空が広がるだけだ。

理解は遅れてやって来る――魔物襲撃(スタンピード)が制圧されたと。瘴気が消失し美しい夕日の色が広がるのは、恐ろしい魔物が全て屠られた証だと、人々は確信する。


一報が齎されるより早く、王太子ライリー・ウィリアムズ・スリベグラードもまた瘴気が消滅したことに気が付いていた。安堵の溜息が漏れ、肩から力が抜ける。()()()()()()()()()()()()()()()()()()魔物襲撃(スタンピード)を制圧したのだと思った。となれば、彼らも全員とは言わないまでも、無事に帰って来るのだろう。

目下の危機は去った。これからは、事後処理として被害状況の確認と被害現場の早急な復興支援が必要だ。そして、指示が混乱し迅速な対応が取れなかった原因を解明し改善しなければならない。だが、いずれの問題を解決しようにもライリーの発言権は皆無と言って良い。ただ主張しても無駄だと、ライリーは嫌というほど理解していた。


「それならば――()()()()()()()()()ということだ」


ずっと考えていたことではあったが、実行に移してはいなかった。現状で自分の意見を国政に反映させるためには、有力貴族と懇意になりその口から顧問会議に伝えて貰う必要がある。平たく言えば、ライリーには強力な後ろ盾が必要だった。

今の状況を鑑みれば、大半の貴族はライリーの後ろ盾がクラーク公爵だと考えている可能性が高い。ライリーが意見を述べる時や情報を得る時はほとんど彼に頼っていた。だが、今回の魔物襲撃(スタンピード)通して重大局面におけるクラーク公爵とライリーの決断は真っ向から対立することが分かった。クラーク公爵とライリーは重要と考える対象が全く違う。


百を救うために、その内の一つを切り捨てる覚悟を持つ――クラーク公爵が放った言葉を、ライリーは考えていた。それは英雄と名高い祖父の言葉でもあった。王として国を守るためには、一を切り捨てる必要も時にはあるのだろう。だが、それが全てではないはずだ。百を救えるのであれば、それに越したことはない。

それに――と、ライリーは恐怖や焦燥に耐えるように目を細める。


――――他を救うために、私は友が――オースティンやクライド――それにリリアナが犠牲になっても構わないと、本当にそう言い切れるのだろうか。


今回の魔物襲撃(スタンピード)では、現場に向かったオースティンが魔物の牙に掛かる可能性も十分あった。瘴気が消えたから無事に制圧が完了したのだろうと安堵はするが、一方でオースティンの無事を確かめるまでは心のどこかに万が一を想定した恐怖がくすぶっている。


「候補は――――、」


エアルドレッド公爵、ケニス辺境伯、カルヴァート辺境伯。

現時点でライリーが接触できて信頼に値する有力貴族は三人。だが、ケニス辺境伯とカルヴァート辺境伯は中立派であり、誰を次期国王として支持するのか一切意見を表明していない。エアルドレッド公爵も表明していないが、態度を見ればライリーを認めていることが分かる。かといって、エアルドレッド公爵を後ろ盾として選んだと周囲に判断されてしまえば、ライリーはクラーク公爵からの支持を失う可能性が高い。宰相である彼の助力を得られなくなる状況は避けたかった。

それでも、どうにかエアルドレッド公爵たちの助力を得たい。どうするべきかと悩んでいるライリーの耳に、扉を叩く音がした。


「入れ」

「失礼致します」


ライリーは窓の外から視線を逸らし、入室者の顔を見る。どこか安堵を滲ませて姿を現したのは、クライド・ベニート・クラークだった。ライリーは微笑を浮かべる。


「制圧は完了したようだな」

「はい。ですが、これからが大変でしょう」


どこか沈鬱な表情でクライドは呟く。被害状況の確認や復興支援といった難題が待ち構えていることを、クライドもまた良く理解していた。そして、今回明らかになった上層部の意思統一ができていないことも大きな懸念点だ。

だからこそ、クライドは時間を無駄にはしなかった。「いくつか内密にご報告があります」と真剣な表情でライリーを見る。ライリーは防音の結界を張り、続きを促した。

“内密に”と言うことは、クライドは自身の判断で動いている――即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。裏を返せば、誰かがライリーには知らせまいとしている内容であるとも言える。未来永劫教えるつもりがないのかもしれないし、もしくは伝えるには時期尚早だと考えているのかもしれない。


「まず一つ。騎士団長および二番隊、そしてオースティンは転移の術で騎士団の宿舎に帰還しました。現在、騎士団に所属している治癒魔導士によって治療が施されています」

「――皆、無事なのか?」

「殉職者十四名、彼らは帰還不能です。帰還者十五名中五名が重傷、八名が軽傷、二名が無傷ですが魔力がほぼ枯渇状態と聞いています」


想像以上の被害に、ライリーは低く唸った。無傷の二名も、魔力が枯渇しているということは予断を許さない状態ということに他ならない。明言はされなかったが、他の騎士たちも似たり寄ったりなのだろう。即ち、二番隊はほぼ壊滅状態ということだ。


「ヘガティ団長とダンヒル隊長は?」

「お二人とも重傷です。最も重篤なのはイーデン副隊長、オースティンは左肩を負傷していますが、しばらく安静にしていれば元通りになるようです」


ライリーは歯を食い縛った。だが、抑えきれない唸り声が漏れる。クライドは励ますように囁いた。


「恐らく、明日以降には面会できるようになるでしょう」

「――分かった」


ライリーは己の内に暴れる激情を抑えつけ、平静を装った。無表情で「他は?」とクライドに尋ねる。クライドは、「魔導省ですが――」と更に声を潜めた。


「転移陣に細工がしてあった件に関して、副長官ベン・ドラコの関与を疑っているようです」

「副長官が――?」


クライドが齎した情報に、ライリーは目を瞠る。ベン・ドラコとは、リリアナを介して知り合った。非常に研究熱心で聡明であり、そして魔物襲撃(スタンピード)に関しては顧問会議が認めた“自然発生説”に異を唱える稀有な存在でもあった。史上最年少で魔導省副長官に就任したのも伊達ではないと感心したものだ。そして、少なからずライリーはベン・ドラコの為人(ひととなり)を知っている。彼が転移陣に細工をしたなど、到底信じられることではなかった。


「転移陣への細工だと? 最悪の場合は国家反逆罪として処せられてしまうじゃないか」

「副長官は魔導省の横領に関して調査し、関係者を処断した経歴もありますから――どこかで恨みを買った可能性も無きにしも非ずですね」


クライドも苦い表情で頷く。現在ベン・ドラコは魔力抑制の魔道具を付けられ勾留されているが、今回の魔物襲撃(スタンピード)の事後処理が一段落すれば家宅捜索も開始されるだろうことは、想像に難くなかった。


「とりあえず、妹は一旦王都の屋敷に帰します。私はしばらく王宮に滞在しますが」

「帰る――?」


ライリーは何かに驚いたように目を瞬かせたが、すぐに取り繕って頷いた。


「そうか。その方が良いだろうな。彼女の屋敷にはまだ帰れないだろう」


街道沿いで魔物襲撃(スタンピード)があったのだ。王都から出るのも一苦労だろう。だが、ライリーが気になったのはリリアナが家に戻る事実ではなかった。少し考えて、おもむろに口を開く。


「それなら、彼女が戻る前に様子伺いに行こう」

「承知しました。今からご一緒しますか」

「ああ」


ライリーを疑う様子もなく、クライドは王太子を誘う。頷いたライリーは窓際から離れ、クライドの隣に立った。部屋を出ると護衛が付いて来る。

リリアナが王都の屋敷に帰るのは、何らおかしいことではない。だが一つだけ、気になることは。


――――彼女は部屋に戻っているのか?


リリアナが休んでいるという部屋を訪れたライリーが目撃したのは、リリアナが寝ているように偽装した幻術だった。本物のリリアナがどこに居るのか、ライリーには分からなかった。幻術に見えた魔力がリリアナのものだと気付かなければ、計画的に行われた誘拐だと断じるほど精巧な術だった。もし、未だに部屋に寝ているリリアナが幻術だったとしたら――一体どう振る舞うのが正解なのか。

ライリーは痛む頭を抑えながら、漏れ出そうになる溜息を堪えた。



15-4

15-6

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


第1巻~第5巻(オーバーラップ文庫)好評発売中!

書影 書影 書影 書影 書影
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ