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悪役令嬢はしゃべりません  作者: 由畝 啓
第一部 悪役令嬢はしゃべりません
79/563

15. 生誕祭の罠 6


天まで届く瘴気を自室の窓から眺めながら、ライリーは焦燥を覚えていた。どれほど現場に急行すべきだと主張しても、宰相たちには相手にされない。むしろ余計な発言で現場を乱すなと言わんばかりの視線を向けられる。物心ついた頃から、ライリーは厳格な王太子教育を受けていた。ライリーが四歳の時に母が亡くなったが、後妻や妾を迎える気のなかった父ホレイシオにより祖父には秘密裏で家庭教師の選抜が行われていたらしい。


言葉遣いも行動も、子供だからといって妥協は許されなかった。思ったままを口にすれば、容赦なく怒られた。

晴れた日に「きょうも、いい天気ですね」と言ったことがある。彼が五歳の時だった。他愛もない会話のつもりだった。だが、当時の教育係からは注意を受けた。日照りが続けば不作に繋がる。そんな時、民にとっては晴れも“良い天気”ではない。一挙手一投足が他から見られ判断される王太子たるもの、あらゆる可能性を考慮に入れなければならない――そう言い聞かせられた。そして、様々な角度から物事を考えるためには知識が必要なのだと、山ほどの書物を読むように課題が出された。

当時は全く意味が分からなかった。文章を読むことですらやっとだったのに、小難しい書物を読めと言われたことにうんざりした。だが容赦ない家庭教師の手前、怒られるのが嫌で課題をこなした。

だが、その家庭教師のお陰で、思ったことを正直に口にする前に、その言葉がどのような受け取り方をされるのかよく考えなければならないのだ、ということは何となくわかった。そのせいで暫くは何も話したくなくなったが、話さなければそれもまた怒られる原因になった。無言は時に有益だが、無口は許されることでもないのだと知った。


どれほど嫌でも逃れる術はなかった。ほんの小さな頃は癇癪を起こしたこともある。だが、それも無意味だと悟ったのは五歳の頃だった。王太子という運命から逃れられない以上、与えられた枠の中で精一杯やるしかないのだと、そう教えてくれた者がいる。だからライリーは泣きたくても歯を食い縛り我慢した。祖父の語る武勇伝を聞き、憧れた。その憧れがあったからこそ、厳しいほどの教育にも耐えて来られた。

友も自分では選べず、与えられるばかりだった。王太子に相応しい教育を受けているライリーに悪影響を及ぼさないよう、同等か多少劣る程度の教育を受けた高位貴族の令息たちだけがライリーの周囲には居た。オースティンもその一人だった。だが、彼は王族でないせいかライリーよりも交友範囲は広かった。八歳になった頃、下級貴族の中には同い年でも未だ癇癪を起こし我が儘ばかりの子がいると聞き驚いた。平民の中には、嫌がる女の子を虐めて楽しむ男の子もいるらしい。そういった子たちとは一切隔離されて育って来たライリーには、全く別世界の話だった。


それほどまでに厳しい教育を受けて来たのは偏にライリーが王太子としてスリベグランディア王国を支えるためだ。祖父のような英雄になれずとも、十歳にもなった今ライリーは国のため民のために多少はできることも増えたはずだと思っていた。それなのに、思うようには行かない。どれほど厳しく躾けられて来たといっても、宰相や顧問会議に出席する貴族たちからは取るに足らない子供と侮られる。

確かに自分の力不足は否めないが、軽んじられるのはただ悔しかった。


それにも関わらず、一部の貴族は自分たちの身の安全を保障しろと尊大な態度で侍従や騎士団に文句を言い、一層王宮内の混乱に拍車をかけている。叔父である大公フランクリン・スリベグラードは、会場を立ち去る時に「魔物も王都以外で暴れて欲しいものだ、全く迷惑極まりない」などと文句を言っていた。

自分よりも遥かに何かを成し遂げられる年齢と地位にいるにも関わらず、自己保身に走る彼らには虫唾が走る。勿論、八つ当たりをしている自覚はある。なぜなら、()()()()()()()()()()()()。せめて剣を持ち現場に駆け付けられたら良いのに――と、苦々しく思う。だが、それは王太子としての立場が許さなかった。


その時、扉を叩く音が聞こえた。入室を促すと、馴染んだ少年が姿を現す。一番親しくしている婚約者候補と似た面差しの彼に、ライリーは思わず頬を緩めた。


「クライドか」

「はい、殿下。先ほどオースティンが騎士団長と二番隊、二名の魔導士と共に現場へ向かいました」

「そうか」


どうやら、クライドは公爵の使いで王宮を走らされているらしい。だが、その合間にこうして情報をライリーへと届けてくれていた。


オースティンはまだ見習いではあるものの、その剣の腕は秀でていた。期間が不十分だから見習いという立ち位置にいるだけで、時期が来れば直ぐに正式な騎士へと叙任されるだろう。

ライリーは陰鬱に頷く。魔導省長官のニコラス・バーグソンが、騎士団を転移させる陣が作動できないという報告を顧問会議に上げたばかりだった。

騎士団を転移できる巨大な転移陣は、そう簡単には設置できない。本来であれば、目的地を設定しない転移陣を使える魔導士が、転移先に置く陣を持って現場に急行し、その知らせを待って騎士団が現場に転移することになっている。だが、“目的地を設定しない転移陣”の術式が書き換えられていたため、その手順を踏めなくなったらしい。そのため、騎士団は馬を出して途中まで早駆けし、魔物襲撃(スタンピード)の現場までは己の足で走って向かうことになった。

そうしている間にも被害は拡大しているだろう。瘴気は収まることなく、むしろ窓から見えるそれは一層濃くなっている。更に言えば、転移陣を使えない場合、騎士と魔導士たちは魔物襲撃(スタンピード)の外側から中心部に切り込んで行かなければならない。魔物が最も多く活発なのは瘴気の中心部だ。外側から切り崩して行くと、転移陣で中心部に転移し一気に討伐を行うよりも遥かに時間が掛かる。討伐隊の被害も増えることは当然考えられることだった。


「無事だと良いがな」

「――は」


采配が不味いのは、ライリーから見ても明らかだった。クライドも理解しているのだろう、あまり表情の変わらない瞳に苦いものが混じる。

このような事態を想定していたとは思えないほど、魔導省と騎士団の連携が取れておらず、更に指示を出すべき王宮の意志決定が遅すぎる。本来であれば国王が鶴の一声で決定することを、顧問会議で話し合ってから各関係先に伝達するという方式を取っているせいだった。どのみち最終決定権は宰相にあるのだから、強行すれば――と思いかけたライリーは、それでは駄目だと思い直す。

クラーク公爵は、王都を守ることに注力し魔物襲撃(スタンピード)の被害を受けている現場への対応を後回しにする腹積もりだった。生誕祭に出席していた三大公爵の一人であるエアルドレッド公爵が強固に反対したからこそ、クラーク公爵も騎士団が現場に駆け付けることを受け入れたに過ぎない。

どちらの判断が正しいのか、ライリーには分からなかった。正解などないのかもしれない。だが、脳裏には宰相が呆れたように放った言葉が過る。


――殿下、全てを救おうと考えれば全てを失います。百を救うためにはその内の一つを切り捨てるご覚悟をお持ちください。


それは、ライリーが病床の祖父から常々言い聞かされて来た言葉だった。父である現国王から英雄であった祖父の“負の遺産”を聞かされたおよそ二年前から、未だにライリーは道を定められていない。

眉間に皺を寄せ、俯いてしまう。クライドが目の前に居ることさえも、今のライリーは失念していた。


「殿下、私は父に呼ばれておりますので、御前を失礼させて頂いても」


クライドの言葉でライリーは我に返る。常に浮かべる微笑を取り繕うように作り、穏やかに答えた。


「ああ、構わない。引き留めたな」

「いいえ、またご用向きの際はお呼びください」


クライドが一礼する。だが、部屋を去る前に「一言、これはついでですが」と口を開く。クライドが立ち去るのを何とはなしに見ていたライリーは片眉を上げて「なんだ」と尋ねる。クライドはわずかに声を潜めた。


「私の妹が体調を崩しまして、現在一室をお借りしております」

「リリアナが――?」


ライリーは目を瞠る。魔物襲撃(スタンピード)の報告が上がった時、会場で見た姿は元気そうだった。それならばその後に体調を崩したのだろう。突然落ち着かなくなり、ライリーは低く「どこだ」と部屋の場所を尋ねる。クライドは静かに客室を答えた。勿論、侍女が付き従っていることも言い添える。ライリーは頷いた。


「分かった。――感謝する」

「勿体ないお言葉です」


クライドは低く答え、今度こそ部屋を辞した。ライリーは逸る心を抑え、リリアナが居るという部屋に向かう。王宮内はまだ落ち着かない雰囲気だ。生誕祭に出席していた貴族の大部分がそれぞれの居るべき場所へと向かったせいか、ある程度は静けさを取り戻しつつある。だが、異常事態が継続していることは変わりない。

リリアナが滞在しているという部屋は、王族の私的(プライベート)空間に比較的近い場所にある客室だった。扉の外に護衛が立っていないことに眉を顰めるが、恐らく緊急事態であることを鑑みて断った可能性が高いと思い直す。本来であればリリアナやクライドは王宮に滞在する予定すらなく、王都にあるクラーク公爵家の邸宅もそれほど離れていないため、屋敷に護衛を置いて来たのだろう。


「私が付いてやりたいが――」


魔物討伐で多忙な騎士たちに頼むのは申し訳ないが、かといってライリー自身が護衛を兼ねて滞在するのはさすがに外聞が悪い。それに、リリアナを婚約者候補から外したいと考えているクラーク公爵の存在も気にかかる。ライリー自身も心を決めかねている現状で、下手なことをするわけにはいかなかった。

確かに、リリアナの傍が一番落ち着くし会話も楽しいと思える。それに一番尊敬できる相手だった。彼女の知識の広さだけでなく、発想も目を瞠るものがある。特に先だってクラーク公爵領の染色特区を訪れた際、彼女が口にした“特許”という概念は革新的だった。

だが、王太子という身分は一時の感情で結婚相手を決めることを許さない。


ライリーはリリアナの部屋の扉を叩く。反応がなかったため、ライリーは少し考えて隣接している小部屋の扉を叩いた。侍女が滞在しているはずだと思ったが、案の定直ぐに返事がある。リリアナ付きの侍女であるマリアンヌとは、ライリーも何度か面識があったが、実際に言葉を交わす機会は今回が初めてだ。ただ、これまで顔を合わせる中で、ライリーはマリアンヌが自分とリリアナの関係を微笑ましく見守っていることに気が付いていた。マリアンヌはライリーよりも六つ、リリアナに至っては八つ年上である。敬愛する主であると共に、可愛らしい弟妹を眺めているような慈愛に満ちた目を向けていることさえあった。普段は見事に取り繕っているが、過ごす時間が増えれば綻びる機会も増える。


マリアンヌはライリーが居ることに驚いた様子だったが、すぐにリリアナに会いに来たのだと悟ってくれた様子だ。


「申し訳ございません、今お嬢様はお休みになっておられまして――起こして参りましょうか」

「いや、寝ているなら構わない。ただ、あまり褒められたことではないのは承知しているのだけれど――体調を崩したとクライドから聞いたからね。一目様子を見たいんだが」


良いかな、とライリーは困った表情でマリアンヌを見やる。マリアンヌは逡巡していたが、ライリーの蒼白な顔を見て何を思ったか、溜息混じりに「少しでしたら」と承諾してくれた。調子の悪い主を起こすことと、蒼白な顔でリリアナの無事を確かめたいと告げる王太子を追い返すことを天秤に掛けたのだろう。

ライリーは周囲に人の目がないことを確認して、部屋に入る。


「――これは」


思わずライリーは息を飲む。マリアンヌは気が付いていないが、()()()()()()()()()()()()()()ライリーは気が付いた。非常に精巧な作りで、そこに結界があることを簡単には悟らせない。非常に高い技術だ。

驚くライリーには気が付かず、マリアンヌは寝台の膨らみに向かって声を掛ける。


「お嬢様、殿下がおいでです」


だが、寝具から覗く銀髪の頭は動かない。マリアンヌは申し訳なさそうな視線をライリーに向けた。同時に侍女の瞳には、声を掛けても起きない主人を案じる色が浮かんでいる。

防音の結界の衝撃から立ち直ったライリーは、安心させるような笑みを向けて頷いて見せた。


「顔を、見るだけだから」

「――承知いたしました」


頷いたマリアンヌが部屋の端に寄ったのを確認し、ライリーはそっとシーツに手を掛けた。ゆっくりと、顔を隠しているシーツを捲る。息を詰めて、隙間から()()()()()()()。ライリーの予想通り、そこにはスヤスヤと眠るリリアナの顔があった。

薄々と予感はしていただけに、そこまで衝撃はない。だが、平静ではいられなかった。


「とても良く寝ているみたいだね。そっとしておいてあげよう」


ライリーはシーツを元に戻し、何食わぬ顔でマリアンヌに囁く。主人に忠実なマリアンヌは心配そうな表情を浮かべたままライリーに頷いた。その反応に、ライリーは確信を抱く。

マリアンヌにも休むよう労いの言葉をかけ、ライリーは客室を出た。自室に向かう足が、徐々に速くなる。


――やっぱり。


自分の直感は勘違いではなかった、そう思う。

リリアナへの疑惑は昨年、クラーク公爵領の視察に向かった時からあった。それ以降確かめる機会はなかったが、今回のことで確証を得た。一度は偶然でも、二度は必然だ。


――リリアナは、魔術を使える。それも恐らく無詠唱で、術の属性にすらその能力は制限されない。更には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。驚くべき能力の持ち主だ。


今しがたライリーが後にした客室に防音の結界を張ったのはリリアナだ。魔力の残滓がマリアンヌのものでもクライドのものでもなかった。そして、マリアンヌは気が付いていなかったが、()()()()()()()()()()()。普通は気が付かないほど精巧な作りで、しっかりと寝息すら聞こえた。幻術であれば体温はないことが大半だというのに、寝ているリリアナは温かかった。

ライリーも最初は騙されそうになった。気が付いたのは多少疑っていたことと、そして残りは幸運だった。一瞬の魔術の揺らぎを、ライリーは見逃さなかった。


そして、その衝撃と同時にライリーは唇を噛む。

リリアナは客室には居ない。それでは、彼女はどこに行ったのか――兄にも侍女にも告げることなく、リリアナは姿を晦ました。この時機であることを考えると、魔物襲撃(スタンピード)に関する何かが目的には違いない。一人なのか、それとも協力者がいるのかも分からない。自分には告げて欲しかったと思う反面、その機会も関係性もない状態で何故教えて貰えると思ったのか、と自嘲が込み上げる。

ライリーはリリアナに信頼されておらず、そして彼はリリアナが何を考えどのような行動を取るのかすら予測できないほど薄い関係性でしかない。

彼女が優秀な魔導士なのだろうと予想はしていても、それがどの程度のものなのかは分からない。だからこそ、余計に不安と心配が募る。


時間が経ち自覚すればするほど、茫然自失に陥りそうだった。目の奥がつんとするが、歯を食い縛ってライリーは耐えた。強く拳を握る。掌に血が滲んでもライリーは構わなかった。呼吸を整え、必死に荒れ狂う感情に蓋をする。そうでなければ、王宮の貴族たちにも婚約者候補筆頭であるリリアナからも信頼されない王太子の居場所などないと、柄にもなく自暴自棄になってしまいそうだった。それは、王太子としてしてはならないことだった。

だから、必死にライリーは自分を落ち着ける。事実だけに着目して思考を感情から逸らせれば、動転しそうになる軟弱な心を多少は抑えつけられそうな気がした。


「父上は、彼女の能力をご存知だった――? いや、まさかそんなはずはない」


スリベグランディア王国でも有数の――否、唯一無二の魔導士になり得る力をリリアナが持っていると知っていたら、最初から彼女はライリーの婚約者として確定していたはずだった。それほどまでに、彼女の身分や出自を除いてもリリアナの能力は魅力的だ。婚約者候補であるということは、リリアナの魔術に対する能力の高さが知られていないからに他ならない。


「侍女は勿論――クライドは、知らないだろう」


知っていたら、ライリーがリリアナの元に行くような言葉を告げるはずはない。それでは、クラーク公爵はリリアナの能力を知っていて秘しているのか。その可能性は否定できなかった。クラーク公爵はリリアナをライリーの婚約者候補から外したいと考えている。


――リリアナが私に魔術のことを黙っているのは、彼女もまた婚約者候補を辞めたいと思っているからなのだろうか。


そう考えた瞬間、ライリーの胸は酷く痛んだ。リリアナと忌憚のない議論が出来る時間はライリーにとって至高だった。リリアナと議論できる時間がなくなると思えば、喪失感と焦燥が胸を締め付ける。

結論に辿り着くことのない問題を延々と考え続けていたライリーは、いつの間にか自室に到着していた。



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